第343話:三人と三姉妹と三美と 前編

 レスティーの言葉が言霊ことだまとなって空をける。


"Sarimmeni flammir, vaweree, vidisr ietbudetty."


 誰に対してのものなのか、分かるものだけが反応できる。


 主物質界における言語ではない。ヒオレディーリナはもちろんのこと、フィアでさえも理解できない、レスティーのみが扱える超高度かつ難解な言語だ。


≪大歓喜。我亢昂奮≫


 トゥウェルテナのもとに戻っていた湾刀の一振りが勢いよく空へとけ上がる。トゥウェルテナの左手が持っていかれそうなほどだ。湾刀の剣身部分からすさまじい熱を放出している。カラロェリだった。


≪貴女まで。本当に仕方がないわね。そういう私でさえ、我慢できないもの≫


 さすがに長姉たるイェフィヤは少しだけ冷静だ。今の主たるトゥウェルテナに静かにささやきかける。


≪トゥウェルテナ、少し離れるわ。真の主様に呼ばれているの。その代わり、よいものを見せてあげる≫


 トゥウェルテナも理解している。真の主が誰なのか、さらには自分に止める権利などないということも。


≪よいものねえ。じゃあ期待しているわあ。ねえ、イェフィヤ、カラロェリと一緒に戻ってくるわよね≫


 トゥウェルテナの問いには応えられない。戻るかいなか、決められるのは真の主のみだ。


 カラロェリと異なり、イェフィヤは名残惜しそうにゆっくりとトゥウェルテナの右手から離れていく。


≪その問いには応えられないわ。分かっているでしょう≫


 わずかに哀しげな表情を浮かべたトゥウェルテナが小さくうなづく。


≪分かってるわよお≫


 カラロェリの後を追って空を駆けるイェフィヤは、素直で一途なトゥウェルテナの思いを感じ取っている。


(真っすぐだけど、どこか覚束おぼつかない。だからでしょうね。放っておけないのよね)


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアは変わらずレスティーの左手にある。空いた右手にまずはカラロェリが飛びこむ。音もなく受け入れたレスティーは、続けざまに飛翔してくるイェフィヤをも受け止め、ここに魔剣アヴルムーティオの三姉妹が真の主の手元にそろった。


「最終解放してやりたいところだが、ここでは叶わぬ。第一解放状態で許せ」


 両手を掲げたレスティーの頭上で魔剣アヴルムーティオの三姉妹が重なる。


"Demnfer oersfet byjer tilsij pienyatoz."


 三色の光が一束ひとたば奔流ほんりゅうとなって闇を切り裂きながら荒れ狂う。


 イェフィヤから炎が、カラロェリから熱が、皇麗風塵雷迅セーディネスティアから風が分かたれた後、三振りの魔剣アヴルムーティオが消失する。


 同時にそれぞれが人の姿をまとっていく。


“Fiorytes udago vijsee.”


 後方からヒオレディーリナのつぶやきがれる。


「魔剣の第一解放、炎が、熱が、風が、人へと変じていく」


 ヒオレディーリナでさえ、解放そのものをおのが目で視るのは初めてだ。たとえ第一解放であろうと、ここまで神々こうごうしいとは想像を絶する。


 まさに、フィアをラ=ファンデアから解放した時と全く同じ現象が起きている。レスティーの言霊が炎、熱、風に溶けこみ、それぞれが優美に人化しているのだ。


 ここに集うあらゆる者が茫然ぼうぜん自失のていで見つめるしかできない。言葉は完全に失われ、息をすることさえ忘れそうになる。それほどまでの神秘的な光景なのだ。


「あれがイェフィヤ、カラロェリの姿なのね。嫉妬しっとさえかないほどに美しすぎるわ。あんなの反則よねえ」


 皆が相槌あいづちを打つ中、やはり真っ先に反応するのはマリエッタだ。


「これなら剣を持てない私でも。イェフィヤ、何て綺麗なの。炎の全てがきらめているわ。ああ、ほしいなあ。セレネイアお姉様、私も魔剣アヴルムーティオがほしいです」


 トゥウェルテナ同様、人化しつつある皇麗風塵雷迅セーディネスティア視惚みとれていたセレネイアは返す言葉にきゅうしている。


 代わって、すかさずシルヴィーヌが一蹴する。


「マリエッタお姉様には無理ですわね。よいですか、お姉様。魔剣アヴルムーティオを人化させるなど、レスティー様以外の誰にできるとお思いですか」


 腕を鋭く振って、レスティーたちのいる方向を指す。


「三振りの魔剣アヴルムーティオを自在に操ったヒオレディーリナ殿でさえ、あのような状態なのですよ。それに過ぎた力は己が身を滅ぼすだけです」


 辛辣しんらつながらまさしく正論、マリエッタの願望はシルヴィーヌの前に木っ端微塵にくだかれる。妹に完膚かんぷなきまでにやりこめられたマリエッタは、気負けしながらも反論だけは忘れない。


「だって、ほしいものはほしいのよ。それに今のイェフィヤこそが、私の魔術師としての究極の理想だもの。目指すものはね、大きければ大きいほどよいのよ」


 シルヴィーヌは完全にあきれ返っている。


(こんな言葉づかいは許されないのですが、我が姉ながら、こいつ何言ってんだ、ですわよ。マリエッタお姉様らしいと言えばそれまでなのですが)


 しっかり者のシルヴィーヌ、表に出して発する言葉とそうでないものを区分している。


「マリエッタお姉様、大言壮語たいげんそうごは好きに言ってくださってよろしいのですが、お姉様はいつから魔術師になると決まったのでしょう。仮にも第二王女なのですよ」


 妹二人の応酬はなおも続く。


「ちょっと、仮にも、って何よ。私は正式な第二王女よ。それに第二王女が魔術師になってはいけないという国法でもあるの。どうなのよ、シルヴィーヌ」


 しっかりやり返すマリエッタだった。セレネイアは完全に止める時機をしっしている。


「貴女も苦労しているのね。でも、にぎやかで可愛いじゃない。妹っていいわね」


 セレネイアの肩を軽く叩いたトゥウェルテナが柔らかな笑みを浮かべている。トゥウェルテナの言葉に頷きつつも、セレネイアは全く違うことを考えている。


(トゥウェルテナ殿、本当に不思議な御仁ごじんです。強く、しなやかで厳しさを併せ持つ。そして美しい。十二将の方々は揃って容姿端麗だと聞きますが、私が知るのは他にはヴェレージャ殿とフィリエルス殿のみです。あのお二人も間違いなく)


 トゥウェルテナは目の前で人化していくイェフィヤとカラロェリを視て、反則だと言った。


 セレネイアもまた目の前のトゥウェルテナを、さらには遠くにいるヴェレージャとフィリエルスを思い浮かべて、反則だと言いたくなっている。


 それは明らかに女としての思い、いわば嫉妬に近いものだろう。以前のセレネイアでは考えられなかった感情の発露はつろだ。


「どうしたのよ。そんなに見つめて。私の顔が気になるの」


 あまりに凝視していたのだろう。怪訝けげんに感じたトゥウェルテナが尋ねてくる。


「し、失礼いたしました。私はマリエッタとシルヴィーヌを止めてきます」


 頭を下げてこの場を離れようとするセレネイアを呼び止める。


「セレネイア、表に出すべき感情はしっかり出しなさい。そうしないと身体が持たないわよ。優しいお姉さんからの助言よ」


 大人の余裕か。トゥウェルテナが片目を軽くつぶって応える。もう一度、深く頭を下げたセレネイアは無言のまま二人の妹を止めに入った。


「マリエッタ、シルヴィーヌ、いい加減にしなさい。本当に困った子たちね」


 三姉妹たちのひと騒動をよそに、既に人化を完了させた魔剣アヴルムーティオの三姉妹が色も鮮やかに、真の主たるレスティーの命を待っている。


 深紅に染まったイェフィヤは三人の中央に位置している。腰まで伸びた長髪が炎と共に踊り、そのたびに熱さを全く伴わない火の粉が舞い散る。


 イェフィヤの右手に位置するカラロェリは一転して、複数の色を纏っている。今のカラロェリは静の状態であり、低温を示す淡藍うすあいが身体の主体色だ。イェフィヤ同様の長髪が宙に浮かび上がり、髪同士が触れ合うたびに弾け、穏やかな熱を発散している。


 イェフィヤの左手、皇麗風塵雷迅セーディネスティア薄鮮緑はくせんりょくに覆われている。フィアの第一解放状態は透き通るほどに淡く美しい薄青碧はくせいへきだった。


 同系色ながら、皇麗風塵雷迅セーディネスティアはフィアよりもはっきりとした緑に染まっている。二人の姉と違って、肩にかかる程度の短めの髪が無邪気になびいている。相当に機嫌がよいのだろう。


「恐れをいだく必要はない。その方らの肉体は三美さんびの力によって核ごと無に帰す。封じられた魂は解放され、相応ふさわしき姿へと再構築される」


 ニミエパルドとケーレディエズもまた眼前の光景に圧倒されている。


「再構築、いったいどのように」


 ニミエパルドの唇から言葉が漏れる。


「その方らの力に応じたものになる。どうやら適正はあるようだな」


 ニミエパルドもケーレディエズも、レスティーの言葉の意味が全く分からない。できないながらも、もはや人としての領域をはるかに超えていることだけは理解できた。


≪主様、僭越せんえつながら申し上げます。男は私の力が、女は末妹まつまいの力が相応しいかと存じます。仕上げは次妹じまいに委ねたく、お許しをいただけますでしょうか≫


 イェフィヤの魔力感応フォドゥアにレスティーは、カラロェリと皇麗風塵雷迅セーディネスティアにも届く言葉として即座に承諾を返す。


≪よいだろう。そなたの、そなたたちの力を視せよ≫


 歓喜に満ちあふれた三美のうち、まず動くのはイェフィヤと皇麗風塵雷迅セーディネスティアだ。


 美の炎がニミエパルドに、美の風がケーレディエズに迫る。二人は恐怖のあまり顔面蒼白そうはく状態で立ち尽くすしかできない。さすがにレスティーも気の毒に思ったのだろう。


「痛みも苦しみもない。身を委ねよ。その方らは炎と風になって、ディーナと共に」


 最後の言葉で、まずはケーレディエズの覚悟が決まった。美の風の力が彼女を瞬時に包みこむ。レスティーの言ったとおり、苦痛など一切ない。感じるのは心地よさと、窮屈な肉体のわずらわしさからの解放だ。


 ニミエパルドも遅れてケーレディエズにならう。美の炎の力がニミエパルドの足元から立ち上がり、全身を覆い尽くすと同時、肉体が音もなく消滅していく。

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