第313話:二つの魂は主物質界へ

 八色の光がきらめきを発する中、サリエシェルナの魂が揺れ動いている。先ほどまで感情の波さえ平易へいいで、今にも消え入りそうになっていた魂に変化が生じている。


≪その光は。ああ、このようなところで再び感じることができるなんて≫


 サリエシェルナの魂が確実に反応している。弱々しかった感情が次第に強まっていく。


≪でも、どうして貴男が。人には過ぎたる力よ。エルフ属であろうとも例外ではないわ≫


 当然の疑問だろう。


 主物質界は無論こと、幽星界ゆうせいかいを含む他界において、根元色パラセヌエをその身もしくは魂にまとえる者は三人しかいない。それが全ての界における不変のことわりでもあるからだ。


 ただし、三人を除き、その理を知る者が存在しないのもまた事実であり、知るべきことでもない。


≪言ったでしょう。私には心から信頼を寄せる友がいると。その友が導いてくれるのです。私はただ信じるのみです≫


 サリエシェルナの魂が即座に反応を返してくる。それはよい兆候ちょうこうでもあった。


≪私の知る限り、八色に輝く神のごとき光を纏える御方は、ただ一人しかいません≫


 エレニディールのうなづきは確実にサリエシェルナに伝わっている。


≪きっと、いえ、間違いなく同じ人物を脳裏に描いているはずです≫


 魂の震えは止まり、あきらめと共に失われてた輝きが増していく。魂喰縛鎖リジェレメとらわれているサリエシェルナの魂に力強さが戻りつつあるのだ。


 エレニディールはひとまず安堵すると、次なる行動に移る。最優先でなすべきことは決まっている。魂喰縛鎖リジェレメめっする。そうして初めてサリエシェルナの魂は自由をる。


 今のエレニディールに怖いものなどない。


 確かに、ジリニエイユの魔術は不快なまでに強烈かつ情け容赦がない。魂喰縛鎖リジェレメりつかせるなど、エレニディールからしてみれば極悪非道そのものであり、断じて許される行為ではない。


 それほどの力を有するジリニエイユであっても、根元色パラセヌエの前では、すなわちレスティーの力の前では全くの無力だ。


 根元色パラセヌエを纏ったエレニディールの魂が、サリエシェルナの魂に触れる。


 根元色パラセヌエはサリエシェルナの魂をも包み込むと、魂喰縛鎖リジェレメを構築している魔術を瞬時に分解する。


≪消えなさい≫


 魔術による創造生物はその根元を失ったが最後、存在を許されない。魂喰縛鎖リジェレメは溶けるようにして跡形あとかたもなく消え去った。


≪まずは第一関門を突破しました。サリエシェルナ、貴女の魂を幽星界から主物質界へと戻します≫


 ここからは界境かいきょうまで、サリエシェルナの魂を導き、共に界越えを果たす。


 問題は幾つも残っている。


 一つは衰弱しきった今のサリエシェルナの魂が界越えの負荷に耐えきれるか、という点だ。エレニディールの推測では、恐らく根元色パラセヌエが護ってくれている以上、大丈夫だという気がする。


 それ以上に懸念けねんされるのがジリニエイユの妨害だ。異界たる幽星界でジリニエイユが好き勝手できるとは思えないものの、彼が行使した魔術は幽星界でも機能していた。油断はできない。


≪主物質界に戻ります。まずは界境まで進みましょう≫


 もう一つ、主物質界に戻ってからの問題もある。


 サリエシェルナの肉体は、ジリニエイユによっていずこかに封じられている。こちらも強固な魔術によって厳重に管理されているに違いない。


 特殊な魔術によって分離された肉体と魂は、そのついとなる魔術によってしか融合ゆうごうできない。そして、主物質界において、魂のみでは存在できない。人を形成する二大要素、それが肉体と魂であり、一方が欠けた状態はすなわち死と同義なのだ。


≪鍵となるのはやはりジリニエイユですか。めたくなどありませんが、褒めるしかないですね。貴男はいったい何を考えているのです≫


 まさしく業腹ごうはらだ。


 キィリイェーロの兄にして、本来ならば次期シュリシェヒリの長老になっていたとしてもおかしくない男、それがジリニエイユだ。


 古代エルフ王国復活による主物質界支配を目論もくろむなど、どこからどう見ても狂人の思考としか思えない。挙げ句は、その最善手段として魔霊鬼ペリノデュエズ、しかも最高位キルゲテュール降臨こうりんさせようとしている。


 エレニディールには全く理解しがたい。


 古代エルフ王国と最高位キルゲテュールの復活は、目的と手段が合致しているようで、実は相反あいはんするものだ。最高位キルゲテュールが完全復活を果たせば、古代エルフ王国など歯牙にもかけず、蹂躙じゅうりんされてしまうこと必定ひつじょうだ。


≪サリエシェルナ、教えてください。貴女の知っている限りで結構です。ジリニエイユとは、どのようなエルフなのですか≫


 サリエシェルナの魂から反応が消えている。思案しあんしているのだ。彼女もジリニエイユの全てを知っているとは言いがたい。


 エルフ属の中でも、王族の血を引くサリエシェルナは誰よりも長命だ。その彼女をもってしても、ジリニエイユは見通せない。


 彼はシュリシェヒリの里から二度姿を消している。その一度目のことが全く分からない。二度目がまさに今だ。ただ一つ言えるとすれば、一度里を出た後、シュリシェヒリに戻ってからだ。彼が一変してしまったのは。


≪ジリニエイユは変わってしまいました。あれほどまでに一つの考えに固執こしゅうするなど、昔の彼からは想像もつきません。彼は誰よりも魔霊鬼ペリノデュエズうらんでいました≫


 エレニディールはサリエシェルナ以上にジリニエイユを知らない。ビュルクヴィストから断片的な知識を与えられているだけだ。不安定な感情の波がサリエシェルナにも感じ取れたのだろう。


≪この事実は私しか知らないでしょう。口にするのも初めてです。シュリシェヒリを出て、しばらくの後、ジリニエイユは最愛の妻と子供を得たそうです。その妻と子供を魔霊鬼ペリノデュエズに奪われています≫


 エレニディールの動揺が大きな波となって具現化されている。聞きたかった情報でありながら、その真逆のことを考えてしまう。


≪最愛の者たちを魔霊鬼ペリノデュエズによって奪われたジリニエイユが、よりによって魔霊鬼ペリノデュエズの力をおのが支配下に置き、主物質界を掌握しょうあくしようとしている。違和感しかありません≫


 サリエシェルナの魂はわずかながらに感情の揺れを発し、エレニディールにこたえる。


≪ある時、ジリニエイユがこぼした言葉があるのです。これで魔霊鬼ペリノデュエズ誕生の秘密に一歩近づいた、と。周囲に誰もいないと思ってのひとごとだったのでしょう≫


 来た道とは逆に、複雑な界層を上に向かって進んでいく。上にと言ったものの、感覚的なものだ。実際には方向感覚などないに等しい。


 根元色パラセヌエまもられたエレニディールとサリエシェルナの魂は、界境の近くまで戻ってきていた。


≪よくぞ戻られた、若き清らかな魂よ。探し求めていた魂は見つかったのだな≫


 界境のそばで出迎えてくれたのは、初めて語りかけてきた魂だった。エレニディールはいまだに知らない。この魂こそが界主であり、レスティーの友たるナダラレアムであることを。


 知らなくとも、分かっていることならある。あれからずっと身近に彼の魂を感じてきたからだ。


≪ずっと視護みまもってくれていましたね。感謝いたします。無事にここまで戻ってこられました≫


 根元色パラセヌエが十全の力を発揮するのはレスティーがまとった時のみだ。エレニディールではその半分未満の効力しかないだろう。それでも十分すぎるほどに違いない。


 そのうえで、レスティーはナダラレアムにも助力を依頼したのだ。過保護と言えば、そのとおりかもしれない。


≪これを使いなさい≫


 エレニディールとナダラレアムのちょうど中間辺り、浮かび上がったのは青滋せいじに染まった小さな球体だ。


≪幽星界が誇る七宝珠ほうじゅの一つ、恒維魂鎮緑珠キュイヴェルオだ≫


 サリエシェルナの魂は界越えを果たし、主物質界に戻った瞬間、死を迎える。現状では戻るべき肉体がないからだ。死を迎えた魂の行き先は一つしかない。混沌の輪還りんかんに組み込まれたが最後、魂は完全に消滅してしまう。


 恒維魂鎮緑珠キュイヴェルオはそれを食い止める唯一の宝珠であり、幽星界の界主たるナダラレアムの許諾きょだくなくして扱えない秘宝なのだ。


≪その魂を恒維魂鎮緑珠キュイヴェルオに収めるのだ。主物質界において、その魂を魂として維持する唯一の方法だ≫


 浮かび上がった恒維魂鎮緑珠キュイヴェルオの輝きが、サリエシェルナの魂のものへと近づいていく。


≪サリエシェルナ、よろしいですか≫


 このに及んでよろしいも何もないでしょう。サリエシェルナから伝わってくる感情だ。エレニディールも言ったそばで苦笑を浮かべている。


≪私に選択権などありません。エレニディール、貴男はここまで私を導いてくれました。血縁けつえんたる貴男を信じていますよ≫


 青滋の輝きがサリエシェルナの魂に触れ、ゆっくりと包み込んでいく。


 輝きが収束した時、サリエシェルナの魂は恒維魂鎮緑珠キュイヴェルオの中に確かに収められていた。


≪若き清らかな魂よ、主物質界に戻るがよい。そなたの務めを果たすために≫

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