第151話:賢者への出陣要請

 ザガルドアの一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくに注目が集まっている。


 分かっている。ザガルドアは鷹揚おうよううなづいてみせた。


「ミリーティエ殿、賢者の力はこのような時のためにこそある。違うか。ここでその力を振るわないと言うなら、いったいどこで振るうのだ。人の尊厳を守るための戦いこそ、賢者がいる場所だと俺は思うがな」


 ザガルドアの言葉は、とどめとばかりにミリーティエの心を根底から揺さ振った。


「私も陛下に同意する。此度こたびの戦いは絶対に負けられない。負けようものなら、ゼンディニア王国だけではない。このリンゼイア大陸が魔霊鬼ペリノデュエズによって蹂躙じゅうりんされてしまうのだ」


 賢者をはじめとして、圧倒的な力を有する者が戦いから遠ざかるなど、許されるはずもない。魔術高等院ステルヴィアは、そもそもそのような時のためにこそ存在していると言っても過言ではない。それができないのであれば、存在意義などないに等しい。


「私も同意するわ。ルシィーエット様によれば、先代三賢者は戦いにおもむくのでしょう。それなのに、当代賢者が不在だなんておかしいではありませんか」


 イプセミッシュに続き、フィリエルスも同意の声を上げた。ここにいる者たちの思いは同じだ。


「私の一存で決められることでもありません。ありませんが、思いがけず頂戴した言葉の数々、嬉しく思います。心からの感謝を皆様に。それでは、私はこれで」


 彼らの見送りと別れの言葉を待つまでもなく、ミリーティエは早々に背を向けた。あふれ出しそうになる涙をこらえるのに必死だ。それは決して見られたくない。


 賢者になって以来、これほど嬉しかったことはない。心のこもった熱意ある言葉をかけられるのは、いったい何年ぶりだろうか。


(ここまで感情が揺さ振られるなんて初めてです。願わくば、レスカレオの賢者としてではなく、人と人として彼らと対等に向き合いたいものです。本心から、友と呼んでくれる仲間、私は出会えるのでしょうか)


 魔術転移門に消えていくミリーティエの背中に声がかかる。


「ミリーティエ殿、ゼンディニア王国の門はいつでも開いている。何かあれば、いや、なくとも我ら一同、貴女の訪問を歓迎する」


 一際ひときわ、甲高い硬質音を残してミリーティエの姿が魔術転移門が消えた。


(ザガルドア殿、その言葉は、反則ですよ)


「大丈夫なのかしら。ルシィーエット様とは好対照、賢者らしからぬ賢者に見えたわ。実力は言うまでもないわね。それなのに、あの自信のなさはいったい」


 フォンセカーロが後を引き継ぐ。


「どこから来るのか。恐らくは、心の問題でしょう。一度失った自信を取り戻すのは容易ではありません。まさに今、立ちはだかる巨大な壁を乗り越えんと、もがいているのではないかと推察いたします」


 さすがに空騎兵団の団長と副団長だ。見るべきところは、しっかり見ている。物事の判断において、二人ともに頭脳明晰で冷静でありながら、フィリエルスは直感的、フォンセカーロは論理的だ。お互いの不足部分をしっかり補い合える関係なのだ。


「天狗になっていたと言ったわね。そして、あの御仁と出会うまでは、とも。どうやらステルヴィアの者ではなさそうね」


 うなづくフォンセカーロには心当たりがあった。


「ステルヴィアの者なら名を出していたでしょう。名も出せないほどにおそれ多く、賢者を赤子同然に圧倒してしまうほどの御仁と言えば、あの御方しかおられますまい」


 しばしの重い沈黙、それを破ったのはザガルドアだ。


「ビュルクヴィスト、ここでの顛末てんまつ、どうせていたのだろう。それなら話は早い。今すぐ来てほしい」


 応答は、即座にやってきた。ここにいる者たちへの脳裏に、ビュルクヴィストの声が響く。


≪構いませんよ、ザガルドア殿。ミリーティエについて、私からも話がしたいと思っていましたのでね≫


 再び、玉座の間に硬質音が鳴り渡る。ミリーティエの魔術転移門よりも素早く、かつ正確に、人一人分の空間が宙に描き出されていく。その中からビュルクヴィストがゆっくりと姿を現した。


「お呼びにより参上いたしました。ザガルドア殿、時間も惜しいです。早速、話を進めましょう」


 相も変わらずの、人を食ったような態度に苛立いらだちを覚える。ザガルドアはもちろん、イプセミッシュやフィリエルスも同じ思いだ。相手がビュルクヴィストでなければ、乱闘になっていても不思議ではない。


「ビュルクヴィスト、その態度、何とかならないのかよ」


 ザガルドアのいやみが炸裂さくれつする。記憶が戻る前は、魔術高等院ステルヴィアを憎んでいたものの、直接文句をつけることはなかった。ひとえに己の国王という立場をおもんばかってのことだろう。


 今の彼は、国王でありながら、素の自分を全面に出している。一部でたがが外れたザガルドアは、はっきりと自己主張する。嫌いなものは嫌いだ。


 ビュルクヴィストに対する遠慮は全くない。敬称さえつけず、平気で名を呼んでいることからも分かる。ビュルクヴィストも一向に気にしていないようだ。


「まあ、そうおっしゃらずに。これが私なのですよ。ザガルドア殿も、よくご存じでしょう」


 嫌みにさえ、笑みをもってこたえる。ザガルドアはあきれ顔を浮かべるしかなかった。


「さて、ミリーティエのことですが」


 ビュルクヴィストの言葉を奪って、先にザガルドアが要件を告げる。


「ゼンディニア王国は、我が王国のため、さらには大陸に生きる人のため、レスカレオの賢者ことミリーティエ殿に対してアーケゲドーラ大渓谷への出陣を要請する」


 即答が来る。


「ええ、もちろん、要請を快諾いたしますよ」


 何を今さらそんな当然のことを、といった表情で、ビュルクヴィストがザガルドアたちを見渡す。誰もが呆然となったのは言うまでもない。口を開いたまま、固まっている。


「おやおや、どうしたのでしょう。何かおかしなことを言いましたか。では、もう一度言いましょうか」


 慌ててザガルドアがさえぎる。全く話がみ合わない。


「いや、待て、待て。ちょっと、待て」


 制止をかける。ザガルドアは冷静さを取り戻すために、深呼吸を繰り返した。


「では、その話は終了ということで、私の方からは、皆さんにお願いがあります。ミリーティエを助けてやってくれませんか」


 そうだった。この男は、こういう男なのだ。人をけむに巻くような語りを続けていると思った途端、とんでもない爆弾を落としてくる。


「ビュルクヴィスト殿、仰っている意味がよく分からないのだが。ミリーティエ殿は当代レスカレオの賢者、その力をもってすれば我らの助けなど不要ではないでしょうか」


 ビュルクヴィストはしきりに頷きつつ、最後の言葉に対してのみ、首を横に振った。その表情が悲しげに見えるのは気のせいだろうか。


「イプセミッシュ殿、そのとおりです。賢者の力という面では。私やルシィーエットもいますしね。私が皆さんに助けを求める目的はただ一つ、彼女の心の解放です」


 フォンセカーロの推察どおりだ。


「ビュルクヴィスト様、ミリーティエ殿の折れてしまった心をもとに戻せるのは、ミリーティエ殿ご自身しかいません。私たちにその手助けができるとは思えませんが」


 疑問はもっともだ。いくら周囲の手助けがあろうとも、壊れかけた心は修復しようという気力が本人になければ、何の効果も生み出さない。


「フォンセカーロ殿、私はね、二つあると思っているのですよ」


 一つは天狗の鼻っ柱をし折られたことによる賢者としての矜持きょうじの喪失だ。それはビュルクヴィストが述べたとおり、ステルヴィアで対処できる。問題はもう一つの方だった。


「心、内面の問題です。あの子は、これまで他者と極力関わらない生き方をしてきました。ゆえに、人との接し方、交わり方が分からないのですよ。つまりです。心を許せる友が一人もいないのです」


 ミリーティエは、ザガルドアとイプセミッシュの関係を見て、さぞかしうらやんだことだろう。


「あの子は、一切表情に出していませんがね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る