第152話:もう一つの緊急事態

 ザガルドアが念押しのための言葉を発する。


「つまり、俺たちがミリーティエ殿の友人になって、折れてしまった心を取り戻す手助けをしてくれ。そう言っているんだな」


 ビュルクヴィストの答えを待つまでもなく、端的たんてきに結論を述べたのはフィリエルスだ。


「ビュルクヴィスト様のご依頼でも無理ですわね。私たちは、ミリーティエ殿を知らなさすぎます」


 フィリエルスの切り返しに溜飲りゅういんを下げたか、ザガルドアは満足げにうなづいている。


「ザガルドア殿、楽しそうですね」


 ビュルクヴィストは苦虫にがむしつぶしたような表情を浮かべている。そこは百戦錬磨の彼だ。続けざまに次の言葉を繰り出す。


「フィリエルス殿のご指摘はもっともです。ただ、私はザガルドア殿なら、と思っているのですよ。ミリーティエに対して、全く物怖ものおじしない堂々とした振る舞い、さらには私を呼び捨てにできる押しの強さもありますね」


 本人にその気はなくとも、嫌みたっぷりに聞こえてしまう。今度は、ザガルドアが苦虫を嚙み潰す番だった。


「貴男なら間違いなくミリーティエの心の中に入っていけるのではないか。斯様かように考えているのですよ」


 してやられた、という苦々にがにがしい表情のザガルドアを、ビュルクヴィストが楽しそうに見つめている。


「食えない男だ。この結論に持ってくるため、俺たちを誘導してきたというわけか。そこまでやるか。だが、さすがと言うしかあるまい。いいだろう、乗ってやるよ。ただし、ミリーティエに対する方法は俺に任せてもらう」


 言外に、ミリーティエの心がさらに悪化したとしても責任は一切取らない、と告げているようなものだ。


「それでよいな」


 遠慮なく言い切ったザガルドアに、満面の笑みをもってビュルクヴィストは答える。


「有事の責任は、この私が全て取ります。ザガルドア殿は思うように行動していただいて結構です。貴男に、ミリーティエを託します。イプセミッシュ殿、フィリエルス殿、フォンセカーロ殿にも、です」


 頭を下げてくるビュルクヴィスト、一方でザガルドアたちはそろいも揃ってしぶい顔を浮かべている。


 完全にビュルクヴィストが一枚、いやそれ以上に上手だったということだ。だから嫌われているんだ、という言葉を一同、ぐっとみ込む。


「交渉は成立しました。ああ、もう一つ重要なことを伝え忘れるところでしたよ。どうやら後ろの方々と同じのようですね」


 指差した方向にいるのは空騎兵団の三人、ハベルディオ、ウドロヴ、グリューディンだ。有翼獣騎乗時は堂々としているものの、さすがにこれだけの者が揃った場では恐縮しきりだった。


 何やら言いたそうにしているものの、誰もが躊躇ためらっている。一言も発しようとしない。


「何なの、貴男たち。言いたいことがあるなら遠慮なく言いなさい。陛下の御前とて構わないわ。私が許可します」


 三人が互いに顔を見合わせ、誰が発言するべきかを確認している。ここは最年長たる者が発言すべきと決まったか。代表してウドロヴが恐る恐る声を上げた。


「フィリエルス団長、申し訳ございません。我ら、とんでもない大失態を犯してしまったようです。何と申し上げたらよいか」


 回りくどいウドロヴの口調に、れたフィリエルスが結論だけを言えと促す。


「結論を述べなさい。説明はその後、時間の無駄よ」

「じ、実は、マリエッタ殿にも」


 それだけ聞けば十分だった。フィリエルスの表情が一瞬にして青ざめる。フォンセカーロにしても同様だった。二人から叱責しっせきが飛ぶ。


「愚か者が。なぜ、真っ先に言わなかった。何にもまして優先すべきことでしょう」


 ザガルドアもイプセミッシュも委細いさいを尋ねる必要はなかった。フィリエルスの判断を全面的に信頼している。ゆえに、ザガルドアはすぐさまビュルクヴィストに助力を申し込んだ。


「ビュルクヴィスト、頼む」

「もちろんです。そのつもりでしたからね。すぐに参りましょう」


 ビュルクヴィストの右手が宙に走り、長方形を描いていく。空間が割れ、広がり、再び魔術転移門が姿を現す。


「フィリエルス、フォンセカーロ、アコスフィングァも連れて行け。マリエッタ殿に傷一つつけてはならぬ。お前たちの責において必ずお守りしろ」


 ザガルドアの真剣な言葉に二人が即答で返す。


「陛下、もちろんですわ。私の命に代えてでも、マリエッタ殿はお守りします」


 すぐさま竜笛アウレトに息を吹き込む。控えていたアコスフィングァが飛び立ち、そばにやって来ると、両翼を小さく折り畳み、鉤爪かぎづめでの歩行体制に入った。


全員の視線がビュルクヴィストに注がれる。


「緊急事態です。ラディック王国ファルディム宮屋上に魔術転移門を開きます。準備はよろしいですね」


 フィリエルスのうなづきをもって、ビュルクヴィストが同様に返す。視線がザガルドアとイプセミッシュに向けられる。


「お二人も同行いたしませんか。イオニア殿はもとより、三姉妹と会っておく、よい機会ですよ」


 ビュルクヴィストの提案は魅力的でもある。一方で、戦争を仕掛けた側の国王自らが敵国に乗り込むなど、高度な危険性もはらんでいる。


 ビュルクヴィストが述べたとおり、まさに緊急事態だ。二人は互いに顔を見合わせ、即座にその提案を受け入れた。


「二人増えたところで、私の魔術転移門は揺るぎませんよ。さあ、どうぞ中へ」


 背を向けたビュルクヴィストが、まず魔術転移門の中へと姿を消す。続けてフィリエルス、フォンセカーロが各々のアコスフィングァを伴い、最後にイプセミッシュ、ザガルドアという順で、次々と漆黒しっこくの空洞内へと入っていった。


「エンチェンツォ、俺たちが戻るまで、ここはお前に任せる。しっかりやれ」


 振り向きざま、ザガルドアはエンチェンツォに声をかけた。彼は唖然としながらも、強い眼差しでこちらを見つめている。


 エンチェンツォとしても、ラディック王国に行きたい気持ちはやまやまだろう。宰相モルディーズにも久しぶりに会える。反面、自分が行ったところで何の力にもなれないことも理解している。


 黙って見送り、自分のできることをゼンディニア王国に残ってやり遂げる。それが最も賢明な判断だ。


「陛下、お任せください」


 魔術転移門が閉じられる瞬間、ザガルドアが笑みを見せたような気がした。エンチェンツォは無意識のうちに深々と頭を下げていた。

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