第338話:魔剣の使命と暴走

 ヒオレディーリナの意識は早々にケーレディエズからルシィーエットへと転じている。ニミエパルドに対する魔術は間違いなく成功裡せいこうりに終わっている。


 ニミエパルドがまとっていた鎧は呪具じゅぐとしての機能を失い、今やただの非力な鎧と化した状態だ。


(ルーの魔術制御がなおも解けていない)


 ヒオレディーリナの目はルシィーエットが制御する魔術の痕跡こんせきを辿っている。魔術が行使され続ける限り、魔力の流れを追うなど、ヒオレディーリナにとっては造作もない。


(呪具師を始末したその先で、なるほど。今度ばかりは逃げきれないかもしれないわね)


 ヒオレディーリナがいかにも楽しそうな笑みを浮かべている。それはルシィーエットにも明瞭に伝わっている。


≪あんたたちは邪魔だよ。今すぐ魔術を引っこめて下がりな≫


 端的に魔力感応フォドゥアを飛ばし、ここからの最終魔術展開の邪魔になる者たちに牽制けんせいをかける。


 重層獄炎第五層目は灼白青しゃくびゃくせいをも超える超高温高熱の灼青炎しゃくせいえんだ。ルシィーエットが主物質界で行使できる最強の炎でもある。


≪完璧に捉えたよ。覚悟しな≫


 標的もルシィーエットの魔術の接近に気づいたようだ。遠く離れた場所で互いの視線が交錯する。


 標的が対峙たいじしていた相手からすぐさま対象を切り替え、全ての魔力を集中しているのが手に取るように分かる。


≪遅いよ。私の魔術は完成している。あの時とは違うんだよ≫


 完成には二つの意味がこめられている。一つは魔術発動そのものの、もう一つは魔術の精度と威力の完成だ。


 標的の頭上、漆黒の空が瞬時にすさまじいばかりの超高温高熱を伴った輝青きせいに染め上げられていく。


≪最終形態極蒼蓋世焔亢舞ジェルガダラハヴ


 ルシィーエットが灼火重層獄炎ラガンデアハヴの最終形態を解き放つのはこれが二度目となる。一度目はおよそ百年前、己の命と引き換えに最大限の魔力をもって行使した最高位キルゲテュールとの戦いだった。


≪同じてつを踏むつもりはないよ≫


 次元を越えて解き放たれた灼青炎が、輝青の空より標的めがけて襲いかかった。



(ルーに任せておくしかないわね。私のやるべきことは)


 ヒオレディーリナの視線がニミエパルドを抱きしめたままのケーレディエズに注がれる。少しばかり離れた位置にいようと、二人の会話は耳に入ってくる。


 ヒオレディーリナは正気に戻ったであろうニミエパルドの反応の薄さが気に入らないのか、やや顔をしかめている。


「ニミエパルド、気分はどう。鎧がぎ取られ、何か変わったことは」


 不安そうにのぞきこんでいるケーレディエズに対して、ゆっくりとうなづく。


「ああ、まるで夢から覚めたような気分だよ。ディズ、私は駄目な男だ。また君を護れずに、逆に君に護られる始末だ」


 自嘲じちょうするニミエパルドに覇気が感じられない。あきらめの境地とでもいうのだろうか。


 ケーレディエズはそんなニミエパルドがもどかしく思えたのだろう。両の手で頬を強く挟みこみ、項垂れ気味のニミエパルドの顔を強引にでも持ち上げる。ニミエパルドの視線が流れないように固定する。


「よく聞いて、ニミエパルド。私は強くなりたかったのよ。貴男を護れるほどにね。あの時、私の心からの想いにヒオレディーリナは気づいてくれた。そして、そのための力をも与えてくれた」


 ニミエパルドが口を開こうとするところ、首を横に振って制止する。


「あの事件以降、貴男にただ護られるだけの私が心底嫌だった。だって、私と貴男はどんな時でも対等なのよ。どちらか一方にぶら下がるだけの関係なんて願い下げだわ」


 ニミエパルドもケーレディエズも等しく魔霊人ペレヴィリディスとしての感情が見事に抑えこまれている。ヒオレディーリナを除く魔霊人六人の中で、最も人らしさを残していた二人だ。当然と言えば当然だろう。


 安心していたヒオレディーリナの目が刹那の異変を察知する。


(二人の核が活性化した。まさかこれは。私としたことが迂闊うかつだった)


 手遅れかもしれない。ヒオレディーリナは割り切りつつ、三振りの魔剣アヴルムーティオにすかさず命を下す。


≪イェフィヤ、カラロェリ、皇麗風塵雷迅セーディネスティア、二人の周囲に極小三層結界を展開≫


 魔力のうねりが宙を揺さ振り、イェフィヤの炎が、カラロェリの熱が、皇麗風塵雷迅セーディネスティアの風が三層結界を構築、ニミエパルドとケーレディエズの周囲を包んでいく。


≪仮初の主様、浸食が始まっている。男が問題です。めっしますか≫


 イェフィヤが端的に、事もなげに告げてくる。


 魔霊鬼ペリノデュエズの核は速やかにめっすべし。それが魔剣アヴルムーティオに課せられた最優先使命でもある。


 魔剣アヴルムーティオの意思と人の意思、二つは似て非なるものだ。契約という名の秩序のもと、魔剣アヴルムーティオは迷わない。対する人は迷いだらけだ。


 得てして、最優先すべき使命に逆向する行動をも取らされる。納得できずとも、契約で縛られている以上、意思を優先することも叶わない。


 契約を無視してまで魔剣アヴルムーティオが自らの意思を優先できる唯一の条件は、真の主による命のみだ。それのみがあらゆるものを上書きできる。


≪まだ駄目よ≫


 ヒオレディーリナも端的に返す。言葉の裏側には、いざとなれば自身の手で滅するとの確固たる意思が含まれている。契約からのごく短時間でイェフィヤはヒオレディーリナのおよそを理解している。


(本当に理解し難い生き物だわ。だからこそ、人は面白いのよね。その分、主様も随分と苦労なさっているのだけど)


 イェフィヤの笑みはそのまま二人の妹に伝わっていく。カラロェリがまず反応を返す。


≪真珍。良機嫌≫


 待ち構えていたのか、皇麗風塵雷迅セーディネスティアも食いついてくる。こちらは全く異なる意味においてだ。


≪姉様、笑ってる場合じゃないの。この男、私がめっしてしまって問題ないわよね≫


 動かない姉二人に代わって、名乗りをあげた皇麗風塵雷迅セーディネスティアの結界だけが激しく揺らいでいる。炎と熱は依然としてなぎの状態だ。彼女の風だけが凪から軽風けいふう軟風なんぷうを経て疾風しっぷうへと変じている。


 この時点で、対象が人ならば容易たやり裂ける威力だ。さらにもう一段階強度を上げると、もはや魔霊鬼ペリノデュエズの核でさえも断裂する。


≪動了。制風≫


 カラロェリの制止の声にも皇麗風塵雷迅セーディネスティアは反論を返す。


≪姉様、私は止まらないわよ。だって、私の主様は唯一だもの。あの女もこの女も、どうでもいいわ。契約で私を縛るなど笑止千万よ≫


 本心ではイェフィヤもカラロェリも全く同感だ。魔剣アヴルムーティオとしての最優先使命は明白であり、末妹まつまいと違うのは、魔剣アヴルムーティオが力を振るう真の意義を知るか否かでしかない。


 イェフィヤが声を送ろうとした矢先だった。


皇麗風塵雷迅セーディネスティア、一度受け入れた契約は終了するまで強制力が働く。それを強引に破れば、どうなるかも理解できない愚か者なの≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアの攻撃性はいささかも衰えない。たかぶる感情は仮初の主のみならず、現在の所有者たるセレネイアにまで伝わっていく。


 疾風が強風へと変わる。ここから暴風へと転じたら、確実にニミエパルドの核を破砕するだろう。


皇麗風塵雷迅セーディネスティアめて。契約に基づいてヒオレディーリナ殿に従って。私は貴女を失いたくないの≫


 セレネイアの懇願は皇麗風塵雷迅セーディネスティアに届いている。僅かの揺らぎ、そして停滞が生じる。これで落ち着くかと安堵したのも束の間だ。


≪うるさい、うるさい、うるさい。私に指図するんじゃないわよ≫


 滅多にない現象が起きようとしている。魔剣の暴走だ。


 所有者と魔剣アヴルムーティオを繋ぐのは契約のみであり、いずれかが一方的に破棄、己が意思を最優先した結果、二つの末路が提示される。


 破棄が所有者の場合は、魔剣アヴルムーティオによる封殺だ。魔剣アヴルムーティオの場合は、内封した力の完全暴走による自壊だ。いずれにせよ確実な死が待つ。


 イェフィヤもカラロェリも動かない。いや、動けないといった方が相応ふさわしい。それはある意味、正しかった。


≪今はその時ではない。やむを得ないわね≫


 ヒオレディーリナの右手がしなやかに動き、剣のつかを軽く握る。


≪待ちなさい、ヒオレディーリナ。あの子のしつけがなっていないのは、多少なりとも私に責任があるわ。任せなさい≫


 まさに抜刀態勢に入ろうとしていたヒオレディーリナの右手が完全に止まった。意思に反して全く動かない。


≪こんなことができるのは、あの御方を除けば。本当に嫌な女ね。何をしに出てきたの。邪魔すると言うなら≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアき散らす風に乗って、僅かに嘲笑ちょうしょうを含んだかのような音が流れてくる。


≪邪魔などしないわ。皇麗風塵雷迅セーディネスティアしずめるだけよ。あの子にはこの先も働いてもらうつもりだから≫


 話はこれで終わりとばかりに魔力感応フォドゥアを閉じるなり、暴風へと変わりつつある流れに軽やかに身を躍らせていく。


皇麗風塵雷迅セーディネスティア、いい加減にしなさい。意識ごと封じられたいの≫


 一喝をもって皇麗風塵雷迅セーディネスティアの動きが見事なまでに制止した。


≪フィ、フィア様、どうして、こんなところに。でも、たとえフィア様といえども≫


 いくら皇麗風塵雷迅セーディネスティアが風の魔剣アヴルムーティオと言えど、風そのものを司るフィアの前では赤子も同然、逆らえる道理などない。


 不規則なまでに乱れた風の流れの中、ようやく第一解放アペロフセリスィ状態で姿を現したフィアが緩やかに右手を振った。


≪貴女たちもよく我慢できたわね。上出来よ≫


 フィアの視線が皇麗風塵雷迅セーディネスティアを通り越して、イェフィヤとカラロェリに向けられる。


≪唯諾≫

≪フィア様の風を感じ取りましたので。手を出さずに待っておりました。私たちではやりすぎてしまいます≫


 カラロェリに次いで、イェフィヤが苦笑気味に応えている。


 確かにイェフィヤとカラロェリなら皇麗風塵雷迅セーディネスティアを抑えこめる。姉二人が末妹を止めようとするなら、間違いなく容赦なくだ。そうでもなければ、暴走一歩手前の状態を制止できるはずもない。


≪そう、賢明ね。あとは私に任せておきなさい。悪いようにはしないわ≫


 既に動きはおろか、意思も力も全てを封じられてしまった皇麗風塵雷迅セーディネスティアにフィアはゆっくりと近寄っていった。

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