第334話:二人の死の真実とは

 ケーレディエズの落ち着いた美しい声音こわねにニミエパルドの邪気じゃきは急速にしぼんでいき、魔気まきが勢いを取り戻す。


 人に近しい状態に近づいたニミエパルドは、力が抜けたかのごとく両腕を垂らし、うとろな目でケーレディエズを見つめる。


「ケーレディエズ、ようやく」


 想いがあふれて言葉にならない。心からの願いは魔霊人ペレヴィリディスとなった以上、もはや叶わないと思っていた。


 主たる要因がよもや己自身にあるとは想像だにしなかった。それを創り出したヒオレディーリナに対する想いがさらに複雑になっていく。


「聞いて、ニミエパルド。私はあの出来事が起こるまで、ずっと貴男に護られるばかりだった。私自身、それでよいと安易に考えていたし、武に優れた貴男なら何があろうとも私を護ってくれる。そう信じていたのよ」


 ケーレディエズの瞳にニミエパルドを責める色は一切浮かんでいない。むしろ、責任は自分自身にあると告げているようでもある。それがかえってニミエパルドを苦しめている。


「ニミエパルド、心の内にめたものを全て吐き出しなさい。それがどれほどの苦痛であろうとも、ケーレディエズが受けた苦痛に比べればいかほどでもないわ」


 ヒオレディーリナの最終通告でもある。吐き出した後、何が待ち受けているかも自明の理だ。


 ニミエパルドが覚悟を決めて口を開こうとしたその時だった。ケーレディエズが思わぬ行動に出る。ニミエパルドを庇うようにしてヒオレディーリナの前に立ちはだかったのだ。


(そうね。今のディズなら間違いなくそうするでしょう。全てをみこんでなおも。強くなったわね)


 ヒオレディーリナの感情を読み取るなど、誰にもできない。ケーレディエズだけは違う。ヒオレディーリナの血を受けているのだ。彼女の強き優しさが伝わってくる。


「ヒオレディーリナ、魔霊人ペレヴィリディスとなって再会した際に、どうして私たちが死んだか伝えたわね。貴女は顔色一つ変えず、歯牙しがにもかけないといった様子だった。でも、本当は違っていた」


 ヒオレディーリナは黙したままだ。応える必要などない。


「貴女が課した二つの制約が解けた時、貴女こそがあの時、私を救ってくれた命の恩人だとようやく思い出せた。ねえ、ヒオレディーリナ、本当は二つではなく、三つ目の制約があったのでしょう」


 ヒオレディーリナが応えることは決してない。ケーレディエズも分かっている。ただ言葉に出して答え合わせをしているだけだ。


一期一会いちごいちえ、貴女は二度と私と逢うこともないと考えていたのね。人族として生きていたならそのとおりだったでしょう。私はヒューマン属、貴女は」


 その先は口にできなかった。いや、ヒオレディーリナがさせなかった。突き刺さるほどの殺気によってケーレディエズの口は縫い止められていた。


(どこまでも厳しく、そして優しい。貴女が本当に私のお姉ちゃんだったら)


「貴女に話さなかったことがあるの。私とニミエパルドがどうして死んだのか。その真実よ」


 ケーレディエズは全身が悲鳴をあげるほどのいまわしい記憶の扉を今一度開こうとしている。


 ヒオレディーリナの目が告げてきている。続けなさいと。


 ケーレディエズが言葉にするよりも早く、ニミエパルドの絶叫が岩肌を激しく震わせて響き渡る。離れた位置に立つザガルドアやセレネイアでさえ、思わず耳をふさぐほどの大音量だ。


「そう、そうだ。私が、この手で、ケーレディエズをあやめたのだ。これが二度目だ。愛するケーレディエズをまたもや護りきれなかった。はずかしめを受けるぐらいならば、いっそのこと、私自らの手で、いや本当にそうだったのか」


 ニミエパルドの二度目の絶叫が宙をがしていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 二人は互いに手を取り合い、必死に逃げた。


 執拗しつように追い詰めようとしているのは亡き領主一族の残党たちだ。金と欲にまみれた領主たちの恩恵を浴びるほどに享受きょうじゅしてきた彼らは、領主の死という現実を前に、一瞬にして金蔓かねづるを失ってしまった。


 彼らのうらみはいくばくか。それは処刑命令を下した国王、容赦なく実行した剣匠たるヒオレディーリナではなく、格段に弱い存在のニミエパルドとケーレディエズの二人に向けられた。


 二人を亡き者にせんとする連中の手は決してゆるまない。包囲網が次第に小さくなっていく。どこへ逃げようとも連中の影におびえる日々だった。


 ニミエパルドはもとより、それまで剣などを握ったことさえなかったケーレディエズも幼児退行の中で懸命にあらがい、あきらめない。二人の心が通じていたからだろう。討手うって退しりぞけながら二人の逃走劇は続くも、遂に限界を迎える。


 なまじ国土が広いがゆえ、国境越えまでにほとんど全ての力を使い果たしていた。ようやくのこと、国境が視認できる位置まで辿たどり着いた時だった。


「いたぞ、あそこだ。取り囲め」


 連中に大金で雇われた傭兵集団だ。彼らは金さえ稼げるなら人殺しさえいとわない。十数人を相手に、ニミエパルドとケーレディエズの二人では如何いかんともしがたい。まさしく多勢たぜい無勢ぶぜい、二人は死を覚悟せざるを得なかった。


「あの国境さえ越えることができれば。ディズ、君だけは私の命に代えてでも無事に送り届けるよ」


 二人を取り囲んだ命知らずの傭兵たちがゆっくりと距離を詰めてくる。


 こんな状況下でも無邪気な笑みを絶やさないケーレディエズに何度救われたか。ニミエパルドは大きく息をつくと、彼女を背にかばい、たてになろうと剣を構える。


 既にここまでの激戦に次ぐ激戦で負傷していない部位を探す方が難しい。至る所から出血しており、開いた傷もふさがっていない。命に代えてでも、という言葉はあながち間違いではないのだ。


「困っているようだな。加勢してやってもよいぞ。ただし、条件がある」


 まぎれもなく男が発する声だ。姿はとらえられない。胡散臭うさんくさいことこの上ない。


 ニミエパルドは疑心暗鬼にられつつ、背に腹は代えられない状況だ。条件など後から聞けばよい。まずはこの窮地を脱することさえできればよい。


「どなたかは存ぜぬが加勢いただけるなら有り難い。条件は後ほど聞かせてもらおう」


 結論から言うと、ニミエパルドのこの判断は完全に誤りだった。取引相手があまりにも悪すぎた。


「聞かずともよいのだな。後悔しても知らぬぞ」


 言葉と共に笑い声が聞こえてくる。明らかにこの男は楽しんでいる。ニミエパルドはここに来て初めて後悔の念を抱きつつあった。


「条件は、私一人なら何を言ってもらっても構わない。ただし、後ろの女にだけは手出しせず、助けてもらいたい」


 楯になると決めた時から己の命は捨てている。ケーレディエズが無事に助かるなら安いものだ。


「それはならぬな。お前たち二人がそろっていてこそだ。めぬと言うのであれば、お前たちはここで無残に死ぬのみだ」


 特殊すぎる心理状況下での圧迫は、もはや強制に他ならない。


 先ほどから独り言を大声でつぶやいているニミエパルドに傭兵たちもしびれを切らしたか。


「死を前にして気でも狂ったか。今から殺してやるよ。女はたっぷり楽しんだ後、時間をかけて生皮を一枚ずつぎながら殺してやる。それがあのいかれた連中の依頼なんでな。運が悪かったと諦めてくれよ」


 大勢の傭兵たちがかなでる下卑げびた笑い声が耳朶じだに響き、不快なこと極まりない。


「どうするのだ。時間はないぞ。二人で生きたいか、死にたいか。二者択一だ」


 男が究極の選択を迫ってきている。このままでは確実な死が待っている。


(私の実験において、唯一欠けていたもの、それが愛する者同士だ。あれに変容してなお愛は持続できるのか。大いに期待しようではないか)


 男にはニミエパルドがどちらを選ぶか、明瞭に分かっている。生死の選択において、人族、とりわけヒューマン属は間違いなく生を選ぶ。彼らはそういう属なのだ。


 その証拠にニミエパルドは背にかばったケーレディエズをいとしげに見つめ、何やら言葉をわしている。男はあえて二人の会話を遮断した。


(人としての生への今生こんじょうの別れとなるのだ。存分に話をするがよかろう。私もその程度の慈悲ならば持ち合わせておる)


 やや自嘲じちょう気味の男が苦笑を浮かべ、ニミエパルドからの結論の言葉を待つ。


 ようやく返ってくる。


 同時、ニミエパルドとケーレディエズを取り囲む傭兵たち全員の首が胴体から落ちていった。見事なまでの首狩りだった。傭兵たちは何が起きたかさえ気づかぬままに絶命していた。


 ニミエパルドは呆然ぼうぜんと立ち尽くしている。ケーレディエズでさえ同じだ。


 姿を見せなかった声の主がゆっくりと人影を浮かび上がらせていく。


「暗黒エルフ」


 ニミエパルドの唇から言葉がれる。


 対照的にケーレディエズは全身を震わせながら、必死に口元を手で押さえている。幼児退行の影響なのだろう。大人以上に恐怖心に敏感なのだ。目の前に立つ暗黒エルフの底知れぬ恐ろしさを肌身で感じ取っている。


 それが頂点に達してしまった。


「待て、ディズ、どこへ」


 暗黒エルフの男から咄嗟とっさに目をそむけ、脱兎だっとのごとく逃げ出す。ニミエパルドでさえ止める余裕はなかった。ケーレディエズが一目散に国境に向かって全力疾走する。


「やれやれ、困った娘だ。のがすわけにはいきません。どうせ死ぬのです。それが少し早まるだけです」


 暗黒エルフの男は、わずかに気の緩みをさらしたニミエパルドから容易たやすく剣を奪い取ると、あろうことかケーレディエズの背に向けて投擲とうてきしたのだ。


 いつ魔術を発動したのかも分からない。明らかに異様な速度で放たれた剣は、寸分たがわずにケーレディエズの心臓を貫いていく。


「暗黒エルフ、そなた、いったい何を」


 それが生きているニミエパルドの最後の言葉となった。


 暗黒エルフの男の右手がニミエパルドの心臓を楽々と刺し貫き、心臓をえぐり出す。口から盛大に吐血しながらも、ニミエパルドは暗黒エルフの男につかみかからんと両手を持ち上げる。


「言っておいたはずです。後悔しても知らぬぞと。どのみち二人とも死する運命だったのです。そして、この私の手で新たな命を授けられるのです。二人で新たな生を謳歌できるのですよ。感謝してもらいたいものです」


 力尽きて仰向けに倒れこんでいったニミエパルドの心臓部分が空洞となり、鮮血を噴き上げている。


 暗黒エルフの男は胸内から漆黒に染まる双三角錐の結晶を二つ取り出す。一つをニミエパルド、もう一つをケーレディエズの心臓に手際よく埋め込んでいく。


「まもなく新たな生をもって目覚めますよ。ああ、名乗るのが遅くなりましたね。私はジリニエイユ、二人にとっての神となる者です」

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