第363話:決死の覚悟

 ランブールグは魔弓ジュラドリニジェを構え、速やかに矢をつるあてがう。


(迷っている暇はない)


 弦を絞る必要はない。ランブールグの意思一つで射出は可能だ。指先にわずかな魔力を乗せ、解き放つ。


 粘性液体の槍二本に対して、ランブールグは十本の矢をもって対抗している。


 無論、全ての矢に魔術が付与されている。ルプレイユの賢者コズヌヴィオの手によるものではない。軽量化、高速化、貫通力増強といった必要最低限の付与でしかない。


 ゆえに槍一本に矢五本では心許ない。


(まずは軌道をらせることだけに専念します)


 タキプロシスを貫いた粘性液体の槍は既に引き抜かれ、獲物の息の根を止めようと宙で踊っている。バンデアロを穿うがった槍もまた寄り添うようにして空に舞っている。


 二本の槍は互いに意思疎通を図っているかのようだ。動きが止まるやいなや、獲物めがけてうなりをあげながら襲いかかる。確実に命を奪うための攻撃だ。


「させません」


 二本の槍を撃ち落さんと、高速でけてきた十本の矢が衝突、轟音ごうおんと激しい火花を空に散らしていく。


 その余波だけでタキプロシスもバンデアロもはるか後方に吹き飛ばされてしまう。 不幸中の幸いか。これで僅かな距離は稼げた。


 槍と矢は双方一歩も譲らず、衝突位置でなお均衡を保っている。それも時間の問題だ。


「駄目だ。押し切られる」


 ここもまた無限と有限の明瞭な差であり、魔術の欠点でもある。


 均衡が崩れるのは一瞬だ。付与された魔術の効力が失われた途端、全ての矢が粘性液体の槍によって粉砕ふんさいされ、大地に四散する。


 ようやく足止めを突破した二本の槍が勢いを取り戻し、今度こそ獲物を仕留めにかかる。いっそう速度を増した槍がタキプロシスとバンデアロを射貫かんと一直線に突き進む。


 タキプロシスは愛馬にもたれかかったまま微動だにしない。バンデアロも左脇腹を深く抉られ、まともに戦える状態ではない。朦朧とする意識の中、頼りの先読みも正常に機能しない。


 このままでは今度こそ二人共に絶命間違いなしだ。


「ランブールグ、持てる全ての矢を放て」


 常に冷静沈着なケイランガでさえ取り乱している。目の前で仲間が殺されようとしているのだ。平静を保てと言われても無理だろう。


 ランブールグはケイランガの命令を受けるよりも早く、残りの矢を使い切るつもりで速射し続けている。それでも駄目なのだ。粘性液体の槍は果てしなく強固で、僅かに表面をけずり取り、減速させるしかできない。


「何をしている、ランブールグ」


 項垂うなだれ、諦観ていかんの表情をもってケイランガを見つめる。それだけで全てを察してしまった。遂に矢が尽きたのだ。


「ここまでか」


 ひざから崩れ落ちそうになるところを懸命にこらえる。仲間が殺されるところなど見たくもない。それでも目を反らしてはならない。見届けなければならない。誇り高きラディック王国騎兵団の団長として。


 強い意思のみでケイランガは前方の二人に視線を注ぐ。


「許してくれ、タキプロシス、バンデアロ」


 二本の槍がまさに二人を射貫こうとしたその瞬間だ。鋭く光芒こうぼうが走る。


「まさか、この光は」


 同じ現象が起きている。絶体絶命のシステンシアをまもりきった光が再び出現したのだ。


 迫り来る二本の槍と二人の間に展開された光は瞬時に結界を構成、間一髪のところで二人を護り抜く。


「これは、アメリディオが残してくれた奇跡か」


 ケイランガのつぶやきが落ちると同時、虚空から声が響いてくる。


「ほうほう、遅延発動型防御結界か。あのときにか。死の間際まで実に見事であるな」


 虚空を割って、一際ひときわ巨大な漆黒に染まった双三角錐そうさんかくすいの結晶が姿を見せる。まぎれもなく根核ケレーネルだ。


 内部からおびただしい邪気じゃきがたちまちあふれ出し、粘性液体もき出してくる。


すさまじい攻撃であった。さすがの我も危うかった。だが、惜しかったな。我は高位ルデラリズのさらに上位なるぞ。その辺のくずと一緒にしてもらっては困る」


 唇が震え、無念の声が溢れ出る。


「やはり、倒しきれていませんでしたか」


 要因は一つしか考えられない。液体を浸透させる時間、つまりネシェメリィーレの身体の大きさだ。当初の想定を下回ったことで何らかの悪影響を及ぼしたのだろう。


 高位ルデラリズ百戦錬磨ひゃくせんれんまとも言えよう。ゆえ根核ケレーネルだけを護り抜くすべを知っている。それはここまでにくぐり抜けてきた死線の賜物たまものだ。


(液体の隙間すきまがあったればこそ。我の粘性液体に濃度があったればこそ)


 固体から液体へと変化した矢の魔術は、間違いなくネシェメリィーレだった身体に浸透、そこまではよかった。ケイランガが危惧きぐしたとおり、身体があまりに小さすぎた。


 そのため、液体は僅か一フレプトにも満たない時間で全身を満たし、残り一フレプト分の余剰が発生してしまった。その隙を見事についた高位ルデラリズめるしかあるまい。


 高位ルデラリズは最高濃度の粘性液体を根核ケレーネルの周囲に結集させ、それ以外の全ての核を放棄したのだ。


 そして三本目の矢が到達、気体へと変わる刹那せつなの内に位相いそうをずらし、根核ケレーネルの位置そのものを体外へと脱出させていたのだった。


「お前たちはよく戦った。せめてもの褒美ほうびだ。苦痛を与えず、楽に殺してやろう。そして我のにえとなる栄誉を与えてくれよう」


 もはや万策が尽きている。ケイランガはプルフィケルメンを失い、他の攻撃手段を有さない。左腰に吊るした片刃かたは長剣は身を護るためのものでしかない。


 唯一、まともに動けるランブールグもジュラドリニジェこそあるものの、放つべき矢が尽きている。


 タキプロシスとバンデアロは虫の息状態、アメリディオはその二人よりも瀕死に近い位置にいる。システンシアを護る結界を発動させられただけでもよしとしなければならない。そのシステンシアも大地に横たわったまま動かない。


 まさしく、壊滅必至ひっしの状況だ。


「私たち人はどう足掻あがこうとも魔霊鬼ペリノデュエズあらがえないのか。これだけの犠牲を払っても勝てないのか」


 ケイランガもランブールグも、他の四人を助けるすべだけでなく、自らを護る術さえ失っている。等しく死を覚悟した。


「いえ、死の間際まで足掻きに足掻き、この命に代えて一人でも多く救ってみせます。そうでなければ、先に散っていった相棒に申し訳が立たないですからね」


 先ほどまでプルフィケルメンを握っていた右手を開き、しばし視線を落とした後、再び握り締める。


「ランブールグ、今すぐ離脱しなさい。急ぎ救援を呼ぶのです。ここから遠くない場所に味方が陣取っているはずです」


 視線は常に前に向けたままだ。ランブールグの表情を見てしまえば、決意が揺らぐかもしれない。プルフィケルメン同様、ランブールグもまた長い時間を共に過ごした相棒なのだ。


「貴男と共に戦えて嬉しかったですよ」


 別れの言葉は決して口にしない。


 ケイランガは左腰の片刃長剣を抜き去り、つかを持つ右手に力をめる。これが団長として下す最後の命令になるだろう。


「時間を無駄にするな。早く行け」


 振り返らず前方にけ出すケイランガ、素早く背を向けて愛馬カリツァークにまたがるランブールグ、対照的な二人の動きだった。


「ケイランガ団長、どうか死なないでください」


 愛馬カリツァークにむちを入れて速歩はやあしから駈歩かけあしへと即座に移行、救援を求めるために猛然と駆け出していく。


「それでよいのです。せめて、貴男だけでも助かってください。ランブールグ、頼みましたよ」


 粘性液体の槍は防御結界を突破できていない。それを承知で高位ルデラリズは余裕のていを一切崩していない。


 既に結果は見えている。


 防御結界は魔力消費量が大きく、遅延発動型の場合はなおさらだ。しかも、術者たるアメリディオが倒れている現状、魔力供給もできない。


 押し切られるのも時間の問題だ。


「その前に何とかしてみせます」


 左脇腹からの出血を必死に押さえながらも、バンデアロが声を振り絞る。


「い、いけません、ケイランガ団長。俺たちは、ここまでです。分かるのです。引き返してください」


 何が分かるというのだ。第二騎兵団の団長と副団長たる者が何を言っているのだ。その声を心の中に閉じ、ケイランガはなおも駆ける。


「勇気と無謀とは違うのだぞ。勝ち目などないことぐらい、分かっているであろう」


 高位ルデラリズが粘性液体の槍を引き戻す。どちらが先でも殺すという結末に変わりはない。


「お前たちの行動は理解できぬな。よかろう。それほど死にたいなら、お前から速やかなる死をくれてやろう」


 手元に引き寄せた二本の槍を即座に方向転換、駆けてきたケイランガの両側面から鋭くり出す。


「簡単にやられるつもりなど毛頭ない。それに理解してもらおうとも思わない」


 防御に回す力はない。剣で受けたところで易々やすやすと破壊されて終わりだ。


 ケイランガは二本の槍には目もくれず、高位ルデラリズの懐へ全力で身を躍らせる。


 たくみに攻撃の隙間を抜けたケイランガの背後から軌道を即座に修正した二本の槍が迫り来る。


(コズヌヴィオ様、使わせてもらいます。これが私の最後となるでしょう。相棒よ、すぐにそばに行きますよ)


 高位ルデラリズに最接近したケイランガが、ふところから槐黄えんこういろどられた宝珠ほうじゅを取り出すのと、二本の槍が背中を貫き通すのとは同時だった。

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