第144話:三姉妹の特性

 室内は静寂に満たされている。あれほどまでに吹き荒れていた風が、完全にいでいる。


 シルヴィーヌの魔力でともされた明かりは、いささかも揺れていない。


「シルヴィーヌ、お願い、返事をして」


 セレネイアの呼びかける声が室内に響く。その声は届かない。シルヴィーヌだけが、なおも風の渦に包まれたままだからだ。


≪フィア様、どうかシルヴィーヌをお助けください≫


 セレネイアが、ここにはいないフィアに向かって祈りの声を捧げる。切なる思いが届いたのか。


≪あの子は無事よ。もう少しすれば風が収束するわ。それまで待ちなさい≫

≪フィア様、私、私は何ということを≫


 セレネイアのすぐそばで風が揺れた。無論、フィアがいるわけではない。顕現できる状況でもない。寄り添ってくれている。


 セレネイアは、風を、フィアを感じていた。


 フィアは、大前提を含めてセレネイアに皇麗風塵雷迅セーディネスティアの説明をしている。皇麗風塵雷迅セーディネスティアに三姉妹それぞれを認めさせることで、初めて全ての権能を発揮できる。それが魔剣アヴルムーティオたる皇麗風塵雷迅セーディネスティアなのだ。


≪それぞれに試練を受けさせなさい、と言ったのは私よ。貴女に非はないと言いたいところだけど、いささか性急せいきゅうすぎたわね≫


 セレネイアは項垂うなだれている。彼女自身は、フィアがそばにいて、手助けを得られたからこそ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアに認められた。それゆえに、危険性を認識できていなかったのだ。


 魔剣アヴルムーティオの魔力にまれてしまったら、二度と戻って来られない。フィアは、確かに忠告してくれていた。


「セレネイアお姉様」


 フィアと話を続けているセレネイアは気づかない。両手が胸前で合わさり、祈っているように見える。瞳は閉じられていない。視線は、確実に自分に向けられている。シルヴィーヌは怪訝けげんな表情を浮かべつつ、もう一度、少しだけ大きい声で呼びかける。


「セレネイアお姉様」


≪妹が呼びかけているわよ。こたえてあげなさい。切るわよ≫


 フィアからの声は、それを最後に途切れた。セレネイアの意識がフィアから、目の前のシルヴィーヌに向けられる。にじり寄るかのように、セレネイアはシルヴィーヌに近づくとしかと抱き締めた。


「ああ、私の可愛いシルヴィーヌ、無事でよかった。本当にごめんなさい。私の配慮が足らなかったの。もしも、貴女に何かあったら、私は」


 敬愛する姉が、どれほどまでに自分を心配してくれているか、そして、愛してくれているか。ぬくもりを通じて伝わってくる。シルヴィーヌはそれだけで胸が熱くなっていた。


「セレネイアお姉様、シルヴィーヌは大丈夫ですわ。でも、もう少しの間、このままで」


 シルヴィーヌは小さな身体を丸めて、セレネイアに密着した。その身体が小刻みに震えている。


「怖い思いをさせてしまったわね」


 背に回ったセレネイアの手が、シルヴィーヌの髪を優しくでる。れ気味の髪だ。この寒さの中、放置していると風邪をひいてしまいそうだ。


 セレネイアは、空いた方の手を皇麗風塵雷迅セーディネスティアかざして、なけなしの魔力を注いでいく。即時の反応、セレネイアの手に導かれた温かく緩やかな風がシルヴィーヌの髪に残った水分を飛ばし、解きほぐしていく。


「セレネイアお姉様、今、何をされたのでしょう」


 シルヴィーヌがセレネイアの胸に顔をうずめたまま、問いかける。先ほどから、温かい風が自身の髪を包み込んでいるのが分かる。それが自然の風でないことも明白だ。


「これぐらいはさせて。私の魔力では、これが精一杯なの。ごめんなさいね、シルヴィーヌ」


 ようやくのこと、シルヴィーヌはセレネイアからわずかに離れ、正面から姉の顔を見つめた。


「セレネイアお姉様、何度も謝らないでください。お姉様は何も悪くありませんわ。私は、こうなるであろうことを理解したうえで、魔力を流し込んだのです。だから、お姉様の責任ではありません」


 真剣な眼差しを見れば、セレネイアをなぐめるための言葉でないことぐらい分かる。セレネイアは離れたシルヴィーヌをもう一度抱き寄せた。


「シルヴィーヌ、貴女は、本当に」


 セレネイアは胸が詰まって、それ以上は言葉にできない。シルヴィーヌの次の言葉は、さらにセレネイアを熱くさせた。


皇麗風塵雷迅セーディネスティアの行使方法は理解しましたわ。私は、この剣の導き手という位置づけなのですね。セレネイアお姉様は使い手、マリエッタお姉様は注ぎ手といったところでしょうか」


 シルヴィーヌの視線がセレネイアから皇麗風塵雷迅セーディネスティアに移る。そして、呟く。


「レスティー様が私たちの特性を活かして創造なされた魔剣アヴルムーティオ、何とも不思議ですわ。お姉様、絶対に負けられませんわね」


 顔を上げたシルヴィーヌの瞳には、強い光が宿っている。セレネイアは改めて、シルヴィーヌの成長を心から嬉しく思うのだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その様子をはるか遠くから眺めている二人がいた。フィアとレスティーだ。


≪セレネイアとシルヴィーヌは大丈夫そうね。ねえ、私の愛しのレスティー、これでよかったのかしら≫

皇麗風塵雷迅セーディネスティアを使いこなすためには、避けて通れぬ道だ。フィアが危惧したとおり、性急だったが仕方あるまい。あの娘には、いやめておこう≫


 レスティーも、セレネイアが焦りを感じていることは把握していた。問題が起これば、いつでも対処できただろう。その前にカランダイオが、さらにその前にフィアがおのずと動いてくれたはずだ。


≪フィア、そうであろう。違うか≫


 レスティーにもたれかかるフィアの表情は、いささかふくれ気味だ。レスティーには見えないものの、彼女の心の機微きびは手に取るように把握できる。


≪そういうのは、ちょっとずるいわ≫


 フィアの声にならない声は、あえて聞こえなかったことにした。レスティーの手がフィアの滑らかな髪に触れ、くようにでる。


≪残るは第二王女か。あの娘こそ、心配は無用だろう。ルシィーエットが常についている≫

≪だからこそ、心配でなくて。あの女の魔力ときたら、ですもの。マリエッタはかなり強く影響を受けているわ。アーケゲドーラ大渓谷での魔術を見たわ。本当にうり二つだったわ≫


 レスティーは苦笑を浮かべるしかない。まさに、フィアの指摘どおりなのだ。


 ルシィーエットの魔術に魔力制御は一切ない。最大魔力を手加減なしで一気に解き放ち、あらゆる敵を殲滅せんめつする。それがルシィーエットのレスカレオの賢者時代からの魔術戦闘なのだ。


 彼女の教えをうているマリエッタが、同傾向になっていくのは至極しごく当然だった。


≪力づくで押さえ込む方法を取るであろうな。それはすなわち皇麗風塵雷迅セーディネスティアを屈服させるほどの魔力保有者であることを意味する。反面、危険性も高くなる≫


 第二王女でありながら、ルシィーエットにも匹敵する魔術師になりうる存在かもしれない。


≪そのような者が増えれば、主物質界もあるいは、か≫


 レスティーの思考は瞬時に完了していた。邪魔をしないよう、細心の注意を払っていたフィアが疑問を口にする。


≪三姉妹がこうなることを、私の愛しのレスティーは予測していたのよね≫


 セレネイアにはフィアが、マリエッタにはルシィーエットが、シルヴィーヌにはセレネイアが、それぞれ補助しながら、各々を皇麗風塵雷迅セーディネスティアに認めさせる。


 まさに三者三様だ。姉妹でありながら、ここまで異なる特性を持っていること自体が珍しい。本当のところ、それだけなのだろうか。


 フィアは、それ以上の言葉を決して口にはしない。レスティーから答えがないと分かっているからだ。それでよかった。


 レスティーはセレネイアとシルヴィーヌ、二人の仲睦まじい様子を今一度眺め、魔力を遮断した。


≪フィア、私たちも行こう。三人を待たせている≫


 魔術転移を発動、フィアを伴ったレスティーの姿はもはやそこになかった。


 夜の霞みは遠ざかっていた。薄暗かった槐黄月ルプレイユの光は明るい輝きを取り戻し、ファルディム宮に投げかけている。


 窓から差し込む月光に照らし出されたセレネイアとシルヴィーヌの姿は、言葉にできないほどに美しかった。

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