第362話:勝利の確信は何処に

 ケイランガは構えたプルフィケルメンのつるを最大限に絞っている。つがえているのは黄金にいろどられた二本の矢だ。神々こうごうしく輝く矢にはルプレイユの賢者ことコズヌヴィオによる魔術が付与されている。


「人の力を見くびらないことです」


 右手が離される。弦が清らかな音色をかなで、元に戻ろうとする力をもって二本の矢を鋭く射出した。矢は別方向に大きく湾曲しながらけ抜けていく。


 ケイランガの右手が離れてからわずか一フレプトだ。断崖沿いに細道を伝って最短距離で迫る一本がネシェメリィーレの腹部に突き刺さり、勢いを殺すことなくそのまま岩肌にいつける。


 ネシェメリィーレの長細剣ちょうさいけんはシステンシアの剣技によって全てが凝固し、機能を喪失している。


 片刃かたは長剣もまた防御結界にはばまれたまま、一進一退の攻防を繰り広げている。


 これ以上はシステンシアに構っている余裕はない。結界の破壊はあきらめるしかない。急ぎ判断を下す。


 すかさず右手の剣を戻し、忌々いまいましい矢を駆逐くちくせんとおのが体内に食いこませる。それよりも早く、突き刺さった矢がネシェメリィーレの体内で爆発、体外へと一気に超高熱の嵐を拡散させた。


 縫い止められたネシェメリィーレの背部には大量の蛍燐翆岩アピアタスリまっている。


蛍燐翆岩アピアタスリは燃料代わりです。存分に食らいなさい」


 コズヌヴィオの魔術によって生成された超高熱の嵐がまたたく間に蛍燐翆岩アピアタスリ伝播でんぱ、一斉に炎をまとって燃え上がる。内と外、双方向からの熱がネシェメリィーレの身体を焼き尽くしていく。


 そこへとどめとばかりに二本目の矢が大峡谷の谷を渡りながら翔けてくる。下方向より断崖だんがいを削るかのように上昇してきた矢は、炎にまれてもがくネシェメリィーレの心臓部を寸分の狂いもなく貫いていった。


魔霊鬼ペリノデュエズよ、滅びなさい」


 蛍燐翆岩アピアタスリがもたらす炎だけでは、魔霊鬼ペリノデュエズを焼き尽くすには圧倒的に火力不足だ。粘性液体を気化させるには遠く及ばない。


 一本目の矢とは穿うがつまでの時間差がある。明確な理由がある。魔術付与時、コズヌヴィオから指摘されたことを頭の中で思い返す。


「この矢に付与した魔術はとりわけ使いどころが難しいのです。物質の三態さんたいです。すなわち、矢を放ってから敵を射貫くまで矢は固体を維持します。その時間、僅か二フレプトです。やじりが敵を貫いた瞬間、固体は液体と化します。必ず二フレプトで全身に浸透させなさい」


 魔術付与のみならず、細部まで説明してくれたコズヌヴィオには感謝しかない。


 三態の維持には定められた時間がある。変化時間は僅かに四フレプトだ。いささかの遅滞ちたいも許されない。


 確実に敵を射貫き、なおかつ全身に液体を浸透させ、さらに気体に変化させなければならない。


 射出から射貫くその瞬間までの時間はそのまま飛行距離となる。速度も極めて重要だ。だからこそ、一本目の矢との時間差が生じている。何よりもシステンシアによる二フレプトの封じこめがあって初めて成功するものだ。


 さらに液体を全身に行き渡らせる時間は敵の大きさに影響を受ける。敵があまりに巨体なら、二フレプトで全身に浸透しないかもしれない。逆に小さければ浸透が早すぎて、他の問題が生じる可能性さえある。


 何とも組み立てが難しい。高精度に計算し尽くしたうえで、それを確実に実行できるだけの技量も必須となる。いずれか一つでも欠けてしまえば成し得ない、まさしく至難の業なのだ。


「システンシア、貴女に託した二フレプトはまさしく出たとこ勝負のけでした。貴女は自身の命をして見事に成し遂げてくれた。ここまでは計算どおりです」


 心臓に食いこんだ鏃が溶けていく。固体から液体へと状態を変化させているのだ。


 魔霊鬼ペリノデュエズの巨大な身体、背丈が五メルク以上を想定していたケイランガにとって、人とほぼ変わりないネシェメリィーレの身体は明らかに予想外だった。


「悪影響が生じるのか。さいは投げられたのです。考えても詮無せんなきことです」


 ケイランガは二本の矢を射出すると同時、抜かりなく三本目の矢をつがえ、つるを引き絞っている。プルフィケルメンを握る左手に願いをめ、全神経を集中して己が魔力を注ぎこむ。


 標的たるネシェメリィーレの動きが次第に緩慢になっていく。引き戻した右手の剣もまた制御を失っているのか、体内に埋めこんだままの状態で引き抜けなくなっているようだ。


(無事に成功したようですね。さすがはコズヌヴィオ様です。粘性液体と融合した矢の液体が気体に変じたことで魔霊鬼ペリノデュエズの動きを阻害できました)


 付与した魔術の原理などケイランガにはとても理解できない。理解する必要もない。コズヌヴィオはルプレイユの賢者であり、彼の力に疑いの余地などないのだから。


 そして、三本目の矢にも特殊な魔術がコズヌヴィオによって付与されている。渡された際に告げられた言葉がある。


「三態は三矢をもって完成します。そして、三本目の矢を放つには貴男の全魔力を最大限に高めたうえで注ぐ必要があります。そうして初めて付与した魔術が効力を発揮します。放てば必ずや魔霊鬼ペリノデュエズであろうとも滅するでしょう。ただし、代償があります」


 代償は考えるべきではない。ケイランガもまた覚悟を決めている。コズヌヴィオの言葉を信じ、己の信念を信じ、無心でとどめの一矢いっしを放つだけだ。


「誰も死なせません。絶対に。この一矢で必ず仕留めます。頼みますよ、私の頼りになる相棒」


 ケイランガの思いにプルフィケルメンがこたえたのか、一際ひときわ強烈な輝きを発する。


 ケイランガは呼吸を整え、静謐せいひつのうちに右手を離す。


 放たれた三本目の矢が無音で翔けていく。矢の軌跡は人の視覚でとらえられない。


 正確に四フレプト後だ。極めて時間感覚のない速度でネシェメリィーレに到達した矢が体表面に触れるなりきらめきと共に消失する。


 刹那せつな、二つの変化が同時に起こった。


 一つ目だ。ネシェメリィーレの身体を構築していた粘性液体が見事なまでに気化、原形をとどめることさえかなわず消滅した。


 二つ目だ。ケイランガが手にするプルフィケルメンが黄金の粒子と化し、静かに空へと散っていった。


 誰も動かない。動けない。


 タキプロシスとバンデアロは鞍上あんじょうなかほうけている。システンシアは力なく大地に倒れこんでいる。ランブールグもまたジュラドリニジェを握り締めたまま、ケイランガを無言で見つめている。


「私の最も大切な相棒プルフィケルメン、ここまで共に戦ってくれたことに最大限の感謝を捧げます」


 ようやく呪縛から解放されたか、タキプロシスがつぶやきをこぼす。


「勝った、のか。私たちが、あの魔霊鬼ペリノデュエズを相手に。バンデアロ、これは現実か」


 バンデアロの先読みでも、この展開だけは読めなかった。彼がた一フレプト先は絶望一色に染められていたからだ。勝利の可能性など皆無だった。


 いくら待ってもバンデアロからの返答はない。


(私もこの結末だけは予想できなかった。本当に、終わったのか)


 タキプロシスは第二騎兵団団長であり、いくら強運の持ち主だからとはいえ、奇跡を容易に信じるほど楽観的ではない。


 ネシェメリィーレを構築していた粘性液体が全て気化してしまった以上、勝利を確信してもよいはずだ。それでも慎重にならざるを得ない。ここまで騎兵団の団長と副団長六人総がかりで何とか戦えた相手なのだ。


「団長」


 バンデアロの切羽詰せっぱつまった声が飛ぶ。油断なく状況を見極めていたバンデアロの功績と言えよう。


 タキプロシスももちろん警戒をおこたっていなかった。だからこそ、聴覚で捉えるよりも早く、無意識下で身体が動いていた。


 にもかかわらず、鞍上のタキプロシスの腹部を鋭い槍状と化した粘性液体が貫いていた。背部から突き出した粘性液体の白濁槍が鮮血で染められている。槍の先端を伝って血がこぼれ落ちていく。


 大量の血を口から吐き続けるタキプロシスは、愛馬ロジノネクシェスの首元に向かって力なく前のめりで倒れこんでいった。


 同様の攻撃を食らっていたバンデアロは辛うじて腹部貫通だけはまぬかれていた。彼の能力、先読みのお陰だ。タキプロシスに警告を発すると同時、咄嗟とっさに鞍上で身体をひねっていた。


 粘性液体の槍はバンデアロの左脇腹をえぐり取り、血と肉片を容赦なく大地にばらく。


「ランブールグ、すぐさま二人の援護を」


 ケイランガが急ぎ命令を下す。


 忸怩じくじたる思いだ。プルフィケルメンさえあれば自ら率先して攻撃を仕かけている。今の彼の手には欠片の一つさえ残されていない。全てが粒子と化して、空に還ってしまった。


「それではケイランガ団長が」


 皆まで言わせない。


「私に構うな。助けるべき者を見誤るな。これは団長命令だ」


 常に温厚なケイランガの口調が一転、ランブールグを厳しくとがめる。


「承知しました」


 聞きたくない命令でも従わなければならない。


 命に優劣はない。それでも救うべき優先順位をつけて取捨選択しなければならない。不条理と言われようともやむを得ないのだ。


(ケイランガ団長、どうかご無事で)

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