第336話:それぞれの想いの行方

 美しい尾を引く炎が夜空をり裂いて突き進む。


 灼火重層獄炎ラガンデアハヴの炎は決して標的を逃さない。そして、もう一つ、大きな特徴を備えている。炎はほぼ常温、熱さを感じさせない。それでいながら絶大な破壊力を誇る。


(私の炎は、馬鹿みたいな火力勝負じゃないんだよ。その身で受けてみれば分かるさ)


 自身で言っておきながら笑ってしまう。ルシィーエットの魔術に対する流儀は何度も述べたとおりだ。


 おのが努力の結晶としてみ出した灼火重層獄炎ラガンデアハヴ、その起源は文字どおり圧倒的火力で敵を灰まで焼き尽くす一撃必殺の魔術だった。


 その方向性が変わったのは、いや、むしろ変えられたのはレスティーの試練を受けた直後からだ。レスティーは決して固有魔術に難癖なんくせをつけるような真似はしない。当然のごとく、改良の余地がありすぎる初期の灼火重層獄炎ラガンデアハヴに対して指導さえ行わなかった。


 炎を扱うレスカレオの賢者たる者ならば、自らの魔術研鑽けんさんの中で改善点を見出みいだすものだ。


(私も若かったのさ)


 わずかの感傷にひたりながらも、ルシィーエットの目は炎の軌跡を追い続けている。


 ニミエパルドの鎧は炎を防がんと、いっそう強烈な邪気じゃきき上げ、前面に分厚い壁を築き上げていく。邪気の発生源はニミエパルド自身であり、心臓部に埋めこまれた核より引き出している。彼の心が強烈な負に染まれば染まるほど、邪気の威力は増していく。


「ニミエパルド、お願いよ。負の感情を抑えて。いくら高位ルデラリズの核とはいえ、邪気の生成は無尽蔵じゃ」


 ケーレディエズの懇願こんがんは届かない。言葉がき消される。ルシィーエットの放った灼火重層獄炎ラガンデアハヴが邪気による障壁と轟音ごうおんを伴って激突したのだ。


 灼火重層獄炎ラガンデアハヴが真に威力を発揮するのはここからであり、衝突の瞬間、炎は凄まじいばかりの高温高熱の灼赤しゃっかへと昇華する。余波は確実にケーレディエズのもとまで伝播でんぱする。


 防御の姿勢さえ取っていないケーレディエズにとって、灼火重層獄炎ラガンデアハヴの炎はまさしく致死だ。跡形もなく焼き尽くされる運命が待っている。


 ケーレディエズは声さえ上げられず、ただ呆然ぼうぜんと立ち尽くすしかできない。これが最後だと思ったのか。哀しみをたたえた視線をニミエパルドに注ぎ、ヒオレディーリナへと転じる。


「問題ないさ。ディーナがいるんだよ」


 ルシィーエットの言葉どおり、余波がケーレディエズに及ぶ寸前のこと、三層障壁が同時に立ち上がった。


 ルシィーエットの炎に直接相対する一層目は炎で構築されている。二層目は熱、そしてケーレディエズの身体に密着するがごとく風が三層目を形成している。


 すなわち、三振みふりの魔剣アヴルムーティオによる炎熱風えんねつふう障壁であり、並びも当然のごとく姉妹の順となっている。これはそのまま魔剣アヴルムーティオの強さを示している。


≪どうして私が一番後ろなのよ≫


 大いに不満を漏らす皇麗風塵雷迅セーディネスティアを、イェフィヤもカラロェリもい妹とばかりに優しげな目を向けている。


「ルーの炎の邪魔ね。ケーレディエズ、私のそばに来ることを許すわ」


 ヒオレディーリナはルシィーエットの魔術発動と同時、右腕を軽く振り上げたのみで、自ら動く気配さえない。それは沈黙の中でのルシィーエットへの、また三振りの魔剣アヴルムーティオへの合図でもあった。


 ルシィーエットも分かっているからこそ、躊躇ためらいもなく最大最強魔術を解き放っているのだ。この局面において、ヒオレディーリナがいなければ、灼火重層獄炎ラガンデアハヴは望む効果を発揮できない。


 標的であるニミエパルドのすぐ傍にケーレディエズがいる。ルシィーエットがいくら魔術制御しようとも、ケーレディエズを巻きこまない保証は一切ない。ビュルクヴィストのように、針の穴を通すがごとき緻密ちみつな魔術制御ができるなら話は別だ。


(ルーには無理ね。ある意味、ビュルクヴィストは異常だから)


 随分な言われようのビュルクヴィストではある。けなしているわけではない。


 ヒオレディーリナにとって、ビュルクヴィストはルシィーエット同様、絶対的な信頼を寄せられる、そして友とも呼べる極めてまれな存在だ。異常とは、ある意味において誉め言葉なのだろう。


(性格は難がありすぎるけど、それも含めてのビュルクヴィストね)


 僅かに笑みがこぼれてしまう。


(ディーナ、珍しいね。今日だけで何度目だい。私はね、あんたにもずっと笑っていてほしいと願っているんだよ。勿体もったいないじゃないか)


 ルシィーエットの想いをよそに、三層障壁に護られたケーレディエズは迷いの最中さなかにいる。どうしてもニミエパルドが気になって仕方がない。動くに動けない状況に置かれている。


 魔術を行使できないケーレディエズから視ても、明らかにルシィーエットの炎が優勢だ。邪気による障壁は炎にまれ、細切れに寸断され、たちどころに無に帰している。


 このままでは障壁を抜けてニミエパルドの身体に及ぶは必定ひつじょう、そうなれば無事では済まない。


 あの場でケーレディエズも聞いていたのだ。ジリニエイユが淡々と告げた事実を。ケーレディエズはニミエパルドを殺せる者の名を脳裏に刻んだ。その一人が眼前に立ちはだかっている。


(お願いよ。私の大切なニミエパルドをどうか殺さないで)


 ニミエパルドは足掻あがき続けている。勝敗はついたも同然、ニミエパルド自身も理解しているだろう。にもかかわらず、邪気の勢いは衰えず、強引にでも核から引き出そうとしている。もはや狂気の沙汰さただ。


「ニミエパルド、殺戮衝動に負けないで。貴男は私が護るから」


 ようやく意を決したか。ケーレディエズはニミエパルドから距離を置くどころか、接近を試みようと無謀むぼうにも三層障壁に自ら突っ込んでいった。


 ルシィーエットは魔術に完全集中している。ケーレディエズに構っている暇などない。ヒオレディーリナは平然と成り行きを見つめたまま、動こうともしない。


 灼火重層獄炎ラガンデアハヴの炎が邪気の障壁を粉砕ふんさい、そのままの勢いで漆黒のよろいごとニミエパルドを呑みこんでいった。


「ニミエパルド」


 ケーレディエズの絶叫が響き渡る。


 なおも三振りの魔剣アヴルムーティオが創り上げた三層障壁をくぐり抜けようと強引に身体をねじ込んでいく。いくら魔霊人ペレヴィリディスの肉体を有するとはいえ、魔剣アヴルムーティオが生み出す力に真正面から挑んだところで結果は明白だ。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが構築した風の障壁に触れるやいなや、全身が斬り刻まれていく。濃緑のうりょくの血をき散らしながら、それでもケーレディエズは突進をめない。


≪ちょっと、この娘、何を考えているのよ。護ってあげている私の身にもなってみなさいよ。このままだと護るどころか、殺してしまうわ。姉様、助けてよ≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアも引くに引けぬ状況だ。最悪、自ら障壁を解除する手もある。そうなると一層目を抜けたケーレディエズは二層目、カラロェリの創り出した高熱の障壁へと突っ込むだろう。今の彼女はまさしく猪突猛進ちょとつもうしん、ニミエパルドのもとへ駆け寄ることしか考えていない。


「ニミエパルド、貴男がずっと私を護ってくれたように、私もまた貴男を護りたいの。あの時まで、私には貴男を護るどころか、自分自身を護る力さえなかった。だから、あんな男に。私はあの人に心からこいねがったのよ」


 言葉がニミエパルドに届くかも分からない。それでもケーレディエズは止まらない。全身が斬り刻まれるのもいとわない。


 核が存在する限り、魔霊鬼ペリノデュエズ特有の再生能力によって、いくら斬り刻まれようとも時間が経てば復活する。ケーレディエズは強力な魔霊人ペレヴィリディスだ。短時間ですだろう。あくまで核が無事ならばの話だ。


 魔剣アヴルムーティオが創り出す力は、魔霊鬼ペリノデュエズの核、それが高位ルデラリズの核であろうと容易たやすく破壊してしまう。このままでは確実にケーレディエズを殺してしまう。


仮初かりそめの主様、いかがなさいますか。このままではこの娘は確実に死にます。まもなく妹の力が核に届きます≫


 さすがに末妹まつまい皇麗風塵雷迅セーディネスティアを気の毒に想ったのだろう。イェフィヤがヒオレディーリナに判断を求める。


≪障壁を解きなさい≫


 躊躇ちゅうちょなく障壁の解除を命じる。ヒオレディーリナにとって、ケーレディエズの行動は想定内、ニミエパルドを追いこめばどうなるかは自明の理だ。


 強くなりたい。自分自身ではなく、愛する者を護りたい。ケーレディエズの想いを受けて、ヒオレディーリナは自らの血を分け与えた。


 ヒオレディーリナの命は絶対だ。瞬時に三層障壁が失せる。


≪姉様、ありがとう。助かったわ≫


 末妹の安堵している様子が伝わってくる。


≪無問題≫


 カラロェリの後を引き取ってイェフィヤが締める。


≪姉として当然のことをしたまでよ≫


 突然、全ての障壁が消えたことでケーレディエズをさえぎるものはなくなった。一目散にニミエパルドのもとへ駆けていく。既にニミエパルドの全身は灼火重層獄炎ラガンデアハヴによる杓赤に包まれている。


「ああ、ニミエパルド、待っていて。今すぐに助けるから」


 ジリニエイユに聞かされて知っている。ルシィーエットという賢者が最大最強の魔術は放ったが最後だ。生存確率は皆無、魔霊人ペレヴィリディスであろうと待つのは確実な死でしかない。


「それでも構わない。ニミエパルドと一緒に死ねるなら」

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