第261話:緊張しすぎるエランセージュ

 いまだ上空を見つめ続けるイプセミッシュの肩をルブルコスが軽く叩く。


「どうなるかと思ったが、無事に生還できて何よりだ」


 イプセミッシュがゆっくりと振り返る。ようやく気持ちを切り替えたか、身体ごとルブルコスの方に向ける。


(なるほど、こういう表情もするのだな。女とは何とも不思議な生き物よの)


 これまで陰ながら見守ってきた中で初めて見るイプセミッシュの表情だった。ルブルコスは喉元のどもとまで出かけていた言葉をみ込む。


 深すぎる愛、過ぎたる愛はごうでしかない。愛深きゆえに身を滅ぼすなど枚挙まいきょにいとまがない。ルブルコスは身をもって知っている。知りすぎるほどにだ。


 いずれ告げることになるだろう。それは今ではない。


此度こたびの戦い、ただただ己の無力さを痛感いたしました。私には足りないものが多すぎます」


 忸怩じくじたる思いとともに頭を下げる。ルブルコスは感慨深く見つめつつ、イプセミッシュの両肩を持ち上げる。


「お前のこの両肩には重責がのしかかっている。済まなかった。病を抱えていようとは私も気づかなかった。もう少し早く介入しておれば斯様かようなことにならずに済んだ」


 否定の意を示すためにイプセミッシュは首を横に何度も振った。


不治ふちの病です。誰にも明かしていないのです。十二将は無論、ザガルドアにさえもです」


 さすがにルブルコスも驚きを禁じない。親友でもあるザガルドアに告げていなかったとは意外だった。ルブルコスは再度イプセミッシュの肩を叩く。


「不幸中の幸いであった。お前の病、魔枯滅血病デモイグラゼ魔食血蟲マグトゥジェに食われたことで消滅した。そして、お前の命はあの二人がいてこそつながったのだ。この先、決して足を向けては眠れぬな」


 あの二人が誰を意味しているかは尋ねるまでもない。


 その一人、ヨルネジェアは既に去ってしまった。イプセミッシュはもう一人、エランセージュに視線を移す。


「ルブルコス殿、いったん失礼いたします。私はエランセージュのところへ」


 ルブルコスがうなづきをもって道をゆずった。丁重ていちょうに礼を送ったイプセミッシュが横を通り過ぎていく。


 イプセミッシュは驚愕きょうがくに目を見張るしかなかった。アーケゲドーラ大渓谷到着後、エランセージュと別れてからさほどっていない。わずかのうちに全身からあふれる魔力質が格段に上がっている。通常では考えられないことだ。


「エランセージュ、その魔力はいったい。いや、その前にまずは心からの感謝を。私の命が繋がったのはエランセージュ、お前がいてくれたからこそだ」


 十二将筆頭にして次期国王たるイプセミッシュ、十二将序列七位のエランセージュ、序列だけでなく、ゼンディニア王国に仕える以上、イプセミッシュは絶対上位者だ。たとえ現時点で国王ではないにしろ。


 それも命のやり取りにおいては一切無視できる。イプセミッシュは最大限の感謝をめて、命の恩人たるエランセージュに礼を尽くした。


「お、おめください、イプセミッシュ様、私は、私は」


 言葉が続かない。決してエランセージュ一人の力でげたわけではない。多くの力添えがあったればこそだ。しかも、知らなかったとはいえ、イプセミッシュが愛するヨルネジェアに対して魔術をも行使している。


 見かねたビュルクヴィストが助け舟を出そうとしたところで、イプセミッシュが右手を上げて制する。


「エランセージュ、礼を尽くされるほどのことはしていない。そう思っているのだろう。それは断じて違うぞ」


 図星だった。エランセージュは身体を固くしたまま押し黙っている。


「どのような魔術をもって私をいやしてくれたかは分からない。私の意識はずっとていたのだ」


 金空光矢シエラメイラを心臓に受けて以来、イプセミッシュは意識だけはあったのだ。言葉も魔力も一切外に出せない状態で、全てを聞き、視ていた。


 エランセージュの行使した魔術は、彼女が有するこれまでのものとは一線を画している。あの魔力量は十二将最強の魔術師で水騎兵団団長たるヴェレージャにも匹敵するだろう。魔力質に限って言えば、間違いなくヴェレージャをも上回っている。


「イプセミッシュ殿は正しく視ておられますね。私としてはエランセージュ嬢をもっとめてあげてもらいたいところですよ」


 ビュルクヴィストの言葉に異論はない。


 エランセージュの自信のなさは、十二将昇格時より引きずってきたものだ。イプセミッシュは最初期からの当たりにしてきている。


 十二将各人は個の武に優れた存在であり、さらにみがきをかけることによって序列を上げていくものだ。入れ替え戦はそのために用意されている。


 エランセージュは十二将でただ一人、過去に一度も入れ替え戦に臨んだことがなかった。挙げ句に最終決戦後には十二将離脱さえ口にしている。


 だからこそイプセミッシュとザガルドアは相談の末、ビュルクヴィストに一時的な指導を依頼したのだ。もちろん、依頼はザガルドアからだ。下げたくもない頭を下げてのことだった。


「エランセージュ、正直に言おう。この最終決戦、十二将で死ぬとしたら、お前だと思っていた」


 イプセミッシュとエランセージュの間で言葉を飾る必要はない。一方でビュルクヴィストもルブルコスも、あまりの単刀直入な物言いに驚きを隠せない。


「お前は私の思いを根底からくつがした。いや、それ以上だ。真っ先に死にかけたのは私であり、それをお前が救ってくれたのだ。褒めるなどといった陳腐ちんぷな言葉はお前に相応ふさわしくない」


 深々と頭を下げたイプセミッシュに、エランセージュは嗚咽おえつこらえるのに必死だった。


(エランセージュ、お前のことは私以上にザガルドアがよく視てくれていた。記憶が戻ったザガルドアは、誰よりもお前を案じていたのだ)


 心のどこかでやはりザガルドアにはかなわないなと思うイプセミッシュだった。


≪ルブルコス、ビュルクヴィスト、少しだけ時間をもらいたい。かまわぬか≫


 場をわきまえた二人だ。この場でひざまずくような真似はしない。それでも緊張感がいやがうえにも高まるのは仕方がないだろう。


「無論でございます、我が神よ」

「もちろんでございますよ」


 二人の返答は言葉こそ若干違えど同じことだ。


 雪氷嵐吹き荒れる闇の中に光が散開する。きらめく粒子りゅうしが周囲を明るく照らし、空間をいろどっていく。


 二人の緊張が伝わったのだろう。エランセージュはさらに身体を硬直させている。まともに口もきけず、一歩も動けない。


 この状態が続けば、心臓がいくつあっても足りないだろう。それほどまでに自分がいるべきではない、場違いだと感じているのだ。


「エランセージュ嬢、レスティー殿がお見えになります。私が思うに、この場の主役は貴女でしょうね」


 エランセージュの背に左手を優しく添え、その一方でさらに緊張感をあおあたりが、やはりビュルクヴィストなのだろう。


「ビュルクヴィスト様、わ、私、駄目だめかもしれません。緊張しすぎて、もう心臓がもちません」


 エランセージュの何とも情けない声だけがこの場の雰囲気を、ある意味、緩和するのだった。

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