第340話:ヒオレディーリナの失踪の理由

 ヒオレディーリナは逡巡しゅんじゅんしている。ルシィーエットに代わってもらうなど言語道断だ。フィアに頭を下げるなど、なおさらもってのほかだ。


 ヒオレディーリナほどの強者であろうと、わずかな躊躇ためらいは決定的な差異を生み出してしまう。それはてして悪い方向と相場が決まっている。


 ニミエパルドとケーレディエズ、二人から視線を外していたヒオレディーリナは気づくのが刹那せつな遅かった。


 二人の核から制御不能なほどのすさまじい邪気じゃきがまたたく間にあふれ出す。


≪私はやられたらやり返す主義です。ルシィーエット嬢、二度も私を焼いた代償は高くつきますよ≫


 空間を越えて魔力感応フォドゥアが届く。直接名指しされたルシィーエットは無論のこと、ヒオレディーリナにもフィアにも明瞭にとらえられるほどの魔力圧だ。


≪まだ生きてたのかい。往生際おうじょうぎわの悪い男だね。灼青炎しゃくせいえんに耐えられるとは予想外だよ。私も耄碌もうろくしてしまったようだね≫


 自虐じぎゃくともいえる言葉とは裏腹に、ルシィーエットの顔は憤怒ふんぬに満ちている。


 灼青炎は主物質界最強の炎であり、焼き尽くせないものは存在しない。あらゆるものが瞬時にして無に帰すほどの超高熱炎だ。にもかかわらず生存している。考えられることといえば唯一だろう。


最高位キルゲテュールと同化しているわね。ここまで時間を与えすぎよ≫


 フィアが事もなげに言い放つ。ルシィーエットは憤怒の顔をゆがめて宙をにらみつける。


≪ディーナ、済まないね。この私の手でと思ったけど、仕留められなかったよ≫


 嘲笑ちょうしょうと共に声が降ってくる。


≪さすがルシィーエット嬢と褒めておきましょう。炎の威力があの時とは比べものにならない。ですが、私もさらに強くなっているのですよ。貴女を上回るほどにね≫


 声を聞いているだけで苛立ちがさらに増してくる。人の神経を逆なでするにけたこの男のことだ。まともに相手をするだけ無駄だ。


 ルシィーエットは強く唇を噛みしめている。この状況下で何もできない無力な己が無性に腹立たしい。


≪さて、この二人が最後の魔霊人ペレヴィリディスとなってしまいました。生かすも殺すも、お好きになさって結構です。せいぜい楽しんでください。私は忙しいのでね。これで失礼いたしますよ≫


 言いたいことだけを言って、早々に魔力感応フォドゥアを切ろうとする声の主をヒオレディーリナがすかさず制止する。


≪待ちなさい、ジリニエイユ。この二人が最後の魔霊人ペレヴィリディスと言ったわね。私を忘れないでもらいたいわ。それにお前を殺すのはルシィーエットではなく、この私よ≫


 ヒオレディーリナの魔力感応フォドゥアはジリニエイユ以外、ルシィーエットとフィアのみに伝播でんぱしている。それ以外の者に聞かせる必要性はない。


≪ヒオレディーリナ、とてもではありませんが貴女を魔霊人ペレヴィリディスと呼ぶわけにはいきませんよ。私の制御から完璧に逃れた存在、何よりも貴女は心臓をもって今なお生きているのですから≫


 ジリニエイユの言葉どおりだった。


 魔霊人ペレヴィリディスは死者の身体と魔霊鬼ペリノデュエズの核を合成して創り上げた殺戮さつりく兵器であり、ジリニエイユの秘術によって完全制御下に置かれている。


≪ニミエパルドとケーレディエズがどうなっているか。私を裏切った結果ですよ。貴女はこの原理からはぐれた唯一の存在です≫


 ジリニエイユはヒオレディーリナの強さに一目置いている。


 高位ルデラリズの核を埋めこみながら、なおも人として生きている。決して同化を許さない。そのような彼女と戦おうなどとはつゆにも思わない。


 ジリニエイユは愚かではない。彼我ひがの実力を知り、危険から遠ざかる知恵を有している。だからこそ、ここまで生き永らえているのだ。それはひとえに彼もまた強者であることを意味している。


≪私は最高位キルゲテュールと同化しています。それでも貴女と戦おうなどとは考えてもいませんよ。貴女とルシィーエット嬢の差異は、今さらながらに私が言うことでもないでしょう≫


 ルシィーエットよりも先だ。ヒオレディーリナが間髪入れずに魔力感応フォドゥアを飛ばす。


≪お前に戦う意思がなくとも、私にはお前を殺さなければならない理由がある≫


 ヒオレディーリナが何故なにゆえ魔霊鬼ペリノデュエズの核を受け入れたのか。その根本原因がここにある。


 いくらヒオレディーリナがエルフ属の中で最も不老不死に近い特異な存在であろうと、ゆるやかな老いからは決して逃れられない。老いはそのまま力の衰えに直結する。


≪私の愛する末妹まつまいを手にかけたかたきを探し出すため、何百年もの時間を放浪し、ようやく探し出した。それこそがジリニエイユ、お前だ≫


 ルシィーエットは無論のこと、反目はんもくし合っているフィアでさえ驚愕きょうがくの表情を浮かべている。


≪ディーナ、あんたが突然私の前から消えた理由は≫


 うなづく仕草だけで十分だった。


≪また異なことを。私が貴女の末妹を手にかけたとは、いかなることでしょう。そもそも、貴女に妹がいるなど初耳ですよ≫


 しらを切っているようには感じられない。目的のためには手段を一切選ばない男だ。殺した者たちのことなど覚えてもいないのだろう。


≪今からおよそ二百五十余年前、ルーに左腕を焼かれたお前はどこに逃げこんだ≫


 ジリニエイユからの返答はない。応えられないのか、あるいは応える意思がないのか。


≪お前に代わって私が応えよう。私の故郷たるタトゥイオドの里だ。その最奥に里の者でもごく一部しか立ち入れぬ禁足地きんそくちがある。お前はまもり手の一家に助けられ、かくまわれた。ここまで言えば、思い出しただろう≫


 なおも言葉は返ってこない。沈黙は肯定でもある。ヒオレディーリナは確信をもって最後の魔力感応フォドゥアを投げる。


≪私の可愛い末妹メルティエーラはまだ五十にも満たない年齢だった。彼女が生まれた際、私は身内で唯一、貴血の加護ザドゥロラナハを授けた≫


 ようやく反応が戻ってくる。


≪古代エルフ王国の中でも、極めて高貴なる者のみが行使できるとされる貴血の加護ザドゥロラナハ、それを貴女が成した。まさか、貴女は≫


 貴血の加護ザドゥロラナハを知っているなら話が早い。それがもたらす効力が何を意味するか、ジリニエイユには理解できただろう。


≪もはやお前は私から逃れられない。首を洗って待っているがよい。必ず殺してやる≫


 ヒオレディーリナの右手が光のごとき速さで動き、覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェ一閃いっせんする。同時に互いの魔力感応フォドゥアも途切れる。


 ジリニエイユがいたであろう宙めがけて覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェの衝撃音が翔け抜けていく。


 ヒオレディーリナとジリニエイユの思いもよらない対峙たいじをよそに、ニミエパルドとケーレディエズの核からは止めどなく邪気が溢れ出している。


≪ヒオレディーリナ、いつまで私をこき使うつもりなの。この二人の対処は任せたと言ったはずよ。これ以上の邪気の放出は≫


 反目している二人であっても、目的をいつにするなら成すべきことは確実に成す。互いに認め合っている二人だからこそ、皆まで言わせない。


≪悪かったわね。この二人を制御してくれて感謝するわ、フィア。あとは私が責任をもって対処する≫


 礼など不要とばかりに軽く手を振ってフィアが身をひるがえす。風に乗ったフィアの姿が上空へと舞い、手にした皇麗風塵雷迅セーディネスティアを緩やかにぐ。


 直後、風嵐渦ヴァルビヨンが立ち上がり、ヒオレディーリナ、ニミエパルドとケーレディエズ、そしてルシィーエットを内包していった。


 セレネイアたちのいる場所からでは何が起こっているのか全く視認できない状態だ。


≪余計なことを。私を誰だと思っているのよ≫


 そうは言いながら、満更まんざらでもないようで、ヒオレディーリナはわずかに笑みを浮かべている。そこにフィアの追撃が来る。


≪あら、千魔剣の女王ミレヴルティアにおかれてはお気に召さなかったようで≫


 途端に顔をしかめるヒオレディーリナをフィアはさも愉快そうに眺めている。


≪フィア、上等よ。あとで勝負してあげるわ。大人しく待っていなさい≫

≪それは楽しみね。その前に成すべきことを成しなさい。ヒオレディーリナ、私に頭を下げる気になったのなら、いつでもそうしていいわよ≫


 仏頂面を浮かべたヒオレディーリナとの魔力感応フォドゥアを切ったフィアの意識は、既に彼方で待つ者とつながっている。


 ヒオレディーリナでさえ捉えられない特殊な魔力感応フォドゥアはフィアのみが行使できる。これこそがフィアがフィアたる所以ゆえんなのだ。


≪急ぎなさい、ヒオレディーリナ。もう時間がないわよ≫


 風嵐渦ヴァルビヨンに包まれたヒオレディーリナの眼前で、ニミエパルドとケーレディエズがうずくまったまままの態勢を維持している。


 二人は漆黒しっこくの邪気に覆われ、比例するかのごとく殺戮衝動が大きくなっている。魔霊鬼ペリノデュエズの本能はまさしく弱肉強食だ。強い方が弱い方の核を奪い取り、吸収することでさらに強くなっていく。


 二人は辛うじて残った人としての自制心によって邪気を制御しているものの、限界に近づいている。これ以上、邪気がふくれ上がれば、すぐにでも最終段階に突入だ。


 恐らくは、ニミエパルドがケーレディエズの核を奪い去り、高位ルデラリズの核二つ分の強さをもってヒオレディーリナとルシィーエットに容赦なく襲いかかるだろう。


 そうなってしまえば、二人に取れる手法は一つしかない。

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