第143話:シルヴィーヌの実力

 扉を叩く小さな音がする。


 ここはシルヴィーヌの私室だ。彼女にとっては、まだまだ寝る時間ではない。睡眠時間が短い彼女ならではだ。


 夜は読書にいそしめる絶好の時間帯でもある。まさに、きょうに乗ったところで邪魔が入ったというわけだ。


 シルヴィーヌは迷惑そうにため息をつくと、ようやく文字から目を離し、扉に視線を投げた。もう一度、扉を叩く音がする。


(このような夜更よふけに、いったい誰なのでしょう)


 直後に聞こえてきた声に、シルヴィーヌは手にしていた書物を投げ出すと、慌てて扉に向かってけ出していた。何を置いてでも優先すべき声だったからだ。


「セレネイアお姉様、今すぐに開けますね」


 扉を開けざま、シルヴィーヌはすぐさま敬愛する姉を招き入れる。時間が時間なだけに、よくないことが起きたのではと危惧きぐする。いくら、仲のよい姉妹とはいえ、この時間は眠っていても不思議ではない。


「シルヴィーヌ、このような時間にごめんなさいね。貴女にお願いがあって、悪いとは思いながら訪ねてきたの」


 夜ともなれば、相当に冷え込む。シルヴィーヌは夜着やぎに着替えていたため、衣装棚から厚めの羽織はおりを取り出す。


「セレネイアお姉様は、大丈夫そうですわね」


 セレネイアのまとっている衣装を確認する。当然、夜着ではない。防寒のためにしっかり着こんできている。


「悪いだなんて、そんなことをおっしゃらないでください。どうぞ、おかけになってください。お姉様は何かお飲みになられますか」


 セレネイアのためなら、何でもしたい。シルヴィーヌのいつわらざる思いが素直に行動に出ている。


「有り難う。でも、遠慮しておくわね。シルヴィーヌ、貴女もこちらへ」


 弾力に飛んだ幅広の長椅子に腰を下ろしたセレネイアが、自分のすぐ左手を軽く叩く。


 シルヴィーヌは、読書のために使っていたほのかな明かりにわずかに魔力を注ぎ込む。窓から差し込む槐黄月ルプレイユの光は、今夜は薄暗い。セレネイアの手にしているものを見たシルヴィーヌは、明かりが必要だと判断したのだ。


「さすがね、シルヴィーヌ。貴女は本当に魔力制御にけているのね。うらやましいわ」


 柔らかな笑みを見せるセレネイアに、シルヴィーヌはほお紅潮こうちょうさせている。セレネイアにめられる。シルヴィーヌにとっての何よりの喜びだ。


「これを手に取って、よく見て。貴女なら、何かを感じ取れるはずよ」


 横に座ったシルヴィーヌが、恐る恐る手のひらを上にして開く。


「怖がらなくても大丈夫よ。レスティー様より授けられた魔剣アヴルムーティオめい皇麗風塵雷迅セーディネスティアというの」


 セレネイアは、シルヴィーヌの開いた手のひらの上に静かに皇麗風塵雷迅セーディネスティアを乗せた。


「えっ、これは、いったい」


 シルヴィーヌは目を丸くして、魔剣アヴルムーティオを凝視した。皇麗風塵雷迅セーディネスティアは、確かにシルヴィーヌの手のひらの上にある。ただし、手のひらには触れていない。浮かび上がっているのだ。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアを覆う風が、室内を照らす明かりをゆるやかに揺らしている。風からは一切、敵意が感じられない。


 シルヴィーヌの目を通して見る皇麗風塵雷迅セーディネスティアは、所有者を包み込む優しさにあふれている。


 やることは決まっている。シルヴィーヌは、そのための許可をセレネイアに求めた。


「セレネイアお姉様、皇麗風塵雷迅セーディネスティアに魔力を注いでもよろしいでしょうか」


 告げるまでもなく、シルヴィーヌは気づいてくれていた。セレネイアはそれがたまらなく嬉しい。


「もちろんよ、シルヴィーヌ」


 シルヴィーヌの髪は洗い立てなのか、さわやかでありながら、彼女の年齢に相応ふさわしく、少女らしい少し甘めの花の香りが漂ってくる。細くしなやかな髪を通してセレネイアに頭をでられる感触に、シルヴィーヌは相好そうこうを崩すしかなかった。


「リクエファセレの香りね。シルヴィーヌにとても似合っているわ」


 わずかに身体をセレネイアに預ける。シルヴィーヌにとって、何よりの至福の時だ。


 三姉妹、いつまでもこのままで、と願わずにはいられない。いずれ、それがかなわなくなる時が来るだろう。その時の訪れが、できうる限り先であらんことをシルヴィーヌは祈るのだ。


「さあ、シルヴィーヌ、やってみて」

「はい、セレネイアお姉様」


 セレネイアの手が離れたことを残念に思いつつ、シルヴィーヌは浮かび上がる皇麗風塵雷迅セーディネスティアに、ゆっくりと魔力を注いでいった。


「拒絶、されました」


 独り言のようにつぶやく。何も考えず、ただ剣に向かって魔力を流しただけだ。それでは受け入れてくれない。


 シルヴィーヌはただちに理解すると、手を変えることにした。


 先ほどよりも慎重に、自身の魔力を皇麗風塵雷迅セーディネスティアの魔力、すなわち風に順応させていく。


 刹那せつな、緩やかな風が急変する。手のひらの上に浮かんだ皇麗風塵雷迅セーディネスティアから、疾風しっぷうにも近い風が吹き出す。順応どころか、さらに拒絶が続く。


 セレネイアは慌てた。自分の時はフィアがそばについてくれていた。しかも屋外だった。


 今はシルヴィーヌの私室内だ。疾風がさらに勢いを増していけば、この部屋など、いとも簡単に吹き飛ばされるだろう。それ以上にシルヴィーヌの命が危うくなる。それだけは絶対に避けなければならない。


 セレネイアは立ち上がると、皇麗風塵雷迅セーディネスティアに手をかけようとした。


「大丈夫です、セレネイアお姉様。ここは私にお任せくださいね」


 目を閉じたままのシルヴィーヌは、セレネイアの動きを魔力によって感じ取っている。セレネイアが自分を心配してくれていることも把握できている。


 シルヴィーヌが注ぐ魔力は、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを包み込むだけでなく、あまねく部屋中を満たしているのだ。


 シルヴィーヌとて、魔力量が多いわけではない。魔力がほぼないセレネイア、圧倒的な魔力量を有するマリエッタ、二人の中間辺りだ。その量で部屋中に魔力を浸透させ、さらに全てを把握するなど、ほとんど自殺行為に等しい。


 では、シルヴィーヌはそれをどうやってしているのか。簡単だ。魔力を極端に薄くして、均一に伸ばしているのだ。群を抜いて魔力制御に秀でたシルヴィーヌならではの技術だった。


皇麗風塵雷迅セーディネスティア、私に貴方を感じさせて。私の全てを貴方にゆだねるわ≫


 シルヴィーヌは魔力をゆっくりと浸透させつつ、自らを完全に解放していく。それはすなわち、皇麗風塵雷迅セーディネスティアの魔力を全て受け入れることに他ならない。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアの魔力は、言うまでもなく尋常ではない。皇麗風塵雷迅セーディネスティアが認め、そのうえで順応できなければ、受け入れ側となる人の身体など、魔力膨張によって木っ端微塵に吹き飛んでしまう。


 セレネイアは不安を隠せない。ただただ、シルヴィーヌを見つめ続けている。この状況でセレネイアにできることといえば、もはや祈ることだけだ。


(ああ、シルヴィーヌ、ごめんなさい。私の判断が甘かったのです。貴女を危険にさらしてしまうことになるとは。どうか、シルヴィーヌを守ってください。皇麗風塵雷迅セーディネスティア、お願いよ)


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアから吹き出した風が、いっそう激しさを増し、渦を巻き上げる。そして、その中にシルヴィーヌを包んでいった。


「シルヴィーヌ」


セレネイアの悲鳴が部屋中に響き渡った。

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