第003話:未知の敵現る

 スフィーリアの賢者は、かつてカルネディオ城があった場所、城壁内部の中心地に立っていた。


 瞑目めいもくしたまま慎重に周囲を探っている。薄く伸ばした魔力を四方に広げているのだ。


「魔術行使の残滓ざんしがなおも色濃くただよっていますね。いったい、どれほどの禁忌きんきに触れたのでしょうか」


 魔術残滓は時間がてば経つほど薄くなり、やがて完全に消失してしまう。解析するためには、できる限り早いうちに、しかもよくる必要がある。


 破壊に用いられた魔術は三種だ。どれもが常識を凌駕りょうがしている。ステルヴィアでも教えることのない秘匿ひとく魔術、いわゆる禁呪きんじゅと呼ばれるものだ。


 これらの魔術は、いずれもがステルヴィアの所有しているものではない。スフィーリアの賢者でさえ知らない類だ。特に破壊に最も貢献したであろう火炎系魔術は、想像すらつかない。


 スフィーリアの賢者の頭に、二人の顔が浮かんだ。


 一人は同僚とも言うべきレスカレオの賢者だ。同じ賢者であっても、友人と呼ぶには遠い。あくまで魔術という側面でのみ話をする、といった程度だ。

 

 ステルヴィアが誇る三賢者と対等に話ができる者は少ない。魔術師ならではの性質、とっつきにくさはもちろん、それに加えて畏怖、嫉妬しっと嫌悪けんおなど、様々な負の感情が彼らを忌避きひさせてしまうからだ。


 レスカレオの賢者は火炎系魔術を最も得意としている。彼女でさえ、この魔術は知らないだろう。


 研究熱心な彼女に伝えてやれば、喜びいさんで、すぐに飛んでやって来るに違いない。文字どおり、飛んで、だ。それはそれで迷惑だと思うスフィーリアの賢者だった。


 そして、もう一人だ。


「彼ならば瞬時に全てを理解するのでしょうね。彼がここに現れることはない。ふるき友よ、以前に会ってからほぼ百年が経ちました。会いたいものです」


 わずかの思い出にひたったスフィーリアの賢者は感傷を振り払い、静かに告げた。


「解析も終わったところで、お待たせしましたね」


 攻撃が、来た。


 炎矢オラニスが八発、寸分の狂いもなく、急所を狙って放たれていた。


「巧妙に気配を隠していたつもりでしょうが、全てえていましたよ。それにしても律儀りちぎなことですね。解析が終わるまで、大人しく待っているとは」


 炎矢オラニスのことごとくが、防御結界にはばまれる。


 スフィーリアの賢者は、無傷だった。あらかじめ、防御結界を展開、相手の攻撃に応じて瞬時に発動していたのだ。


「欲しいのはおまえの命ではないのでな。それに、この程度で仕留められるとも思っておらぬ」


 どこから現れたのか。全身を漆黒の外套がいとうで覆った八人が宙に浮かんでいる。八人と言ってよいのか分からない。まとった雰囲気が、あまりにも人族とかけ離れている。各々が有する魔力もだ。


「答えはないのでしょうが、聞いておきましょう。何者です」


 予想どおりだ。回答はない。


「おまえが手にしているそれは我らが主のものだ。返してもらおう」


 答える代わりに、要求が来る。スフィーリアの賢者が手にしているものを指差している。


「返してもらおう」


 残りの七人が声をそろえてしょうすると同時、指先に炎が凝縮されていく。


「問答無用というわけですか。残念です。これを渡すわけにはいきません」

「ならば、力尽くで返してもらうまで」


 八人が同時に詠唱を開始した。


「レー・インナ・ドロー・ミザ・アーレ

 ドゥヴ・ルー・ジラザー・ラ・ナドロミナ

 暗黒の闇の内にうごめ業火ごうか

 我が求めに応じて姿を見せよ

 怒れる獄炎となりて全てを焼き尽くせ」


 八人による同時並行詠唱だ。


 単発で放つ同一魔術に比べ、威力を増大させることが可能となる。八人だから八倍になるという、そんな単純なものではない。


 魔術論理学によれば、術者の能力や規模にもよるが、およそ三倍から五倍程度までには増強できる。


「火炎系上級魔術の並行詠唱ですか。面白いですね。ですが、相手が悪かったですね」

 

 スフィーリアの賢者が迎え撃つ。


「ファーレン・ルフス・レ・リーヴィス

 凍嵐をまといて氷結に舞う」


 スフィーリアの賢者にとって、相手より詠唱が遅れることに問題はいささかもない。彼は短節詠唱で、完全詠唱と同等威力の魔術を行使できるからだ。


 簡単に説明しておくと、主物質界において、魔術師が魔術行使をするためには詠唱が絶対不可欠だ。世界を創造した神以外、息をするかのように無詠唱で魔術を扱うことなど不可能なのだ。


 個体差はあるものの、魔力量も種によっておよその平均値が決まっている。一部の例外を除き、主物質界の人型種で人口が多いのは人族、獣人族、妖精族、魔人族だ。


 その中では、妖精族と魔人族が圧倒的に多くの魔力を有し、次いで人族、獣人族と続く。人族の中だけで比較すると、エルフ属が抜きん出ている。ヒューマン属、ドワーフ属などはそこまで多くなく、巨人属や小人属となるとさらに少ない。


 相手の魔術が先に成就じょうじゅ、即座に解き放たれる。


獄炎灰燼爆リグラジェンド


 並行詠唱によって威力を増した獄炎弾が、一直線に襲い来る。


 炎矢オラニスとは比べ物にならないほどの火力だ。確実に敵を仕留めるための、殺傷度をいちじるしく高めた攻撃だった。


凍嵐氷舞パラスフィーユ


 迫り来る獄炎弾を前に、スフィーリアの賢者は慌てることなく、手を軽く一振ひとふりした。


「私の前では、あらゆるものが止まるのですよ。炎とて例外ではありません」


 水氷系上級魔術たる凍嵐氷舞パラスフィーユは、スフィーリアの賢者が最も得意とし、かつ短節をきわめた魔術だ。


 広範囲にわたって舞う凍嵐は全てを包み込み、完全にてつかせる。スフィーリアの賢者が、氷結匠コンジェランディアとも呼ばれる所以ゆえんだった。


 炎が凍嵐にいだかれた。


 刹那せつな、周囲に大量の水蒸気が散った。炎はこごえ、大気を舞う水蒸気は新たな凍嵐となって踊り続ける。


 そのままの勢いをもって、八人をまたたく間に飲み込んでいった。


「我らでは相手にならぬか。スフィーリアの賢者よ。おまえの魔術、しかとせてもらった」


 凍結牢とうけつろう、物質の運動がほぼ止まる極低温で構築された氷獄だ。


 七人は全身をとらえられ、凍結のうちに絶命した。ただ一人だけが、それをまぬかれていた。


 話を聞くためだ。あえて凍結させる範囲を限定している。緻密な魔術制御だった。


「質問を変えましょう。貴方たちが主と呼ぶ者、その正体を教えなさい」

「答えると思うか」


 口を動かすのもやっとのことだろうが、不敵な笑みを浮かべている。


「思いません。ですから、無理矢理聞くことにします」


 スフィーリアの賢者は、氷の中に閉じ込めている相手の目をのぞき込んだ。


 用いるのは精神系支配魔術だ。肉体を無視して、直接精神に作用するがゆえ、使い方次第で相手の精神を破壊することもできる。もちろん、術者と被術者の精神力にも大きく左右される。


「セ=レーナ・アンニケ・ルトロン

 レ=ナーセ・ニアンケ・ロルント」


 相手の目を通して、詠唱を繰り返し、刻み込んでいく。


 詠唱は、いわば精神という名のおりに守られた脳を籠絡ろうらくするための言霊ことだまだ。浸透するまで、さほどの時間は要さなかった。


 スフィーリアの賢者は、相手を支配下に置いたことを確認すると、直截的ちょくさいてきに脳裏に質問を投げかける。


≪あなた方の主は誰ですか≫

≪我らが≫


 言葉が途切れる。わずかに圧を加えつつ、その先を待つ。


≪我らが、主≫


(この者の抵抗力、いえ、これは別の干渉力ですか)


 スフィーリアの賢者は、支配力をなお高めるため、圧をもう一段強めた。これが限度だ。さらなる圧を加えることは、脳そのものの破壊につながりかねない。


≪答えなさい≫

≪その、名、名は≫


 氷に覆われた顔が収縮したかと思うと、一気に膨張、そして破裂した。


 氷を吹き飛ばし、脳漿のうしょうをぶちまける。人族ならば、ほぼ無色透明のはずが、周囲にき散らされたそれは黒みを帯びた緑色をしていた。


「強制自爆魔術を埋め込んでいましたか。むごいことをしますね。起動は、主の名前を口にすること。私としたことが、迂闊うかつでした」


 明らかな失態だった。スフィーリアの賢者は深いため息をついた。


 凍結牢の中で絶命している七人におもむろに目をやった後、ここでの用事は終わったとばかりに背を向ける。


「永久に眠りなさい」


 凍結牢が、きらめく氷の結晶を残し、霧散むさんした。

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