第342話:二人の真の望み

 レスティーは言外に告げている。


 魔霊鬼ペリノデュエズの核を放置するほど甘くはない。即刻破壊すべきものであり、猶予を与える余地は皆無だ。


 人族と深く交わる前のレスティーなら、問答無用で速やかに対処していた。望みなど聞くまでもなくだ。


≪フィア、私は何をしているのだろうな。かつての私では考えられなかった。魔霊鬼ペリノデュエズを前にして話を聞くなど、愚かな行為に他ならぬ≫


 相手がフィアだからこそ、レスティーも心の一部を打ち明けている。二人の繋がりはそれほどに強固なのだ。


≪私の愛しのレスティーは、初めて出逢ったときから何も変わっていないわ。誰よりも深い愛を知る偉大な存在のままよ。愛にはありとあらゆる感情が詰まっている。私の愛しのレスティーの心には、その全てがあるもの≫


 滅するにしても、無慈悲でありながら、そこには必ず何かしらの感情が乗せられている。たとえ無意識であったとしてもだ。


 レスティーは敵味方の関係なく、おのが前から消えていった全てを覚えている。この先も絶えず増え続けていく。それこそが超越者たるレスティーの宿命でもあるのだ。


(私の愛しのレスティー、その心には哀しみという名の雪が絶えず降り続き、果てなく積もっていく。私ごときでは想像もつかないほどよ。哀しみの一端でも担えるなら、私は喜んでこの身を)


 フィアの心の想いは固く閉じていても、レスティーの前では筒抜け状態だ。


≪キアラルヴュルと同じことを言うのだな。悠久の刻を流れる者の宿命でもあり、余人に担わすものでもない。フィアの気持ちはただただ嬉しく思う≫


 フィアは感慨深げに、レスティーが名を呼んだ男の顔を思い出している。レスティーによって藍碧月スフィーリア始原しげんの力を与えられし初代賢者にして、今しがたモレイネーメに聖域管理者の任を委ね、混沌に還ったばかりだ。


 フィアも彼の魔力波を久方ひさかたぶりに感じ取っていた。イエズヴェンド永久氷壁の魔力に大きな変質が生じたからだ。しかも、彼の魔力とは別の異質な魔力が複数混じっている。フィアが気づくのは当然といえば当然だろう。


≪そう。キアラルヴュルは混沌にかえったのね。見事に己が使命を果たした。羨ましくもあるわね。これで残るは≫


 レスティーとフィアの邂逅かいこうは、始原の力を生み出すはるか以前にまでさかのぼる。幾つもの界を渡れるフィアもまたレスティーと同様、過去に多くの者を見送ってきている。また一人、フィアの知った者が去っていった。


≪フィア、そなたは自由なのだ。私と同じ刻の中を歩む必要はない。寂しさを感じるのであれば≫


 レスティーも本位で言っているわけではない。


 死が覆い被さろうとする寸前のフィアを救った事実は事実として、レスティーは一度たりとも、ついてこいなどと強制したこともなければ、そもそもその場で別れるつもりだった。ついていくと決めたのはフィア自身の強い意思だ。


 珍しく、フィアが怒りの感情を直接ぶつけてくる。風は荒々しく、即座に嵐と化して強く吹きつける。


≪主様、いかがなされますか≫


 左手の皇麗風塵雷迅セーディネスティアが対抗意識もき出しに、確認を求めてくる。


 魔剣アヴルムーティオの状態である限り、皇麗風塵雷迅セーディネスティアが全力を振るおうともフィアにかなう道理はない。あくまで魔剣アヴルムーティオだったらの話だ。今は真の主たるレスティーの手にある。


≪いや、構わぬ。私の前では微風に過ぎぬ。フィアも分かっている≫


 せっかくよいところをせようとしていた皇麗風塵雷迅セーディネスティアの意気消沈ぶりが何とも愛らしい。


≪あらあら、真の主様の前で活躍したかったのね。残念だったわね。私たちの妹は何て可愛らしいのでしょう≫


 イェフィヤにカラロェリも同調しながら、若干辛辣しんらつではある。


≪些羞恥。是非無≫


 イェフィヤの苦笑が伝わってくる。


≪それにしても羨ましいわね。あの子が真の主様の御手みてにあるのは≫


 すかさずカラロェリも反応を返してくる。


≪多同意≫


 吹き荒れる嵐のことごとくが、レスティーに到達する直前で柔らかな微風へと転じていく。こうなることが分かったうえで風を投げつけるフィアの機嫌は未だに直らない。


(ここまでねたフィアは久しぶりだな)


 レスティーの判断は早い。フィアには後でゆっくりと構ってやればよい。まずは目の前の急務を片づけてからだ。


「遠慮なく言うがよい。私にできる範囲において叶えてやろう」


 レスティーの圧がけたことで、拘束状態にあったニミエパルドとケーレディエズにようやく自由が戻る。あまりの圧に息苦しささえ覚えていた二人は、安堵の息を大きく吐いた。


「貴男はいったい何者なのですか。圧倒的な強さを誇るヒオレディーリナが、貴男の前ではまるで幼児おさなごのようです。私には貴男の力の片鱗へんりんしかえませんが、ジリニエイユなど足元にも及びません。それほどまでに」


 レスティーの瞳に射貫かれたニミエパルドは言葉を失う。すぐ横に立つケーレディエズは恐怖からか震えている。


「私が誰かなど、無駄話はよい。その方らは既に人族としてのことわりを失っている。望みがないのであれば、速やかにめっしてやろう」


 ケーレディエズの反応は至極当然であり、目の前に立つ男と自分たちとでは次元が違いすぎる。身体に自由が戻ったとはいえ、逃げるに逃げられない、まさにへびにらまれたかえる状態だ。


「望みを、望みを、叶えていただけるのですか」


 ケーレディエズが声を振り絞ってレスティーに尋ねる。身体同様、その声は異様なまでに震えている。


 魔霊鬼ペリノデュエズにとって、レスティーは恐怖以外の何ものでもない。りこまれた本能が忌避感を覚えているのだ。


「先ほどからそう言っている。その方らは理由はともあれ、魔霊鬼ペリノデュエズの核を持つ者、すなわち私にとって滅すべき対象だ。一方でディーナにあのような顔はさせたくない」


 ケーレディエズとニミエパルドの視線が、レスティーの背後で今にも泣き出しそうになっているヒオレディーリナに向けられる。


「ヒオレディーリナ、私のお姉ちゃん」


 レスティーは振り返らない。ヒオレディーリナがどのような表情をしているかは視るまでもなく把握できる。


「ディーナとその方は、偶然にも姉妹という点で結びつけられた。ディーナは妹を、その方は姉を失っている。それも二人を強固に結びつけた要因であろう」


 血のつながりなど必要はない。互いの中に姉、妹を見出したのだろう。それで十分だ。


 レスティーは余計な言葉だと知りながらも、あえて口にしたのだ。ヒオレディーリナを、ケーレディエズを促すために。


「私は、私たちは死を選びました。ニミエパルドの核は私が貫いたことで、まもなく崩壊するでしょう。私もヒオレディーリナの手にかかって死にたい。今の今まで、それだけを願っていました」


 ニミエパルドの身体は手足の先から崩壊を始めつつある。


 ジリニエイユのかせは最終的に核を内部から破壊し、時間をかけて苦しみを与えながら最終的に自滅へと追いこむ。その前にケーレディエズが貫いたことで、緩やかな崩壊を迎えている。


 ケーレディエズの核はなおも健在だ。今のケーレディエズはニミエパルドへの、ヒオレディーリナへのひたむきな思いだけで、何とか核の制御を手放さずに耐えしのいでいる。


 それももはや時間の問題だ。ジリニエイユの術が完璧に発動すれば、またたく間にケーレディエズの身体も崩壊していく。


≪主様、この娘も限界です≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアあせりの声が響いてくる。レスティーは言葉ではなく、目で先を促す。


「もしも叶うなら、お姉ちゃんのそばにいたい。少しでもお姉ちゃんの力になりたい。どのような姿になっても構わない。お姉ちゃんと一緒にいられるなら」


 ケーレディエズの懇願はレスティーを通り越して、ヒオレディーリナに到達する。


「ディズ、貴女はそこまで」


 レスティーの視線がケーレディエズからニミエパルドに向けられる。


「ケーレディエズの意思は私の意思でもあります。二人で一緒にいられるなら、私にそれ以上の望みはありません。どうか貴男の御力をもって叶えていただけないでしょうか」


 レスティーに一切の逡巡しゅんじゅんはない。驚きもない。ケーレディエズの言葉は想定どおりだったからだ。


「その方らの望みを叶えよう。ただし、肉体は失せる。その方らに残された人としての心を形にしてディーナと共に歩ませてやろう」


 二人が大きく頷くのを待って、ようやく振り返ったレスティーがヒオレディーリナに問いかける。


「ディーナ、それでよいな。異論があるなら聞こう」


 レスティーとは違う。わずかな躊躇ためらいの、それから緩やかに首を横に振る。


 再度の確認のため、今度は言葉ではなく直接ヒオレディーリナの瞳の奥をのぞきこむ。ヒオレディーリナがいくら心を閉ざそうとも、レスティーの瞳は全てを見抜く。


 それを承知のうえでヒオレディーリナもまた真正面からレスティーを見返す。


「始めよう。来るがよい」

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