第365話:前門の虎、後門の狼

 言葉の意味が分からなかったのだろう。高位ルデラリズいぶかしげな視線を向けてくる。


 高位ルデラリズの後方だ。空に硬質音が鳴り響き、魔術の波動が伝播でんぱしていく。


「この強大な魔力は。なぜだ。なぜ今まで気づかなかったのだ」


 ここに来て初めて、高位ルデラリズの態度にあせりの色が浮かび上がる。


「魔術師、それもかなりの魔力量だ」


 高位ルデラリズにも感じ取れたのだろう。底が見えないほどの魔力が空間にあふれ出している。


 鈍色にびいろの光が走り、宙をゆっくりと長方形に切り取っていく。長方形内は漆黒の空洞だ。それが開ききったところで、内部から二人が姿を現す。


「遅かったですね。ワイゼンベルグ」


 先ほどまでとは一転、柔らかく優しさに満ちた口調だ。敵など眼前にいないかのごとくおだやかでもある。


「おお、ソリュダリア・ギリエンヌではないか。随分と久しいな。息災そくさいであったか」


 ワイゼンベルグはヴォルトゥーノ流現継承者ヨセミナの直弟子であり序列筆頭、比してソリュダリアは下位流派筆頭カヴィアーデ流序列四位の一師範代でしかない。


 実力差は歴然としている。それでいながら、この二人は妙に気が合い、互いを敬称なしで呼ぶ間柄あいだがらでもある。


 エルフ属には劣るものの、長命なドワーフ属のワイゼンベルグにしてみれば、ヒューマン属のソリュダリアは可愛い娘、いや孫みたいなものなのだろう。


 油断なく前後に気を配る高位ルデラリズを置き去りにしたまま、ワイゼンベルグとソリュダリアが談笑でもしているかのようだ。気軽に言葉を交わしながら、二人は決してすきを見せない。


 ワイゼンベルグはソリュダリアの真の実力を知っている。横にはルプレイユの賢者コズヌヴィオがいる。


 三人と対峙たいじする格好になった高位ルデラリズにしてみれば、まさしく前門の虎、後門の狼といったところか。


「ソリュダリアよ、こいつを始末すればよいのか。見る限り、悲惨な状況だ。すみやかに済ませよう」


 口ぶりからして、今にも攻撃を仕かけんとするワイゼンベルグに対し、ソリュダリアは首を横に振って静かに口を開く。ソリュダリアの決意の表明でもある。


「これは私が始末します。師父しふからの絶対の命でもありますゆえに。ワイゼンベルグ、貴男には倒れた者たちの救護をお願いしたく」


 律儀りちぎに頭を下げ、続けて横にいる男に視線を転じる。


「ルプレイユの賢者コズヌヴィオ殿ですね。この者たちのためにご助力をいただけないでしょうか」


 ソリュダリアはコズヌヴィオにも丁重に頭を下げ、協力をあおぐ。


「どうぞ頭を上げてください。私にはケイランガたちの矢に魔術を付与した者としての責任があります。彼らは私と友で引き受けます」


 コズヌヴィオはソリュダリアにうなづいてみせると、それでよいですねとばかりにワイゼンベルグに目を向ける。


「ソリュダリアよ、我が友もこのように言っている。何よりも、我が女神のおっしゃることは絶対だ。必ずそのくずを倒せ」


 大地に落としていた両刃戦斧もろはせんぷを肩にかつぎ直す。


「お二人に感謝いたします」


 ワイゼンベルグは満足そうに笑みを浮かべている。ソリュダリアも思わず釣られて笑みをこぼす。


「救護を急ぎましょう。かなり危険な状態です」


 コズヌヴィオの言葉で三人が動き出す。行動が決まれば即実行に移すだけだ。


 コズヌヴィオとワイゼンベルグは高位ルデラリズには目もくれず、騎兵団五人のもとへと走る。


「どういうつもりだ。高位の魔術師、しかも賢者がいるにもかかわらず、我と戦わぬというのか。められたものだ。小娘、お前はまさに千載一遇せんざいいちぐうの勝機を逃したのだぞ」


 高位ルデラリズの粘性液体がむち状に変化、即座にたばになってソリュダリアに襲いかかる。


 怒りと苛立ちに任せた攻撃など、いくら物量があろうとも、ソリュダリアにしてみれば児戯じぎにも等しい。攻撃の軌道は単純、殺意が乗っているならなおさらだ。


 ソリュダリアは見たうえで、再び右手の剣を突きつける。


「ワイゼンベルグ、彼女一人に任せてよかったのですか」


 ソリュダリアの依頼に頷いたものの、彼女の実力を知らないコズヌヴィオからすれば当然の問いかけだ。


 もう一つある。相手は魔霊鬼ペリノデュエズの中でも高位ルデラリズ、しかもその上位に当たる。


 ならば、三人の中で最も効果的な戦いができるコズヌヴィオが戦うべきだ。中距離あるいは遠距離からの強力な魔術なら確実に仕留められる。ワイゼンベルグが前衛を務めるなら、最上級魔術の詠唱時間さえ楽にかせげるだろう。


 最善を考えるなら、ソリュダリア一人に任せるべきではない。


「友よ、ソリュダリアは俺が認めた数少ない剣士だ。あの娘はヴォルトゥーノ流下位流派が一つ、カヴィアーデ流に身を置き、序列も四位だ。そのソリュダリアを我が女神がいたく気に入っておられてな。俺にはどうにも理解できなかった」


 下位流派の序列四位など、本流たるヴォルトゥーノ流から見れば格下もよいところだ。本流直弟子ともなれば、いずれは継承者にともくされるほどの実力者ぞろい、下位流派筆頭であろうと太刀打ちできない。


 コズヌヴィオは自力で動けるケイランガを除く四人に魔力を浸透させながら、ワイゼンベルグの話に耳を傾けている。無論、ソリュダリアにも魔力の意識を差し伸べている。


「多忙極める我が女神は面白そうな者を見つけてきては、直接稽古をつけられておる。俺もそうやって見出みいだされたのだ」


 その話は初めて出会った際に聞かされている。コズヌヴィオが初対面の剣匠ヨセミナから受けた印象は、まさしく師でもあるオントワーヌと同格、怪物だということだ。


「当時の俺は序列五位に上がったばかりだった。さらなる高みを目指す者にとって、女神から直接手解てほどきを受ける以上のものは存在せぬ。ゆえに俺は、おそれ多くも我が女神に直談判じかだんぱんしたのだ」


 一人語りを続けるワイゼンベルグはまずは馬上の二人、タキプロシスとバンデアロを両肩に軽々とかつぎ、コズヌヴィオのそばの大地に横たわらせる。


 コズヌヴィオは傾聴けいちょうしながら、二人の傷口に手をかざし、適切な治癒を施していく。治癒といっても快癒かいゆなど望めるはずもない。この場の適切とは、あくまでも止血と傷口のさらなる悪化予防程度だ。


「我が女神がいみじくもおっしゃったとおりだった。序列五位の俺と下位流派序列四位のソリュダリア、圧勝して当然だと確信していた。対峙した瞬間、俺は死を覚悟した。稽古であるにもかかわらずな。俺の自信は端微塵ぱみじんに吹き飛んだ」


 自嘲じちょう気味に語るワイゼンベルグが苦笑を浮かべている。コズヌヴィオは聞いてみたくなった。


「ヴォルトゥーノ流序列筆頭となった今の友と彼女が戦えばどうでしょう」


 わずかにしかつらを見せる。それだけで察しがつくというものだ。


「互いに持てる力の全てを出しきったとして、よくて相討あいうちであろうな」


 ワイゼンベルグにそこまで言わせるのだ。疑う余地など皆無かいむだろう。


 コズヌヴィオはタキプロシスとバンデアロの処置を終え、次の者のもとへ向かおうと立ち上がる。



 ソリュダリアは右手の剣を突きつけたままいまだに動いていない。その必要もない。


 襲い来る粘性液体のむちは一本一本が鋭利な細槍さいそうであり、それらが数十、数百と重なり合って破壊力を増している。ソリュダリアは攻撃軌道を全て見切っている。


"Cefmrh nazdmv bepriwu, viesihwfemis."


 ソリュダリアのくちびるから剣に秘められた力を解放するための言霊ことだますべり降りていく。


 つかから剣身を経て、切っ先へと淡いきらめきを伴った緑風りょくふうが走る。先端を起点にして、ソリュダリアを包みこむように広がっていく。


「咲き誇れ緑風花輪」


 前面に八輪、後面に八輪、直径およそ三メルクに及ぶ十六輪の緑風花があでやかに咲き乱れる。


「風花の数は無論のこと、威力も数段増しておるな」


 ワイゼンベルグはソリュダリアに対する賞賛の声を惜しまない。


 高位ルデラリズが繰り出した粘性液体の細槍の群れがソリュダリアを駆逐くちくせんと、全方位より集中砲火となって十六枚の緑風花輪ヴァンフレヴェルと激突した。


 すさまじい衝撃波がけ抜けていく。


 コズヌヴィオは軽く右手のひらを差し出す。その動作で前面に広範囲結界が即時展開され、迫り来る衝撃波を受け流す。


「実に面白い剣技です。反射ですか。しかも、精霊障壁の複数即時展開ですね」


 横に並び立ったワイゼンベルグが頷いている。


「初見で見抜くとはさすがだ。どうやら、ソリュダリアの本気が見られそうだな」


 ワイゼンベルグの視線はソリュダリアに注がれている。


(相手にとって不足はない。我が女神の誘いを蹴ってまで極めんとしたそなたの剣技、存分に振るうがよいぞ)


 まるで愛娘まなむすめにでも向けるような優しい目をしている。ワイゼンベルグの横顔にコズヌヴィオが視線を傾け、すぐに引き戻す。


(我が友にここまで言わせる貴女の真の実力、この目にするのが楽しみです)

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