【2周年読み切り】兄弟になる二人 中編1

 よほどこの少年が邪魔なのだろう。抹殺まっさつを確実とせんがため、警備隊が失敗した時に備えて魔術師をやとっていたのだ。


 魔術師の男の野太い声が詠唱を成就じょうじゅさせる。言霊ことだまが速やかにくちびるを滑り降り、魔術が解き放たれる。


 炎の中級魔術だ。男の手のひらを中心に炎のうずき上がり、瞬時にはじける。恐怖のあまり、全く動けない少年警護団の四人は等しく死を覚悟した。誰もが思ったことだろう。楽に死なせてほしいと。


「魔術を暗殺に用いるなど、魔術師の風上にも置けぬな。れ者めが」


 魔術師の男の背後だ。大気が蜃気楼しんきろうのごとく揺らめいている。実体は視認できない。


 炎の渦が迫りくる。四人のおよそ十セルク手前だ。


 既に先頭に立つ少女の髪が焦げつつある中、炎は魔術師の男の制御を離れ、完全に勢いを失ってしまった。恐ろしいほどの冷気が大気を浸食すると同時、炎の先端から逆向きにすさまじい速度で凍てついていく。


「ば、馬鹿な。私の炎がこおりついていくだと。な、何者だ」


 魔術における炎と氷の勝負は、特殊環境下を除き、双方の魔力差がものを言う。少なくとも、中級魔術を相殺そうさいするには、中級魔術以上をもって対抗するしかない。


「私の、私の最大の炎が、そんなありない」


 絶対的な自信があったのだろう。男が半狂乱状態で叫んでいる。


さえずるな」


 冷酷な一言がとどめだった。炎を容易たやすみこんだ氷は勢いを殺すことなく、男もろとも凍結させていく。氷が完全に閉じてみにくい氷像が完成した時、男の半狂乱は永遠に聞こえなくなった。


「我が氷を止められる炎など存在せぬ。我が神の炎を除いてな」


 圧倒的な魔力差が生み出した結果だった。眼前で繰り広げられた、あり得ない光景を目の当たりにして、四人は茫然ぼうぜん自失におちいっている。ただただ大気の揺らめきを凝視している。


「そこの女、この中でお前が一番勇敢だった。めてやる。手を開くがよい」


 大気の揺らめきの中から聞こえてくる声に少女は素直に従った。逆らう意思など、もとより起こらない。


 開いた手のひらの上に虚空こくうより金貨が一枚、ゆっくりと落ちてくる。少女は初めてる美しい金貨に、大きく目を見張っている。


「お前たちは何も視なかった。先にった小僧、ザガルドアと言ったか。あの小僧と共に、そこの少年をくれぐれも頼む。お前に渡した金貨はその駄賃だちんだ」


 思わず口を開こうとした少女よりも早く、大気の揺らめきが激しく震える。少女をはじめ、他の三人にも確かに視えた。まるで暴風のようだ。大気が縦横無尽に凄まじい速度で跳ね回っている。


 刹那、彼らの前方に立つ醜い彫像が轟音ごうおんと共に細切れ状態となって崩れ落ちていった。



 それから一ハフブル経った頃だ。


 ようやくにして地下の隠れ家にザガルドアが戻ってきた。しっかりと戦利品を手にしている。


 予定どおりに目的地の隘路あいろいざない、そこを根城とする最貧困層の連中、すなわち人殺しさえ躊躇ためらわない極悪集団に襲わせたのだ。


 隘路ゆえに剣を振るうことさえままならない。多勢に無勢、彼らは一人ずつ袋叩きにされ、重いだけの役立たずの鎧を脱ぎ捨てると、脱兎だっとのごとく来た道を我先にと逃げ帰っていった。


 彼らがその後、どうなったかなど、ザガルドアには全く興味がなかった。運がよければ生き延びるだろう。悪ければ、十中八九そうなるのだが死んでいるだろう。どうでもよいことだ。


 ザガルドアを見ると、すぐさま少女が駆け寄ってくる。いつになく、顔に緊張感が走っている。


(まさか、死んでしまったのか)


 ザガルドアはことさら死に対して敏感だ。隠れ家に死臭こそないものの、死が近寄っているのかもしれない。


「シェルラ、何があった。今すぐ話せ」


 少女は再び集合してからの顛末てんまつをザガルドアに語って聞かせた。小さくうなづくと、粗末な藁敷わらじきの上に寝かされた少年のもとへ近寄っていく。


「ちっ、呼吸が浅いな。それに至る所から血を流していやがる。このままだと危ないな」


 そうは言っても、ここでできることなど、たかが知れている。命を助けるには今すぐにでも大通りに居を構える治癒術師のもとへかつぎこむのが最善だ。それができるなら苦労はしない。


 二つの意味で問題がある。一つはもちろん先立つもの、つまりは金だ。もう一つは掃き溜めで暮らす彼らの立ち位置、つまりは信頼度だった。ザガルドアが葛藤している。


「ザガルドア、これを使えば何とかなるかも」


 シェルラが一枚の金貨を差し出す。


「お前、何だ、この金貨は。これ一枚で、ここにいる俺たちが一年は食うに困らないんだぞ」


 怪訝けげんな表情を浮かべたザガルドアがシェルラに問いかける。


「さっき話した続きがまだあるんだ」


 シェルラが告げる。


「金貨の使い道を一つだけ指定されたんだ。そのうえで、余ったらお前たちの自由にしていいって」


 指定された内容はこうだ。少年を治癒術師のもとへ連れて行き、負傷した部分を完全治癒する。治癒術師には事前に話をつけている。ザガルドアたちが出向いても門前払いされないということだった。


「そうか。よし、シェルラの話したとおりだ。日が落ちたら、急ぎこいつを運びこむ。それまではシェルラ、お前が責任を持って金貨を預かっておけ」


 ザガルドアが苦しそうにしている少年の顔をのぞきこむ。


(どうして俺がこんな見も知らない、しかも貴族なんかのために、ここまで心を配る必要があるんだ。こいつを見捨てて、シェルラの金貨でしばらくは楽に暮らせるんだぞ。それなのに)


 き上がってくる怒りの熱とは真逆に、ザガルドアの心はなぜか冷めていくばかりだ。見つけた時からそうだった。


(こいつは何としてでも助けなければならない。それが俺の運命だと、俺の心が叫んでくる。何なんだ、この気持ちは)


 自分でも、なぜなのかわからない。知らないところで、勝手に意思に振り回されている己が歯痒はがゆくて仕方がない。ザガルドアはしきりにかぶりを振ると、気持ちを切り替える。


「今はまだこいつを探している奴らがうろうろしているかもしれない。お前たちも十分に注意しろよ。完全にとばりが下りたら行動開始だ」


 それを合図にまた少年警護団が散っていく。残ったのはザガルドア、シェルラ、そして重傷の少年の三人だった。


「ザガルドア、聞いていいか」


 シェルラが残った時点でわかっていた。聞きたい内容も理解している。先んじてザガルドアが応える。


「普段の俺なら間違いなく見捨てていたな。だがな、シェルラ、こいつは助けなきゃだめなんだ。頭じゃない。感情が俺に訴えかけているんだ。俺はその直感を信じている」


 その言葉だけでシェルラが納得するわけもない。ザガルドアが鍛えてきた少年警護団の中で、シェルラとは最も長いつき合いだ。それこそ苦楽を共にし、死線を何度もくぐり抜けてきた。


「納得してない顔だな。シェルラ、よく聞け。こいつは俺たちの未来のために必要な奴なんだ。俺が下してきた今までの判断に間違いがあったか」


 ないとばかりにシェルラは首を横に振る。


「それにだ。俺が一番大切なのはシェルラ、お前だ。こいつじゃない」


 八歳の少年とは思えないほどのザガルドアの言葉だった。精神的には、もはや大人も同然、その辺の大人よりも深く、濃い人生を凝縮して体験してきている。


「じゃあ、証明してみせてよ。いつものように抱きしめて」


 女という生き物は男にとって全くの未知だ。それ故に理解しがたい。ザガルドアは苦笑を浮かべつつも、シェルラに歩み寄っていく。


「これでいいか、シェルラ」


 両腕でしっかりシェルラを抱きしめる。痛いぐらいの強さが今のシェルラにとっては心地よい。


「ザガルドア、私との約束、忘れてないよね」


 子供だろうと、大人だろうと、どこに差異があるというのだ。互いに言葉にして思いを伝え合っているのだ。たがえるはずなどないに決まっている。


「もちろんだ。もっと力をつけて、この掃き溜めから抜け出した暁には、お前を俺の妻にする。ああ、忘れてたまるかよ」


 シェルラの華奢きゃしゃすぎる身体が震えている。ザガルドアは今一度力を籠めて抱きしめると、シェルラの額に口づけを贈った。



「いいものを、見せて、くれた。まるで、両親を、見ている、ようだ。礼を、言う」


 二人だけの世界にひたりきっていたザガルドアとシェルラは、まさか少年の意識が一瞬とはいえ戻っていたことに気づかなかった。途切れ途切れの言葉に二人の視線が注がれる。


 少年はシェルラではなく、ザガルドアだけを見ている。


 ザガルドアと少年、二人して同じことをまさに実感していた。


(ああ、何と強い目をしているんだ。この男なら、必ず)


 ザガルドアが視線を切る前に、少年の意識は再び闇の中に沈んでいってしまった。

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