【2周年読み切り】兄弟となる二人 前編

 かれこれ二十年も前の話になる。まぎれもなく、あれこそが一つの転換点だった。めの裏路地で暮らし始めて七年ほどがっていた。


 彼自身、物心ついた頃には既にこの中で生き抜くことを余儀なくされていた。親兄弟の存在はもちろんのこと、正確な年齢さえ分からない。仲間内では、およそ八歳で通っている。


 今では少年ながらに、この裏路地を仕切る強者の一人になりつつあった。喧嘩けんかや傷害、暴行といった些末さまつな事件は日常茶飯事だ。大がかりな犯罪もいとわずに手を染めてきた。唯一やっていない犯罪は人殺しぐらいだろう。


 それらは決して私利私欲のためではない。この掃き溜めで暮らす、かつての己のような弱者、大人から見放され、一切の手を差し伸べられない者たちを救うためだった。その行為が自己満足でしかないことを彼は十二分に理解している。


 この地における彼の名をザガルドアと言った。それが本当の名前かどうかさえも分からない。



 ある日、ザガルドアは手足のように使っている年下の子供連中から熱心な報告を受けているところだった。彼らは裏路地に入り込んだ不審者を取り締まる、少年警護団と呼ばれるたぐいの者たちだ。


 滅多めったに見られない綺麗きれいな衣装に身を包んだ一人の少年がごみ捨て場の大箱に放りこまれている。しかも、上等な靴を履いているという。


 路地裏で暮らす者たちは、ほぼ皆が裸足はだしだ。靴を履いている者も中にはいるが、市場などで購入したわけではない。全て盗んだものだ。


 ザガルドアは金蔓かねづるがやって来たとばかりに満足げな笑みを浮かべると、急ぎその少年のもとへ向かうことにした。


 いくら、ザガルドアがこの裏路地を仕切る者の一人だと言っても、金目のものは早い者勝ちだ。それがこの掃き溜めで暮らすうえでの暗黙の了解事項でもある。横から見事にかっさらっていく連中がどれほどいるのか見当もつかない。



 ザガルドア自身、最初はどこかの金持ちが迷いこんだのだろうと気軽に考えていた。少年警護団に周囲を見張らせて、ゆっくりとごみ捨て場に近づくと慎重に中をのぞきこむ。


(何だ、これは。着ているものこそ上等だが、切り裂かれていやがる。明らかに剣によるものだ。こいつ、貴族か。しかも、そこら辺のぼんくらじゃなさそうだな)


 面倒なことになりそうだ。悪い予感は往々にして当たる。


「ザガルドア、まずいぞ」


 少年警護団の一人が警告を発する。


 路地裏から大通りへと抜ける交差路に物々しい男たちが複数集まっている。その内の一人の男がこちらに視線を向けている。男を中心にして、何やら話しこんでいるのがここからでも分かる。


(やはり面倒事の種だったか。このまま捨て置く。いや、それができる状況じゃないな)


 ザガルドアにとってみれば、全くの赤の他人だ。わざわざ危険を冒す必要性は皆無だ。にもかかわらず、この少年を見捨てられなかった。


 貴族などと関われば、ろくなことにならない。十分すぎるほど分かっていながらも、心の奥底からこの少年を助けろと訴えかけてくる。ザガルドアが大きなため息をつく。


「はあ、仕方ねえな。お前たち、奴らとの交渉事は俺が引き受ける。余計なことは言うんじゃねえぞ。黙って俺に従え。いつもどおりにやるだけだ。絶対にすきを見せるなよ」


 少年警護団の面々はザガルドアがきたえた者たちだ。ここでは女も男も関係なく、力ある者だけが生き残る。実に非情な世界だ。ザガルドアの言葉を受け、誰もが力強くうなづく。



 物々しい連中が走って向かってくる。見るからに頑強なよろいまとい、各々が剣を腰に吊るしている。全部で五人だ。


 先頭の二人が即座に抜剣ばっけんした。路地裏に差しこむ薄明かりが剣身を照らし、乱反射している。ザガルドアは思わず生唾なまつばを飲みこんだ。


(やはり狙いはこいつか。相当に訓練されている奴らだ。下手すると瞬殺されるな)


 先手を打つに限る。ザガルドアはこの年齢にして、大人相手の交渉術にもけている。しかも、一筋縄ではいかない犯罪者連中を相手にしてきているのだ。彼が長年の交渉事で学んだ唯一不変の法則がある。


(相手に先手を取らせるな。常に主導権を握り続けろ)


 自分自身に強く言い聞かせる。


「こんな掃き溜めでいったい何の訓練なんだ」


 相手が剣の間合いに入る前に言葉を投げる。男たちは子供だと完全にあなどっていたのだろう。立ち止まりつつも戸惑いを隠しきれていない。時間を与えるような真似はしない。ザガルドアは矢継ぎ早に言葉を繰り出していく。


「そんな仰々ぎょうぎょうしい恰好かっこうでうろうろしてたら、身包みぐるがれるぞ。ここの連中は気が荒いうえに粗暴な奴らばかりなんだぜ」


 大袈裟に語りながらザガルドアは嘲笑ちょうしょうを浮かべてみせる。


「そうだぜ。あんたたちが何者か知らないけどさ。とっとと大通りに戻った方がいいぜ」


 少年警護団の面々が言葉を連ねていく。打ち合わせも何もなしだ。普段からこうなのだろう。


「あんたたち、気づいていないなら警告してやるよ。ほら、まわりをよく見てみなよ。虎視眈々とあんたらのふところを狙ってるぜ」


 周囲への警戒からか、男たちの視線がせわしく動いている。ザガルドアは瞬時に一歩だけ前に踏み出す。相手との圧迫的距離感を有益に使うのだ。


 この時、ザガルドアは全く気づかなかった。少年警護団の者たちが投げかけた言葉は正しい。


 周囲にひそむ犯罪者たちは姿を見せないまま、油断なく五人の男たちを狙っている。しかも、殺気を存分にき散らしている。五人が気づかないはずもない。だからこそ警戒しているのだ。


 それでも剣と鎧で装備を固めている五人たちからすれば、掃き溜めにいる犯罪者など、ものの数ではない。乱戦になったところで負けるはずもない。その自信があったのだろう。


 ザガルドアが一歩踏み出すと同時、先頭の二人が剣を構え直すと、彼らもまた一歩踏み出そうとした。


(ちっ、さすがに訓練された奴らだ。隙を与えてくれないか)


 ザガルドアは既に踏み出してしまっている。先頭の二人が一歩踏み出せば、そこは剣の間合い、すなわち、ザガルドアにとって致命の間合いと同義だ。


 刹那せつな、不可思議なことが起こった。


 踏み出そうと宙に上げた男たちの脚がそこから全く動かず、妙な態勢のまま固まってしまっている。手にする剣は小刻みに震え、剣身からの乱反射が目まぐるしくきらめきを散らしている。


 後ろにいる三人は立ってさえいられないのか、腰が砕けたかのごとくしゃがみこんでしまっている。


 ザガルドアがこの好機を逃すはずもない。


「おいおい、あんたたち、いったいどうしたんだよ。まあ、とにかくだ。その物騒な剣を仕舞ってくれよ。話ならこの俺が聞くからさ。こう見えて、俺はこの辺では顔利かおききなんだぜ」


 屈託のない笑みを見せるザガルドアを前に、男たちから毒気が抜けていく。そのためかわずかに正気を取り戻す。彼らは一様に子供相手に大人げないとでも考えたか、手にしていた剣を腰のさやに戻す。


「あ、ああ、済まなかったな。坊主、お前がこの辺の顔利きなのか。ならば、尋ねたい」



 男たちの語る言葉にザガルドアは驚愕きょうがくするしかなかった。


 彼らは王宮からつかわされた警備隊だと名乗った。王の勅命ちょくめいにより、反逆者たちを追っているという。その中でも、とりわけ重要人物の子息がこの辺りに潜伏しているから、何としてでも探し出さなければならない。先遣隊が傷を負わせたらしいが、誰一人として戻ってこないため我らが出向いてきた、とのことだった。


「じゃあ、そう遠くには逃げられないな。しかも傷を負ってるんだろ。それこそ血の跡でも追えば、すぐに捕まえられるんじゃないか」


 男たちは状況を冷静に把握しているザガルドアに感心したのだろう。大いに頷き、彼を見る態度が一気に変わった。


「坊主、いや少年よ、我らはここら一帯に関して門外漢もんがいかんだ。少年さえよければ、潜伏しそうな場所を教えてもらえないか。いや、できるなら我らをそこまで案内してもらいたい」


(この馬鹿どもを連れ回して、金目のものを巻き上げるのもいいな。俺の手には奴らの目くらましになるものもあることだしな)


 男たちの次の言葉が決め手だった。


「もちろん、ただでとは言わぬ。案内料は無論のこと、もしも反逆者を見つけ出せたなら、たっぷりと褒美を取らそう」


 話はまとまった。その間、ザガルドアは後ろに回していた手をしきりに動かし、少年警護団の者たちに合図を送り続けていた。


「よし、じゃあ俺についてきてくれ。幾つか思い当たる場所があるから案内してやるよ。それから俺からはぐれないようにしてくれよ。一度迷いこむと、絶対に抜け出せない場所もあるからな」


 笑いながらきびすを返すザガルドアは、ついでとばかりに少年警護団にも声をかける。


「俺一人で案内する。お前たちは散っていいぞ」


 それが行動開始の指示でもある。ザガルドアは五人の男たちがついてきているかも確認せず、一人進んでいく。


「あ、おい、待ってくれ。こっちは重装備なんだ。少年のように身軽ではないんだぞ」


 背後から文句が聞こえてくる。ザガルドアは男たちの声を完全に無視して足早に路地裏の奥へと急いだ。


 少年警護団の者たちも既に蜘蛛くもの子を散らすがごとく、姿が見えなくなっている。


(よし、これぐらい距離を稼いでおけば大丈夫だろう。あとはあいつらに任せておけば安心だな)


 引き離したことを確認したザガルドアがようやく歩調をゆるめ、男たちが追いついてくるのを待つ。


「なあ、それってそんなに重いのか。いかにも頑強そうだけどさ。持っている剣でったらどうなるんだ」


 ザガルドアからしてみれば、心底どうでもよい会話だ。それをする目的はただ一つしかない。会話の中から相手の心をくすぐる部分を探り出し、心理的に優位な状況を作り出す。


(こいつらが魔術師でなくて助かったぜ。この状況、圧倒的に俺にがあるからな)


 ザガルドアはほくそ笑んでいる。今の表情をこの男たちに見せたらどんな状況になるだろうか。さぞかし愉快ゆかいなことになりそうだ。


(だが、油断はできない。こいつらは俺を一瞬にして殺せる武器を持っている。まずはそいつを無効化させないとな)


 ザガルドアは入り組んだ路地裏の狭い道を奥に進みながら、どこにいざなえば剣を無効化できるかを考えている。


(よし、決めた。ここからなら、あの場所しかないな)



 ザガルドアの姿が見えなくなってから、およそ十メレビル経った頃だ。散っていったはずの少年警護団の四人が再び姿を現していた。女が一人、男が三人だ。


 ザガルドアから受けた合図は、次のようなものだった。


 合図と共に解散、適切な時間経過後に再び集合し、ごみ捨て場の少年を回収、地下の隠し部屋にかくまって手当をほどこす、といった内容だった。


「おい、お前、生きてるか。生きてるなら、何とか言ってみろ」


 男の一人が木の枝先で少年を脇腹を小突きながら反応を待つ。


「反応がないな。こいつ、死んでるんじゃないのか」


 こういう時は女の方が確実に役立つ。ごみ捨て場に捨てられた少年の顔に自身の顔を近づけ、呼吸の有無を確かめる。


「生きてるよ。呼吸してるけど、かなり浅いね。放っておくとすぐに死ぬよ。お前たち、手を貸しな」


 四人で協力して少年をかつぎ上げようとしたその時だった。



「やはり、ここでしたか。あの坊主には、してやられましたね。これだから警備隊の馬鹿どもは、と愚痴を言っても仕方がありませんね。見つけ次第、速やかに殺せとの厳命です。悪く思わないでください」


 男の唇が震えている。明らかに呪文の詠唱だ。慌てた四人が少年から手を放してしまう。


「くそ、魔術師だ。逃げろ、お前たち」


 気丈きじょうにも声を上げたのは女、我先に逃げ出そうとしたのが男三人だ。


「だ、だめだ、動けない」


 男三人の情けない声が響き渡る。


 男の呪文はすぐさま成就を迎えた。魔術発動の言霊ことだまを静かに吐き出す。


 目の前の四人はもちろんのこと、少年の命はまさに風前の灯火ともしびだった。

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