第315話:モレイネーメの過去

 全てを伝えると言ったものの、その時間はあまり残されていない。完璧に説明し終えるのは難しい。沈黙の中、モレイネーメは頭によぎった考えを振り払う。


(私に残された時間はわずかね。このくびきから解放されることは決してない)


「お前たちが来るのが遅かったせいで、時間がないかもしれないわね。だから、よく聞きなさい」


 ゼーランディアもガドルヴロワも意味がよく理解できていないようだ。それでよいと想いながら、モレイネーメはようやく語り始めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 三頭立ての一際ひときわ豪奢ごうしゃな馬車をはさむようにして、先導役のガドルヴロワが単騎で進む。姉のゼーランディアは馬車の直後に位置して、全体を俯瞰ふかんしている。


 他にも腕利うでききの傭兵ようへいが六人随行ずいこうしている。各々が屈強くっきょうな馬に乗って、周囲の警戒をおこたらない。


 八人は領主に内密の依頼だと召喚された。


 一年は優に遊んで暮らせるであろう大金をぶらさげられ、依頼を受けるための条件は奇妙だったものの、一も二もなく引き受けた。いずれも大金に目がくらんだためだろう。


 領主が告げた条件は四つだ。


 決して馬車内にいる人物の顔を見ないこと、その人物の言葉に絶対従うこと、何者かに襲撃された場合、その人物の命が最優先であり、決して死なせてはならないこと、そして最後が護衛に当たる八人のうち誰一人として死んではならないこと、だった。


 領主からは、誰か一人でも欠けたら、連帯責任として報酬の支払いはないと執拗しつようなまでにくぎを刺された。


 八人からすれば、至極しごく真っ当な条件にしか聞こえなかった。これまで、もっとひどい条件かつ安い報酬金で働いたことなど山ほどある。


 死にたくないのは誰もが同じだ。容易たやすい条件だと考えたのは無理からぬことだろう。


 ゼーランディアとガドルヴロワ姉弟は出発直後から違和感をいだいている。護衛対象が乗る馬車には、強力な魔術結界が張り巡らされているのだ。


 ゼーランディアの魔術をもってしても破れないほどの強固さを秘めている。


≪ガドルヴロワ、この依頼、何か変だわ。うまく言葉にできないけど、何もかも異常よ≫


 魔力感応フォドゥアをもって、弟に話しかける。


≪姉さんは依頼を放棄し、今すぐ戻るべきだと考えているね。もう無理だよ。あの六人にも迷惑をかけることになる。何より、あの大金が手に入れば、母さんを≫


 弟からの返答は予想したとおりで、また危惧きぐしていたとおりでもあった。


 しかも、母のことを持ち出されては、ゼーランディアもそれ以上のことは口にできない。意外に頑固がんこなところもある弟だ。もはや、対象者の護衛継続は決まったも同然だった。


(何があろうとも、私は私の使命を果たすだけ。ガドルヴロワ、貴男だけは必ずまもってみせるわ)


 既に姉弟が護衛のに就いている頃、とある用事を済ませたモレイネーメは久しぶりに故郷に帰ってきた。


 ゼーランディアとガドルヴロワ、路頭ろとうに迷っていた幼子おさなごの二人を引き取ったのは何年前だったか。久しぶりに二人の顔が見られる。僅かの興奮を隠しながらも、モレイネーメは質素しっそな造りの自宅に足を踏み入れた。


 物音一つしない。静寂に包まれた家の中に、人の気配は全くない。


「当然といえば当然ね。あの子たちももう立派な大人、よもや傭兵などという危険な仕事を選ぶとは思わなかったけど」


 引き取るつもりなどなかった。ただ一時の気紛きまぐれだったにすぎない。長い歳月がそれを変えてしまった。それは罪滅つみほろぼしでもあった。


 だからこそ、二人には生きていくうえで必要な知識と力をしみなく与えた。


 今や姉弟はえのないいとしい娘と息子、モレイネーメが唯一護りたい存在になっている。


 せまい部屋に似合わない長卓ちょうたくの上、普段目にしない珍しいものが、これ見よがしに置かれていた。


 封筒に入れられた手紙だ。貴族が使うような上等な紙が用いられている。そのうえ、ご丁寧なことに真っ赤な封蝋ふうろうまでほどこされている。見覚えがある。


「どうして、クレドゥアド家の封蝋が。しかも、解封された上から、魔術で再度封蝋されている。この魔力は、ゼーランディアのものね」


 クレドゥアド家はこの周辺地域を治める領主だ。嫌な予感しかしない。


 モレイネーメはゼーランディアの施した魔術をいとも簡単に解除すると、中の手紙を取り出し、一読した。


「急がなければ。間違いなく、何かが起こっている」


 モレイネーメは躊躇ためらいもなく、即座に魔術転移門をこの場で開く。


 鈍色にびいろ亀裂きれつが空間に走り、長方形に切り取っていく。漆黒しっこくの空洞が完成するや、時間がもったいないとばかりにモレイネーメは空洞内に向かって、その身を素早すばやく躍らせた。


「これは、これは。ようやくのご到着ですか。お待ちしておりましたよ」


 モレイネーメが魔術転移門から降り立つ。目の前には、領主ことテルゼイ・クレドゥアドが見上げる恰好かっこう華美かびな椅子に腰を下ろしている。


 部屋の損壊そんかいなど、この際どうでもよいことだ。モレイネーメは執務机に両手を叩きつけ、即座にみついた。


「テルゼイ、この手紙はいったい何です。説明してもらいましょうか」


 ふところから先ほど一読したばかりの手紙を取り出し、テルゼイの前に放り投げる。


「はてさて、何を言っているのか、私にはよく分かりませんね。ここに書かれている内容に疑念ぎねんでもお持ちですか」


 相変あいかわらずの人を食ったような言動に虫唾むしずが走る。モレイネーメは暴走しそうな怒りを何とかしずめ、テルゼイを問いただす。


「四つの条件よ。護衛対象の素性すじょうも分からない。この者の言葉には絶対的な拘束力がある。さらには護衛対象はともかく、八人とも死んではならない。どう考えてもおかしいわ」


 まくしたてるモレイネーメを、テルゼイが興味なさげに眺めている。見下みくだすような態度は変わらずだ。


「聞いているの、テルゼイ」


 鼻を鳴らしながらテルゼイが言葉を発する。


「つまらないですね。モレイネーメ、貴女はもっと理知的かと思っていましたが。この程度とは、がっかりですね」


 モレイネーメは衝撃を受けていた。明らかに様子が変だ。


 普段のテルゼイは優秀な領主とは言いがたいものの、領民のために助力を惜しまない、貴族の中では真っ当な人物だと言えるだろう。完全に他者を馬鹿にしたような口調は初めて耳にする。


「テルゼイ、貴男、いったい」


 強引にさえぎってくる。


「私はね、愚者ぐしゃと無駄話をするほどひまではないのですよ。貴女とはもっと深い部分で議論ができると思っていましたが、見当外けんとうはずれのようです」


 テルゼイの雰囲気が一変した。


「貴男、テルゼイではないわね。誰なの。その身体にりついているのは」


 突如き上がった異様なまでの、しかも禍々まがまがしい魔力がテルゼイの身体を包んでいく。


 モレイネーメはすみやかに魔術詠唱に入る。完全詠唱の時間はない。


「レグド・クルシュ・エ・ザイリエ

 水ここにてつき氷柱つららとならん

 我にあだなす敵を穿うがとどめよ」


 動けないのか、それとも動く必要がないのか。テルゼイは不敵な笑みを浮かべたまま、モレイネーメを見つめるのみだ。


 短節詠唱は即座に成就じょうじゅを迎えた。モレイネーメが魔術を解き放つ。


「テルゼイの身体を返してもらうわ。氷細節柱槍刃イシュレリド


 モレイネーメは氷雪ひょうせつの魔術を得意としている。その中から、短節詠唱で最大限の力を発揮できる魔術を迷いなく選択していた。


 大気にただよう水を瞬時に無数の細い氷柱と変え、敵を穿つ氷細節柱槍刃イシュレリドは、モレイネーメの魔力によってその形状を変化させる。


 今は極細ごくさいするどい氷柱だ。テルゼイを殺すわけにはいかない。まずは彼の動きを封じることを優先した。


 氷柱をもって、四肢しし点結てんけつを穿ち、壁に縫いつける。そのうえで、彼に憑りついたものを引きがす。


「私の魔術をその身に受けた気分はどうかしら。一刻も早く、テルゼイを解放した方が貴方の身のためよ。次は容赦しないわよ」


 テルゼイの眼光が鋭さを増していく。


 四本の氷柱はテルゼイの点結を正確に穿ち、動きを封じている。相当の痛みがあるはずだ。にもかかわらず、テルゼイは平然と笑みを浮かべている。


 その笑みが嘲笑ちょうしょうに変わった。高笑いが響き渡る。


「私の身の上まで案じてくれるとは。ああ、誠に愉快ゆかいですね」


 あまりの痛みに気でも触れたか。モレイネーメは油断なく、縫い留めている氷柱に魔力を加え、形状を変化させていく。


「それは奇遇ね。私も愉快だわ。貴方には一切手加減する必要もなさそうね。まずは四肢を切断してあげるわ」


 極細の氷柱が厚みを増し、みるみるうちに巨大化していく。


遺憾いかんとしか言いようがありませんね」


 嘲笑はそのままに、テルゼイが吐き捨てる。


「遺憾ですって。その状態で、よくもたいそうな口がけたものね」


 テルゼイの表情が落胆一色に染まった。


「何も分かっていないのはモレイネーメ、貴女ですよ。気づかなかったのですか。貴女のこの陳腐ちんぷな魔術は、あえて受けてあげたのですよ」

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