第364話:槐黄の宝珠と謎の飛翔体

 やりの勢いは止まらない。鮮血に染まるケイランガの身体ごと、高位ルデラリズの粘性液体内へといざなっていく。


(私をにえにする最も効果的な方法は吸収でしょう。だからこそ、あえて接近したのです。これで終わりです)


 ケイランガは吸収される寸前、無用となった片刃かたは長剣を捨て、両手で宝珠を心臓に押し当てる。残された力を宝珠に注ぎこむ。そう、命という名の最後の力だ。


 ケイランガの全身が高位ルデラリズの体内にみこまれた刹那せつなだった。


 目もくらむほどの槐黄えんこうきらめきが粘性液体内をけ巡る。


 すさまじい高速振動が高位ルデラリズの全身を揺さ振り、瞬時に摩擦熱を発生させる。液体であるがゆえ、振動による摩擦熱からは決して逃れられない。粘性液体が沸騰するがごとく蒸気をき上げる。


 高位ルデラリズ苦悶くもんに満ちた絶叫が大峡谷を揺るがしていく。


(絶対にのがしません。私の命と引き換えにお前をめっします)


 ケイランガは最後の力を振り絞り、槐黄えんこうの宝珠が導いてくれた漆黒の双三角錐そうさんかくすいの結晶に手を伸ばす。


 高位ルデラリズもケイランガの狙いを察している。急ぎ粘性液体を根核ケーレディエズの周囲につどわせる。


 遅々ちちとして進まない。宝珠が創り出した摩擦熱によって、次々と粘性液体の分子結合が崩壊していっているのだ。


 今や、およそ五メルクあった高位ルデラリズの身体は二メルク程度にまで減少している。


 ケイランガの伸ばした手がまさに根核に触れようとしていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 槐黄えんこうの宝珠による波動は、はるか離れた場所に立つコズヌヴィオにも伝わった。彼はおもむろに立ち止まると、悲哀ひあいに満ちた言葉をこぼす。


「ケイランガ、あれを使ってしまったのですね」


 彼が止まったことで、横並びで歩くワイゼンベルグもまた必然的に動きを止める。言葉はない。黙したまま、友の横に並ぶまでだ。


 少し前方を行くエレニディールもまた足を止め、ゆるやかに振り返る。


「行きなさい、コズヌヴィオ。貴男は貴男のすべきことを。助力に深く感謝します」


 エレニディールは深謝のために頭を下げ、視線を前方に戻す。


「私は私の行くべき道を。コズヌヴィオ、ワイゼンベルグ殿、武運を祈っていますよ」


 二つの同音が空間に走る。


 鈍色にびいろの輝きが暗天を染め、空間を長方形に切り取っていく。エレニディールの前方、コズヌヴィオの背後に魔術転移門が同時に出現する。漆黒の空洞くうどうが口を開けて術者を待つ。


「エレニディール、貴男にもご武運を」


 エレニディールはわずかに右手を挙げてこたえる。そのまま振り返らず、魔術転移門内部にゆっくりと入っていく。エレニディールの姿が、魔術転移門が完全に消え去るまで、コズヌヴィオもまた静かに頭を下げていた。


「我が友よ、共に来てくれますか」


 ワイゼンベルグは表情一つ変えず、当然だとばかりに言葉を返す。


「何を水臭みずくさいことを。貴殿の横にいれば退屈せずに済む。強敵なのであろう」


 コズヌヴィオがかすかに苦笑を浮かべ、小さくうなづく。


「友が一緒で心強いです」


 魔術転移門の先に待つ者が強敵であることなど、ワイゼンベルグには分かっている。


 コズヌヴィオとは短いつき合いながらも、彼は高位の魔術師にありがちな、感情をぎ落した無機質な男ではない。賢者として、まだまだ未熟だと自ら認めているとおり、感情を素直に露出する。


 だからこそ、表情をひと目見て理解したのだ。


(俺よりもはるかに強者でありながら、力を貸してやりたいと思わせる。これがコズヌヴィオ殿の魅力なのであろう)


「ええ。敵は魔霊鬼ペリノデュエズ、しかも高位ルデラリズに違いありません。全滅してしまう前に急ぎましょう」


 くわしく聞く必要はない。


 二人の姿が魔術転移門の中に消えていく。漆黒の空洞に溶けこむと、再び硬質音が鳴り響き、空間が閉じられていく。


 コズヌヴィオは推測ではなく、確信している。敵はまぎれもなく高位ルデラリズ、それも上位に入る力を有している。


 ケイランガとランブールグの矢に付与した特殊な魔術は、確実に機能していれば高位ルデラリズであろうと滅していたはずだ。それがされていない。


 しかも、ケイランガは絶体絶命におちいった場合にのみ許可を与えていた槐黄えんこうの宝珠を使っている。


(ケイランガ、貴男は仲間のために自らを犠牲にできる。敬意を払うべき尊き行動ですが。かなしいですね)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 急速にしぼんでいく高位ルデラリズは全くあきらめていない。


 根核ケレーネルさえ護り抜けば、粘性液体が失われようとも何度でも再生できる。だからこそ、ケイランガの手が根核ケレーネルに触れるなど絶対に許されない。


「我の根核ケレーネルに触れるでないわ。吸収など生温い。お前の魂を食らい尽くしてくれよう」


 体内に吸収した後、ゆっくりと同化するつもりだった。もはや、その余裕はない。根核ケレーネルに触れられる前に、邪気をもってケイランガの魂を破壊する。


(必ず、必ずつかんでみせる)


 ケイランガは必死に足掻あがく。粘性液体内に吸収され、身体の一部が溶け失せようとも絶対に藻掻もがき続ける。


 強い信念のみで手を大きく開き、さらに指先を限界まで伸ばす。


 根核ケレーネルはすぐそこにある。何と遠いことか。


「我の勝ちだ」


 触れる寸前だ。根核ケレーネルより生成された邪気がひと足早くケイランガの指をからめ取っていく。そこから手を、腕を伝って、全身へと一気に広がっていった。


(もはや私は助からない。ならば、命の欠片かけらまで燃やし尽くす。宝珠よ、私に最後の力を与えたまえ)


 槐黄えんこうの宝珠がケイランガの魂の叫びに呼応する。先ほど以上のきらめきが高位ルデラリズの粘性液体の身体を内部から射貫いていく。


 宝珠はケイランガの命の全てをかてにしてこそ、最大限の力を発揮する。コズヌヴィオが手渡した槐黄の宝珠とは、まさに諸刃もろはつるぎの魔術具なのだ。


 その力が発動しようとしたときだった。


 高位ルデラリズのはるか後方斜め上方より嵐に包まれた飛翔体ひしょうたいが豪速で急接近、高位ルデラリズに激突した。


 凄まじい衝撃が四方へけ抜けていく。遅れてやってきた音が大気と大地を同時に震わせる。


 衝撃の影響は高位ルデラリズの身体をおよそ十メルクも吹き飛ばし、それだけにとどまらず、体内に吸収されていたケイランガをも体外へと弾き出していた。


 高位ルデラリズにぶつかってきた飛翔体は減速できないまま大地にめり込んでいる。


(い、いったい何が起こった。どうして私は魔霊鬼ペリノデュエズの対外に放り出されている)


 ケイランガは大地に転がったまま動けないでいる。激痛のあまり、思考もまともに働かない。


 蒸気を噴き上げている飛翔体からゆっくりと風渦ふうかがれていく。明らかに意思を持った動きだ。


「し、死ぬかと思った。炎弾えんだんと共にいきなり投げつけられるとは。師父様がなされる無茶には慣れていたつもりだったが」


 風渦が去った後、そこには一人の姿がある。独り言を呟きながらも、既に抜刀ばっとう状態だ。右手にした剣が輝きを放っている。


 高位ルデラリズでさえ、突然すぎる出来事に言葉を失っているのか、目の前に立つ者を呆然ぼうぜんと眺めるだけだ。


「ほぼ壊滅状態だな。王国の精鋭たちも高位ルデラリズの前では歯が立たぬか。師父様があれほど急がれたのも納得だ」


 冷静に状況を分析、高位ルデラリズに対しておもむろに剣を突きつける。


「ならば、私のすべきことは一つだ。根核ケレーネルを破壊し、お前を滅する」


 ようやく高位ルデラリズも正気を取り戻したか。


 粘性液体の大半を失い、根核ケレーネルも僅かに傷つけられている。それでも傲慢な態度に変化は見られない。


 時間が経過すればするほどに高位ルデラリズが有利になる。根核ケレーネルから生成される粘性液体が身体を構築、完全体へと復元していくからだ。


「ほうほう、かなり強いな。だが、今さら一人増えたところで結果は同じだ。ただえさが増えただけにすぎぬ。お前も殺して食らってやろう」


 眼前に立つ者は、ここまで相手にしてきた者たちよりはるかに強者だ。それでも己には届かない。それが高位ルデラリズの結論だった。


「やれるものならやってみるがよい。王国との義により助太刀いたす」


 切っ先が十セルク下がる。右手首のみがしなやかに踊り、今度は水平位置を超えて三十セルク持ち上がる。動きはそれだけだ。


「馬鹿な。何だ、この剣技は。まさか魔術か」


 粘性液体の再生によって身体が創られていく最中さなか、目にも止まらぬ無数の斬撃ざんげきが飛び、引き千切ちぎっていく。


 高位ルデラリズが最も恐れるのは、根核ケレーネルを破壊されることだ。


 武具による生半可な攻撃なら、直撃を食らったところでさしたる影響もない。それが魔術ともなれば別だ。魔術は無から有を生み出す力であり、強力であればあるほど絶対に直撃を避けなければならない。


「この程度で何を驚いている。まだまだ序の口だぞ」


 引き千切られた粘性液体が再び集結し始めている。言葉をわす僅かの時間で構築が勢いよく進んでいく。


(さすがに高位ルデラリズ根核ケレーネルの力がこれほどまでとはな。それに倒れた者たちを考えると、悠長ゆうちょうに構えている時間はない)


 そのとおりだ。高位ルデラリズを倒すのが先か、あるいは騎兵団五人の命が尽きるのが先か。時間との戦いでもある。


「もう一つ忠告だ。こちらにばかり意識を向けていてよいのか」

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