第349話:次元を越えた三賢者の共演

「参之舞氷雷爆響縮散華ディフォルレジオン


 邪気じゃきの壁を通り抜け、ジリニエイユの身体に付着した無数の水滴が一気にぜる。


 爆発ではない。爆縮ばくしゅくだ。全周囲から圧力をもって内側に押しつぶす。しかも水滴にはエレニディールの魔術によって指向性と共に、巨大な質量も付与されている。


 解き放たれた魔術は最高位キルゲテュールの力で硬化した肉体をもろともせず、刹那せつなの内に爆砕ばくさいしていった。


 深紅と濃緑の血が混じった、ジリニエイユであった肉片が異臭を放ちながら大地にこぼれ落ちていく。もはや人としての姿は認められない。


「やりました。さすがエレニディールの固有魔術です。これで悪の元凶を倒しました」


 コズヌヴィオの高揚した口調とは対照的に、ワイゼンベルグは何が起こったのか理解できないとばかりに首を横に振りながら呆然ぼうぜんとしている。


「友よ、いったい何が起こったのだ。スフィーリアの賢者殿のあの魔術は」


 コズヌヴィオが嬉々ききとして説明を始める。この辺、やはり変わり者と言われる一般的な魔術師と何ら変わりはない。


「爆裂魔術には二種あります。すなわち爆発と爆縮です。前者は内側から外側へ圧力を解放するものです。後者はその真逆となります。エレニディールの固有魔術たる氷尖瀑雷燐永輪爆フィシェスカドーレ、その参之舞は変幻自在の爆縮を用いているのです」


 説明を受けたところで、ワイゼンベルグは未だに理解不能だ。しきりに首を横に振っている。


「原理はそうなのであろう。俺にはせぬ。人体を瞬時に破壊するにはすさまじい圧力が必要だ。そんな圧力をどこから調達したというのだ」


 ワイゼンベルグは優れた魔術付与師でもあり、魔力の流れを正確にる眼を有している。エレニディールの固有魔術は発動したその瞬間からの逐一ちくいちを目で追い続けてきた。圧力を付与した兆候は感じられなかった。


「貴男が視えないのも当然です。何しろ、この私でさえエレニディールの魔力を追うのは難しいのです。わずかな揺らぎしかとらえられないのですから」


 エレニディールの有する魔力量はビュルクヴィストに及ばずともそれに近しい。さらには代々のスフィーリアの賢者がそうであるように、おのが魔力を精緻に制御するすべも有している。


 当代三賢者で最も魔力制御に優れているのはミリーティエだ。エレニディールは彼女に僅かに及ばないものの、遜色そんしょくないほどの力量を誇る。そしてミリーティエ、コズヌヴィオとは決定的な差異がある。それこそが根源となっている力だ。


「友よ、もしも三賢者の魔力量が等しく、かつ同一条件下で戦ったとしたら、誰が勝つと思いますか」


 コズヌヴィオの突然の問いかけに、ワイゼンベルグは見事な顎髭あごひげをしごきながら考えこむ。


「興味深い謎かけであるな。魔力量が等しければ、魔術そのものの力によって勝敗が決まる。賢者は魔術師としての頂点なれば、それぞれの弱点を熟知し、それを打ち消すための手段も有するであろう。ならば結果は明白だ。勝者はいない。同じく敗者もいない」


 妥当な結論だろう。ワイゼンベルグは自信に満ちた視線を向けてきている。


「いえ、勝者は一人、敗者は二人です。すなわち、エレニディールが勝ちます。これは間違いのないところです。そして、代々の三賢者でも同様だと私は思っています。三賢者最強はスフィーリアの賢者です」


 先代三賢者に限って言えば、パレデュカルはルプレイユの賢者ことオントワーヌこそが最強だと確信している。対するコズヌヴィオはオントワーヌの弟子ながらも、ビュルクヴィストが最強だと言っている。


「私の力の根源は大地であり熱です。ミリーティエは火、エレニディールは水ですね。では、なぜ水が最強だと思いますか」


 ワイゼンベルグが思案している。独り言をつぶやきながら自問自答状態だ。


「降参ですか。答えを言いましょうか」


 ジリニエイユを倒した安堵感からか、場違いにもコズヌヴィオとワイゼンベルグが会話を楽しんでいる。それを現実に引き戻したのは切迫感のあるエレニディールの声だった。


「コズヌヴィオ、おしゃべりに興じている時間はありません。復活します。貴男も固有魔術を」


 砕け散った肉片がまるで虫がいずるかのごとく、不気味に蠢動しゅんどうし始めている。魔霊鬼ペリノデュエズの特性の一つ、粘性液体が腕を伸ばしながら、緩慢な動きから次第に速度を上げて一つどころへと集っていく。


「馬鹿な。奴は倒したはずです。何故なにゆえに動いているのですか。いえ、そんなことを言っている場合ではありませんね。確実に効果はありました。この機を逃す手はありません」


 当意即妙とういそくみょう、会話は不要だ。一歩後退するコズヌヴィオ、一歩前進するワイゼンベルグ、剣士と魔術師の理想形がここにある。


「完全詠唱の時間は俺がかせごう。指一本触れさせはせぬ」


 左手に力をめて両刃戦斧もろはせんぷを肩の上にかつぎ上げる。


「頼みましたよ、我が友」


 その間にも破砕された肉片が次々と折り重なってかさを増していく。


「メーレ・ネゼイ・グラネドー・ペレジェ・ロウ

 イグジェス・カローディ・ネゲレイ・ノクトゥー」


 コズヌヴィオの詠唱が続く中、嵩を増した肉片の上から再び漆黒の邪気が忍び寄り、その一つ一つにまとわりついていく。


「やはり、全ての核を破壊しない限りは何度でも再生してしまうのですね」


 エレニディールの焦燥感が伝わってくる。コズヌヴィオの固有魔術の発動までまだ刻を要する。再生を終える前に何とか先手を取りたい。


「エレニディール、めてあげますよ。完全同化していないとはいえ、核を二つも破壊したのですからね」


 ジリニエイユは最高位キルゲテュールと同化しつつある。標準的な高位ルデラリズで五以上、強力な高位ルデラリズともなれば十を超える核を有する。それが最高位キルゲテュールともなれば想像もできない。


 およそ百年前の戦いにおいて、レスティーは最高位キルゲテュールの肉体を数百に分割して封印した。具体的に言うと二百十六だ。すなわち、それが根核ケレーネルを含む核の総数なのだ。高位ルデラリズとは比べるまでもないことがよく分かるだろう。


「残念ながら、貴男に核を見抜く力はありません。なぜなら、貴男はシュリシェヒリのエルフではありませんからね」


 くぐもった声が肉片の中から不快なまでに響いてくる。そこにはあからさまな嘲笑ちょうしょうが多分に含まれている。


 エレニディールが最も欲しかった力こそ、このシュリシェヒリの目なのだ。本来、レスティーから特別に授けられるはずだった。それが自らの失策によりとらわれの身となったことからその機会をいっしてしまった。まさに痛恨の極みだ。


「二つ失った程度で私を倒せたとでも思っていましたか。楽観視しすぎでしょう。どうやら、そちらの賢者殿は経験も力も、何もかもが不足しているようですね。詠唱したところで無意味ですよ。さて、エレニディール、続きといきましょうか」


 いやみの一つも忘れない。確実に他者の嫌がる部分を突いてくる。これがジリニエイユの人心掌握術であり、篭絡ろうらくするための一つの手法なのだ。


「コズヌヴィオ、この男の言葉を聞く必要はありません。それにしてもジリニエイユ、やけに饒舌じょうぜつではありませんか」


 エレニディールは必死に頭を巡らせている。ジリニエイユからいささかの焦りの臭いが感じられる。復活には時間を要するとはいえ、既に粘性液体がかたまりとなって肉片の全てを内包、さらに邪気の力を纏って再構築を開始している。


(呪具メレフィドのためとはいえ、あの愚かな呪具師じゅぐしと繋がっていたのは失策でした。少しでも時間稼ぎをしなければ。完全再生が間に合わなければ、今度こそ危ないですね。むをません)


 ジリニエイユは瞬時に判断を下す。最優先すべきは完全再生を果たし、さらには次元を越えて迫りくる最大の脅威から己が身をまもりきることだ。


 ジリニエイユよりも僅かに遅く、ようやくにしてエレニディールもコズヌヴィオも気づく。強大な魔術がこちらに向かって解き放たれようとしている。


「この魔術は」


 二人の声が重なり合う。間違うはずもない。先代レスカレオの賢者ルシィーエットが行使する最強の固有魔術を感知できないほど耄碌もうろくはしていない。


≪分かってるだろうね≫


 ルシィーエットからの端的な魔力感応フォドゥアが飛んでくる。


 エレニディールは詠唱にかかろうとしていた魔術を即時中断、一方でコズヌヴィオはひと足早く詠唱に入ってしまっている。


「コズヌヴィオ、すみません。詠唱途中で許してください」


 エレニディールが言霊ことだまを唇に乗せて解き放つ。三節から成る短節詠唱だ。


「ルレジュ・レフォロワ・エタードゥ」


 たちどころにコズヌヴィオの周囲の空気がこごえていく。


凍刻滞冷虚音無エトゥフォワージェ


 エレニディールが当代三賢者最強とコズヌヴィオが認めるのは、スフィーリアの賢者であるだけではない。


 僅か三節の短節詠唱で行使できる凍刻滞冷虚音無エトゥフォワージェは、相対する魔術師にとって最悪の魔術なのだ。


 詠唱は言霊、言霊は音だ。音は空気を伝って詠唱を成就させる。凍刻滞冷虚音無エトゥフォワージェは相対する魔術師の周囲の空気を凍えさせ、音の伝播でんぱそのものを完全に封殺ふうさつする。まさしく完璧な魔術師殺しなのだ。


≪あんたたちは邪魔だよ。今すぐ魔術を引っこめて下がりな≫


 エレニディール、コズヌヴィオとワイゼンベルグが咄嗟とっさに大きく飛び退すさり、ルシィーエットの最大最強の、いや最凶の魔術に備える。


≪完璧に捉えたよ。覚悟しな≫


 ジリニエイユの身体はおよそ半分が再生を終えている。そのような状態でも既に立ち上がり、迫りくる魔術に対抗すべく鋭い目を向けている。


(最悪、半身は犠牲にしても構いません。根核ケレーネルさえ護りきれば私の勝ちです)


 ジリニエイユは誰よりもルシィーエットの炎の恐ろしさを熟知している。だからこそ、生半可な対応はできない。完全体ならまだしも、半身という中途半端な状態だ。根核ケレーネルを護ることに全力を注ぐ。


≪遅いよ。私の魔術は完成している。あの時とは違うんだよ≫


 ルシィーエットの解き放った灼火重層獄炎ラガンデアハヴ第五層目の灼青炎しゃくせいえんが標的たるジリニエイユの頭上で一際ひときわ輝く。


 漆黒の空が瞬時にすさまじいばかりの超高温高熱を伴った輝青きせいで染め上げられていく。


≪最終形態極蒼蓋世焔亢舞ジェルガダラハヴ


 次元を越えて解き放たれた灼青炎が、輝青の空よりジリニエイユめがけて襲いかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る