第337話:重層獄炎の真価

 灼赤しゃっかみ干され、ニミエパルドは力なくくずおれている。ケーレディエズは無我夢中で抱きつき、華奢きゃしゃな身体をもってなりふり構わずに炎を消し止めんと試みる。


「どうして、どうして消えてくれないの。お願い、私の身体はここで灰になってもいい。だから、ニミエパルドだけは」


 ケーレディエズの瞳から涙があふれ出している。両の瞳はれ、深紅に染まった魔霊人ペレヴィリディスとしての色が薄れ、人であった時の美しい髪と同色、青紫せいしへと変わっていく。


「ケーレディエズ、本当に強くなったわね。今の貴女なら、間違いなくそうするだろうと確信していた」


 ヒオレディーリナの声音こわねが変わっている。厳しさの中に優しさがにじみ出している。その言葉はケーレディエズの耳にも届いていた。思わず口からこぼれ落ちる。


「お姉ちゃん、どうか、助けて」


 ささやきのごとき小声は、ヒオレディーリナの耳朶じだを震わせる。視線はケーレディエズを通り越し、ルシィーエットに注がれる。それで十分だった。


「ケーレディエズ、安心しな。私の炎はニミエパルドを決して傷つけない。滅ぼすのはまとっている鎧だけさ」


 灼赤は鎧を包んでいる。それだけだ。そもそも、ニミエパルドの鎧には一切の魔術攻撃が通らない。


「絶対魔術防御の呪具メレフィドだよ。全く厄介なものを持ち出してくれたものだね。ニミエパルド、あんたをむしばみ続ける鎧を私の炎をもってぎ取ってやるよ」


 ルシィーエットは灼赤を通して確実に視て、捉えている。邪気の源たる核と鎧を繋ぐ供給路を。さらには鎧の構造そのものまでもだ。


「私の炎の前では、絶対魔術防御など何の役にも立たないよ」


 まずは供給路を断つ。そのうえでニミエパルドと同化している鎧を剥ぎ取る。


 絶対魔術防御の手法は大別すると三つだ。一つ目は武具全体に魔術印を刻み、魔術をもって魔術を相殺そうさいする。二つ目は武具表面に結界魔術を展張てんちょうする。三つ目は呪具と呼ばれる呪具師が創り上げた武具を纏う。


 それぞれに利点と欠点がある。ニミエパルドの鎧は、最もたちの悪い三つ目であり、常人が装着できる代物ではない。まさしく魔霊鬼ペリノデュエズ強靭きょうじんな肉体だからこそ纏える鎧なのだ。


呪具メレフィドの破壊方法は二つだよ。一つは纏っている者を滅ぼす。一つは呪具の源を滅ぼす」


 灼火重層獄炎ラガンデアハヴの炎は鎧を直接攻撃して破壊するものではない。それゆえにルシィーエットの選択は後者と決まっている。


 だからこそ、ヒオレディーリナは全幅ぜんぷくの信頼を寄せて任せているのだ。ヒオレディーリナ自身、呪具メレフィドを問題なく破壊できる強者の一人に違いない。


 ルシィーエットは灼赤を注視しながら苦笑を浮かべている。


(ディーナは面倒だと言った。ディーナが破壊するなら前者一択、つまりははなからニミエパルドを殺すつもりなどなかったということさ)


 面倒を嫌うヒオレディーリナらしい。何よりもヒオレディーリナは呪具メレフィドの源を探し出した後こそが問題なのだ。いくら最強の力を有していても、次元の向こう側に身を潜めるものに攻撃するすべがなければどうにもならない。


(私ができずとも、ルーの灼火重層獄炎ラガンデアハヴなら何の支障もない。次元を越える炎は確実に源を滅ぼす)


「ケーレディエズ、距離を取りなさい。ルーの炎が真価を発揮する。よくているといいわ」


 涙で濡れる瞳を上げ、ケーレディエズがヒオレディーリナを見つめる。ヒオレディーリナのくちびるが動くのが分かった。促され、ニミエパルドから距離を取る。


 ニミエパルドの纏った鎧を包む灼赤が色を失い、急速にしぼんでいく。効力を失ったからではない。破壊すべき標的を見定め、解析が完了したからだ。


 いかなる魔術攻撃も無効化する呪具メレフィドであろうと、力の源までさかのぼられ、そこから正順せいじゅんで破壊されればひとたまりもない。そして、灼火重層獄炎ラガンデアハヴの灼赤は正しくそこまで遡れる。


 色を完全に失った灼赤が吸い込まれるようにして大気に溶けこむ。ルシィーエットの目が捉えた呪具と核を結ぶ供給路が第一の標的だ。


 魔術痕跡こんせきを完全に消し去った灼赤が、見つけ出した供給路に速やかに纏わりついていく。全てを覆い尽くすと同時、なりを潜めていた魔術が瞬時に活性化した。


 灼赤は灼白しゃくびゃくへと変じ、魔術による高温高熱をもって容赦なく焼き尽くしていく。


 灼火重層獄炎ラガンデアハヴは次元を越える炎だけが能力ではない。文字どおり、複数の異なる炎を重層化し、いかなる敵であろうとも完全に駆逐する魔術なのだ。


 ルシィーエットがこの場で行使している重層獄炎は、表面が魔術で創られた灼赤、次層が魔術痕跡を完璧に潜めた灼赤、さらに次層が灼赤以上に強力な魔術で生成された灼白で構成されている。


「供給路を断つ程度なら三層目までで十分さ」


 その言葉どおり、呪具メレフィドに力を与え続けていた邪気じゃきの供給路はまたたく間に灰と化し、機能を喪失した。邪気を吸収し続けてきた呪具メレフィドの鎧が急速に力を減衰させていく。


「好都合だね。そこにいたことを後悔させてやるよ」


 ルシィーエットの目が哀しみと怒りで揺らいでいる。まさっているのは明らかに怒りだ。


 源まで遡ってこそ分かるものがある。呪具メレフィドを創り出すには呪具師と材料が必要不可欠であり、いずれが欠けても成り立たない。用いられる材料とは、すなわちにえであり、死体と決まっている。


 それも自然死ではなく変死、とりわけ殺害された者の死体だ。怨嗟えんさ憎悪ぞうお、無念といった激しい負の感情をあふれさせたものであればあるほど呪具メレフィドの効能が高まる。


 ルシィーエットが捉えたのは、まさしく魔術生成されたひつぎ山積さんせきする数多あまたの死体であり、そこから負の力をしぼり出している醜い呪具師の姿だった。


「お前のような塵芥じんかいにかける情けは一切ないよ。死者の冒涜ぼうとくは重罪だ。未来永劫、彷徨さまよいながらあがなうがいい」


 供給路を焼き尽くした三層目の灼白は次元を越えて呪具の源まで遡ると、即座に四層目を魔術展開する。すなわち、灼白から灼白青しゃくびゃくせいへと変じる炎だ。


 ルシィーエットの目に捉えられた以上、呪具師はもはやどこにも逃れられない。そもそも、呪具師ごときにルシィーエットの炎が迫っているなど、もとより感知できるはずもない。


 呪具師が突然の空のきらめきに何事かと視線を上げる。その目に広がる美しい白青の輝きは、またたきの間に獄炎となって頭上より降り注ぐ。


 白青炎のわずか一粒が皮膚に付着した刹那せつな、爆発的な浸食をもって全身を覆い尽くし、昇華させていった。断末魔はおろか、灰となることさえ許されず、呪具師はその存在ごと無に帰された。


 白青炎はなおも強烈な輝きを散開させながら、鎧の源たる無数の死体を射貫いていく。


「死んでなお酷使される。さぞ辛かっただろう。それも終わりさ。願わくば安らかに眠りな」


 ルシィーエットの心からの想いだ。


 白青の光が駆け抜けた時には全てが終わっていた。そこに横たわるのは完全なる無のみだった。


「これで終わりじゃないよ。諸悪の根源が残っているからね。呪具師と繋がっていたのがお前の運の尽きだね。今度こそ覚悟しな」


 ルシィーエットの解き放った灼火重層獄炎ラガンデアハヴがいよいよ最後の仕上げに入る。第四層を解き放ったばかりの魔術が、ルシィーエットの意を受けて第五層への進化を始めている。狙いは完璧なまでに定まっている。


(ふん、随分苦戦しているじゃないか。それにしても面白いものを持っているね)


 ルシィーエットの魔術拡張がなおも続く中、ヒオレディーリナのそばまで辿たどり着いたケーレディエズの視線はニミエパルドに釘づけ状態だ。


 鎧からき上がっていた凄まじいばかりの邪気は嘘のようにしずまっている。何よりもニミエパルドの核から邪気を吸い上げておらず、完全に沈黙している。


「ニミエパルドの心配は無用よ。ルーの魔術はあの鎧の源を破壊した」


 どういうことかとケーレディエズの目が尋ねてきている。ヒオレディーリナにそれ以上の説明をするつもりはない。ニミエパルドが己が意思で鎧を纏っとか否かなど、ここまで来ればもはやどうでもよいことだ。


「ケーレディエズ、行きなさい。二人して決めなさい」


 ヒオレディーリナが何を言わんとしているか、ケーレディエズには即座に理解できた。僅かに不安げな表情を浮かべ、すぐさま消し去る。大きくうなづくと、ヒオレディーリナに背を向けてニミエパルドのもとへ歩み寄っていく。


(さようなら、お姉ちゃん。今度こそ本当にお別れね)


 既にケーレディエズの中では結論が出ている。それをニミエパルドに伝え、納得させるだけだ。

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