第369話:美しい師弟関係

 およそ二百メルクの落下だ。時間にして十フレプト足らずとはいえ、心の準備もないままにいきなり放り投げられたセレネイアにしてみれば、たまったものではない。


「いきなりすぎたか。さすがにヒオレディーリナ様のようにはいかないな。お前が手にする魔剣アヴルムーティオの力さえ解放できれば容易なのだがな」


 放り投げた張本人、ヨセミナは悪びれた感など微塵みじんもなく、セレネイアの動きを観察している。


 魔剣アヴルムーティオの解放とひと言で言っても、その方法は多種多様だ。


 現に、ヨセミナの紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランと、セレネイアの皇麗風塵雷迅セーディネスティアとでは、魔力をめるという一点においてのみ共通、そこからの手法は全く異なっている。


「だから、私が教えることはできん。セレネイア、お前自身の手で探求するしかない」


 セレネイアは落下しながらも必死に思考を続けている。既に目的の場所まで五フレプトを残すばかりだ。


≪ちょっと、何やってるのよ。このままだと谷底まで一直線よ。貴女が死ぬのは勝手だけど、私まで巻き込まないでよね≫


 セレネイアの脳裏に皇麗風塵雷迅セーディネスティアとがった声が響く。脳内を占領するほどの勢いで押し寄せてくる。これではまともに思考もできない。


≪師が師なら、弟子も弟子ね。そっくりだわ≫


 その発言だけは看過かんかできない。


 セレネイア自身に対する苦言なら、たとえどのような内容でも受け入れるつもりだ。それが師たるソリュダリアとなれば別問題だ。


 尊敬するソリュダリアを侮辱ぶじょくされ、笑って許せるほどにセレネイアは達観できていない。


 セレネイアが反論しようとしたところで、皇麗風塵雷迅セーディネスティアの言葉がかぶさるように来た。


≪使うべき相応ふさわしいときに力を使わずして、何のための力なの。それも分からないような馬鹿な子供なの≫


 しくも、ヨセミナが弟子たるソリュダリアにかけた言葉とほぼ同じだった。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアは、暗に自分を今こそ振るえ、と言っているも同然だ。彼女の本音に気づかないセレネイアではない。


皇麗風塵雷迅セーディネスティアはまるで私の母のようですね≫


 残り一フレプトだ。


 セレネイアは表情を微笑に変え、右手にした皇麗風塵雷迅セーディネスティアを斜め上段から袈裟けさに斬り落とした。


≪それでいいのよ。それから、誰が母ですって。馬鹿も休み休み言いなさいよね。だから、いつまでも子供なのよ≫


 突き放すような物言いながら、皇麗風塵雷迅セーディネスティアの思いは他のところにある。


 セレネイアにも伝わっている。あえて言葉にする必要などない。まずは互いが互いのすべきことを成すだけだ。


 セレネイアの瞳は着地すべき大地の一点を明瞭にとらえている。そこに向けて斬撃を放っている。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアも、セレネイアの意図を完璧にみ取っている。だからこそ、セレネイアの足元を最終目標点と定め、着地点を起点にして上昇気流を発生させたのだ。


 セレネイアの両足の裏に皇麗風塵雷迅セーディネスティアの上昇気流が到達、風が全身に制動をかける。それによって、落下しているセレネイアの身体は見事に宙で静止していた。


≪下ろすわよ。何を成すべきか、分かっているわね≫


 端的ながらも、世話を焼く皇麗風塵雷迅セーディネスティアは、やはりセレネイアが心配なのだ。


 上昇気流が下降気流に変わり、セレネイアの身体をゆるやかに着地点へといざなっていく。


≪何とか間に合ったな。セレネイア、根核ケレーネルの肉芽を甘く見るなよ。今のお前なら、どのように対処すべきか分かるはずだ。期待しているぞ≫


 魔力感応フォドゥアだ。


 セレネイアの脳裏にヨセミナの言葉が刻まれる。ヨセミナもまた皇麗風塵雷迅セーディネスティア同様、セレネイアが心配でたまらないのだろう。


 無論、おくびにも出さないヨセミナではある。セレネイアは力強くうなづき、感謝の言葉を返す。


 空から降りてくるセレネイアを、ソリュダリアもコズヌヴィオも視界にとらえている。二人は当然ながら、セレネイアのおよそ二百メルク上空にいるヨセミナにも気づいている。



 この絶好の機会を高位ルデラリズが逃すはずもない。戦いの最中さなかにもかかわらず、意識が戦いの外に向けられている。


「愚かな奴らだ。我以外に意識を傾けるとは、よほど死にたいらしい。ひと思いにまとめて始末してくれようぞ」


 高位ルデラリズの操り人形と化しているタキプロシス、バンデアロ、システンシア、それぞれの両手がゆっくりと持ち上がる。


 唯一、意識を保っているケイランガだけが抵抗しているものの、高位ルデラリズによる粘性液体の支配力が強いのか、ゆっくりと持ち上がっていく。


「死ぬがよい」


 三人の手先から粘性液体による矢が無数発射された。遅れてケイランガの手先からもだ。矢は生き残った者たちへ容赦なく襲いかかる。


 絶対的な強者との戦いは、わずかでもすきを見せたが最後、死に向かってまっしぐらだ。


 油断はまさしく死と同義、矢が急所を射貫こうかという刹那せつな、液体の矢がことごとく紅緋べにひの猛炎に包まれ、気化していく。


 大音量となって空から声が降ってくる。


「しばし大人しくしていろ。お前の相手をするのは私ではないが、それ以上うろちょろするなら、今すぐ消すぞ」


 淡々と語る口調は冷酷で、逆らう気を根こそぎいでいく。それほどまでの圧が、言葉の中に秘められている。


 高位ルデラリズの動きは見事に止まってしまった。いや、強制的に止められているのだ。


「お前たちは何をやっている。先ほどからていたが、あるまじき失態続きだぞ。戦いの最中、よそ見をするとはいい度胸だな」


 憤懣ふんまんやるかたないとは、まさに今のヨセミナだろう。さらに続ける。


「コズヌヴィオ、お前はオントワーヌの弟子だ。私が言うことではないが、オントワーヌならば、そもそもこのような状況を招いてはいない。師の名をけがさぬよう、いっそう精進しろ」


 ヨセミナは項垂うなだれるコズヌヴィオから、次の標的に視線を移す。


「ワイゼンベルグ、いつまで寝ているつもりだ。私はお前をそれほど軟弱にきたえた覚えはないぞ。立ち上がって、獲物えものを握れ。できないなら、直弟子筆頭の地位を返上してもらおう」


 女神の言葉に応えないわけにはいかない。ワイゼンベルグは腹部を押さえながら、両刃戦斧もろはせんぷつえ代わりにして何とか立ち上がる。


 ふらつき、倒れそうになったワイゼンベルグにけ寄ろうとするコズヌヴィオに、余計な世話だとばかりに血まみれの手を突きつける。ワイゼンベルグの意地がそうさせている。


「我が女神ヨセミナ様、お見苦しい姿をお見せしてしまいました。ひとえに油断が招いた大失態、面目次第もございません。この汚名は必ずやそそいでみせましょう」


 ヨセミナが神速で紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランを振るう。もちろん、攻撃のためではない。


 一枚の花びらがワイゼンベルグの目の前に浮かび上がる。紅緋に彩られた花びらは炎をまとって、出血し続ける腹部に溶け込んでいく。


「おお、これは紅櫻こうおういやし」


 熱さを全く感じさせない炎は、ヨセミナの魔力による産物だ。体内に溶け込んだ炎が、損傷部位を癒していく。


 癒すといっても完璧な治癒ではない。傷口をふさぎ、出血を止めたりするだけのものだ。体力のある者にとっては、それだけでも大きな効果をもたらす。


 ヨセミナは最後の一人に視線を転じた。標的となる本人は既に何を言われるか、分かっているのだろう。完全に委縮いしゅくしてしまっている。


「ソリュダリア、お前には失望した。精霊剣を使ったまではよかったが、魔力が尽きるほどに精霊に頼るとは何事だ。挙げ句、根核ケレーネルの力を見誤るとはな。本当にがっかりだ」


 コズヌヴィオ以上に項垂うなだれて小さくなっているソリュダリアをさすがに気の毒に思ったか、セレネイアが割って入る。


「ヨセミナ様、どうかその辺でご容赦を。ここからは、私が師匠の分まで」


 ヨセミナは表情一つ変えず、さらに言葉を落とす。


「ソリュダリア、そういうことだ。失望はしたが、お前にしてはよくやったと言っておこう。ここから先は弟子の成長を見守れ」


 即座に片膝かたひざをついたソリュダリアが頭を下げる。


御意ぎょいのままに」


 ヨセミナからの返答はない。


 立ち上がり、顔を上げたソリュダリアの視線がセレネイアに注がれる。お互いに戸惑いを隠せない中、先に言葉を発したのはソリュダリアだった。


「セレネイア、済まない。お前もまだ修行のなかば、迷惑をかける。私の不始末を弟子のお前に押しつけるなど、はなはだ不本意だが。頼めるか」


 ソリュダリアが深々と頭を下げる。


 ラディック王国における身分は、第一王女たるセレネイアが圧倒的に上だ。


 カヴィアーデ流における剣の世界では、師たるソリュダリアが上位者であり、セレネイアはそんな彼女を心から尊敬している。


「師匠、どうか頭を上げてください。私もヨセミナ様にきたえられ、以前よりも強くなりました。ここは私に任せてください」


(美しい師弟関係だな。よし、奴の呪縛をく。セレネイア、お前の本気を見せてみろ)


 ヨセミナは抜刀ばっとうしていた紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランさやに納める。


 その瞬間、高位ルデラリズを封じていた呪縛が消え去る。自由を取り戻した高位ルデラリズが即座に動いた。

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