第335話:炎の女王の魔術

 音が消え、静まり返った大地に闇が押し寄せてくる。その時が徐々に近づいてきている。


「全くろくなことしかしない男だね。やはり、探し出してでもとどめを刺すべきだったよ」


 ただ一人、言葉を発したルシィーエットの灼赤しゃっかの髪が逆立っている。怒り沸騰は明々白々であり、それが因縁の相手でもあるジリニエイユならばなおさらだ。


 ヒオレディーリナの視線がルシィーエットに向けられ、すぐにニミエパルドとケーレディエズに注がれる。


(嫌な記憶をよくぞ呼び起こしたわね。そう、私は三つ目の制約を課していた。貴女はそれを自力で破った。見事よ、ディズ)


 ニミエパルドの様子が明らかにおかしい。これまでとは一転しているのだ。


 終始、己を楯にしてケーレディエズを護り続けてきたニミエパルドがひざからくずおれ、その背にケーレディエズが覆い被さるようにして護っている。


「そんな馬鹿なことが。ケーレディエズ、今の話は真実なのか。本当に我らが神がされたことなのか」


 混乱するのも無理はない。ニミエパルドもケーレディエズもジリニエイユを神とあがめ、最大の感謝の念をいだいてきた。それが今の話で完全にひっくり返ったのだ。


 ジリニエイユからすれば、二人は目的を達成するための単なる実験体でしかない。魔霊鬼ペリノデュエズの核を埋めこむに適した因子を有していた。それだけの存在だ。まさしく駒以外の何ものでもなく、駒は強力であればあるほど都合がよい。


「ニミエパルド、これで理解したわね。ジリニエイユは神などでは決してない。あの男は己以外の全てをはるか下に置いている。最高位キルゲテュールとて同じ扱いよ」


 ヒオレディーリナの言葉はニミエパルドに届かない。


 今、ニミエパルドを支配しているのは疑心暗鬼だ。これまで信じていたことが根底から覆されようとしている。信じたくない想いと、ケーレディエズが嘘を言うはずはないという想いが心の中でせめぎ合っている。


「私の話したことが全てであり、そして真実よ。ジリニエイユは私たちを実験体として究極の兵器たる魔霊人ペレヴィリディスを創り上げた。今、私たちを動かしている核は、低位メザディムから始まり、中位シャウラダーブを経て高位ルデラリズへと至った。その過程で私たちは」


 その先の言葉が喉に詰まって出てこない。当然だろう。ジリニエイユが己にとって不都合な話をさせるはずもない。


 埋めこんだ核には縛りがほどこされている。その証拠に裏切り者と認定されたケーレディエズの左手先が崩壊を始めている。このまま手をこまねいていたら、あっという間に全身へと広がっていく。


「ケーレディエズ、あらがいなさい。私の血を受けた貴女なら、できないはずはない」


 呆然ぼうぜん項垂うなだれていたニミエパルドがヒオレディーリナの言葉を受け、さらにケーレディエズの様子を見て、たちどころに正気に戻る。ようやく真実がどこにあるのか理解できたのだろう。


「ああ、ケーレディエズ、何ということだ。私はまた君を護れないのか。なぜだ。なぜなんだ。私はそれほどまでに無力なのか。三度も君を」


 負の心は邪気じゃきを活性化する。ジリニエイユが探し求めた因子を持つ者とは、心の内に強烈な負の想いを抱えている。


 想いが強ければ強いほど、深ければ深いほど、くらよどんだ憎悪ぞうお怨恨えんこん嫉妬しっとなどへ昇華し、それらはいずれ殺戮衝動の起点となる。そうなれば、もはや後戻りできない。


「駄目よ、ニミエパルド。邪気が強まっているわ。負の感情を抑えて。私の心配は要らないから。なぜなら、私の中にはあの人の、ヒオレディーリナの血が入っているから」


 二度あることは三度ある。ケーレディエズを絶対に失いたくない。その想いだけがニミエパルドを支えている。どんなことをしてでも護る。彼が魔霊人ペレヴィリディスになってまで生き永らえている矜持きょうじなのだ。


「私は、私は、ケーレディエズを失うわけにはいかないのだ」


 すさまじいまでの邪気が全身よりき上がる。余波でケーレディエズの華奢きゃしゃながらも強靭きょうじんな身体が、あっという間に吹き飛ばされていく。


「愚か者が。己を制御しきれないとは。せめてもの情けだ。ニミエパルド、お前はここで殺す」


 ヒオレディーリナが動き出せば、刹那せつなのうちに事が決する。つまりニミエパルドの生存確率は皆無ということだ。


「待って、ヒオレディーリナ、お願いよ」


 ケーレディエズの懇願こんがんが突き刺さる。それさえも、ものともしないのがヒオレディーリナだ。首を横に振る同時、ここに来て初めて右手が左腰に吊るた剣のつかに伸びる。


「全く人使いが荒いね。ディーナ、ここまではお膳立てどおりかい」


 盛大なため息と共にルシィーエットが愚痴ぐちこぼしている。ヒオレディーリナにしては珍しく、わずかに笑みを浮かべ、すぐさま言葉をつむぐ。


「ルー、短節詠唱、灼火重層獄炎ラガンデアハヴよ」


 それよりも早くルシィーエットは既に詠唱に入っている。二人の間には信頼という名の分厚ぶあつきずなが築き上げられている。もはや言葉は不要だった。


(さすがね。さらに円熟味が増している。ルー、惜しみない賞賛を贈るわ)


 ヒオレディーリナがなぜ短節詠唱と言ったのか。


 ニミエパルドを完全に滅ぼすなら、完全詠唱が絶対だ。詠唱時間もヒオレディーリナなら余裕で与えられるうえ、ルシィーエットを完璧に護りきることもできる。


(ディーナらしいよ。殺すと言っておきながら、その意思はない。始末するのはあのよろいだけさ)


 灼火重層獄炎ラガンデアハヴは次元を越えて、あらゆるものを焼き尽くすルシィーエット最大最強の固有魔術だ。完全詠唱で解き放たれたこの魔術からのがれられるものはない。それほどまでに絶大な威力を誇る。


 ニミエパルドを生かしておくためには、短節詠唱かつ威力を極めて精緻せいちに制御しなければならない。


 敵めがけて最大威力で一気に解き放つ。ルシィーエットの流儀に反するとはいえ、レスティーの試練を受けた後は魔術制御にも長時間かけて磨きをかけ続けてきた。賢者たる者、苦手などと軽々しく言っている場合ではないのだ。


「ネヴィリ・ファーヴァ・ノクトゥ・ウェイラ

 我が意を受けし大いなる炎の力よ」

 あまねく界を越えて仇成すものを灰と化せ」


 灼火重層獄炎ラガンデアハヴはレスティーの扱う炎を除けば、まさしく主物質界最強、ゆえに短節詠唱が一般的な中級魔術の完全詠唱に匹敵するほど長くなる。強大な魔術であればあるほど、短節詠唱の難度は跳ね上がる。


 ニミエパルドから発せられる邪気はルシィーエットを敵と認識し、詠唱の開始と同時に攻撃を仕かけている。


 詠唱時に攻撃を受けることは死と直結だ。しかも邪気が身体に僅かでも触れたが最後、死よりも恐ろしい事象が待っている。すなわち魔霊鬼ペリノデュエズ化だ。


(ルーにはこの私がついている。させるはずもない)


 邪気による攻撃は、ことごとくがヒオレディーリナの魔術斬撃ざんげきによって粉砕ふんさいされている。


 邪気はほぼ無尽蔵むじんぞう、対する斬撃も同様だ。なぜなら、ヒオレディーリナが魔術を行使しているわけではない。ヒオレディーリナのうなづき一つで、三振みふりの魔剣アヴルムーティオが己が意思に基づいて力を解き放ち、ルシィーエットを護っているからだ。


 最も積極的に動いているのは皇麗風塵雷迅セーディネスティアであり、イェフィヤもカラロェリも末妹まつまいの好きなようにさせている。


 まずもって、イェフィヤの力は論外だ。炎の魔術を精緻に行使しようとする際、イェフィヤが生み出す炎は燃料投下と同義であり、全くの逆効果でしかない。


 カラロェリも同様、その力は熱であり、炎の温度を高めてしまう。だからこその静観だった。


≪姉様たち、少しは手を貸してよ。私ばかり働いているんだから≫


 カラロェリがすかさず反応を示す。


≪却下≫


 端的すぎるカラロェリと違って、イェフィヤは楽しそうに笑いながら応じる。


≪私たちが動けば、あの詠唱によって解き放たれる魔術の邪魔をしてしまうわ。それは仮初かりそめの主様が望まれない。そういうことよ≫


 いかにも不満そうな皇麗風塵雷迅セーディネスティアが二人の姉に意識をぶつける。


≪もう、何がそういうことよ。いつもいつも私ばかり、聞いているの、姉様たち≫


 いつもながらの三姉妹の構図だ。イェフィヤもカラロェリも末妹を甘やかしつつ、何かあればいつでも対処できるように目を光らせている。だからこそ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアはその身に宿す力のとおり、自由奔放ほんぽうに空をけられる。


 ヒオレディーリナは心の中で想っている。魔剣アヴルムーティオとしての三姉妹、そしてルシィーエットの背後に立つ人としての三姉妹、どことなく共通点がある。


(面白いわね。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを有するのがあの長女、イェフィヤとカラロェリは所有者が違えど、本来ならイェフィヤは次女が、カラロェリは三女が持つに相応しい。あの御方はやはり)


 皇麗風塵雷迅セーディネスティア風刃ふうじん斬撃は邪気をり裂き、ルシィーエットのそばに決して近寄らせない。


 そして、短節詠唱が成就じょうじゅを迎える。


≪ディーナ、やるよ≫


 ヒオレディーリナの右手が振り上げられる。言葉はない。


 一方で背後がかなり騒がしい。


 ルシィーエット最大最強の魔術が初めて、しかも間近で視られるのだ。マリエッタが大人しくしているはずもない。その興奮はいかばかりか。前のめりのマリエッタを必死になだめるセレネイアとシルヴィーヌが何とも気の毒ではある。


 ルシィーエットが大きく息を吸い、吐き出すと同時、魔術が解き放たれる。


「ニミエパルド、楽にしてあげるよ。灼火重層獄炎ラガンデアハヴ


 主物質界における炎の女王の魔術がここに火を噴いた。

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