第136話:フィヌソワロの里との別れ

「彼女が恐ろしい存在になるのか。俺には、このましい存在としか思えないのだが。王族、しかも第一王女にしてきわめてまれな考えの持ち主だ」


 女のヴェレージャ、男のディリニッツ、二人がセレネイアを見る視点は全く異なっている。それは仕方がない部分でもある。


 セレネイアが将来的に女王に即位するにせよ、あるいはどこかの王族にとつぐにせよ、彼女なら誰しもが納得し、歓迎するに違いない。


 その分、内外の敵も多くなるだろう。それは支えるべき有能な人材を配置すれことで解決できる問題だ。それこそ、ゼンディニア王国におけるイプセミッシュと十二将の関係のようにだ。


 頂点に立つ者が優秀で、いくら民からの信望も厚かろうと、周囲に配する側近が無能なら、国など簡単に滅亡する。その逆もまたしかりだ。


 これまでに幾度となく繰り返されてきた悲劇の一つとも言えよう。それゆえに、どの国も優秀な人材の確保には躍起やっきになっている。他国から引き抜くなど、日常茶飯事さはんじだ。それだけ人材不足はいなめない。


「恐ろしいには、色々な意味があるわ。もちろん、貴男が言ったとおり、好ましい面もあれば、仮に敵対したとしたら、かなり厄介な存在になるわね。頭もそれなりにきれそうだったわ」


 二人のやり取りを、興味深げに聞いていたビュルクヴィストが言葉を発する。


「現時点で、ラディック王国次期国王は第一王子ヴィルフリオが立太子として後継ぎに決まっています。一方で、セレネイア第一王女がラディック王国初の女王になる可能性がないわけではありません。そうなったら、面白くなりますね」


 ビュルクヴィストはほぼ確信を持っている。それを二人に伝えるような真似は、さすがにしない。ヴェレージャとディリニッツが、思わず互いの顔を見合わせている。


「面白くなる、とは、いささか不謹慎ふきんしんではありませんか。ラディック王国の将来を考えても、あの馬鹿王子を廃嫡はいちゃくのうえ、セレネイア第一王女を王女にするべきでしょう」


 ヴェレージャにとっては、因縁浅からぬヴィルフリオがラディック王国の次期国王など絶対あり得ないし、許せないことだ。


「それならば、ラディック王国はもとより、イプセミッシュ陛下も大喜びされますよ」


 ディリニッツの言葉に早速、ビュルクヴィストが食いついてくる。政治的な話ともなれば、首を突っ込まざるを得ない体質なのだろう。


「ほう、イプセミッシュ殿がね。確かに、ヴィルフリオはゼンディニア王国での交換留学中、度々たびたび問題を起こし、後始末もしないままに帰国の途に就いています。イオニア殿も後始末に難渋なんじゅうしているようですね」


 いやらしそうな笑みをもって、答えるビュルクヴィストに真っ先に反応を示したのはヴェレージャだ。意味は違えど、こちらも心底嫌そうな表情を浮かべている。


「どうかされましたか、ヴェレージャ殿」


 気持ちがまともに表情に出ていたのだ。ビュルクヴィストが声をかけるのも当然だった。一方のディリニッツは事情を知っているだけに、無言を貫いている。


「あの時、私は殺さなくとも、それに近い罰を与えるべきと陛下に進言したのです」


 ヴェレージャは、今ではそれを後悔している。どうして報告を受けた段階で、即座にヴィルフリオを始末しなかったのか。彼が手を出したのは、水騎兵団の見習い新兵で十一歳になったばかりの少女だった。


「そのような無垢むくな少女に対して、あの男は」


 それ以上は言葉にしなかった。して知るべし、ということだ。


 ここでヴィルフリオの名誉のために、もはやそのようなものは存在しないが、言っておくと、未遂みすいに終わっている。


 間一髪のところで、少女が悲鳴を上げ、そこに副団長のエランセージュが偶然通りかかったからだ。まさに不幸中の幸いだった。


 エランセージュが、その場でどのような行動を取ったかは、あえて触れない。ヴィルフリオを窒息死寸前にまで追い込んだことだけは周知の事実となっている。


 当然、その顛末てんまつはラディック王国側にもしっかり報告されている。セレネイアたち三姉妹には、知らされていない。ひた隠しにされているのだ。


「陛下は、この先、ゼンディニア王国にとって交渉を有利に進める材料になるとおっしゃって、何の処罰を与えず早々に帰国させてしまった」


 それだけではない。イプセミッシュから、つい先日聞かされたばかりだ。レスティーが封じた最高位キルゲテュールの封印を解いてしまったのが、他ならぬヴィルフリオなのだ。いくら魔霊鬼の精神浸食を受けていたとはいえだ。


「事ここに至っては、生かしておく価値もないでしょう。ましてや、ラディック王国次期国王など言語道断です」


 一国の皇太子に対する苛烈かれつ極まるヴェレージャの言葉に、ビュルクヴィストもディリニッツも反論するどころか、むしろ賞賛するとばかりに同意を示している。


「身から出たさびとはいえ、ヴィルフリオという男、あわれみを覚えてしまうほどだな。あのセレネイア第一王女と本当に兄妹なのか。ラディック王国では、実際に第二王女、第三王女も見てきたが、あの若さでかなり優秀だった」


 ビュルクヴィストがディリニッツの言葉に頷く。


「ヴィルフリオには色々と問題があります。最終決断を下すのはイオニア殿の責務です。我々は、見守るしかありません」


 間違いなく言えることが一つある。このままヴィルフリオが立太子であり続け、イオニア退位後、国王に即位などすれば、ラディック王国が崩壊するということだ。子供でさえ分かる明白な事実でもある。


「私としては、イオニア殿の賢明な判断を期待するのみですよ」


 ヴェレージャにもディリニッツにも全く異論はなかった。


「さて、そろそろ私もステルヴィアに戻らねばなりません。早急にエレニディール救出の方策を練る必要がありますからね。お二人は、どうされますか」


 ディリニッツに確認するまでもなく、ヴェレージャが即答した。


「フィヌソワロに残り、後始末をしてからゼンディニア王国に戻ります。クヌエリューゾの香術の影響を受けた里の者たちの様子も見なければなりません。何より、あのような結末を迎えてしまったロズフィリエンを埋葬してあげたいですし」


 最悪の形で決別したロズフィリエンとは、まさに今生こんじょうの別れとなってしまった。ヴェレージャは沈痛な面持ちを隠し切れない。


「分かりました。では、ここでお別れです。次に会うのは間違いなくアーケゲドーラ大渓谷でしょう。お二人を含め、十二将の皆さんには期待していますよ。それから、ヴェレージャ殿」


 いったん言葉を止めると、ビュルクヴィストはヴェレージャの右腰にかかっている剣を指差す。


樹宝呪生刃バラゴームでしたか。くれぐれも注意してください。私の知る限り、樹宝呪生刃バラゴームは三振りあります。残り二振りの行方が気になります」


 ビュルクヴィストの背後で魔術転移門が開く。宙に空洞が生じ、人一人が十分に通過できるほどの大きさに広がっていく。


「強くならなければなりませんね。私も、まだまだ死にたくはありませんからね」


 どこまで本気なのか分からない言葉を残して、ビュルクヴィストの姿が空洞の中へと消えていく。そのまま後退していく彼の姿が、やがて完全に見えなくなった。


 空洞が収縮を始め、やがて魔術転移門が閉じる。空間にわずかのきらめきだけを残して、何事もなかったかのように消失した。


「正直なところ、ここにはあまりいたくないわ。今はね。用事を済ませたら、すぐにゼンディニア王国に戻りましょう。行くわよ、ディリニッツ」


(おいおい、俺の意向は完全に無視なのか)


 心の声が喉元もどもとまで出かかっている。ディリニッツは、それを押さえ込み、大きなため息を一つついた。


「どうしたのよ。大きなため息をついて。疲れているなら、少し休んでからでもよいわよ」


 何も分かっていないヴェレージャが、彼女らしさ全開で尋ねてくる。屈託くったくのない顔はすがすがしいほどだ。


(ああ、いつものヴェレージャだな。よかったと言うべきか)


 二つ目の大きなため息を吐き出し、ディリニッツが答える。


「何でもない。行こうか」


 ヴェレージャがふと立ち止まる。セレネイアの皇麗風塵雷迅セーディネスティアで深くえぐり取られたフィヌソワロの里の中心地、魔力柱の起点があった場所を見つめる。


(ロズフィリエン、このような別れになってしまうとはね。貴男には言いたいことがたくさんあったわ。それも今となっては、よね。全てをみ込んで、この言葉だけを残していくわね。安らかに眠りなさい。そして、フィヌソワロの里を守り続けて。さようなら、私の許嫁いいなずけ)


 ヴェレージャの瞳に、光るものが見えた。ディリニッツは気づいたものの、口にするほど野暮やぼでもない。


 二言、三言とつぶやき、右手を軽く払う。


 土がかえる。えぐり取られた大地を埋め戻し、元どおりに復元していく。


(もはや、お前を苦しめるものは何もない。里のいしづえとして悠久ゆうきゅうに眠れ)


「さあ、急ごう」


 二人の姿が樹々の中へと溶け込んでいく。


 聞こえるのは、ただ樹々を通り抜ける風の音だけだった。

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