第366話:ソリュダリアの本気

 コズヌヴィオはソリュダリアの剣技を横目にしつつ、次の治癒者たるシステンシアのもとへ足を進めている。


「友よ、あの魔術師が最もあやうい状態ではないか。先にずともよいのか」


 ワイゼンベルグの疑問は至極しごく当然だ。本来なら最優先すべきはシステンシアではなく、瀕死ひんしに近いアメリディオだろう。


 コズヌヴィオは問題ないとばかりに首を横に振ってみせる。


「あのエルフ属の方は最後です。既に自己修復魔術が発動しています。彼には優れた魔術師がついているようですね。友は彼の名をご存じですか」


 今度はワイゼンベルグが首を横に振る番だった。


「そうですか。では、彼女は」


 ワイゼンベルグは再び同じ動作を繰り返す。


「済まない。俺はラディック王国のみならず、リンゼイア大陸にはうとくてな」


 合点がてんがいったのか、コズヌヴィオはかすかにみを見せる。


 気を失ったままのシステンシアのそばかがみ、額の上に左手をかざす。ワイゼンベルグも心配そうにのぞきこんでいる。


「大丈夫です。大きな外傷はありません」


 コズヌヴィオは緻密ちみつな魔術制御にもけている。最初に魔力の網を伸ばした際、システンシアに触れるやいなや、特異な魔力体質に気づいていた。


「ソリュダリア殿のみならず、彼女もまた興味深いですね」


 魔術師としてのさがからは逃れられないようだ。コズヌヴィオは視線を上げ、自力で動けるケイランガに向けて言葉を発する。


「ケイランガ、急ぎこちらまで下がりなさい」


 高位ルデラリズの粘性液体によって皮膚の一部を溶かされたケイランガは何とか自力で立ち上がると、コズヌヴィオの指示に従う。


 身体を動かすたびに激痛が全身をさいなむ。命を落とすよりは格段によい。ケイランガは次期第一騎兵団団長とも目される一人、このようなところで倒れるわけにはいかない。


 足を引きずりながらも、周囲の観察も忘れない。どうやらタキプロシス、バンデアロ、システンシアはコズヌヴィオたちによって救護されたようだ。安堵しつつ、最も心配なアメリディオがなおも放置されている。


「コズヌヴィオ様、私などよりもアメリディオをお助けください」


 ふらつきながらも、どうにか辿たどり着いたケイランガが懇願こんがんしてくる。


 コズヌヴィオの返答は変わらない。ワイゼンベルグに説明したとおりのことを繰り返す。


「自己修復魔術、そのようなものが。アメリディオ、君はいったい」


 アメリディオに視線を向け、つぶやきをらす。


「とても複雑な魔術です。未だに入口の部分さえ解析できていません。恐らくは、エルフ属にのみ伝わる固有魔術で構築されているのでしょう」


 当代賢者でさえ解析が難しいほどの魔術だ。後回しで問題ないというコズヌヴィオの判断は正しいのだろう。


「コズヌヴィオ様、エルフ属の秘術といえば、ランブールグが持つジュラドリニジェも」


 小さくうなづく。


「ランブールグの魔弓もエルフ属の手によるものですね。彼らの鍛冶技術は既に失われたと伝えられています。そして、もう一つです」


 コズヌヴィオが指差した方向にケイランガが視線を転じる。


「ソリュダリア殿が振るう剣ですか。セレネイア姫の師匠でもありますね。確かに彼女の実力はひいでていますが、ヴォルトゥーノ流下位流派です」


 ケイランガが言いたいことはよく分かる。


「友よ、いかがですか」


 コズヌヴィオがワイゼンベルグに問いかける。ケイランガはいぶかしげな視線をコズヌヴィオの横に立つドワーフ属の男に向ける。


「コズヌヴィオ様、こちらの御方は」


 ワイゼンベルグはドワーフ属らしく、寡黙かもくな男だ。自ら進んで応じない。それに問われているのはコズヌヴィオだ。


「私の友ワイゼンベルグ殿です。ヴォルトゥーノ流現継承者ヨセミナ様の直弟子にして、序列筆頭の剣士ですよ」


 ケイランガが目を見張り、慌てて頭を下げる。


「ケイランガ殿、頭を上げられよ。俺にそのような礼は不要だ」


 恐る恐る顔を上げる。


 噂ばかりで、ヨセミナは無論のこと、他の継承者二人とも会ったことがないケイランガにしてみれば、彼らは雲の上の存在だ。その直弟子であり、序列筆頭ともなれば、実力はいかばかりか。容易に想像がつくというものだ。


「ソリュダリアの真の力を知りたければ、手合わせしてみればよい。下位流派だとめていたら、簡単に足元をすくわれるぞ。現に俺がそうだった」


 序列筆頭が足元をすくわれたなど、ケイランガにはにわかに信じられない。驚愕きょうがくの表情を浮かべ、ワイゼンベルグの顔を凝視する。


 その視線に気づいたのだろう。ワイゼンベルグは苦笑を浮かべ、言葉を続ける。


「ソリュダリアは実力をひた隠しにしている。理由など俺には分からぬがな。あの剣にしてもそうだ」


 ソリュダリアが振るっている剣はまぎれもなく業物わざものだ。ワイゼンベルグは初めて出会ったときのことを今でも鮮明に覚えている。


(本質とはなかなか変わらぬものだな。お前の美徳でもあろうが、かえって死を招くこともある。相手は人ではない。魔霊鬼ペリノデュエズなのだ。情け容赦は無用だぞ)



 高位ルデラリズの激しい攻撃は、ことごとくが十六枚の緑風花輪ヴァンフレヴェルさえぎられている。


 ようやく無駄だと悟ったのか、攻撃の手が止まる。ソリュダリアを完璧に護りきった緑風花輪ヴァンフレヴェルは未だ健在だ。一枚も欠けていない。


「ほうほう、すさまじい結界だな。我の攻撃が一切通じぬか。ならば、手を変えねばならぬな」


 小娘とあなどっていた高位ルデラリズの態度が豹変ひょうへんする。


「お前は我と戦うに相応ふさわしい戦士だ。見縊みくびっていたことを謝罪しよう。そして、敬意をもって全力でほうむってやろう」


 ソリュダリアは高位ルデラリズの言葉に意表を突かれたか。わずかに驚きの表情を浮かべ、すぐさま消し去る。


魔霊鬼ペリノデュエズから敬意などという言葉が聞けるとは思わなかった。お前たちは勝つためなら、いかなる手段もいとわぬであろう」


 改めての仕切り直しだ。


 出方をうかがっているのか、互いに動かない。ソリュダリアを包む緑風花輪ヴァンフレヴェルだけが揺れ動いている。


(何だ、この全身を刺激する嫌な感覚は)


 なぎのごとく静止しているソリュダリアを見下ろす。あくまでも優位なのは自分だ。それは自信であり、揺るぎない確信でもある。


(あの小娘からではない。もっと上位の存在、賢者か。いや、違う)


 思考がまとまらない。魔霊鬼ペリノデュエズになって初めて味わう得体の知れない不気味さに戸惑いを隠せない。


 いつしか、高位ルデラリズの身体が揺れている。


「どうした。身体が揺れているぞ」


 ソリュダリアの口調は冷酷そのもの、仲間と相対する際とは雲泥うんでいの差だ。


 告げられて、ようやく気づく。一瞬とはいえ、恐怖心をつのらせたことで高位ルデラリズに火がつく。


「認めよう。お前もまた強者であると。ここからは本気だ。全力でほふって、我のえさとしてくれる」


 唯一残った根核ケレーネルから凄まじい邪気じゃきが発せられる。白濁の粘性液体が漆黒に染まり、闇と同化していく。


「手段を選ばず。なりふり構わずだな」


 天に輝く三連月が欠け始めて、まもなく一ハフブルになる。


 主物質界に最も近い紅緋月レスカレオは大半が欠けている。藍碧月スフィーリア槐黄月ルプレイユも半分以上が影に入り、明るさを失っている。地上を照らす光はほぼないも同然だ。


 闇に完全同化した高位ルデラリズは気配すら感じさせず、ソリュダリアに近づいていく。確実に仕留めるため距離を詰めている。


「師父ヨセミナ様の命は絶対だ。ならば、私も出し惜しみなどせず、全力でお前をほうむろう」


 ソリュダリアが動く。


 右手の剣を最上段にかかげ、言霊ことだまを朗々と唱える。


“Ceaf qpiu xizne, misec kislii.”


 十六枚の緑風花輪ヴァンフレヴェルが剣にいざなわれ、ソリュダリアの頭上で重なり合い、大輪となって咲き誇る。


≪ようやく私を呼ぶ気になったのね。随分と待たされたわね、ソリュダリア≫


 緑風花輪ヴァンフレヴェルが左右に四枚ずつ分かたれ、広がっていく。


 花は美しい淡碧緑たんへきりょくきらめきながら、左右二対の羽へと変貌する。それに応じて、中心部分の八枚もまた優美な身体を構築していく。


≪本当にごめんなさい。私の力と覚悟が足りなかったの。もう大丈夫よ。私に力を貸して。愛しい風の精霊スフェルエレネ≫


 スフェルエレネは四枚の羽を小刻こきざみにふるわせ、ソリュダリアの頭上でとどまっている。


 細くしなやかな腕を伸ばし、ソリュダリアの髪を優しくでる。スフェルエレネの全身は淡碧緑に染まり、高い透過度を誇っている。


 間違いなく、る者をとりこにするだろう美しい顔立ちだ。腰まで伸びる同色の長い髪が柔らかな風と共に踊っている。衣をまとっていながら、はっきりと視認できる姿形はこの世のものとは思えないほどだ。


≪いいわよ。それがソリュダリアの願いなら、私がこばむことなどないわ。あれをめっすればいいのね≫


 主物質界において、ここまで強く具現化した精霊は珍しい。それだけソリュダリアとスフェルエレネの結びつきが強固なのだ。


≪ええ、容赦なくね。行くわよ、スフェルエレネ≫


 ソリュダリアは闇に溶け込んだ高位ルデラリズほろぼすべく、掲げた剣を一気に振り下ろした。

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