第165話:氷雪狼と氷霜細降龍凍

 ロージェグレダムを前に、なすすべなく倒されていった同類を見ていなかったのか。


 魔霊鬼ペリノデュエズ、それもなりそこないセペプレ低位メザディムといった格下には同類意識など存在しない。


 貪欲どんよくな飢えを満たすためだけに、数十体が本能のおもむくままルブルコスを取り囲まんとする。


摂理せつりよりはぐれたお前たちにかける情けはない。すみやかに無に帰してやろう」


 氷霜細降龍凍リディグニファダラの剣身が、まばゆいほどに青白くきらめく。すさまじい冷気が剣身より放たれ、にじり寄ってくる魔霊鬼ペリノデュエズどもに向けて切っ先を突きつける。


 氷霜細降龍凍リディグニファダラに進化したからといって、氷霜降狼凍ダルカファダラの能力が失われたわけではない。ルブルコスは使い慣れた方を選んだ。ただそれだけのことだ。


 剣身からあふれ出す冷気が凍気のうずを生み出していく。急速に勢いを増していく渦は、左右に枝分かれ、ルブルコスの両肩上に顕現するは二体の氷雪狼ルヴトゥーラだ。


「引き裂け破鏡氷狼雪崩峰ルアヴトゥーシェロ


 遠吠とおぼえにも近い氷の咆哮ほうこうが岩肌を走り抜けていく。咆哮は息吹、両崖りょうがいが氷と雪でまたたく間に覆い尽くされていった。


 自由を得た氷雪狼ルヴトゥーラが、天をける。谷底は永久凍土というだけあって極寒だ。さらに輪をかけて強烈な氷雪が降り注ぐ。


 魔霊鬼ペリノデュエズは極低温にさらされ、動くことさえままならない。氷雪狼ルヴトゥーラたちが眼前に群れる魔霊鬼ペリノデュエズどもを獲物えものと定めた。


 狩りが始まる。追い込む必要もない。獲物はほぼ動けない。その中で、後方に陣取っていた魔霊鬼ペリノデュエズ三体だけが抵抗を試みていた。


「ほう、これは嬉しい誤算ではあるな。雑魚とはいえ、中位シャウラダーブが控えていたとは」


 目敏く見つけたロージェグレダムが、遠慮なく横取りしようとたくらんでいる。


「おい、ルブルコス、中位シャウラダーブが三体交じっているではないか。一体でよい。儂に譲ってはくれぬか」


 後方に下がっていたロージェグレダムが食いついてくる。自分の仕事は終わったとはいえ、物足りなさを味わっていたからだ。


「よかろう。真ん中の一体だ。くれてやる。好きに始末するがよい」


 ルブルコスにしては珍しい。気前よく中位シャウラダーブ一体をロージェグレダムに譲る。


 本来なら、中位シャウラダーブの三体など物の数ではない。あえて譲った裏には、当然理由があるわけだ。それを告げるルブルコスではない。


「おお、気前がよいの。では有り難く頂戴するとしようぞ」


 嬉々ききとしたロージェグレダムが剣身の腹部分を左肩に担ぎ、なかば凍結状態の魔霊鬼ペリノデュエズの群れに突貫していく。


「元気な爺さんだな。譲ってやったのだ。せいぜい私のために働いてくれ」


 不敵な笑みを浮かべたルブルコスは、二体の氷雪狼ルヴトゥーラの動きを観察している。高度を変えながら上下移動、さらには身体を回転させながら左右移動、まさに縦横無尽に宙をける。


 二体は完全に狩りを楽しんでいる。等しく高速で走りながら、時には離れ、時には交錯しつつ、体を入れ替え、空を行く。


 雪氷せっぴょうの尾が、闇の空に白銀青プラティーリュの美しくも長いを描き出していく。まさしく、見る者の目を奪う幻想的な光景だ。


 宙に描かれる白銀青の弧の下は、想像を絶する生き地獄が展開されている。


「相も変わらず容赦ないの。滅するのが我らの使命とはいえ、奴らが気の毒でならんわ」


 雪氷の尾が通り過ぎるたびに、魔霊鬼ペリノデュエズは動きを完全に封じられていく。永久凍土を覆う氷が足元からい上がり、下半身の機能を停止させる。


 粘性液体で構成されている以上、凍結の効果は絶大だ。液体はすぐさま固体となり、瞬時に全身へと広がっていく。そこへ鋭利な細氷柱さいひょうちゅうが無限に降り注ぐのだ。


 なりそこないセペプレ低位メザディムでは、到底太刀打ちなどできようはずもない。


 二体の氷雪狼ルヴトゥーラは、氷の彫像と化した雑魚どもの頭上から容赦なく細氷柱を浴びせていった。彫像が轟音ごうおんを上げて次々と破壊されていく。


 次なる標的は、雑魚の後ろに陣取る中位シャウラダーブだ。なりそこないセペプレ低位メザディムとは違う。ある程度の知能を有し、何よりも核を複数持つ。それが中位シャウラダーブの特性だ。


 低位メザディムたちが倒されたことで学習したか、身体を構成する粘性液体を足元から移動させ、上半身に集めている。


「多少なりとも知能はあるか。足元から凍結したとしても、自らの手で即斬り落とすつもりであろう。粘性液体が尽きぬ限り、再生し続ける。だがな」


 ルブルコスが初めて氷霜細降龍凍リディグニファダラを振るった。斬るべきもの、それは宙だ。


 中位シャウラダーブの頭上、およそ五十メルク地点、何もない空間に亀裂が走る。宙が正円状にえぐり取られ、円内から極光きょっこうが幕となって降下する。


 揺らめく極光幕は、中位シャウラダーブを倒すためのものではない。無論、突貫まっしぐらのロージェグレダムにも影響を及ぼすことはない。


 氷雪狼ルヴトゥーラに新たな能力を与えるための、いわばえさなのだ。二体が咆哮を上げながら、極光幕に突き進んでいく。白銀青プラティーリュの全身が、揺れ動く極光幕に触れるたびに色と輝きを増していく。


 氷霜細降龍凍リディグニファダラに生まれ変わった際に、レスティーが付与した新たな能力だ。氷雪狼ルヴトゥーラは異界の生き物、主物質界にとどまれば留まるほど力を失っていく。


 維持するためには、莫大な餌を供給し続ける必要があるのだ。氷雪狼ルヴトゥーラを好んで使役するルブルコスにとって、最大の問題は長期戦になった際の供給源だった。


 過去、窮地きゅうちおちいったのはわずかに二度だ。一度目はレスティーに無謀にも挑み、完膚かんぷなきまでに叩きのめされた時、二度目は先の魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いにおいて、高位ルデラリズ対峙たいじした時だ。


 レスティーは明らかに別格として、高位ルデラリズの前でさえ、氷雪狼ルヴトゥーラは通用しなかった。果てなき長期戦を前に、氷雪狼ルヴトゥーラは力を失い続け、弱体するばかりだった。


 当時のルブルコスには、見守る以外に何もできなかったという忸怩じくじたる思いがある。


「何とも美しいの。神々こうごうしいとでも形容すべきかの。このような氷雪狼ルヴトゥーラ、見たこともないぞ」


 ロージェグレダムが感嘆の声を上げている。二体の身体は、今や白銀青プラティーリュに加え、青嵐ヴァスファシェ紫雹グレプラトゥ白氷シュヴランジュに染まり、輝いている。


 極光幕は、さらに多様な色が重なって揺れ動いているものの、氷雪狼ルヴトゥーラいろどるのはごく限られた色のみだ。


「当然だ。極光幕には、氷雪狼ルヴトゥーラが嫌う色、すなわち対抗力となるものも含まれている。餌とは、その力の源、必要な色だけを取り込むのだ」


 顕現した時よりも、さらに力を増した二体の氷雪狼ルヴトゥーラの全身がほぼ倍近くにまで成長している。全長およそ三メルクの中位シャウラダーブと比べると、まだ小さいものの、氷雪狼ルヴトゥーラには宙をける利点がある。


 それを存分に活かした戦術こそが、彼らの最大の武器だ。二体が顎門あぎとを開く。大気に漂う凍気が、急速に体内へと吸い込まれていく。全身を覆う体毛が逆立つ。その一本、一本が鋭い剣状の細氷柱だ。


吐け貫けパヴォセオル


 天を垂直に翔けていく氷雪狼ルヴトゥーラが、ある高度まで達し、即座に反転する。吸収した凍気が体内を循環、その過程で圧縮、極低温と化した氷の息吹が勢いよく吐き出された。


 同時、細氷柱が雨あられのごとく射出される。威力は息吹が、速度は細氷柱が上だ。


 中位シャウラダーブごときを相手に、二段構えは不要だろう。ルブルコスは、一瞬の油断が命取りになることを嫌というほど理解している。一切手を抜くことはない。


 細氷柱が左右に陣取った中位シャウラダーブ二体を串刺しにしていく。貫かれるたびに、そこから凍結が始まり、みるみるうちに全身へと広がっていく。


 次に襲い来るは、氷の息吹だ。凄まじい勢いで駆け下りると、とどめとばかりに凍結状態の二体を飲み込んでいく。永久凍土の大地と激突、氷を砕きながら余波が等円状に疾走する。


「おい、こら、ルブルコス、儂を殺す気か」


 ロージェグレダムが、駆けていく氷堤ひょうていを驚きまなこで見つめながら、文句を垂れている。


 見れば分かる。決して、氷堤はロージェグレダムの足元を浸食していない。等円状と言っても、真ん中に立つ中位シャウラダーブを含めて、一切の変化が見られないのだ。


「ロージェグレダム、もはや目もおとろえたか。ふむ、私の魔力制御もなかなかのものだな。それよりも、我が神の何と恐ろしいことよ。氷雪狼ルヴトゥーラの能力、いかほどまでに上昇したことやら」


 あまりの威力に笑いが止まらないルブルコスに向かって、ロージェグレダムが叫んでいる。


「儂は、何も衰えておらぬわ。儂の力の片鱗へんりん、今から見せてやろうぞ」


 ロージェグレダムが初めて見せる構えだった。

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