第262話:神からの授けもの

 涙目のエランセージュをビュルクヴィストが楽しそうに見つめている。もちろん悪気は全くない。いささか気の毒だという思いもある。反面、この程度のことで緊張していてどうするのか、ということだろう。


「レスティー殿は至って紳士ですよ。何も貴女を取って食おうと言うのではありませんから。恐らくは」

「ビュルクヴィスト」


 レスティーの叱責しっせきが飛ぶ。放っておけば、あれこれと余計なことを言いかねない。


 鋭い声にエランセージュがビュルクヴィストにかたむけていた視線を慌てて戻す。


 光は既に消え去ったはずなのに、エランセージュが見つめる先、その人物の周囲だけが美しく輝いている。幾つもの色彩をまとった姿を前にして、エランセージュは思わず、二つの意味で感嘆かんたん吐息といきらしていた。


 一つは文字どおり、その人物を覆う、まるで恋人のように寄り添う八つの色彩がす幻想的な美しさ、もう一つはその人物の容姿から受ける直接的な美しさだ。


 とりわけ、八つの色彩の中に溶け込んだ銀青ぎんせいの髪と深濃青しんのうせいの瞳にエランセージュは完全に目を奪われている。先ほどから一向いっこうに目が離せなくなっている。


 それも当然といえば当然のことだった。エランセージュの生まれ故郷、シャラントワ大陸北方辺境に古くから残る伝承にはかくのごとくある。


 雪と氷に閉ざされし地に銀と青をたずさえたる一人の神が降臨す。

 かの神、水と氷と雪を己が配下となし、土着の民草たみくさに大いなる力と恵みをさずく。

 民草これを大いに喜び、奉斎ほうさいり行いてしゃささげん。


 今、エランセージュの目の前に立つ人物こそ、伝承にしるされた神そのものではないか。彼女の目にはそうとしか映っていない。


「そなた、エランセージュと言ったか。見事な治癒魔術であった」


 言葉をかけられたことにさえ気づかず、彼女にとっての神を前に呆然ぼうぜんと立ち尽くしている。奪われたままの視線も動かない。


 レスティーの視線が揺らぎ、横にれる。そこに立つのは苦笑を浮かべているビュルクヴィストだ。


「レスティー殿、仕方がありません。エランセージュ嬢は貴男と初めてお会いするのです。緊張、そして彼女の故郷でもあるシャラントワ大陸の伝承からすれば、ご納得いただけるのではないかと」


 確かにビュルクヴィストの指摘どおりだ。レスティーもシャラントワ大陸に古くから残る伝承は知っている。髪や瞳の色は偶然が重なっただけで、己自身のことではないにしろだ。


「エランセージュ嬢、大丈夫ですか。レスティー殿は貴女に話があるそうですよ。それに突っ立ったままでは不敬ではありませんか」


 エランセージュはビュルクヴィストの言葉を受け、咄嗟とっさに我に返る。また余計な一言を、と思うレスティーよりも先にエランセージュは動いていた。


 絶対に無礼を働いてはならない。その思いだけでエランセージュは即座にひざまずくと、とんでもない言葉を繰り出す。いささか言葉が裏返っているのはやむをないだろう。


「我が偉大なる神を御前おんまえにしての数々のご無礼、ひらにご容赦いただきたく存じます。また、私ごとき矮小わいしょうな者にお言葉をたまわるなど、あまりにおそれ多きことにて、今にも心臓が止まりそうなほどでございます」


 それだけを一気に口にした。至って真面目なエランセージュの言葉に、レスティーはただただ苦虫にがむしつぶし、ルブルコスとイプセミッシュは失礼とは承知で、こらえきれずに大爆笑だ。


 イプセミッシュは何とも言えぬ表情のまま、エランセージュのあまりの変わり様に別人を見ているかのような錯覚さえいだいている。


 エランセージュの意外な一面は分かったものの、このままではいかんともし難い。そして、こういう時にやはり頼りになるのが、認めたくはないもののビュルクヴィストなのだ。


「エランセージュ嬢、もうよいでしょう。レスティー殿がお困りですよ。さあ、立ちなさい。あまり時間もないことですしね」


 きっかけは作った。あとは任せます、とばかりにビュルクヴィストはレスティーに向かってうなづいて見せる。


「立つがよい。そなたには今一度ひとたび谷底に戻ってもらわねばならぬ。その前にさずけるものがある」


 神の言葉は絶対だ。エランセージュは素早く立ち上がると、今度は深くこうべれる。


 多少強引に行かなければならない。レスティーはエランセージュの右腕を取ると、優しく引き寄せる。


 身体が重力を無視して、羽のように浮いている。エランセージュには全く魔力が感じられなかった。


「妖精をもいや瑠璃王慈癒光宝陣ピラジェシュリーエを見せてもらった礼だ」


 エランセージュの細い右手首に触れ、ゆるやかに円を描いていく。エランセージュは先ほどからなすがままだ。


 レスティーは触れた状態でわずかばかりの魔力を指にせ、もう一周だけ円を描く。そして言霊ことだまつむぐ。


"Laapissla zuuligus, keogrun ebjannistidy."


 エランセージュの手首の周囲が柔らかな熱で満たされていった。何という心地よさだろうか。


 しばらくの後、ゆっくりと体内に溶け込むかのように熱が引いた。彼女はレスティーに触れられた右手首を凝視している。あるものがゆっくりと創り出されていくのだ。


「そなたの美しい髪と瞳によく似合っている。瑠璃涼氷麗満輪フロレジュリエだ」


 彼女の右手首には瑠璃るりに輝く神々こうごうしいばかりの腕輪がはめられていた。見たこともない金属で創造された瑠璃涼氷麗満輪フロレジュリエは複雑な意匠いしょうが幾重にもほどこされている。


 さらに瑠璃にきらめく、これもまた見たことのない宝玉が全部で五つ埋め込まれていた。宝玉内で光が揺らめき、踊っている。それぞれの宝玉からすさまじいまでの力が感じられる。


 エランセージュはこれ以上ないというほどに顔を真っ赤に染めている。その愛らしい表情でレスティーと手首にはめられた瑠璃涼氷麗満輪フロレジュリエを何度も交互に見つめている。言葉は全く出てこない。


 レスティーの手がエランセージュから離れる。いかにも名残なごり惜しそうなエランセージュの頭をおもむろに優しくでる。


此度こたびの戦いにおいて、そなたの瑠璃王慈癒光宝陣ピラジェシュリーエは最大の切り札とも言えよう。だが、今のそなたでは行使途上で確実に魔力が枯渇こかつする。それを補うための腕輪だ」


 再びレスティーの身体が光に包まれていく。にぎやかに寄り添う八つの色彩もまた光の中へと溶け込んでいく。


「ビュルクヴィスト、ここからの谷底での戦いはそなたにかっている。場合によっては、時空の王笏ゼペテポーラスを使用しても構わぬ。判断は任せる」


 一瞬にしてビュルクヴィストの表情が変わった。説明を求めるまでもない。レスティーの言葉に全てがめられている。よもやここで時空の王笏ゼペテポーラスが出てくるとは思いもしなかった。それだけの敵が谷底にいるというあかしだ。


「承知いたしました。レスティー殿の期待に見事こたえてみせましょう」


 レスティーは軽く頷いてから、二人に向けて言葉を発した。


「谷底をはじめとする主戦場で新たな戦いが始まる。そなたたちに期待している」


 レスティーは告げると同時、軽く指を振った。ただそれだけだ。


 刹那、ビュルクヴィストとエランセージュの姿はこの地から消え去っていた。魔術転移門ではない。レスティーだけが行使できる即時転移魔術だ。転移先はもちろん谷底、そのどこかはレスティーのみぞ知るだった。


「ルブルコス、そなたには手間を取らせた。許せ」


 ルブルコスはただかぶりを振って否定の意を返す。


勿体もったいないお言葉です。イプセミッシュの面倒を見ると決めたのは私自身ゆえに、我が神が気になさることではございません」


 レスティーの視線がイプセミッシュにそそがれる。


「無事で何よりだ。焔光玉リュビシエラを大切にするがよい」


 イプセミッシュには聞きたいことが山ほどある。この焔光玉リュビシエラのことはもちろん、両親のこと、妖精王女やヨルネジェアのことなどだ。


 レスティーやルブルコスならその疑問に間違いなく答えられるだろう。今はその時ではない。全てはこの最終決戦を終えてからだ。


此度こたびの戦いに勝利し、生き抜いたらルブルコスに教わるがよい。とりわけ、焔光玉リュビシエラに籠められた想いについてな」


 イプセミッシュも十二分に理解している。だからこそ言葉はない。もくしたまま頭を下げるのみだ。


「ルブルコス、後始末を頼む」


 その言葉だけを残してレスティーの姿は光の中へと消えていった。雪氷嵐が吹き荒れる高度三千メルク地点に再び静寂が訪れる。


 心が千々ちぢに乱れている。イプセミッシュは心ここにあらずな状態だ。ルブルコスが発破をかける。


「今は悩んでいる時ではないぞ。本格的な戦いがまさに始まるのだ。もはや完全なる闇の中だ。三連月の力もおとろえていく。イプセミッシュ、絶対に死ぬなよ」


 まさしくルブルコスの言葉どおりなのだ。


 アーケゲドーラ大渓谷に降り注ぐ陽光は全て失せた。今や完全なる闇だけが広がっている。天に輝く三連月が投げかける光も、この地では弱々しく感じられる。さらにここから数刻後には皆既月食を迎える。


 最も過酷で困難極まる戦いが始まろうとしていた。

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