第339話:反りの合わない二人

 ヒオレディーリナは主物質界において最強、誰しもが認めるところだ。


 魔術師最強とうたわれるビュルクヴィストでさえ、一対一での単純勝負なら勝率は二割にも満たない。近接戦ではさらに下がる。


 それほどのヒオレディーリナが唯一戦いにもならず、誰よりも毛嫌いする女がいる。


「あの女とは逢ったその瞬間から気が合わなかったのよ。異界の住人ながら人化を可能とする。しかも絶世の美女ときている。ふざけないでほしいわ」


 ヒオレディーリナが唯一感情的になる相手、それがフィアだった。もっと大きな理由もある。


「勝手に割って入ってきて。本当に気に入らないわね」


 けんのあるヒオレディーリナの口調を意にも介していないフィアは、冗談とも本気とも取れる言葉を即座に返してくる。


「それは私も同じよ。お互い様でしょう。この娘は私に任せて、貴女は早くそちらの二人を何とかしなさい」


 第一解放アペロフセリスィ状態で突如現れたことも忌々いまいましい要因になっている。


「どうして第一解放アペロフセリスィ状態なのよ。主物質界で顕現するには、あの御方の言霊ことだまが絶対」


 つくづく嫌になる。普段から言葉数も少なく、冷静沈着なヒオレディーリナも、フィアを前にすると途端に感情が爆発する。き出しのそれは女としての嫉妬心からだろうか。それとも、もっと奥深い理由が隠されているのだろうか。


(考えるのも嫌になるわ。それにあの女の言ったとおり、今はこちらの対処を優先すべき)


 フィアが早く行けとばかりに左手を軽く振ってみせる。風に乗っているフィアの動きは、常人では一切捉えられない。ヒオレディーリナをもってしても、わずかに異質な魔力を感じる程度だ。


 ヒオレディーリナとフィア、二人の特筆すべき女のいさかいをイェフィヤとカラロェリは興味津々しんしんで見守っている。


 かたや契約に基づく仮初かりそめの主、かたや異界の存在にして真の主の寵愛ちょうあいを受けし者である。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを含めた魔剣アヴルムーティオの三姉妹がどう足掻あがこうともかなわない相手なのだ。


 イェフィヤとカラロェリの意思が魔力に乗って伝わってくる。ヒオレディーリナはため息をつくしかなかった。


≪あの女が出てきたことだし、そろそろ潮時ね。分かったわ。契約を解除するわ。持ち主のもとへ戻りなさい≫


 契約解除を受けて、主従関係が消えたイェフィヤとカラロェリが別れのための魔力感応フォドゥアを飛ばす。二人の魔力の中に感謝の念が含まれている。悪くない主だったというあかしだろう。


≪私たちの本質を知る貴女なら、誰よりもたくみに使いこなせるでしょうね。さようなら、仮初の主だった者よ≫


 イェフィヤの本心だった。短時間で所有者の本質を見抜く能力は、これまでの経験に裏づけられている。伊達に三姉妹の長姉ではないのだ。


≪我楽再会≫


 カラロェリは滅多なことでは喜怒哀楽を現さない。此度こたびも端的な言葉だけを送り、すぐさま魔力感応フォドゥアを切る。


 契約が失われた今、互いに未練はない。契約のみで縛られる関係とは、てしてそういうものだ。


 イェフィヤとカラロェリが現所有者たるトゥウェルテナのもとへ戻っていく。


 ヒオレディーリナもまたゆっくりとした足取りでニミエパルドとケーレディエズの傍へ歩み寄っていく。途上、横目でフィアの様子をうかがう。全くりの合わない二人でありながら、何をしているか程度には気になるのだろう。


(気の毒な娘ね。あの女につかまえられたら、逃げる余地など皆無よ)


 ヒオレディーリナの目はフィアの圧倒的魔力をとらえている。余剰魔力があふれ出し、大波となって大気を揺さ振っている。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアはなすすべもなく、フィアが創り出す魔力球によって完璧に内包されてしまっている。


(これ見よがしに魔力を垂れ流す。どこまでも嫌みな女)


 フィアに見せびらかす意図はなくとも、主物質界における彼女は、いわば巨大な魔力かいのような存在だ。そもそもの絶対魔力量が天と地ほどに隔たっている。


 魔術師最強の賢者であろうと、フィアからすれば赤子同然であり、主物質界にる以上、魔剣アヴルムーティオも例外ではない。


(ああ、もう鬱陶うっとうしいわね。視界から消えなさい)


 刹那せつな抜刀ばっとう、右手で抜き放たった魔剣アヴルムーティオ、ヒオレディーリナが唯一命名した覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェ一閃いっせんする。


 ヒオレディーリナの剣閃けんせんもまた常人では決して捉えられない。まさに光がけたと形容するに相応ふさわしい速さなのだ。


 攻撃のために振るったわけではない。あくまでも己が視界から嫌なもの、すなわちフィアをさえぎるために振るったにすぎない。もしも本気で振るったとしたら、ここら一帯は跡形もなく無に帰している。


 フィアが魔力をもって皇麗風塵雷迅セーディネスティアを覆い尽くしたように、ヒオレディーリナは魔剣アヴルムーティオの力を障壁と変えて、ケーレディエズとニミエパルドを包みこんでいる。


 障壁内はヒオレディーリナの絶対領域と化す。外部からのいかなる攻撃をも防ぎ、内部に閉じられた者はいかなる手段を用いても外に出ることは叶わない。


 ヒオレディーリナは自ら創り上げた障壁内へと悠々と入っていく。


「ケーレディエズ、ニミエパルドとの話は」


 途中で言葉を止める。ケーレディエズの表情から一目瞭然いちもくりょうぜん、二人の間で合意形成ができていない表れだ。


「ヒオレディーリナ、魔霊人ペレヴィリディスの私が言うのはおこがましいのでしょうね。私はこれ以上、戦いの中に身を置きたくない。ニミエパルドと二人で静かに暮らしたいの。たとえそれがどのような形であっても」


 それが叶うなら、二人にとって最上なのは間違いない。


「無理に決まっている。私たちの身体は心臓ではなく、高位ルデラリズの核によって維持されている。核には本能として殺戮衝動が組み込まれ、戦うことを余儀なくされているのだ。余生を静かになど」


 ニミエパルドはあきらめの境地だ。彼が口にしたように、魔霊鬼ペリノデュエズの核は強烈な飢餓感で支配されている。ゆえに飢餓を満たすための行動を促すのだ。その伝達物質こそが邪気であり、邪気の強さはそのまま殺戮衝動に比例する。


「ニミエパルド、ならばお前はどうしてほしい」


 ニミエパルドは緩慢かんまんな動きをもってヒオレディーリナを見上げる。強烈な視線に射貫かれ、ニミエパルドは思わず息をむ。諦めの色が濃くにじんでいた表情が僅かにやわらぎ、苦笑と共に言葉がれる。


「ヒオレディーリナ、貴女がうらやましい。教えてほしい。貴女の強さは、いったいどこから来るのですか」


 即答で返ってくる。


「強さとは、おのが信念を貫き通すこと。一切の迷いもなく、ただひたすら信念に基づいて行動する。ニミエパルド、人は想像するよりも単純な生き物よ。信念さえあれば、およそのことは何とでもなる」


 ヒオレディーリナの瞳に光が見える。そこに揺らぎはなく、確固たる信念が深く刻まれている。ニミエパルドは今さらながらに痛感している。


(ああ、私はヒオレディーリナが憎かったわけではなかったのだ。ただただ羨ましかったのだ。彼女の生き方そのものが)


「お節介ついでに言っておくわ。真実の愛は無償の愛、それを理解した今のお前なら、ケーレディエズの心に応えられるはず。そして、二人が取れる選択肢は二つしかないことも理解しているわね」


 厳しい決断を迫っている。ヒオレディーリナは当然分かったうえで言葉にしている。


 事前に二重の対策を講じる。一つ目だ。


≪ルー、魔力の目でているわね。碧焔浄麗封皇舞スフィリディルザを行使してもらうかもしれない≫


 ヒオレディーリナからの魔力感応フォドゥアが、ルシィーエットの心を震わせる。


 碧焔浄麗封皇舞スフィリディルザ、それは二人が行動を共にしていた際、ヒオレディーリナが唯一行使を禁じていた魔術だ。


≪ディーナ、まさかあれをやるつもりじゃないだろうね≫


 信じられない思いで魔力感応フォドゥアを返すルシィーエットの表情は複雑極まりない。


 ルシィーエットにしてみれば、灼火重層獄炎ラガンデアハヴに比べて魔力消費も少なく、制御も比較的容易な碧焔浄麗封皇舞スフィリディルザの行使には何ら問題はない。むしろ魔霊人ペレヴィリディスを滅ぼすに最も適した魔術の一つとも言えるだろう。


(ディーナは清焔浄麗葬神舞アレケイディエムではなく、碧焔浄麗封皇舞スフィリディルザを指定した。それはすなわち)


 ザガルドアたちの前でミリーティエが妄念塊もうねんかいを浄化するために行使した清焔浄麗葬神舞アレケイディエムは、あらゆる不浄を焼き尽くして魂を解放する。魂の行き先は混沌こんとん輪還りんかんと決まっている。


 では、なぜニミエパルドとケーレディエズに清焔浄麗葬神舞アレケイディエムを用いないのか。理由は明々白々、二人が魔霊人ペレヴィリディスだからだ。


 レスティーがカイラジェーネの魂を混沌の輪還に送った力はまさしく異次元であり、人が主物質界で行使できる魔術ごときでは、核に封じられた魂を解放できない。


 だからこそ、碧焔浄麗封皇舞スフィリディルザをもって、核もろとも魂の全てを滅してしまうのだ。ヒオレディーリナにとって、まさに苦渋の決断だろう。


 二つ目だ。そのつもりはなくとも、願望がそのまま表情に現れていたのかもしれない。


「ええ、承知していますよ。私もディズも、貴女と戦うことなど望んでいません。それゆえに選ぶべき道も決まっています。ディズが、どのような形でも、と言ったとおりです」


 ヒオレディーリナは小さくうなづき、視線をケーレディエズに向ける。


「ヒオレディーリナ、私とニミエパルドの最後を見届けてくれる」


 言葉として発した後、ケーレディエズはくちびるだけを動かし、ヒオレディーリナに深い情愛をもって告げる。


<さようなら。私のお姉ちゃん>


 ヒオレディーリナは唇を強く噛み、視線を切るしかなかった。


 しゃがみこんでいるニミエパルドとケーレディエズは相対する格好で互いを見つめ合っている。


「ディズ、君に最後の愛を注ぐよ。そして、もしも生まれ変われることがあれば、再び君を愛したい。いや、必ず君をまた愛する。誓うよ」


 ニミエパルドの言葉にケーレディエズも応える。


「ニミエパルド、私を愛してくれて、まもってくれて有り難う。私も貴男に最後の愛を贈るわ」


 二人が選んだ方法、それこそが自害だ。魔霊人ペレヴィリディスの根幹を成す核を破壊すれば事は終わる。そのためには手刀をもって互いの心臓を貫き合い、核を破砕する。魔霊人ペレヴィリディス強靭きょうじんな力をもってすれば容易たやすい。


≪ディーナ、本当にこのような結末でいいのかい。あんたは納得しているのかい。心が悲鳴をあげているじゃないか≫


 ルシィーエットの緊迫感に包まれた魔力感応フォドゥアに即座に反応できない。


 選択肢に間違いがあったのだろうか。ヒオレディーリナは自問自答するも一瞬だ。この二つ以外に取れる手段は見つからない。ヒオレディーリナが主物質界最強といえど、所詮しょせんは人の範疇はんちゅうでしかない。


≪ルー、納得する、しないの問題ではないわ。この二人が添い遂げるには、これしかないのよ≫


 ルシィーエットはもはやため息しか出ない。


≪ディーナは既に知っているよ。二つ以外に取りうる、もう一つの方法こそが最善だとね≫


 ルシィーエットだからこそヒオレディーリナの心の奥底が見透みすかせる。その方法にすがりたい一方で、縋りたくない気持ちも同程度に強いヒオレディーリナの想いが理解できる。


 ルシィーエットの魔力感応フォドゥアが届くと同時、ヒオレディーリナが展開した覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェによる魔力障壁が一瞬にして消滅した。


 ヒオレディーリナとルシィーエット、二人の視線が障壁を強引に解除した張本人に注がれる。


 しつけという名のお仕置しおきが終わったのだろう。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを右手にしたフィアが風をまとって見下みおろしている。


≪フィア殿がここに来ているのはそのためじゃないのかい。ディーナ、あんたができないなら、代わって私が言葉にするよ≫

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