第368話:賢者の葛藤と師による試練

 コズヌヴィオが呆然ぼうぜんとしている。予想だにしていなかった。ワイゼンベルグは知っていたのだろう。


「我が友よ、よく分かるぞ。俺も全く同じ気持ちだったからな」


 魔術師なら誰しもが知っている。


 複数の精霊を使役することがいかに難しいか。契約を絶対条件とする使役は、関係性もさることながら、多大な対価を求められる。


「それにしても、双子精霊剣か。俺も初めて目にするが、何とも恐ろしいな」


 全くもって同感だ。


 コズヌヴィオはソリュダリアと、彼女の頭上で何やらめている二体の精霊を食い入るように見つめている。


高位ルデラリズは滅んだ。この場の戦いも終わりだな。最後に残ったあの者を回収すれば」


 ワイゼンベルグの視線が、倒れたままのアメリディオに向けられる。いまだ微動だにしないアメリディオには自動修復魔術が働いている。賢者であるコズヌヴィオが断言しているのだ。信じるに足る十分な理由がある。


 コズヌヴィオの返答を待つまでもなく、ワイゼンベルグがアメリディオのもとへ近寄っていく。かつぎ上げたところで影響はないだろう。


 アメリディオのかたわらにしゃがみ込んだワイゼンベルグが、隻腕せきうわんを首元に回そうとしたそのときだった。


「ワイゼンベルグ、離れてください」


 急を告げるコズヌヴィオの叫びよりも早く、ワイゼンベルグは大量の血を吐き出していた。


「ぬ、抜かったわ」


 いつの間にか、腹部ふくぶつらぬかれている。見間違うはずもない。鋭利なやり状と化した粘性液体だ。


「ワイゼンベルグ」


 ようやく気づいたソリュダリアの悲鳴がとどろく。


 刹那せつなの停滞、ソリュダリアと精霊たちは無論のこと、コズヌヴィオでさえ動けない。


 より上位の者同士の戦いともなれば、それは致死へと至る明確な道だ。


「だから言ったであろう。これで終わりではないぞ、とな」


 ワイゼンベルグは腹部を貫く粘性液体の槍を隻腕でつかみ、強引に後方へと跳躍した。


 槍の進入軌道に逆らわず、全身の力を弛緩しかんさせたことで、辛うじて脱出はった。


 口からあふれる血はなおも止まらない。内臓が損傷しているのだ。


「馬鹿な。お前は、滅んだはずだ。なぜだ」


 言葉を発するのと吐血とけつは同時だ。


「ワイゼンベルグ、お願いだからもうしゃべらないで。ああ、私が、私がもっと」


 ソリュダリアの懇願こんがんは届かない。ワイゼンベルグはヴォルトゥーノ流の直弟子にして序列筆頭だ。この程度で倒れるような男ではない。


「ねえ、スフェルエレネ、スフィレリアレ、どうにかできないの。このままでは」


 即座に声が返ってくる。


≪無理よ。それはソリュダリアが誰よりも理解しているでしょう≫


 にべもないスフェルエレネの言葉に、ソリュダリアは項垂うなだれるしかできない。


「この刻を待っていた。我の仕かけた罠に誰が最初にはまるのか。誰でもよかったのだがな。我にとっては実に幸運であった」


 相変わらずの饒舌じょうぜつぶりだ。


 片ひざを落としたままのワイゼンベルグをまもるようにしてコズヌヴィオが立ちはだかる。


 声はすれど、高位ルデラリズの実体はない。戦える者たちが状況を整理しきれないまま、再びの脅威にさらされているのは明白だった。


(まずい状況です。我が友はもはや戦えない。ソリュダリア殿も魔力を使い果たしている)


 粘性液体の槍はワイゼンベルグの血によって深紅に染まっている。血は乾く間もなく粘性液体内に吸収され、白濁を深紅に変えながら、アメリディオの体内へと注がれていく。


「ほうほう、これはまた美味なる血だ。ドワーフ属にしては魔力にもすぐれている。これなら我の復活も早かろう」


 もはや一刻の猶予ゆうよもない。復活などさせるわけにはいかない。コズヌヴィオは意を決して、呪文の詠唱に入る。


「賢者よ、詠唱などしてもよいのか。この身体は人であるぞ。我を滅するということは、この者を滅すると同義だ」


 狡猾こうかつな揺さ振りを前に、コズヌヴィオはたまらず詠唱を止めてしまう。


 詠唱の途中破棄など、魔術師としては失格だ。魔術は不可逆であり、たとえ詠唱途中であろうと還元かんげんはできない。結果として、そのまま術師に跳ね返る。


(左腕一本で済みましたか。素直に喜ぶしかありません。これで迂闊うかつに手出しができなくなりました)


 左腕、とりわけひじから下の毛細血管が破裂したことで血まみれになっている。しばらくは使い物にならないだろう。


「コズヌヴィオ様」


 弱々しくも、救いを求める声が後方から聞こえてくる。


 敵を前にしながら、それでも声の方向に振り返る。助けを求められている。賢者として弱者を護るのは当然だ。


「ケイランガ、すぐに行きます。精神を集中しなさい」


 いったいいつの間にと思う暇もなく、ケイランガの全身は粘性液体で覆われてしまっている。このままでは粘性液体の餌食えじきだ。それはすなわち同化への一歩となる。


「まさか、それでは」


 コズヌヴィオの視線が矢継やつばやに救出した他の三人、タキプロシス、バンデアロ、システンシアへと順に動いていく。


 状況は同じだった。三人の身体は粘性液体によって支配されている。彼らは共に意識が戻っていない。救出の声が出せなかったのは致し方がない。


 その四人からコズヌヴィオめがけて、粘性液体の鋭い矢が幾本も射出された。


(この者たちを殺すわけにはいきません。彼らは人なのです)


 咄嗟とっさに前方に防御結界魔術を展開する。それが賢者としてのコズヌヴィオにできる今の精一杯だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


そろいも揃って、この馬鹿どもが。なぜ、そこで躊躇ちゅうちょするのだ」


 忌々いまいましげに吐き捨てる。


 隣に立つ者は無言だ。その代わりに顔には深い憂慮ゆうりょが刻まれている。


 大渓谷をはさんだ対岸、数百メルク上の断崖だんがいに立つ二人がコズヌヴィオたちの動静を俯瞰ふかんしている。


「弟子の不始末は師たる私の責任でもある。手出しするつもりはなかったが、むをまい」


 左腰に吊るした魔剣アヴルムーティオを優雅に引き抜く。右斜め上段に構えた紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランが神秘的な紅緋べにひの炎をまとい、美しくきらめいている。


「いや、待てよ。最も重き責任を取るべきはソリュダリアだな」


 紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランを握る手から力を抜き、構えを解いて下段に落とす。


「師の不始末は弟子がぬぐう。それもまた道理だ。セレネイア、奴らの窮地きゅうちを見事に救ってみせよ」


 強制という名のもとに、いきなりの大役を任されてしまったセレネイアが狼狽ろうばいしている。明らかに己の実力を上回る試練だ。


「ヨセミナ様、私にはとてもできそうにありません。師匠の実力を初めての当たりにしましたが、あそこまで強い師匠が倒せなかった相手なのです」


 ヨセミナが紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランをセレネイアの喉元のどもとに突きつける。セレネイアは一歩も動けなくなっている。


「この魔剣アヴルムーティオ紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランという。私がヴォルトゥーノ流現継承者となったその日に、大師父様より下賜かしされた命よりも大切な剣だ」


 セレネイアはヨセミナの意図が分からないままに沈黙を守っている。


紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランは私が継承者として戦う刻にのみ手にする必殺剣だ。振るえば必ず勝つ。大切な者をまもるためにな。セレネイア、問うぞ。お前が手にする剣は何だ。何のために、誰のために、その剣を振るう」


 セレネイアは視線を下に落とし、なおも口をつぐんでいる。


(全くこのお姫様にも困ったものだ。ソリュダリアもそうだったが、悩んでばかりでは何も解決できないのだぞ)


 ヨセミナが最後のひと押しをする。それがセレネイアにとって、あまりに残酷な問いかけになると分かっていながら、あえて口にする。


「セレネイア、お前はまさにあの場で餌食えじきになろうとしているのが、お前の可愛い妹たちであっても、そうやってだんまりを決めこむのだな」


 セレネイアの顔が勢いよく持ち上がる。その瞳に怒りの感情が映し出されている。


無謀むぼう短慮たんりょは愚者の証だ。己の思考にとらわれ、結論を先送りするのも同様だ。いや、後者の方がより重罪だろうな」


 ヨセミナのとどめともいうべき言葉にセレネイアはくちびるみしめ、ようやくその重い口を開く。


「ヨセミナ様、私もこの魔剣アヴルムーティオ皇麗風塵雷迅セーディネスティアをフィア様を通じてレスティー様より頂戴いたしました。私は何としても皇麗風塵雷迅セーディネスティアを自在に使いこなせるようにならなければなりません」


 今度はヨセミナが黙って聞く番だ。続けろと目で先をうながす。


「今の私では、まだまだ実力不足です。それでも愛する者たちのため、彼らの命を護るため、私は皇麗風塵雷迅セーディネスティアを振るい続けます」


 ヨセミナが珍しく微笑を浮かべている。女のセレネイアから見ても、胸が跳ねるほどのあでやかさだ。


「ようやく覚悟できたか。少しばかり遅かったが、いいだろう。やれるな、セレネイア」


 セレネイアが強くうなづく。


 さやから抜き放った皇麗風塵雷迅セーディネスティアつかを右手で握りしめている。


「獅子は我が子を千尋せんじんの谷に落とす。セレネイア、行ってこい」


 ヨセミナは一際ひときわ強烈な笑みを見せ、セレネイアの両肩に手をかけると、軽々とつかみ上げ、大峡谷の真っ只中に放り投げた。


「死ぬなよ、セレネイア。死んだら許さんぞ」


 セレネイアの凄まじい悲鳴が大峡谷に木霊こだまする中、ヨセミナは落下していくセレネイアの姿をさも満足そうに見つめていた。

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