第092話:二人の継承者

「申し訳ございません、陛下。全ては私の独断で行ったこと。処罰は甘んじてお受けいたします。ですが、フィリエルス様には何ら落ち度はございません。どうかご配慮のほど、お願い申し上げます」


 ザガルドアは面白がっているのか、笑みを浮かべている。


「以前にも聞いたが、お前たちはいつからそんな関係になったんだ。不思議なものだな。お前たちを責めるつもりも、処罰するつもりもない。記憶が戻った今、どう考えても、あれは俺の思慮が足りなかった。だから、許せ」


 軽く頭を下げる。エンチェンツォはもちろん、フィリエルスもいくら記憶が戻ったからといって、この変わりようには面食らってしまう。


 フィリエルスにしてみれば、相手が陛下とはいえ、過去に何度も激しい論争を繰り広げてきたのだ。おざなりな謝罪はあったものの、一度たりとも頭を下げた姿を見ていない。


「陛下、頭をお上げくださいな。どうしても必要ならば、今から向かっても構いませんわ。最短距離で飛行しますわよ。その代わり、エランドゥリス王国、永世中立都市シャイロンド、ラディック王国上空の通行許可をお取りくださいな」


 即答が来る。


「既に取っている。あの三者会談時にな。敵対行為を取らぬことを条件に、イオニアもビュルクヴィストも了承済みだ。フィリエルス、済まないが今から飛び立ってくれるか」


 フィリエルスが団長として、フォンセカーロに目配めくばせを送る。意思疎通はこれだけで十分だ。


「すぐに準備にかかりますわ」


 立ち上がろうとした二人を制止する。


「ちょっと待て。まだ伝えるべきことが残っている。それを聞いてからにしてくれ。お前たちをアーケゲドーラ大渓谷に行かせたくない、真の理由だ」


 動き出そうとしていたフィリエルスとフォンセカーロの足が止まる。他の者も、真剣な目を向けてくる。


「暗黒エルフの男、奴の名はパレデュカルという。あの男の目的は、最高位キルゲテュールの復活にある」


 ザガルドアは、ビュルクヴィストに聞かされた全てをここにいる者に告げた。


最高位キルゲテュールの一体が、ラディック王国地下深くに封印されている。封印したのは、お前たちが全く歯が立たなかった例の男だ。主物質界において、単騎で最高位キルゲテュールを倒せる唯一の者だそうだ」


 ビュルクヴィストが自慢げに語る姿を思い出し、ザガルドアは苦々しい表情になっている。


 レスティーと戦った十二将たちは、こちらもまた子供扱いされたその時を思い出し、真実に違いないと確信していた。


「それはさておきだ。この封印を破った愚か者がいる。イオニアの馬鹿息子だ。我がゼンディニア王国でも相当やらかしてくれたが、目も当てられぬな」


 ヴェレージャとエランセージュが何か言いたそうにしている。


「お前たちの言いたいことは分かる。分かるが、今は我慢しろ」


 現時点で、封印は完全に破られていない。それを成すには、三つの条件が必要なのだ。


「一つは復活時に完全な闇で覆われていること。一つは復活に捧げるべき高貴な生血が必要であること。一つは数万に及ぶにえ、すなわち死者の肉体が必要であること」


 筆頭ザガルドアことイプセミッシュが、独り言のようにつぶやく。


「数万に及ぶ贄か。なるほど、両国が真正面から衝突すれば、総戦力は優に数万を超えるであろう。その全てをアーケゲドーラ大渓谷に集め、魔霊鬼ペリノデュエズの力をもって一気にほふる、ということか」


 彼の呟きは、ここにいる全ての者の胸に浸透していった。


「そうだ。あの暗黒エルフの男の思惑は、ここにあったのだ」

「陛下、ラディック王国は動かれるのだろうか。イオニア殿は何と」


 間髪いれずに尋ねてくるイプセミッシュに、ザガルドアが応じる。


「イオニアによれば、己を筆頭に主たる王族、さらには各騎兵団の一部を送り込むようだ。恐らく、百に届くかどうかといった規模だな」


 一様に安堵感が広がっていく。最後の条件は成立しない。最高位キルゲテュールの復活はなさそうだ、という思いからだ。


「これが、お前たちに加わってほしくないといった最大の理由だ。俺もイオニア同様、全軍を引き連れて戦場へ、などとは毛頭考えておらぬ。極力少人数、できれば俺一人でも構わぬ。お前たち十二将を、死なせたくはないからな」


 静まり返った玉座の間に、瞬時にして冷気が満ちた。


「小僧、言うようになったな」


 蜃気楼しんきろうのごとく、大気が細かく揺れ始める。


 あの時と全く同じだ。ザガルドアもイプセミッシュも、この男を知っている。危険がないこともだ。


 男の輪郭が視認できるまでになってきた。


「私たちの命の恩人だ。攻撃は無用」


 まさに攻撃に移ろうとしていた十二将を、彼らにとっての筆頭ザガルドアが制止した。


「よもやこの短時間のうちに、またお前たちと会うことになろうとは。我が神も人使いが荒いものよな。おかげで、とんぼ返りする羽目はめになったではないか」


 今や、男の姿がはっきり見えていた。冗談でも言っているのか、いかにも楽しげに二人の様子を眺めている。


 左腕には氷霜降狼凍ダルカファダラを装着したままだ。おさえてはいるのだろう。それでも相当の冷気がこぼれ出している。


 心地よく感じているのは、北方の大陸、極寒の地で育ったエランセージュのみだ。トゥウェルテナなどは、あまりの寒さに震えている。彼女はそれでなくとも薄着なのだ。


「ちょっと、何よお、この異常な寒さは」


 男がトゥウェルテナに目を向けて、またすぐに二人に戻す。


「女、そのような恰好かっこうをしているから寒いのだ。ツイステルムの砂漠の民ゆえ、それもやむを得ぬか」


 男はまるで独り言のように呟きながら、十二将のうち四人を指名していく。


「我が神が仰ったとおりであるな。よし、女、お前だ。それから、お前とお前、そしてお前だ。この私が直接稽古をつけてやろう。お前たちの死の確率を、いささかでも少なくするためにな」


 男が左腕の剣で指し示していく。まずは、トゥウェルテナ、序列四位グレアルーヴ、同五位ソミュエラ、同十一位セルアシェルの順だった。


 四人が四人とも、どうして自分たちがと混乱しつつ、それ以上に得体の知れない男への不気味さが募るばかりだ。


 何の説明もないままに、続けてザガルドアとイプセミッシュに向けて言葉を発する。


「完全に記憶が戻ったようだな。記憶の奔流ほんりゅうにも耐えたか。発狂などせずに済んで何よりだ」


 二人に向けた男の表情は安堵か、それとも危惧か。


何故なにゆえに、私とザガルドアの記憶の封印を解いたのでしょう。さらには、今からおよそ十年前、この玉座の間で私たちの命を救ってくれた。あの時でさえ、貴男と私たちには何のつながりもなかった」


 男は右手をあごに添えて、思案する素振そぶりを見せている。まともに答える気はさらさらないようだ。


「ふむ、いて言うならば、全ては神がつくりたもう盤上ばんじょう遊戯ゆうぎであろうな。お前たちは無論のこと、私もまた、盤上を動く駒にすぎぬ。神は、ただ盤上の駒を見つめるだけだ」


 哲学問答でもしているのか。男は完全にイプセミッシュとザガルドアを置いてけぼりにしている。


「しかしながら、神はあらゆる示唆しさもお与えになられる。お前たちを助けたのも、その一つにすぎぬ」


 えつって語る男を前に、誰もが等しく呆気あっけに取られている。返す言葉も見当たらない。


「この左腕に装着した剣を見るがよい。氷霜降狼凍ダルカファダラという。我が神より授かりし魔剣アヴルムーティオだ。無論、私にとっての神だがな。従って、お前たちを救ったのも、神のご意思ということになるであろう」


 イプセミッシュもザガルドアも、そろって理解できないという表情をありありと浮かべている。


「お前たちが何もかも知る必要はない。知る権利もない。結果として、お前たちは生かされたのだ。それで十分であろう」


 眼光鋭く睥睨へいげいされた二人は、押し黙るしかなかった。納得しようがしまいが、これ以上の問いかけは無用ということだ。


「さて、残るは八人か。では、私が決めてしまおうか。お前とお前、それから小僧、お前だ」


 男が指し示したのは、序列六位ブリュムンド、同十二位ディグレイオ、そして筆頭ザガルドアことイプセミッシュの三人だった。


「お前たち三人には、別の者が稽古をつける。定刻どおりに、一度たりとも来たためしがない耄碌もうろくじじいだ。腕だけは確かだ。まもなく」


 言葉の途中で、玉座の間の扉がいきなり開け放たれる。どれほどの勢いをつけたのか、両開き扉の取っ手部分がすさまじい音を立てて壁面にぶつかった。


「おい、貴様、誰が耄碌じじいだ。失敬な奴めが」

「来たか、じじい。いや、ロージェグレダム。久しいではないか」


 ロージェグレダムと呼ばれた男は、見るからに好々爺然こうこうやぜんとしている。


「ルブルコス、貴様は全く変わっておらんの。相も変わらずの姿形すがたかたちを維持したままか。いささか不公平ではあるまいかの。して、わしきたえるのはその三人でよかったのか」


 言葉を失い、呆然ぼうぜんと立ち尽くすイプセミッシュを見て、ザガルドアが玉座から心配そうに言葉をかける。


「おい、イプセミッシュ、大丈夫か。いったいどうしたんだ」

「い、いや、済まない。あまりに突然すぎて思考がまとまらなかった。私は、ああ、大丈夫だ」


 いったんザガルドアに向けた視線を再び戻し、イプセミッシュは厳かに告げた。


「ビスディニア流現継承者ロージェグレダム翁、大変ご無沙汰しております。勇勝ゆうしょうなお姿を拝見し、嬉しく存じます」


 かつての師でもあり、また己を破門した男ロージェグレダムに向かって、イプセミッシュは深々と頭を下げるのだった。

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