第348話:高度な魔術戦と駆け引き

 スフィーリアの賢者たらしめる藍碧らんぺきの輝きを放つ凍気輪アノロワーフが天と地に展開されている。


 この凍気輪アノロワーフこそが氷尖瀑雷燐永輪爆フィシェスカドーレの肝となる。


 ジリニエイユはエレニディール以上に魔術にけ、さらに永らく生き続けている。全てにおいて格上の存在とも言えよう。


 いくら固有魔術といえども、弱点を突かれればひとたまりもない。そして、ジリニエイユは誰よりも抜け目がない。弱点など早々に見抜いてしまうだろう。


(短時間で決着をつけなければなりませんね)


 エレニディールが凍気輪アノロワーフ内部に魔力を注ぎこむ。すさまじい渦が巻き起こり、大気と大地に眠る水のことごとくを呼び覚ましていく。目覚めた水はたちどころに凍気をまとい、速やかに氷へと変貌する。


 一つ一つは極小、それも無限ともいえる数が集えば巨大な氷塊ひょうかいと化す。激しい渦のうねりは容赦なく氷塊とぶつかり合う。


 凍気輪アノロワーフ内部はエレニディールの魔力によって完璧に制御されている。精緻せいちな魔力を帯びた渦は氷塊を規則正しく削り取り、鋭利なやいばへと変えていく。


 一の巨大な氷塊は刹那せつなの内に千にも万にも分かたれ、結果として極細氷柱エクラグラファへと生まれ変わった。


「壱之舞氷瀑翔龍閃トゥワルイェーリ


 天と地に創り出された凍気輪アノロワーフから凍気があふれ出し、今や内部を埋め尽くすおびただしいほどの極細氷柱エクラグラファが、エレニディールの言霊ことだまをもって一斉に解き放たれた。


 敵を駆逐くちくするための鋭い先端はまさしく氷槍ひょうそうだ。射出された極細氷柱エクラグラファがジリニエイユに襲いかかる。


「上下から無数の氷柱つららをもって串刺しというわけですか。素晴らしい。そして容赦ない魔術です。実に面白いですね。ですが、この程度では通用しませんよ」


 目の錯覚ではない。ジリニエイユの全身が膨張し始めている。


「身体の大きさを自在に変えられるのですか。しかも、あの気はいったい」


 当代ルプレイユの賢者とはいえ、魔霊鬼ペリノデュエズとの戦闘経験が未だにないコズヌヴィオだ。異質な気だとは分かる。実際、魔霊鬼ペリノデュエズの邪気を見るのは初めてなのだ。


 彼の目には幾ばくかの恐れが浮かんでいる。それは中位シャウラダーブと戦った経験を有するワイゼンベルグとて同じだ。


「奴の肉体ははがねの鎧のごとく硬化しておる。しかも、あの漆黒の邪気じゃきが奴をさらに強くする」


 ワイゼンベルグの指摘どおり、硬化した肉体をさらに特有の漆黒の邪気が包みこんでいく。


 ほぼ同時だ。天より降り注ぐ、地よりり上がる極細氷柱エクラグラファが不規則な角度をもって、ジリニエイユを貫いていった。


「いえ、駄目です。氷柱は届いていません。全て砕かれています」


 当代三賢者の中でも最強の固有魔術だ。それがジリニエイユには通用しない。極細氷柱エクラグラファはジリニエイユの身体に届く前に、ことごくと破砕はさいされ、氷粒こおりつぶを四方にき散らす。


「壱之舞氷瀑翔龍閃トゥワルイェーリで倒せるとは思っていません。コズヌヴィオ、距離を取ってください」


 なぜと尋ねるような愚かな真似はしない。コズヌヴィオはすぐさま距離を取るべく、ワイゼンベルグと共に後方へと大きく飛び退すさる。文字どおり、魔術をもって飛んだのだ。


 四散した氷粒は力を失ったわけではない。エレニディールの固有魔術が何故なにゆえに最強と言われるのか。真骨頂はここからだ。


 大気と大地に満ちる水はほぼ無限だ。たとえなくなったとしても、呼び寄せればよい。エレニディールにはそれを可能とする魔術がある。だからこそ氷結匠コンジェランディアと称されているのだ。


 氷粒同士が大気中で踊りながら次々と結合していく。さらに大気と大地の水を己が身にまとい、再び極細氷柱エクラグラファを創り上げていく。


「いくら砕こうとも無駄です。無限ともいえる氷柱の前ではね」


 エレニディールの両手がたくみに動き、極細氷柱エクラグラファを導いていく。


「弐之舞氷粒幻仙哮斬輪グレムルシュラン


 凍気輪アノロワーフは未だに健在だ。射出される極細氷柱エクラグラファの勢いに衰えは見られない。


 さらに氷粒から変化を遂げた極細氷柱アノロワーフが加わり、壱之舞の倍以上の極細氷柱エクラグラファをもって、今度こそジリニエイユを貫かんと迫る。


 轟音ごうおんが響き渡り、大気を、大地を激しく揺さぶっていく。周囲には白煙を生じた凍気が立ちこめ、あらゆる視界をふさぐ。コズヌヴィオもワイゼンベルグも、逐一ちくいちを魔力の目をもって凝視し続けている。


「化け物が。あれほどの氷柱を全身に浴びて、微動だにしないとはな」


 悪態をつくワイゼンベルグにコズヌヴィオは苦笑しながら言葉を返す。


「いえ、初撃よりも通っています。わずかながらですが。何とかしてあの漆黒をがせればよいのですが」


 ワイゼンベルグがかぶりを振っている。無理だということだ。


 漆黒はすなわち邪気、それを制御するのは魔霊鬼ペリノデュエズの心臓たる核であり、無効化するには核を破壊する以外にない。いや、もう一つだけある。それがジリニエイユの編み出した秘術であり、今まさに敵対している最中さなかだ。


≪コズヌヴィオ、心配は要りません。ジリニエイユの身体を覆う邪気は今の私たちではどうにもできません。それでも通す方法はあるのですよ≫


 エレニディールにとって、極細氷柱エクラグラファが砕かれるのも想定内だ。むしろ、あえて無数の極細氷柱エクラグラファを砕かせたと言っても過言ではない。


「氷粒もまた水と同様に大気と大地に満ちているのです」


 ジリニエイユが怪訝けげんな表情を浮かべている。当たり前のことではないかと顔に書いてある。


 陽動作戦か。それなら何らかの意図を隠していることになる。これだけの強大な魔術を行使しながら、さらに余力をもって別の魔術を仕かけてくるつもりなのか。


(考えたところで意味もありませんね。どのような攻撃を、魔術をぶつけてこようとも今の私には効きません)


 最高位キルゲテュールの力とはそれほどまでに強力無比、人が操る魔術など足元にも及ばない。ジリニエイユは十分なほどに余裕がある。


 一方で刻一刻と最高位キルゲテュールの浸食が進んでいる。ジリニエイユにしても早く決着をつける必要があった。


「遊びはここまでとしましょう。エレニディール、残念ですがここで貴男を始末して、サリエシェルナの魂を返していただきますよ」


 ジリニエイユを覆っていた邪気がいっそう膨れ上がり、次第に厚みを増していく。暗黒エルフとしての顔を除き、漆黒を纏った身体がおぼろのように蠢動しゅんどうしている。あまりのおぞましさに、魔力の弱い者は見ただけで気絶してしまうだろう。


「もはや人にあらず。このままでは同化も時間の問題であろう。だが、どうやってとどめを刺すというのだ。スフィーリアの賢者殿には方策があるのか」


 ワイゼンベルグは吐き気をこらえながら言葉を投げ捨てる。コズヌヴィオも明確な答えを持ち合わせていない。


「当代賢者の一人として、私はエレニディールを信じていますよ。友よ、それでもエレニディールが倒れたなら、私たちも命をけねばなりません。覚悟はよいですね」


 僅かに震えているワイゼンベルグの横顔を見つつ、コズヌヴィオは強い意思をめて言葉をつむいだ。


「上等だ、我が友よ。敗北はすなわち死、我が女神ヨセミナ様にはあの世でびようぞ」


 コズヌヴィオがワイゼンベルグの肩を軽く叩く。


(ああ、私はこの友が好きなのですね。断じて貴男を死なすわけにはいきません。万が一の時は貴男だけでも私の力をもってのがしますよ)


 ここに来て、初めてジリニエイユが仕かける。両腕が前方に突き出され、両の手のひらに炎が集っていく。


「奴は炎の使い手なのか。氷に対抗しうる力ではあるが、エルフ属にしては珍しいな」


 ワイゼンベルグのつぶやきはまさしくそのとおりだ。水と火、氷と炎は拮抗力きっこうりょくであり、圧倒的な差がなければ互いに打ち消し合う。


 炎は深紅から始まり、徐々にその色を変えていく。すぐさま橙黄とうおうへと変化、さらに温度を上げていく。


 熱の余波は襲い来る極細氷柱エクラグラファ融解ゆうかいしていく。さすがにジリニエイユの力をもってしても、白色に近づく炎であっても、一足飛びに昇華しょうかとはいかない。


 エレニディールの魔力によって極細氷柱エクラグラファが強化されているからだ。何よりもここは主物質界であり、界の様々な物理的制約を受けている。


「ジリニエイユ、待っていましたよ。貴男なら私を仕留めるために必ず炎を使うと信じていました。それがあだとなりましたね」


 エレニディールの言葉を受けてなお、ジリニエイユは不敵な笑みを見せたまま余裕を保っている。


「異なことを。貴男の前で炎を使うのは初めてですよ。ビュルクヴィスト殿にさえ見せたことはありません。何故なにゆえに私が」


 言葉を発しながら、はたと気づく。


(なるほど、あの御方ですか。あの御方の目はこの私でも誤魔化せません。実に厄介このうえないですね)


 実のところそうではない。レスティーは全くの無関係で、聞かれもしないのに助言などするはずもない。


 あくまでエレニディールの推察であり、あらゆる魔術に精通しているジリニエイユが炎を扱えないわけがないという判断からだ。


 そして、ジリニエイユは現役賢者時代のルシィーエットと戦い、彼女の炎に焼かれている。炎に対抗するには、氷あるいは炎の力を使うしかない。


 ジリニエイユの炎によって融解した氷が水に戻り、漆黒の邪気を通り抜け、硬化状態の身体をらしていく。


 融解したがゆえにエレニディールの魔力は一時的に解除されている。エレニディールの魔力にのみ注意を払っていたジリニエイユにとって、自然界に戻った水が及ぼす影響には無関心だった。


「炎を使ってくれて感謝しますよ。いかなる状態であろうとも、水は私の友です」


 エレニディールが仕上げのための言霊を紡ぎ出した。

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