第341話:哀しき結末と真の望み

 ヒオレディーリナの視線がルシィーエットに向けられる。お互いのうなづきをもって速やかに合意が形成される。


「ニミエパルド、ケーレディエズ、核を制御しなさい。愛し合う二人ならできるはずよ。二人で過ごした幸せな時を思い出しなさい」


 ヒオレディーリナは至って冷静に言葉を投げかける。それでいて心に強く響く。言葉は言霊ことだま、そこに微細な魔力を乗せている。ヒオレディーリナの魔力が二人の心に浸透することで制御の一助となる。


 言霊に魔力を乗せる魔術は本来、生者にこそ効果を発揮するものだ。果たして魔霊人ペレヴィリディスに対し、想定どおりの効力を発揮するかは分からない。


(二人は魔霊人ペレヴィリディスの中で最も人らしさを残している。ならば私の魔力によって)


 駄目だった場合はどうするのか。ヒオレディーリナの中では結論が出ている。


 制御できず、どちらか一方が核を標的に攻撃を仕かける前に、覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェをもって滅する。魔剣アヴルムーティオを振るえば、相手が魔霊人ペレヴィリディスであろうと確実に核を破砕できる。


 二人を覆う邪気じゃきの強さが一段階上昇した。ヒオレディーリナは心を鬼にして覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを握る右手に力をめる。


 そこに声が届く。


「お、お願い、ヒオレディーリナ、私を、私たちを殺して」


 ケーレディエズがささやくと同時、邪気を色濃くまとうニミエパルドの自制心が遂に崩壊する。すさまじい勢いで右腕がケーレディエズの核めがけて伸びる。


 それを許すヒオレディーリナではない。覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェが目にも止まらぬ速度でけ、ニミエパルドの右腕をまたたく間にり落とす。


 強力な邪気で構築された肉体は濃緑のうりょくの血を流すことも、痛みを感じることもない。続けざまに繰り出した左腕が同様の結末を迎える。


 魔霊鬼ペリノデュエズ特有の深紅に染まったニミエパルドの瞳からは、両腕を失ってなお攻撃性が消えていない。一方で人としての心はまだ完全に死んではいない。


「に、逃げろ、ケーレディエズ。このままでは、私は。早く、ヒオレディーリナのもとへ、早く」


 ニミエパルドは浸食にあらがい、懸命に戦いながら、ケーレディエズに向けて言葉を絞り出す。まれたら一巻の終わりだ。それでなくとも既に身体全体が邪気に覆われてしまっている。


「私はどこにも行かないわ。ニミエパルド、もう終わりにしましょう。一緒に死んで。ここまで邪気が強まれば、もはやできることはないわ」


 既に自らの意思をもって核を破壊することもかなわない。裏切りの代償、ジリニエイユが施したかせによる強制力は、二人の意思をはるかに凌駕りょうがしている。


 ケーレディエズが残された自制心の全てをき集め、邪気の浸食を何とか食い止めつつ、どうにかニミエパルドを両の腕で力強く抱き止める。


「今よ。二人一緒に。頼めるのは貴女しかいないの」


 懇願こんがんの瞳が突き刺さる。もはやここまでとばかりにヒオレディーリナは覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを振るいかける。


「人である部分が残っているうちに、一緒に死なせて。お願い、お姉ちゃん」


 耳朶じだを震わすこの言葉によって、あり得ないことが起こってしまった。ヒオレディーリナの動きが止まってしまっている。


「まずい、ディーナ」


≪馬鹿、何やってるのよ≫


 ルシィーエットとフィアの叫びが重なる。二人の声すら今のヒオレディーリナには届かない。


 ケーレディエズの両腕に縫い止めらたニミエパルドの邪気がなおも活性化していく。振り払わんと藻掻もがくニミエパルドの元来の身体能力は、ケーレディエズに比べて圧倒的に上だ。たとえ両腕を斬り落とされていようとも膂力差りょりょくさは明白だった。


 ケーレディエズの両腕がはじけ、身体ごと後方に吹き飛ばされていく。


≪そこで躊躇ためらうなんて。死にたいの≫


 この状況で動けるのはフィアだけであり、フィアが動かなければ間に合わない。


 標的をケーレディエズからヒオレディーリナに切り替えたニミエパルドが素早く立ち上がる。いつの間にか、り落としたはずの両の腕が膨大な邪気によって再生を終えている。


 ニミエパルドは深紅の瞳をあやしく輝かせ、いささかの躊躇いもなく両の腕を一直線にヒオレディーリナの胸めがけて突きこんでいった。


 ヒオレディーリナは抜刀ばっとう状態で覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを右手に握っている。魔剣アヴルムーティオであるがゆえに至近距離からの振り抜きにも何ら支障はない。


 問題はわずかながらに生じた遅滞だった。それは致命の遅滞でもある。


 咄嗟とっさの判断、ヒオレディーリナは覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを振るうよりも、後方に飛び退すさる方法を選んだ。


 遅滞の分だけニミエパルドの攻撃が先に届く。ヒオレディーリナの胸を貫通せんと、両の指先がかすかに触れるや、鮮血が勢いよく飛び散る。ヒオレディーリナに魔霊鬼ペリノデュエズの浸食は通用しない。それでも出血は確実に正常な動きを阻害する。


≪らしくないわね。逡巡しゅんじゅんした挙げ句に選択を誤るなんて。助けてあげるから恩に着なさい≫


 フィアの声が脳裏に響く。


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを握ったままのヒオレディーリナは、鮮血の中に光るものをた。


(水滴、ニミエパルド、お前は)


 直後、上空より凄まじい雷撃が十重二十重とえはたえとなって降り注ぐ。ヒオレディーリナはさらに距離を取るため、自身の身体に風を巻いてはるか後方へと飛んだ。


 着地と同時、上空をめつける。


≪フィア、私ごと殺すつもり≫


 雷撃の正体は、もちろん皇麗風塵雷迅セーディネスティアだ。フィアは何もしていない。皇麗風塵雷迅セーディネスティアの意思にゆだねている。


 はるか上位の存在たるフィアの意思は全てにおいて優先される。皇麗風塵雷迅セーディネスティアはその裁量内で自由に動いたにすぎない。


≪フィア様の意思はそれの動きを封じ、貴女をまもることよ≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティア魔力感応フォドゥアが届く。ヒオレディーリナとフィア、互いにいだく思いは同じだ。


(余計な真似をしてくれる)


 ヒオレディーリナはフィアの好意そのものに、フィアは皇麗風塵雷迅セーディネスティア魔力感応フォドゥアに対して。


 反目し、毛嫌いしている二人はいびつでありながらも、どこかで互いを信頼している。それゆえに強者として並び立てるのだ。


「ごめん。待たせたわね、ニミエパルド。すぐに楽にしてあげる」


 いつしかケーレディエズがニミエパルドの背後に立っている。その右腕がニミエパルドの心臓部分、すなわち核を穿うがって突き抜けている。


 ヒオレディーリナとケーレディエズの視線が交差する。ケーレディエズの瞳にも光るものが浮かんでいる。


「お姉ちゃん、有り難う」

「ディズ、ごめんね」


 二人の発した言葉が空に消えていく。フィアは黙したまま見つめるだけだ。


 ヒオレディーリナが静謐せいひつの内に覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを掲げる。


(あの構えは。そう、あれをやるつもりなのね。哀しいわね、ヒオレディーリナ)


 フィアの感情はそのまま彼方かなたへと繋がっている。


≪なぜ頼まないのよ。これが貴女の望む結末だとでも言うの。そうではないでしょう≫


 ヒオレディーリナの右手がおもむろに振り下ろされる。


 音もなく、色もなく、匂いもなく、さらには感情もなく、覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェの前に広がるのは虚無だ。


 ヒオレディーリナの秘奥義の一つ、光寂無量滅零淨プリュミフィリテアは相手に一切を悟らせない。気づいた時には全てが終わっている。肉体は無論のこと、細胞ごと無に帰している。


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェが最下段まで落ちきれば秘奥義は完遂する。る剣技ではない。故に力も勢いも不要だ。


 光が天空から大地へと抜けていく。


(これしかしてあげられない。お姉ちゃんを許してね)


 切っ先が最下段に到達するその刹那せつなだ。フィアが展開していた皇麗風塵雷迅セーディネスティアによる風嵐渦ヴァルビヨンが消え失せ、完全ななぎへと移行する。


 さえぎられていた視界が途端に戻ってくる。眼前に広がる光景を前にして、セレネイアとトゥウェルテナの声が重なった。


「レスティー様」


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェの剣身は落ちきる寸前、レスティーの右手の指二本にはさまれた状態で静止を余儀なくされている。


 ニミエパルドとケーレディエズもまた同じく、完全に硬直した状態で、動きそのものが封じられていた。


「ど、どうして、ここに」


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを握るヒオレディーリナの右手から力が抜けていく。


「私は言っておいたはずだ。そなたが望むなら、いかなる時であろうとも力を貸そうと」


 レスティーは振り返らず、上空のフィアに視線をかたむける。それだけで十分だった。


 フィアの手から皇麗風塵雷迅セーディネスティアが落ちていく。いや、落ちるというよりも意思をもって離れると言った方が正しいだろう。


≪主様、主様、お逢いしたかったです≫


 歓喜、興奮、憧憬しょうけい、緊張、様々な感情が入り乱れて皇麗風塵雷迅セーディネスティアから発散されている。


「ディーナ、覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを納めよ。そして、そなたの真の望みを聞こう。この者たちをどうしたい」


 右手でつかんでいた剣身を離すと同時、レスティーの左手は皇麗風塵雷迅セーディネスティアを受け止めている。


 真の主の手に収まった皇麗風塵雷迅セーディネスティアの剣身が震えている。


「私は、私は」


 言葉が喉につかえて出てこない。フィアからる今のヒオレディーリナは幼児おさなごにも等しい。


(まるで泣いている子供ね。私の愛しのレスティーの前だもの。貴女も私と同じ、仕方がないわね)


 フィアの感情がヒオレディーリナに向けられている。


 レスティーは眼前に立ったまま微動だにしない二人の魔霊人ペレヴィリディスに対象を切り替えた。


「その方らは何を望む」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る