第314話:それぞれの戦場における転換点

 無事、主物質界に戻って来られたエレニディールは自分の身体を見て、思わず安堵あんどの息を静かに吐き出す。


「やはり、この姿があってこそ安心できますね」


 肉体に比重を置く主物質界で生きる者たちのつねであろう。


 サリエシェルナの魂を収めた恒維魂鎮緑珠キュイヴェルオは右手のひらの中だ。直径およそ二セルクの球体は青滋せいじの美しい輝きを放っている。


 突如として憎悪ぞうおに満ちた魔力波が、エレニディールを包み込む形でき上がった。


幽星界ゆうせいかいで仕かけてくると思っていましたが、ここで待ち構えていましたか」


 言葉による応答はない。その代わり、即座に攻撃が来る。魔力波を瞬時に魔力塊まりょくかいへと変え、再びエレニディールを閉じ込めようというのだ。


(魔力が乱れていますね。怒りからか、あせりからか、いずれにせよ好都合です)


 エレニディールが最優先すべきは、恒維魂鎮緑珠キュイヴェルオを死守することだ。決して、ジリニエイユに奪われてはならない。


 幽星界の秘宝によってまもられている以上、ジリニエイユの力をもってしても解封かいふうできないだろう。そうなれば、最終手段に訴えるかもしれない。


 エレニディールはサリエシェルナの魂を肉体に戻すと心に決めている。絶対に阻止そししなければならない。


 エレニディールは躊躇ちゅうちょなく魔力をり上げていく。限界まで圧縮して硬度こうどを高めるのだ。いわば、これは二重の防壁ぼうへき、エレニディールの魔力は一種の保険でもある。


(用意周到なジリニエイユのことです。奥の手を隠しているに違いありません。油断はできません)


 その一方で、ジリニエイユの魔力は先ほどから乱れたままだ。この状態で魔術を行使したとしても、期待する効果はさほど望めないだろう。


(いまだに乱れたままですね。つけいるすきがあるかもしれません)


 けでもある。


 一対一で勝負したとして、ジリニエイユには勝てないだろう。己の力を過信するなど、おろか者のすることだ。


 冷静に判断して、魔術のみの勝負なら互角かもしれない。それ以外の力は圧倒的にジリニエイユが上だ。


 彼には、ゾンゴゾラムの残した禁書がある。オペキュリナの託宣たくせんはビュルクヴィストに奪われたものの、エレニディールに知るよしはない。


 そもそも、ゾンゴゾラムの禁書は一冊だけではない。さらには、魔霊鬼ペリノデュエズの力をもジリニエイユは手にしているのだ。


(禁書を、魔霊鬼ペリノデュエズの力を使われる前にかたをつけます)


 エレニディールのけ引きが続く。


 一方のジリニエイユはというと、意識を多方面に向けていることが裏目に出てしまっていた。


 まずは己の内なるもの、すなわち最高位キルゲテュールに対して最大限の意識をいている。


 さらには、二手ふたてに別れた魔霊人ペレヴィリディスに、そして最後に幽星界に安置したサリエシェルナの魂に向けられていた。これもまた魔術の賜物たまものだ。


 意識下で吸い上げた情報の並列へいれつ処理には多大な魔力を要する。魔力の乱れは、すなわち異変が生じたあかしでもある。


 ジリニエイユはあせっていた。当然だろう。おのが肉体をもって確認したはずの黒きおりから、エレニディールが脱出してしまっている。


 彼は間違いなく切り札として取っておくべき存在だ。古代エルフ王国の血を受け継ぎ、当代三賢者の一人でもある。何よりも、レスティーの弱点になるかもしれない主物質界の人族なのだ。


 さらには、幽星界からサリエシェルナの魂までも持ち出されてしまった。


 いずれも、いかなる手段を用いたのか、さすがのジリニエイユも皆目かいもく見当がつかない。正常でいろ、という方がおかしいというものだ。


(何たる不手際ふてぎわか。ここまで来ていながら、詰めの段階でこの私を出し抜くとはな。しかし、いったいどうやって)


 思考を巡らせながらも、思い当たるのは一つだ。心のどこかで想定していたことではある。


(あの御方おかたの介入があるであろうことは分かっていた。ここまでとは、私の想定が甘かった、ということか)


 間髪かんはつれず、別の思考が嘲笑ちょうしょうと共に割り込んでくる。


≪だから言ったであろう。早々に排除しておけばよかったのだ。最大の障壁があの男であろうことは分かりきっているではないか≫


 簡単に言ってくれる。ジリニエイユの率直な想いだ。


≪ならば、最高位キルゲテュールよ。貴様ならば、それが可能だとでも言うのか。今なおそのような状態でな。甘く見すぎているのは貴様であろう≫


 正論を叩きつけられ、憤怒ふんぬをたぎらせている。どうにか爆発させないように我慢しているようだ。


 ジリニエイユにしてみれば、単純この上ない最高位キルゲテュールの思考など、手に取るように分かる。


 少し落ち着いたか、語りかけてくる声音が変化している。


≪このような状態では到底勝てぬ。だからこそ、復活を急げと言ったのだ。それも今となってはな。にえの核となる魂も、あの男の肉体も持ち去られた。ジリニエイユよ、どうするつもりだ≫


 一つだけ残されている。


 あの時、最高位キルゲテュールが語った復活のための代替だいたい方法だ。三つの条件をそろえる以上に難易度が高い。それでも残された手段が唯一ともなれば、腹をくくって実行に移すしかない。


≪残された時間は少ないぞ。このまま手をこまねいていては、あの男に狩られるだけだ。ジリニエイユ、覚悟を決めるがよい。貴様には最大限の敬意を払い、最後にしてやる≫


 最高位キルゲテュールの待ち望んだ瞬間がまもなく訪れようとしている。


≪よかろう。覚悟は決めよう。その前に、一矢報いっしむくいねばならぬ。あの男は必ずここで始末していく。力を貸せ、最高位キルゲテュールよ≫


 ジリニエイユは多方面に展開していた全ての意識を遮断しゃだん、肉体に戻す。


 これによって、エレニディールにのみ集中できる。反面、各戦場における状況分析はもとより、魔霊鬼ペリノデュエズの核を通しての観察という名の監視が全てかれたことになる。


 この変化は残った魔霊人ペレヴィリディスにも明瞭めいりょうなまでに伝播でんぱしていった。


 そのうえ最高位キルゲテュールの力が加わることで、ジリニエイユの魔力は一気に数十倍にまで膨らんだ。


(魔力の乱れが止まりました。魔力が均一化され、増大していきます)


 ジリニエイユの中で何かが変わったのだ。均一化された魔力には、明確な殺意がせられている。


(ジリニエイユ、本気ですね。ならば、私も覚悟を決めなければなりませんね)


 エレニディールにとっても、まさに正念場だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 二つの戦場でも、転換点とも言える動きが生じていた。


 まずは、イエズヴェンド永久氷壁の最下層からだ。


 モレイネーメを前にしたゼーランディアとガドルヴロワ姉弟は苛立いらだちもあらわに、まさしく一触即発いっしょくそくはつの様相をていしている。


「何が言いたい。お前と問答している時間などない。言いたいことがあるなら、はっきり言え」


 我慢の限界を迎えつつあるガドルヴロワが声を荒げる。妖艶ようえんみを崩さず、モレイネーメがたしなめる。


「そのくせ、直っていないわね。だから、簡単にだまされるのよ。まあ、私もお前たちに言えた義理ではないのだけれど」


 はやるガドルヴロワを右手で制し、ゼーランディアが問いかける。


「モレイネーメ、何が言いたいのですか。弟を侮辱ぶじょくすることは私が許しませんよ。それに、騙されたとはどういうことなのです」


 圧倒的にゼーランディアが冷静さを保っている。これはゼーランディアとガドルヴロワ、二人が向けるモレイネーメへの愛憎差でもあるだろう。


 モレイネーメは姉弟の育ての母でもあるのだ。


 戦乱で両親を失った幼い二人は、路頭ろとうに迷っていたところをモレイネーメにひろわれた。


 モレイネーメもまた幼い頃に両親と兄妹を失い、孤児こじとして生きてきた。目に入った二人を見なかったことにして通り過ぎるつもりだった。気づいたら、二人に声をかけていた。二人の姿が亡き兄妹と重なったのかもしれない。


 理由はともあれ、この奇妙な親子関係は、姉弟が育ての母でもあるモレイネーメに殺害されるまで続くことになる。


「私は貴女に感謝しています。幼い私たち姉弟を拾って育ててくれた。生きるすべを教えてくれた。その貴女が何故なにゆえに私たち姉弟を殺したのか。理由を教えてください」


 魔霊人ペレヴィリディスになっても、ゼーランディアは殺戮さつりく本能を制御し、己を律する術を心得こころえている。


 ガドルヴロワは怒り任せな部分が目立つものの、彼もまたゼーランディアと同じだ。少なくとも、モレイネーメの教えが間違っていなかったことを証明している。


 ひたむきで真摯しんしな目を向けてくるゼーランディアにモレイネーメはわずかな苦笑を浮かべる。


「冷静に聞くだけの理性を残しているようね。今こそ、あの時何が起こったのか、その全てを伝えましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る