第367話:決着の刻

 切っ先を起点にして、全方位の大気が激しく震え出す。スフェルエレネによる振動は風波となって、あらゆるものを駆逐くちくしていく。


 いかに高位ルデラリズが闇に乗じて獲物を仕留めんとしたところで、風の精霊たるスフェルエレネの目からは決して逃れられない。


 そもそも、精霊は異界の存在、主物質界に具現化した際はそのことわり範疇はんちゅうに置かれるものの、完全に縛られているわけではない。


 その一例がソリュダリアとスフェルエレネの関係だ。


 精霊は主物質界の住人と契約することで、精霊界の掟を主物質界に持ちこめる。今のスフェルエレネにとって、人が頼りにせざるを得ない五感は全く必要ないのだ。


 四枚のき通るような淡碧緑たんへきりょくの羽が震え、なおも大気を揺らしていく。


 ソリュダリアにもえている。これも契約がもたらす効果の一つだ。スフェルエレネが視ているものが、そのままソリュダリアの脳裏に展開されている。


≪ソリュダリア、どうしてほしいの≫


 スフェルエレネらしい問いかけに、ソリュダリアは表情一つ変えず、即答をもって返す。


≪闇をぎ取り、白日はくじつもとに≫


 羽ばたきをもってこたえる。スフェルエレネの美しい身体がはるか上空へとけ上がっていく。


≪任せておきなさい≫


 ソリュダリアの視線が持ち上がる。


(随分と上空まで。楽しんでいるわね。よかったわ)


 安堵あんどであり、謝罪でもある。ソリュダリアの心は複雑すぎた。それを見抜けたのは二人しかいない。


 しくもいましめの言葉は同じだった。脳裏によぎる。


「使うべきときに使わずして、何のための力か。それによって、お前が死ぬのは勝手だ。だが、まもるべき者を護らずして見過ごすのは、お前の傲慢ごうまんだ」


 頭を痛打された気分だった。


 過ぎたる力は己をも滅ぼす。スフェルエレネがなぜ己を選んだのか。ずっと怖くて聞けなかった。


 異界の住人との契約は、力を示し、己が上だと証明しなければ成立しない。最低でも対等な関係が求められる。


 どう考えても、スフェルエレネが圧倒的上位だ。にもかかわらず、契約はった。スフェルエレネはいったい己の中に何を見つけたのだろう。


 契約直後、ソリュダリアは一度だけ精霊の力を解放した。当時はまだスフェルエレネという名はなく、ただの風の精霊にすぎなかった。


 眼前に広がる惨状にソリュダリアの心は壊れかけた。二度とこの力を使うまい。固く誓って、力を封印した。そこからだ。ソリュダリアの苦悩が始まったのは。


「今の私は違う。素晴らしい師父しふ、友、そして弟子との出会いが私を変えた。何よりも彼女がそばにいてくれるからこそ、私は私でいられる」


 ソリュダリアは振り下ろしていた剣を再びかかげる。


 既にスフェルエレネの姿は視認できないほどの高度に達している。上空四千メルクを超えている。


≪ソリュダリア、いつでもいいわよ≫


 スフェルエレネの準備は整っている。瞬時に二千メルク以上を翔け上がった影響は誰の目から見ても明らかだろう。


「友よ、ソリュダリアの本気の攻撃が来るぞ」


 ワイゼンベルグに言われるまでもない。コズヌヴィオの目はソリュダリアと風の精霊の動きを、とりわけ魔力の動きをつぶさに観察している。


すさまじいまでの上昇気流を発生、それを反転させることで今度は下降気流へと転じる。この周囲一帯を崩落ほうらくさせるつもりですか」


 傍観ぼうかんしているだけではない。コズヌヴィオは広範囲結界を即時展開、スフェルエレネによる急激な下降気流攻撃に備える。


 ソリュダリアの視線がわずかにこちらに向けられたことをコズヌヴィオは感じ取った。


「来ます」


 掲げた剣の剣身が美しい淡碧緑に染まっている。ソリュダリアは剣を振り下ろす代わりに、ただ一言だけ言霊ことだまを唱えた。


"Cajahwifuiye."


 剣身がきらめく粒子と化して四散していく。発生した上昇気流は粒子を取りこみ、淡碧緑へといろどられていく。


「何という魔力量、これがソリュダリア殿の本気ですか」


 人が有する魔力量は、属によっておおむねね決まっている。鍛錬したからといって、一朝一夕いっちょういっせきで増やせるものではないうえ、当然上限値も定められている。


「ソリュダリアがあれほどの魔力量を持つのか、俺も知らぬがな。あの娘は備わった膨大な魔力を極端に恐れていた」


 ソリュダリアの全身もまた淡碧緑の光で満たされている。あふれ出す魔力がそうさせているのだ。


「ソリュダリア殿が魔術師としての道を歩んでいたならと、つくづく思いますよ。ですが、人の運命など誰にも分かりません。不謹慎かもしれませが、だからこそ面白いのでしょう」


 コズヌヴィオの本心だ。


 ソリュダリアが魔術師の道を知り、幼い頃から歩んでいたなら、魔術高等院ステルヴィアも放っておかなかっただろうし、もしかしたら賢者候補になっていたかもしれない。


「ああ、友の言うとおりだ。ソリュダリアはまぎれもなく卓越した剣士、今や次期後継者候補最有力であろうな。随分と遠回りしたものだ」


 ソリュダリアの全身を包む光が淡碧緑から濃碧緑のうへきりょくへと変じた。


≪スフェルエレネ、私の魔力を受け取って≫


 光は強さを増し、上昇気流が瞬時に下降気流へと転じる。


 翔け上がった淡碧緑は、濃碧緑となって翔け下り、刹那せつなの内に周囲の漆黒をぎ取っていった。


「恐れ入りますね。あれほどの攻撃を仕かけながら、極小範囲での魔力制御ですか」


 コズヌヴィオが感嘆かんたんの声を上げている。


 周囲は濃碧緑の輝きで満たされ、紛れこんだ異物だけが白日の下にさらされている。


「異物は排除されるべきね。私たちの目からはのがれられないわよ」


 剣身のない剣を下段に置いたソリュダリアの姿が消えた。


 カヴィアーデ流の神髄しんずい、まさしく自然と一体になった無駄のない動きは誰の目にも止まらない。ワイゼンベルグはもちろん、コズヌヴィオでさえ見逃すほどの速度だった。


 まばたきに満たない間に、ソリュダリアは高位ルデラリズの眼前で静止、下段の剣が鋭く振られ、を描き出す。


 依然として剣身は存在しない。はがねやいばなど必要はない。剣身を形作るのはソリュダリアの魔力であり、それはすなわち魔力の全てを食うスフェルエレネだからだ。


 ここに精霊剣ミオルイェーレは成った。


 弧は正円へと受け継がれ、宙に濃碧緑の軌跡を残しながら一回転、再び下段の位置に戻った刻、全てが完遂かんすいしていた。


 高位ルデラリズ根核ケレーネルを斬られたことすら気づかなかった。音もなく斬り裂かれた根核ケレーネル破片はへんとなって宙に舞っている。


「よもや、このような結末を迎えようとはな。真なる強者よ、見事だ。だが、これで終わりではないぞ」


 ソリュダリアは残心ざんしんいていない。


「知っているわ。お前に残された唯一の核、根核ケレーネルと呼ぶそうね。根核ケレーネルはたとえ粉々になろうとも容易に再生する。だから、こうするわ」


 右手に握っていたはずの剣が、左手にも握られている。


 高位ルデラリズは砕かれた根核を通じて、はっきりと認識できた。


「馬鹿な。剣が二振ふたふりだと。いつの間に」


 ソリュダリアは左手にした剣をもって、精霊剣ミオルイェーレが描き出した正円をなぞるがごとく、真逆の軌跡をもって一回転させる。


「精霊剣ユヌフィレーヴェ、ミオルイェーレとついを成す双子精霊剣よ」


 ミオルイェーレの風の力でくだかれた根核ケレーネル欠片かけらに凄まじい豪炎ごうえんまとわりつき、容赦なく焼き尽くしていく。


 豪炎の勢いはとどまるところを知らず、焼き尽くすだけでは飽き足りないのか、大地にこぼれた粘性液体をもみ込み、瞬時に気化させていく。


「風に加えて、炎の力をも。よもや、ここまでとはな。嬉しい誤算であった」


 最後に残った一欠片ひとかけらが燃え尽きようとしている。


「私の師父を誰だと思っているの。ヴォルトゥーノ流現継承者にして三剣匠が一人、紅緋べにひたるヨセミナ様よ」


 欠片の奥底で高位ルデラリズの最後の意識が驚きの声を上げたような気がした。


「小娘、いや偉大なる武人よ。賞賛を贈ろう。強き者に破れた。それだけだ。我は滅びる。だが、我が残したのはこれだけではないぞ」


 炎が苛立いらだっている。


≪何を長々としゃべっているのよ。さっさとほろびなさいよ≫


 炎の中にさらに強い炎をくべる。最後の欠片が完全に消滅した。


 ソリュダリアは炎を見上げ、頭を下げる。


≪有り難う、スフィレリアレ。私を助けてくれて≫


 最後まで言わせてはくれない。スフィリレアレの怒りが熱となって一気に押し寄せてくる。


≪遅いわよ。ほんと、馬鹿じゃないの。もっと早く呼びなさいよ。私が護ってあげなければ死んでいたわよ≫


 耳元で騒ぎ立てるスフィレリアレをなだめるのは至難しなんわざだ。


 たまらず、スフェルエレネに助けを求めるソリュダリアだった。

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