第332話:ヒオレディーリナの血の効力

 ヒオレディーリナの話を聞き終えたルシィーエットとニミエパルドが、あまりにも対照的だった。共に呆然ぼうぜんとしているものの、全く逆の意味でだ。


 ケーレディエズだけが手持ち無沙汰ぶさたなのか、構ってほしいばかりにニミエパルドの腕をしきりに引っ張っている。


「ま、まさかそのようなことが、にわかには信じられません」


 ニミエパルドはヒオレディーリナの告げた事実を何とか理解しようと努めている。それでも思考が追いつかないのだろう。執拗なほどにかぶりを振っている。わずかに視線を上げて問いかける。


「ヒオレディーリナ、貴女はどうしてケーレディエズの心に制約を課したのです。それも二つもです。あの時、貴女は許嫁いいなずけである私の存在を知らなかった。それを責めるつもりは毛頭ありません。ですが」


 言葉が詰まる。これまで敵愾心てきがいしんしかなかったヒオレディーリナに対して、感謝の念がきつつある。己自身に困惑するしかない。


 ヒオレディーリナにしても、ニミエパルドの気持ちは十分に理解できる。二人が何かしらの事件に巻きこまれて命を落とした、と風の噂で聞いた際には、何の感情も起こらなかった。


 人とはそういうものだ。とりわけ、限られた定命じょうみょうの中で生きるヒューマン属の二人と、不死にも近しいヒオレディーリナとでは、そもそもの時間軸が違いすぎる。


 それが何の因果だろう。数百年後、よもや魔霊人ペレヴィリディスと化した姿で相まみえることになろうとは。さらには、二人の事情を聞き及ぶに至り、ヒオレディーリナは僅かばかり後悔せざるを得なかったのだ。


「そうね。お前の存在を知っていたなら別の制約を選んでいた。それも含めて運命だったのよ。お前もルーも気になっているだろうし、特別に教えてあげるわ。私がその娘に課した二つの制約が何であるかを」


 ヒオレディーリナが虚空こくうに向かって右手を軽く振る。それを合図にして、正三角形を描いている三振りの魔剣アヴルムーティオが共鳴を起こす。


 奏でる音色は強くもあり、弱くもあり、あるいは激しくもあり、穏やかでもある。それぞれの特性が遺憾なく発揮されているとも言えよう。音色が止まった刹那せつな、三振りの魔剣アヴルムーティオは音もなく地上へと解き放たれ、切っ先を下にして大地に突き刺さった。


「いい子たちね。しばらくの間、そのままで」


 ヒオレディーリナがここに来て、初めて大地へと降り立つ。静かに足を下したヒオレディーリナを内包する形で、三振りの魔剣アヴルムーティオは再び正三角形を描き出していた。


 ヒオレディーリナの前方に皇麗風塵雷迅セーディネスティア、後方右手にイェフィヤ、後方左手にカラロェリが位置している。


 三振りの魔剣アヴルムーティオが特殊な結界を創り上げている。その内部に立つヒオレディーリナは無敵状態と言っても過言ではない。


 威風堂々たる姿はまさしく千魔剣の女王ミレヴルティア、崇高で優美、誰もがひれ伏したくなる気持ちも分かるというものだ。



「美しいな。これがディーナの真の魅力か。だが、俺が初めて出逢ったのは二十年も前だぞ。その頃と全く姿が変わっていない。どういうことだ」


 独り言のように呟いているのはザガルドアだ。耳聡みみざといマリエッタがこんな美味しい話を逃すはずもなく、すかさず姉のセレネイアに尋ねかける。その横でシルヴィーヌが百面相のごとく複雑な表情を見せている。


「セレネイアお姉様、どういうことなのでしょうか。人が二十年も全く変わらない姿を維持できるなど可能なのでしょうか」


 十五歳にすぎないセレネイアは、問いに答えられるだけの知見を有していない。年齢や肉体を偽装する魔術は確かに存在する。それらを行使すれば可能だろう。


「私には分からないわ。特有の魔術を用いれば可能かもしれませんが」


 その先を言う必要はない。魔術に関してはセレネイア以上に原理原則を理解しているマリエッタだ。


「魔術が引き起こす事象は一過性にすぎません。やはり直接、お尋ねするしかありませんわね」


 明確な答えが出ない以上、議論したところで意味はない。マリエッタは早々に思考を切り替える。この判断の早さがマリエッタの長所でもある。


 眼前で繰り広げられている三振りの魔剣アヴルムーティオの競演は、マリエッタにとってまさしく青天せいてん霹靂へきれきだった。


 マリエッタのみならず、ここにいる全ての者が、剣などの武具は手に持ってこそという固定観念にとらわれている。ヒオレディーリナはその根底を覆す戦い方を披露してくれているのだ。


 無論、誰にでもできる芸当ではない。むしろ、大半の者が真似できないだろう。それを理解したうえで、ザガルドアをはじめ十二将たちは可能性を即座に模索もさくしている。


「何だよ、あれは。あんなものを見せられたら、できないと分かっていても試したくなるじゃないか」


 この中にあって、最も魔術を苦手とするディグレイオがぼやいている。


羨望せんぼうしかないわよねえ。イェフィヤもカラロェリも、私が持っている時とは全く違うんだからあ。悔しいを通り越して、違うわね、そんな次元で語るべきものじゃないわ。あの片鱗へんりんでも体得たいとくできたらと想ってしまうわよね」


 隣に立つトゥウェルテナも同様、ヒオレディーリナの戦いに魅せられている。


「あの者は明らかに剣士、その太刀筋たちすじからして恐らくヴォルトゥーノ流であろう。しかも本流だ。我らが陛下に剣をお教えしたのは間違いなくあの者であろうな」


 すかさずシルヴィーヌが尋ねかける。


「グレアルーヴ殿、あの方は未だに剣を手にしておられません。私には魔剣アヴルムーティオを操る魔術師に見えるのですが、そうではなく剣士なのでしょうか」


 ここに集っている者はヒオレディーリナの真なる姿を知らない。姿を現して以来、ヒオレディーリナは魔術師ぜんとして振る舞っている。


「シルヴィーヌ第三王女の疑問はもっともだ。陛下もセレネイア第一王女もヴォルトゥーノ流に身を置かれる使い手でしたな。ならば、ご存じであろうか」


 ザガルドアは俺に聞くな、とばかりに一度だけ首を横に振ると、すぐさま視線をヒオレディーリナに戻す。それだけ釘づけ状態なのだ。


 セレネイアも同様、知らないと小声で答えるのみだった。そもそもセレネイアは本流ではなく、下位流派のカヴィアーデ流剣士であり、魔剣を握らずして自在に使いこなすような剣術を知るはずもない。それを剣術と呼べるのかはさておきだ。


「ヴォルトゥーノ流には魔剣操術エゼティリピーアなる秘奥義がある。そして、その使い手はヴォルトゥーノ流の壮大な歴史において唯一無二、史上最強の剣匠だったと聞く」


 確信をもったグレアルーヴの言葉に最も鋭敏えいびんに反応したのが、誰あろうザガルドアとセレネイアだった。


「グレアルーヴ、詳しく話せ」


 ザガルドアに続いてセレネイアも言葉を発していた。


「秘奥義の使い手こそヒオレディーリナ様ということなのですね。私も詳しく知りたいです」


 マリエッタとシルヴィーヌも顔を見合わせて大きくうなづいている。姉同様、相当に興味があるのだろう。


「随分と詳しいではないか。獣人族の男よ、その方が生きてきた歳月としつきはいかほどだ。それよりも始まるようだな」



 ヒオレディーリナはザガルドアたちに僅かに視線を走らせ、小さくため息をつく。


(あれこれと詮索せんさくを。全くうるさいわね。それに、ようやく来たか)


「ニミエパルド、外野がうるさくなってきたわ。早々に話を進めるわよ」


 あれほどまでに強烈だったニミエパルドの殺気が完全に消え去っている。ヒオレディーリナは全く意にも介していない。殺気があろうがなかろうが、何の支障にもならないからだ。


(明白な殺意を消してくれてよかったよ。殺意ある者に対するディーナの処断はすさまじいからね。面倒と言ったあのよろいでさえ、正直なところ、ディーナにとっては紙切れも同然)


 胸をで下ろしているルシィーエットにヒオレディーリナの視線が移る。


「ルー、しばらくつき合って。そのうえで、どうするかを決めるわ」


 ルシィーエットに異論はない。ヒオレディーリナとの共闘において自由が鉄則、それでいて決断を下すのは常にヒオレディーリナの役目だ。


 ルシィーエットは視線を合わせ、軽く頷いてみせる。戦わずして終われるなら、間違いなくそれが最善なのだから。


「己が求める強さに達する。制約の一つ目よ。この娘は心の奥底で弱い己を呪っていた。弱かったからこそ、あのようなことになってしまったと心底悔いていた」


 そうではない、とはあえて告げない。ヒオレディーリナなりの優しさなのだろう。


 強さと言ってもいろいろある。その定義は実に曖昧だ。肉体的な強さ、精神的な強さ、この二つだけでも相当に異なる。ケーレディエズが望んだ強さとは主に後者であり、誰かに護られる自分ではなく、誰かを護る自分であるための強さだ。


「一助として私の血を分け与えた。私だけが有する血の効力、獣人族の血縛術サグィリギスほどではないけど、血の導きがこの娘を強くする。弊害へいがいもあったわね。戦いに全く向かいないこの娘が、好戦的になってしまった」


 ニミエパルドが驚きの表情を浮かべ、即座に消し去ったのを見逃すヒオレディーリナではない。


「心当たりがあるようね。当然ね。お前はこの娘の許嫁いいなずけ、変化に気づかないはずがない」


 覚悟を決めたニミエパルドが肯定と共に言葉をつむぐ。

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