第370話:意思の齟齬が生み出す致命の隙

 高位ルデラリズが自在に動かせる手持ちの駒は四枚だ。セレネイアを新たな敵と認め、即座に攻撃に移る。意識喪失状態の駒三枚は即時展開、一枚は遅延ちえんにならざるを得ない。


 粘性液体の侵略を受けながらも、おのが意識を保ち続けているケイランガが大声を張り上げる。


「セレネイア姫、お逃げください」


 セレネイアは動かない。集中状態でもケイランガの声は確実に届いている。


 既に逃げ場など、どこを探してもない。唯一、あるとすれば上空だ。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを扱えば移動は容易たやすいだろう。


「逃げたところで意味がありません。当然、想定内でしょう」


 素直に吐露とろしたセレネイアが、手にした魔剣アヴルムーティオに尋ねる。


皇麗風塵雷迅セーディネスティア、彼らの中にあるものを沈黙させられますか≫


 セレネイアは右斜め正眼に魔剣アヴルムーティオを不動で構えている。握る手にはほとんど力がめられていない。必要がないからだ。


 現時点で、セレネイアと皇麗風塵雷迅セーディネスティアの関係は対等ではない。上位に立つ皇麗風塵雷迅セーディネスティアの意思が優先される。


 セレネイアは魔力の供給源に過ぎない。半面、セレネイアにとって、有利に働く場合もある。意思疎通そつうにおいて、認識が一致しているなら、セレネイアは自ら剣を振るう必要がなくなる。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが自らの意思に基づいて動くからだ。望むべき、るべき関係が、必ずしも正しいとは限らない。


(そうだ、セレネイア。そうやって魔剣アヴルムーティオと意思を通わせながら、馴染なじませていく。今のお前は主従で言うなら、従の立場だ。対等に並び立つには様々な手法がある。お前はどの道を選ぶのか。時間もあまりないぞ)


 戦いを俯瞰ふかん的に見つめているヨセミナは、セレネイアのみならず、ソリュダリアやワイゼンベルグ、さらにはコズヌヴィオの動向にも注意を払っている。


 手を出すつもりは毛頭ない。今のところだ。一人でも命の危険にさらされるなら、問答無用で介入するつもりだ。


(私に手を出させるなよ。お前たちだけの力で切りひらいてみせろ)


 心で思いつつ、ヨセミナの右手は紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュラン柄頭つかがしらにある。



 正面と左右、三方向からの攻撃がセレネイアに襲いかかる。


≪力を抜いて、私だけを落とさないようにしていなさい≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアからの端的な要求にセレネイアは軽くうなづく。


 つかの中心部を起点にして剣を支える。皇麗風塵雷迅セーディネスティアに対して、今のセレネイアはほぼ脱力状態だ。


≪それでいいわ。上出来よ≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアは右斜め正眼せいがんの状態から左へと傾き、自発的にを描きながら正しく一周、再び元の位置に戻る。


≪あの仮初かりそめの主だった者の技を真似たわ≫


 描き出した円内を風がうずを巻きながら満たしていく。ザガルドアが見せた風嵐ふうらん結界だ。彼のものよりも、はるかに威力は勝っている。


 高位ルデラリズによる攻撃も、風嵐結界の前では何の役にも立たない。衝突と同時、粘性液体の矢はことごとくが叩き落とされ、さらに液体が霧散していく。


 安堵するのも束の間、遅延の攻撃がやってくる。ケイランガから放たれた粘性液体の矢は、さながら魔術付与された矢にも匹敵する破壊力を秘めている。


「セレネイア姫」


 叫びながら、どうにもできない己が歯痒はがゆい。しかも、攻撃している相手は第一騎兵団団長にして、つかえるべき王国の第一王女なのだ。


「ケイランガ、私の心配は無用です。それよりも、自らの意思の力でねじ伏せなさい」


 ケイランガが驚きの表情でセレネイアを見つめている。


 この場に降り立った時から気づいていた。見違えるほどに別人になっているのだ。アーケゲドーラ大渓谷到着後、別れてからまだわずかしかっていない。短時間でいったい何があったのだろう。


 ケイランガにとって、セレネイアは第一騎兵団団長ではなく、あくまでもラディック王国第一王女であり、絶対的にひご護しなければならない存在だ。


 武の実力は高いとはいえ、王族として捉えた場合だ。率直に言うなら、騎兵団団長の中ではやはり一番下になるだろう。


 今の言動にしてもそうだ。まるで前団長のクルシュヴィックを見ているようでもある。


 粘性液体の矢が宙で分裂、四方八方より押し寄せる。


≪何度見たと思っているの。馬鹿の一つ覚えね≫


 風嵐結界は単なる防御結界ではない。ザガルドアのそれは一面しか見せていない。彼が原理を知らなかったからだ。


≪こういう使い方もできるのよ≫


 風嵐結界内は風がひしめき合い、縦横無尽の流れを創り出している。当然、指向性を持たせることも可能だ。


 分裂した粘性液体の矢と同数の風弾が結界内から発射され、矢を包み込むや瞬時に気化させていく。まばゆい光が散り、宙で炸裂音が連鎖的に響き渡る。


「やはり、手駒の攻撃程度では太刀打たちうちできぬな。かくなるうえは、我自ら動くしかあるまい。そこでだ。小娘、我から一騎打ちを提案したい。受け入れる気はあるか」


 真っ先に反応を寄越してくるのは皇麗風塵雷迅セーディネスティアだ。


≪受け入れる必要など皆無よ。問答無用、速攻で滅ぼすわよ≫


 至極しごく当然の結論だった。セレネイアももとよりそのつもりでいる。敵は魔霊鬼ペリノデュエズ、迷いなどないはずだ。にもかかわらず、セレネイアの視線が揺らいでいる。


 揺れた視線は、最初に師のソリュダリアに注がれ、そこからケイランガ、倒れたままの仲間たちへと移った。


≪セレネイア、何を考えているの。何を相手にしているか、理解できているの。もういいわ。貴女が動けないなら、私がやるわ。真の主様にあだなすものを野放しにするほど私は優しくないの。ただ滅ぼすのみよ≫


 セレネイアと皇麗風塵雷迅セーディネスティア、二人の意思がここにきて齟齬そごきたす。


 滅ぼすという結論は同じでも、そこへ至る過程が異なっている。


 それが引き金となって、動作に遅滞を生じさせる。


(馬鹿者が。ここまで追い詰めながら、肝心なときに致命のすきを与えてどうする。かくなるうえは)


「人とは、ここまで愚かなのか。我にとって何たる僥倖ぎょうこう、まるで天が応えているようではないか。人を滅ぼせ、皆殺しにせよとな」


 対岸上空でヨセミナが紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランを抜刀する一方で、高位ルデラリズ嘲笑ちょうしょうが大峡谷を通り抜けていく。


 遅滞による隙は、高位ルデラリズにとって最大の好機だ。ゆえに最大の攻撃をもってセレネイアを、ここにいる死にかけの連中もろとも皆殺しにする。


「愚者どもよ。死ぬがよい」


 根核ケレーネルから漆黒しっこく邪気じゃきあふれ出す。残された唯一の核ながら、その凶悪さは他とは比べようもない。


「この形態は、我が必殺と定めた相手にのみ見せるものだ。光栄に思うがよいぞ」


 膨大な邪気が高位ルデラリズの身体を構築する粘性液体を包みこんでいく。既に二メルクを切るほどに縮んでしまった身体がき出す邪気の力によって、およそ倍にまで膨らんでいく。


「セレネイア、何をほうけている。動け。魔剣アヴルムーティオを振るえ。さもなくば、お前は死ぬぞ」


 ソリュダリアの激しい声が飛ぶ。


「今さら何をしても遅いわ」


 構えが崩れているセレネイアが立て直すよりも早く、高位ルデラリズは漆黒の邪気によるよろいを完成させていた。まるで意思を持った生物のごとく邪気がうごめいている。


「必殺邪血魔蟲壺縛天クェルト=セラルモ


 鎧から分離した邪気が勢いよく弾け、微粒子と化して宙に舞い上がった。


「逃げるなら今のうちだぞ。我が邪気によって産み出された壺蟲天デモゼラルトに触れられたが最後、骨の髄まで食い尽くされるぞ。ああ、残念ながらお前たちに逃げ場はなさそうだがな」


 高位ルデラリズの高笑いが耳障みみざわりだ。


 邪気は既に微粒子と化して上空を舞っている。


 壺蟲天デモゼラルトは、魔食血蟲マグトゥジェとは似て非なるもの、微粒子内にひそみ、息を殺している。決して肉眼でとらえられる大きさではない。ゆえけようがない。


 一度付着したが最後、壺蟲天デモゼラルトは血肉をすすり、骨を完全に溶かすまで決して離れない。邪気が生成した凶悪すぎる悪食あくじき生物なのだ。


≪ああ、もう、どうして私がこんな目にわないといけないのよ。目障めざわりよ。今すぐ消えなさい≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが激怒している。この際、セレネイアの意向など完全無視だ。ここにいる者たちの中で、皇麗風塵雷迅セーディネスティアだけが唯一、壺蟲天デモゼラルトの恐ろしさを知っている。


 すぐさま行動に移る。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアを中心としてすさまじい上昇気流が発生、勢いと高度を増しながらはるか上空へとけていく。


≪セレネイア、後で責任は取ってもらうわよ。覚悟しておきなさい≫



 ヨセミナは右手首だけを軽く振り、左下段に置いた紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランを迷いなくり上げる。


 正しく剣軌けんきを描き出そうとしたその刹那せつな、ヨセミナの右手を押さえる者がいた。


(馬鹿な。私に気取けどられず、この至近距離まで接近しただと)


 剣軌を消し、即座に対処する。


 右手を押さえる者を標的と定め、紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランを止めた位置で左手に持ち替え、剣軌を一直線、すなわち刺突しとつへと変えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る