第333話:真実の愛と自己憐憫

 ようやくのこと、ニミエパルドとヒオレディーリナとの間にまともな会話が成り立つ。


「ええ、そうです。貴女の言うとおりです。なぜ彼女が王宮にいたのか。なぜ受けたであろう傷の全てが癒され、肉体が活力に満ちていたのか。王宮に呼び出され、ケーレディエズに再会した際、すぐに気づきました。理由を問うても、王宮の騎士たちは固く口を閉ざしたままでした。全ては貴女だったのですね」


 謝意を示すためにニミエパルドは深々と頭を下げる。


「不要よ。あの時、この娘が仮初かりそめの妹になった。ただそれだけ」


 ヒオレディーリナは言葉を切ると、ニミエパルドの腕を引っ張りながら子供のように無邪気な笑みを浮かべているケーレディエズを一瞥いちべつする。


 そこにどのような感情が含まれているのか、常人では一切わからない。ただ一人、ルシィーエットだけが理解できていた。


(他人に厳しい以上に己に厳しい。未だにその生き方を貫いているんだね。それほどまでに)


 ルシィーエットの思惑をよそに、ヒオレディーリナが淡々と事実のみを告げていく。


「一つ目の制約は既に解けている。この娘が望む、必要な強さが備わったから」


 ニミエパルドよりも早く、ルシィーエットが口を開く。聞きたいことは間違いなく同じだ。どちらが尋ねようとも変わらない。


「一つ目の制約が外れたにもかかわらず、ケーレディエズの幼児退行は全く解けていないも同然だね。二つの内の一つがなくなったなら、より相応ふさわしい状態に戻ってしかるべきじゃないのかい」


 ヒオレディーリナは、そうではないとばかりに首を横に振って、珍しくため息を吐く。


「二つ目の制約は私の血の影響を受けない。私は二つ目にこそ比重を置いた。それこそ、ほぼ全てを振り向けたと言ってもいいわ」


 言葉と共にヒオレディーリナは右手を静かに上げ、ニミエパルドを指差す。


「私に原因がある。貴女はそう言いたいのですか」


 ヒオレディーリナは肯定も否定もしない。刺すがごとき強い瞳をもってニミエパルドを睥睨へいげいたわむれたままのケーレディエズに移す。その瞳は打って変わっていつくしみに満ちている。


「だから言った。許嫁いいなずけたるお前の存在を知っていたなら他の制約にしたと。二つ目の制約はこの娘ではない。この娘の伴侶はんりょたる者に向けたもの」


 あの時のヒオレディーリナは単純に考えていた。


 この娘、偽りの妹ディズが心から幸せを感じ、笑顔で過ごせる日々が訪れる。たとえ悪夢が蘇ったとしても、その隣には愛する伴侶がいる。だからこそ、ディズの心の最大の縛りに伴侶になる者を据えた。その制約とはこうだ。


「真実の愛を互いに注ぐ。それが二つ目の制約よ」


 ニミエパルドが愕然がくぜんとしている。ケーレディエズの幼児退行が解けていない現状、ようやくヒオレディーリナの言葉がに落ちた。


「私は、私は、ケーレディエズに」


 喉に言葉が詰まって出てこない。見かねたルシィーエットが代わりに言葉を発する。


「ディーナ、私には二人が愛を注ぎ合っているように視えるけどね。違うのかい」


 愛の形は様々だ。ヒオレディーリナはその中でも最も過酷とも言える愛の制約を課している。


 人とは圧倒的にうつろいやすい生き物だ。特にヒューマン属は人族の中にあって最も弱い存在であり、感情の揺れ幅がはなはだ大きく、女と男という観点で差異を作りたがる奇妙な生き物でもある。


 差異は簡単に言い換えられる。それは優劣だ。肉体的な面を除けば、女と男に優劣などあろうはずもない。そこに何かと条件をつけて、女よりも男が優れている、逆もまたしかりで、ヒオレディーリナから言わせれば愚かなこと極まりない。


 だからこその伴侶たる者への制約としたのだ。


「貴女は、私がケーレディエズに真実の愛を注いでいないとでも言いたいのですか。私は心からケーレディエズを愛しています。その気持ちに嘘偽うそいつわりはありません。あの出来事があった後もずっとそばにいて、見守ってきたのです」


 ニミエパルドが受けた衝撃はあまりに大きい。ヒオレディーリナに食ってかかる気持ちも理解できないではない。


「ニミエパルド、お前はこの娘を愛し、見守ってきたと言う。では、お前がこの娘に注いだ真実の愛とは何なのか。私に教えなさい」


 いつの間にか、ニミエパルドの腕を引っ張っていたケーレディエズの動きが止まっている。瞳は変わらず赤に染まっているものの、邪気じゃきによる妖艶ようえんさが薄まっているようにも感じられる。


 気づいているのはヒオレディーリナを除けば、ニミエパルドとルシィーエットの二人のみだ。


(この揺さぶりで全てが分かるわね。ディズ、目覚めの時は近いわ)


 ヒオレディーリナがケーレディエズに何を視ていたのかは誰にも分からない。


 ヒオレディーリナが生きる悠久の時の中で、ディズもまた一瞬にして過ぎ去っていった存在にすぎない。一時的に仮初の妹になったとはいえ、普段なら気にもかけなかっただろう。


(この娘を見ていると、どうしてもあの娘を想い出してしまう。顔や性格など、似ても似つかないのに)


 唯一、お姉ちゃんと呼ぶその仕草だけがうり二つだった。それだけの些細ささいなことだ。ヒオレディーリナはわずかながらに心を許してしまった。


 あの馬鹿息子を処理したら、王宮から派遣されてきた騎士たちに犠牲となった生存者を引き渡し、即座に別れる。そのつもりだったのだ。


(あの一言で事態が変わってしまった。私は後悔などしていないわ。この娘にも幸せに生きる権利があるのだから)


 ニミエパルドが思案している。真実の愛が何たるかを問われるとは予想外だった。


 ニミエパルドの感覚からして、ヒオレディーリナと愛とは天と地ほどの隔たりがある。そんな彼女の口から愛という言葉が出ようとは。


 敵味方関係なく、一度決めたら情け容赦なく処断する。言葉も感情も不要、目の前に立とうものなら塵芥じんかいのごとく処理される。まさしく血も涙もない存在、それがヒオレディーリナであり、ニミエパルドがこの主物質界において最大の敵愾心てきがいしんを抱く存在なのだ。


「あなたはケーレディエズを仮初の妹と呼んだ。確かに、彼女には幼い頃に亡くなった姉がいます。幼児退行した彼女は貴女の中にその姉を視たのかもしれません」


 ニミエパルドは気づいていながら、気づいていないふりをする。動きを止めていたケーレディエズの右手がニミエパルドの左腕を握り締めているのだ。その力が次第に強まっている。


「私は彼女の姉を通じて出逢ったのです。互いに好きになるのは一瞬でした。それ以来です。ケーレディエズは私の全てであり、全身全霊をもって愛してきました。あのいまわしい出来事があっても変わらずに」


 力強い視線がヒオレディーリナに向けられる。ヒオレディーリナはゆっくりと右手を持ち上げ、ニミエパルドの左腕、ケーレディエズが握る位置を指し示す。


「何も分かっていない。真実の愛とは言い換えるなら無償の愛、どのような見返りも求めない愛よ。あの出来事が起こるまでは、お前が言ったとおりかもしれない。だが、それ以降、お前が注いできた愛は果たしてそうだったのか」


 ヒオレディーリナの言葉に思わずルシィーエットが息をむ。これと同じような話をかつて聞いたことがある。ルシィーエットでさえ想い出したくもない記憶だ。


(ディーナ、やはりあの娘の姿と重ねているんだね)


 うれいを含んだ目をヒオレディーリナに向けつつ、ニミエパルドとケーレディエズの様子を慎重に窺う。


 ニミエパルドのまとう鎧から溢れ出していた邪気は完全に失せ、さらには力そのものが沈黙している。


 ケーレディエズも同様、派手に放出していた邪気は影も形も見当たらない。今では済んだ魔気まきが全身を包んでいる。


「私は、ケーレディエズにまぎれもない愛を注ぎこんできた。だが、それは」


 言葉にするのが恐ろしい。本当に真実の愛、無償の愛を注ぎ続けてきたのだろうか。


 活力に満ちた状態とはいえ、非力な女に違いない。ましてや武具を所持しての戦闘など一度もしたことがないのだ。この先、二度とあのような目に遭わないためにも、己の保護下に置いて、常ににらみを利かせておかなければならない。


 ケーレディエズを護ることが、すなわち己の罪滅ぼしに繋がる。そうすれば、いずれ時と共に心の傷も癒えて、元に戻るだろう。そう、お互いにだ。


 ニミエパルドは項垂うなだれたまま、もはや言葉を失っている。ヒオレディーリナは侮蔑ぶべつの表情を浮かべ、ニミエパルドの言葉を代弁してみせる。


「お前はこの娘を護ることで自己保身に走った。自己憐憫れんびんと言った方が相応ふさわしいだろう。お前はこの娘よりも己をあわれんでいたのだ。本来なら悪夢を生み出した領主一族を恨み、責めるのが筋だ。だが、愚者どもは既にこの世にいない。お前は対象をこの娘に置き換えてしまった」


 ヒオレディーリナは容赦なくニミエパルドの心をえぐる。


 刹那せつなの間、ニミエパルドが天に向かって咆哮ほうこうする。それはまさに獣の叫び、沈黙していた邪気が一気に溢れ出す。その余波が四方八方にき散らされ、ルシィーエットのもとにまで押し寄せていく。


「ディーナらしいと言えばそれまでだけど。全く面倒なことをしてくれるね」


 右手が宙に向けて軽く振られる。即座に魔術結界が形成され、ルシィーエットの全身を覆っていく。ヒオレディーリナは一顧いっこだにしない。ルシィーエットなら問題なく対処できると信じているからだ。


「ニミエパルド、お前は己の心を救済する手段として、この娘に愛を注いだにすぎない。確かに、この娘を愛しているという感情の全てを否定するつもりはない。だが、お前の向けている愛は決して真実の愛ではない。偽りの愛だ」


 ニミエパルドから溢れ出す邪気を纏った鎧が吸収している。再び力を集わせ、恐ろしいまでの憎悪を吐き出している。


 ケーレディエズはニミエパルドから片時も離れようとはせず、左腕を握り締めたままの姿勢を維持している。


 そして、声が重なった。


「ニミエパルド、ようやく理解してくれたわね」

「だから、ニミエパルド、お前はここで殺す」

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