【2周年読み切り】新たな軍事戦略家の誕生

 壮年の男が一人、周囲の喧騒けんそうから距離を置き、俯瞰ふかん的に盤上ばんじょうで展開されている敵戦力の動向を見つめている。


(過去の事例の域を出ていません。発想の転換がないのは何とも残念ですね。彼らには期待しているのですが)


 男の思惑とは裏腹に、巨大な盤上を囲むようにして若き女二人と男三人、先ほどから侃侃諤諤かんかんがくがくと議論を戦わせている。


 どこから入ってきたのか、突如として現れた少女が背伸びをしながら盤上をのぞきこんだ。一目見て、即座に爆弾を投下する。


「あまり面白くないね」


 挨拶にもならない言葉をいた少女を前に、あれほど白熱していた議論が完全に止まってしまった。誰もが呆気に取られたまま動けないでいる。


 それは彼ら五人を見守っている男にしても同様だった。騒がしかった場から一瞬にして熱が奪われたかのように静まり返っている。


(この少女、いったい何者でしょうか。それ以前の問題として、どうやってここに入ってこられたのでしょう)


 あどけない顔つきは、いかにも子供に見える。盤上を背伸びして見ていることからも、ここにいる若者たちの胸辺りまでの背丈しかない。


 華奢きゃしゃな身体に、細くしなやかな手足が伸びている。濃い栗色の美しい髪が背中辺りまで垂れ下がり、意匠いしょうらした四つの髪留めによってまとめられている。


 複数の細い三つ編みで束ねられた髪が少女の可愛らしさを際立たせていた。盤上の動きを見つめる髪と同色の瞳はつぶらで、理知的な印象を与えている。



 若者五人が展開するのは魔術地図と呼ばれる高度な戦略魔術の一つだ。魔術地図ができた当初は、ただ単純に視界にとらえた地形や建物を正確に再現するだけのものだった。


 それからわずか数年、魔術技術の進歩は著しく、今や座標を魔術入力するだけで、あらゆる大陸の地形が描き出せる。さらには、敵戦力の規模から編成に至る細部にわたり、数値化された魔術情報を設定するだけできめ細やかな分析が可能となっている。


 今、若者たちが作動させている魔術基盤を構築した者は既にこの国にはおらず、遠く離れて、主物質界の諸大陸の方々を巡っているという。


(アーケゲドーラ大渓谷での戦い以降、あの方の力はあまりに激変してしまいました。元来の素質、才能といったものが常人とは比べようもなく優れていたのでしょうね。本当に羨ましい限りです)


 男がその者と初めて出逢ったのは、およそ十五年前だ。まるで昨日のように想い出せるほどに、その者をはじめとする同格の者たちから受けた影響は強烈すぎるほどだった。


「お嬢ちゃん、ここは子供が来る場所ではないよ。どこから入ってきたのか知らないけど、出ていかないと先生に怒られてしまうよ」


 テスディラドと呼ばれている男が少女に声をかける。面白くないという無礼な言葉は子供の戯言たわごとだろう。いささかも気にせず、まるで迷子の心配でもしているかのような態度だった。


 少女はいかにも楽しそうな瞳を向けてきている。


「先生、ですか。あちらにおられる殿方とのがたのことでしょうか。とても先生には見えませんね」


 これまたはっきりと口にする少女に、テスディラドをはじめとする他の者たちも一様に笑みを浮かべている。皆、心の中の想いは同じなのだろう。少女を筆頭に、熱い視線を浴びた壮年の男はただただ苦笑を浮かべてみせた。


「見た目で人を判断するのはよくないですよ。ご両親から口を酸っぱくして言われませんでしたか」


 少女に向けた言葉は、そのまま五人に対するものでもある。男は苦笑を引っ込めると、すぐさま厳しい表情でまず少女を、それから五人を見回した。


「さて、貴女はいったいどこから入ってきたのですか。ここは立ち入りが制限されている場所です。普通なら入れないはずなのですよ」


 少女は沈黙をもって答えとした。美しい栗色の瞳がきらめている。意志の強さを感じさせる。男はため息を一つつくと、再び言葉を発した。


「ところで、先ほど『面白くないね』と言いましたね。どこが面白くなかったのですか」


 男としては深い意味があって尋ねたわけではない。自分自身もそう感じていたところに、少女のつぶやきがあっただけのことだ。


 むしろ、面白くないと言われて、子供の戯言だと受け取っている五人の若者の方が問題だ。仮にも己が弟子でもある。少女と比べるまでもなく、不甲斐なさを感じるばかりだ。


「魔術地図の性能を存分に生かしていません。それに、盤上で展開されている戦略は過去に使い古されたものじゃないですか。面白くないに決まってますよ」


 予想外の少女の言葉は男を驚愕きょうがくさせるに十分すぎた。指摘された若者たちも同じだ。先ほどまでとは打って変わって、彼らの態度に余裕がない。表情がわずかに青ざめている者さえいる。さすがにここまで言われて黙ってはいられなかったのだろう。


「確かにお嬢ちゃんの言うとおり、これは使い古された戦略よ。でも過去の戦略から学ぶことはたくさんあるわ。それらの利点を取り込み、さらに練り上げていく。それこそが戦略というものよ」


 持論を展開したのはネヴィリエーラで、この五人の中では最年少の十七歳だ。ネヴィリエーラが口火を切ったことをきっかけに、他の者たちも再び議論の中に入っていく。


 その様子をまたもや一歩引いたところから男が眺める構図に戻ったというわけだ。



「ああ言えばこう言う。よくもそこまで口が回るものだな。ほとほと関心するよ。いや、誤解しないでほしい。悪い意味で言っているわけじゃないんだ」


 最年長、二十六歳のベンネヴィルが一回りほども離れた少女に手を焼きつつ、締めの言葉を口にして議論はいったん終わりを告げた。


 ベンネヴィルの視線が男に注がれる。他の者たちも男からの言葉を待つ。少女だけが退屈しているのか、室内のあちらこちらに視線を投げかけている。初めて見るものばかりなのだろう。男は総論を口にする前に、まずは少女に柔らかな言葉を投げかける。


「お嬢さん、貴女の才能は素晴らしいものがあります。ぜひとも、その才能を腐らせることなく、磨きをかけてほしいと切に願います。才ある者の芽を摘まず、引き立てることこそ我が王国の絶対方針ですからね」


 少女は男の言葉が聞こえていないかのごとく、あいかわらず動き回りながら興味深げに様々な調度品などを眺めている。


「ちょっと、お嬢ちゃん、先生が貴女のことをめてくださっているのよ」


 やや立腹しているのはシェレトランだ。ネヴィリエーラの実姉でまもなく二十歳を迎える。こちらもまたため息だ。忙しく動き回る少女に苛立ちを感じつつ、子供のすることだからとなかば諦めてもいる。


「うん、大丈夫、ちゃんと聞いていたよ。それに、その人は才能を潰すような愚かな真似はしないでしょ。若い頃に散々苦労してきたんだから。そうだよね、先生」


 急に立ち止まった少女の視線が男を的確に射ていた。きらめく瞳の力に全くあらがえない。まるで意識を吸い寄せられているかのような感覚を受ける。


(この射貫くような視線、かつて味わったことがある気がします。ですが、なぜか思い出せません)


 見つめ合うこと、およそ五フレプトか。いささか驚きの表情を浮かべて、少女が先に視線を切る。驚きはすぐさま消え、少女らしい可愛い笑みに変わっていた。



「ねえ、先生、私が語った戦術、と呼ぶほどのものじゃないけど、よく覚えておいてね。近々、実践で投入することになるよ。じゃあ、私はこの辺で。また逢いましょうね」


 少女の姿が静かに揺らいでいく。先生と呼ばれた男が、議論を交わしていた五人が、同時にまばたきをした刹那せつな、この場所から完全に消え去っていた。もはや一切の気配も感じられない。


 まるで狐につままれたかのように、男もその弟子たちもしばらくの間、呼吸することさえ忘れ、ただただ呆然と立ち尽くすだけだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 一際ひときわ厳重な警備体制が敷かれた廊下の最奥、豪華な扉をそびえている。扉の前には屈強の騎士が二人、重装備に身を固め、いかなる侵入者も許すまじという姿勢を保っている。


 そんな二人を気にも留めず、少女はゆっくりとした足取りで扉の前にまで近寄ると、小さな握り拳で叩いた。なぜなのだろう。二人の騎士は全く動かない。少女がいることさえ気づいていないようだ。


 室内からの許諾の声を待つまでもなく、少女は軽々と扉を開けると、ゆっくりと中に入っていく。


 執務机の奥、一人のたくましい男が椅子に腰を下ろしている。嬉しそうに駆け寄ってくる少女を穏やかな瞳で見つめ、声をかける。


「ラティーリエ、よく来たね」


 少女が立ち止まり、優雅な礼を送る。いかにも貴族が好んで行う礼だった。


「はい、お父様、お久しぶりです。またお逢いできて嬉しいです」


 満面の笑みを浮かべた少女が、軽やかに執務机を飛び越えて、父と呼んだ男の胸に飛びこんでいく。そう、文字どおり飛び越えたのだ。


「私も逢えて嬉しいよ。ラティーリエ、私の愛しい娘」


 男の幅広い頑強な胸の中に少女は完全に埋もれてしまっている。久々に味わう父の温もりがよほど嬉しいのだろう。少女は頬を擦りつけている。


「ラティーリエ、だめじゃないか。二度も幻惑の魔術を使ったね」


 思わずラティーリエの身体が小さく跳ねる。


「ごめんなさい、お父様。ちょっとした悪戯いたずらだったの」


 やはり父は娘に弱い。恐ろしいほどに弱い。それも当然のことだった。


「ラティーリエ、お母さんは、ヨルネジェアは未だ妖精王女のもとを離れられないのかい」


 わずかに顔を上げたラティーリエの表情を見れば一目瞭然だった。


「そうか」


 その短い言葉の中に全てが凝縮されている。


 ヨルネジェアに逢いたい。あの時、妖精王女の館への鍵を刻まれた焔光玉リュビシエラを用いれば、行き来そのものは可能だ。実際、これまでに数度使ってもいる。


「お父様、また焔光玉リュビシエラを使おうとお考えですね」


 ラティーリエもお見通しだった。焔光玉リュビシエラに刻まれた言霊ことだまはあまりに強力すぎた。


 当然だろう。主物質界と妖精界の特定場所を直接繋ぐほどの力がめられている。その負荷に焔光玉リュビシエラが耐えきれないのだ。使うたびに亀裂が入っていく。最初はごくごく小さなものだ。それが鍵を開く度に広がっていく。


 既に半分ほどの亀裂が焔光玉リュビシエラを傷つけている。あと何回使えるかわからない。しかも、焔光玉リュビシエラは母の形見でもある。だからこそ、使いどころを十分に考えなければならないのだ。


 ヨルネジェアはラティーリエを出産して以来、体調が優れない状態が続いている。それゆえに妖精王女の館に長らく留まり、回復に努めている最中さなかだった。


「お父様、お母様は大丈夫です。だって、私がついているのですから。お母様もお父様に逢いたいのです。でも今はお父様と私のために、もとの身体に戻ることだけを考えているのですよ」


 だから我慢しなさい、ということだ。


「そうだな。今はヨルネジェアの回復を祈って、親子三人で暮らせる日々を待つしかないな」


 ラティーリエの頭を優しく撫でながら、男は、父は、イプセミッシュは愛しい娘に笑みを向けた。


「ところで、ラティーリエ、軍事戦略室に忍びこんだ感想はどうだったのかな」


 イプセミッシュの問いにラティーリエはしばし考えこんだ後、言葉を発した。


「がっかりしました。もう少し進歩的な戦略を練り上げているのかと思っていましたから。でも、先生は頼りなさそうに見えて、とても思慮深い方だと感じました」


 ラティーリエは主物質界の年齢でいくと十二歳だ。アーケゲドーラ大渓谷の最終決戦で活躍したシルヴィーヌ第三王女が十歳だったことを考えると、二歳年上のラティーリエが活躍しても何ら不思議ではない。


 それでも十二歳といえば子供であり、その少女に言われるのもどうかと思いつつ、イプセミッシュは言葉に窮しながらも応える。


「エンチェンツォにはエンチェンツォなりの考えがあるのだろう。我が国に脅威が迫っている中、軍事戦略は彼の両肩に重くのしかかっている」


 ラティーリエはイプセミッシュとヨルネジェアの愛娘であり、半分は妖精、半分は人の血を引いている。今は妖精らしい、悪戯っ子らしい表情を浮かべ、父に訴えかける。


「私なりの戦略を先生に授けてきました。まもなく、この国に侵略者どもがやってくるでしょう。その時に確実に有効な戦略です。何しろ」




 三ヶ月後、ラティーリエの言葉どおり、ゼンディニア王国の最南端、タラネデラ半島を迂回する形でフルレーザ大陸最大の海洋国家ダロドワイレンが攻め入る。宣戦布告もなく、百を超える巨大船団を率いての本格的な侵攻だった。


 この時、ゼンディニア王国が差し向けたのはたった二人だった。ラティーリエが戦略と呼ぶほどでもないと言ったのは、まさしく圧倒的魔術をもって海洋国家最大の武器、船もろとも殲滅してしまう常軌を逸した戦略だったからだ。


 タラネデラ半島の内海であるシェイリーヌ湾で迎え撃ったのは、元十二将序列七位にして現スフィーリアの賢者ことエランセージュ、そして元十二将序列十二位にして今やラディック王国賓客となっているディグレイオだった。


 そう、これはもはや戦略ではない。


 シェイリーヌ湾に百を超える全船団が入りこむと同時、エランセージュは氷結魔術を広範囲展開、凄まじいばかりの魔力の奔流は氷嵐となって海面から水深百メルクに及んで完全凍結させた。


 既にこれだけで勝負はついている。そのうえでの総仕上げとして、凍結した海面を滑空しながら敵将の首を次々とディグレイオが狩っていく。


 僅か一ハフブルもかからないうちにダロドワイレンが誇る主力船団は全滅した。


 後に言うところのダロドワイレンの乱は、かくしていとも簡単に幕を下ろしたのだった。




 その後、ラティーリエは正体を隠したまま、エンチェンツォの弟子になる。その話はまたいずれ語られる時が来るだろう。

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