第164話:ロージェグレダムとルブルコス

 時は、雷聲らいせい発する旬 後の三日、今まさに夜のとばりが下ろされようとしている。


 最終決戦を翌日に控えたアーケゲドーラ大渓谷の上空をゆっくりと雲が流れていく。岩肌を橙色とうしょくに照らし出していた陽光はほぼ消え、紫色をて、墨色に染め直されつつある。


 完全にが沈めば、周囲は一瞬にして暗闇だ。その時を待ち構えている者たちがいた。


 高度二千メルク地点、足場の悪い断崖に立つのは一人の女だ。高度ゼロメルク地点、大峡谷谷底の永久凍土に立つのは二人の男だ。


「視察に来たはよいが、全くひどいところじゃな。斯様かようなところで戦えるのは、大師父様やビュルクヴィストを除けば、儂とお主ぐらいであろうの。ヨセミナ嬢が戦うには、環境が悪すぎるようじゃ」


 ヨセミナとて戦えないわけではない。谷底は狭くはないものの、場所によっては両側のがけから大小様々な岩石が飛び出している。戦いにおいて、剣を振るう範囲が限りなく広いヨセミナにとって、明らかに有利な環境ではない。


 その点、動かずとも敵を一刀両断にする剛剣の使い手たるロージェグレダム、魔剣アヴルムーティオ、しかもこの地に最適な氷の使い手たるルブルコスには打ってつけの場所でもあった。


「可能性は他にもあるだろう。こいつに気づける者がいるとしたらな」


 ルブルコスが左腕と一体化した魔剣アヴルムーティオで指し示す。谷底の突き当り、そこだけが明らかに異なっている。


 他の場所は隅々すみずみまで凍土に覆われているものの、巨大な一枚岩でふさがれたその足元部分だけが、氷の浸食を受けていない。


「誰がほどこしたのかは知らぬが、強力な保存魔術だな。しかも、この岩盤扉には複雑な魔術文字が刻まれている。私には解読不能だが、ロージェグレダム、お前はどうだ」


 聞くまでもないだろう、といった表情で明快に答える。


「儂に分かるはずもなかろう。お主でも読めぬか。こちら側から開けるのは無理そうじゃな」


 まるでロージェグレダムの言葉が聞こえていたのか。突如として、岩盤の内側から強烈な冷気が吹き寄せてくる。


「おっと、これは余計なことを口にしてしまったわ。いや、許せ。そのつもりは毛頭ないのじゃよ。しかし、そうなると厄介なことよの」


 既に興味を失ったか、岩盤扉に背を向けているルブルコスが答える。


「もう一つの扉だ。それを見つけるしかあるまい。我らの範疇はんちゅうではない。上にいる者に任せておけばよい。さて、肩ならしでもしようか」


 左腕に装着しているのは、氷霜降狼凍ダルカファダラではない。銀色に輝いていた剣身が、今や青白色せいはくしょくに染まっているからだ。藍碧らんぺきの剣匠たるルブルコスに相応ふさわしい。


 レスティーによる魔術加工ならびに魔術付与による効果だ。それによって、氷霜降狼凍ダルカファダラから氷霜細降龍凍リディグニファダラへと変化、格段に能力が向上している。


 ロージェグレダムが持つ魔剣アヴルムーティオもまた同様だ。手にするのは両刃もろはの長大剣、柄頭つかがしらから剣先まで己の身長と全く同じ長さのうえ、剣身の幅も厚みも剣とは到底思えない。


 およそ人が扱う剣とは言いがたい。ロージェグレダムと対峙たいじした地位を知らぬ者は、等しく彼を見下す。そのよわい、その不格好ぶかっこうすぎる剣がゆえに。


 今、二人に向かって忍び寄るれ者、有象無象うぞうむぞうたちも同様だった。


められたものよの。儂ら二人を相手に、たかだか数十体の魔霊鬼ペリノデュエズども、しかもなりそこないセペプレ低位メザディムごときを差し向けてくるとはの」


 差し向けたわけではないだろう。ルブルコスはあえて口にしなかった。間違いなく、強烈な魔力を感知して引き寄せられてきたにすぎない。


 そのみなもとはもちろんルブルコスだ。ロージェグレダムは人族として、ごく平均的な魔力しか保有していない。


「面倒ならば、私一人で片づけるが。よいのか」


 共闘するまでもない。どちらか一人で十分すぎる。


「相も変わらず、いやみな奴じゃな。誰が面倒だと言った。こ奴らの半分は儂の獲物じゃぞ。大師父様より、新たな能力を与えられたこの剣の試し斬りには打ってつけよ。邪魔するでないぞ」


 永久凍土にめり込ませていた長大剣のつかに手をかけ、軽々と引き抜く。めい星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンという。


 数多あまたの秘密を抱えた剣は、これまで様々な剣士の手に渡っては、その使い手をことごとくあやめてきた。呪いの魔剣アヴルムーティオとも称される。


 何の因果いんがか、巡り巡って現所有者のロージェグレダムのもとにやってきた。他にも逸話いつわという逸話がありすぎるほどだ。


 その話はどこかで語られることもあるだろう。


「好きにしろ。私は私の獲物を狩るだけだ」

「可愛げのない奴じゃ。肩ならしにもならぬが、早々に滅するとしようかの」


 言うなり、ロージェグレダムが星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンを左から右へと静かにいだ。


 直後、爆発的な圧が真横に走り、数メルク先に迫っていた魔霊鬼ペリノデュエズ十数体の首を一瞬にして狩り落としていた。


「さらに軽くなったのう。さすがは大師父様じゃ。では、参ろうかの」


 感心しきりのロージェグレダムの姿が視界から消える。その齢からは想像もつかないほどの脚力をもって、せり出す巨岩に向けて一直線にける。


 鋭く跳躍ちょうやく、左脚で岩石を蹴り、蹴った力を前方向への推進力に変えると、さらに左脚でがけを蹴り上げる。


 身体は大地とほぼ並行に傾いている。左手に構えた星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェン一閃いっせんしつつ、そのまま崖伝いに走り抜けていく。


他愛たわいもないの」


 ロージェグレダムが永久凍土の地に音もなく降り立つ。両腕を組んだまま、動こうともしないルブルコスとの距離、およそ二十メルク、刹那せつなのうちに駆け抜けていた。


 頭部を失った魔霊鬼ペリノデュエズどもは、もはや見る影もない。胴体は細切れになってくずおれ、しかも圧縮されたかのごとくつぶれてしまっている。


 そのような状態だ。核も無事であるはずがない。漆黒に染まった双三角錐そうさんかくすい千々ちぢきざまれ、既に灰色と化していた。大地にばらかれた残骸でしかない。


 左手で軽々と星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンかかげたロージェグレダムは手首を素早く返し、切っ先を反転させる。


「面白い性質を持つようじゃな。それでも、儂の背後は取れんよ」


 明らかに戦いに慣れている。姿を闇に溶け込ませている。同化していると言っても過言ではないだろう。


 数は二体だ。低位メザディムにしては知能がある。巨大な四本の腕が迫り来る。ロージェグレダムを左右からはさみ込み、握り潰そうという算段だ。


「いささかも老いてはおらぬな。さすがだと言っておこう」


 いつの間に持ち替えたのか。左手にあった星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンが、今は右手にある。


 見れば、切断された四本の腕が永久凍土に落ちていた。低位メザディムは、二体ともがられたことにさえ気づいていない。


 これこそが、ビスディニア流現継承者ロージェグレダムを槐黄えんこうの剣匠たらしめる所以ゆえんだ。


 三剣匠は、それぞれが月の力を持つ。槐黄月ルプレイユの力は、大地そのものだ。いかに身をひそめようとも、大地に存在するものならば、全てがロージェグレダムの制圧圏内となる。


 低位メザディムの動きは、大地を通して全てえていた。容易なものだ。神速をもって、星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンを振るう。それだけで全てが終わる。


「両腕を斬り落とされ、なおも戦意を失わぬか。ああ、済まぬ。お前たちに戦意などというものはなかったな。あるのは目の前の力を食らい、養分として吸収し尽くすことのみか。あわれよの。今、楽にしてやろうぞ」


 星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンの剣身が黄白こうはくきらめく。その瞬間、低位メザディム二体の首は胴体と泣き別れていた。


 粘性液体に戻った首が、永久凍土に触れるやいなや凍結していく。いまだ倒れずの胴体も、次第に崩壊していく。


 二つの核が音を立てて凍土に落ちた。断末魔だんまつまにも似た叫声きょうせいが谷底に響き渡る。黒きもやが大気に揺られ、上空へと散っていった。


「ルブルコスよ、儂の獲物は歯ごたえもなく終わってしもうたわ。残り半分は、お主に任せるとしようかの」


 少々、寂しげに言葉を発するロージェグレダムにルブルコスが尋ねる。


「ロージェグレダム、何回だ」


 確認のためだけだ。ロージェグレダムはほがらかな笑みをもって返す。問いには答えず、新たに問いかける。


「当ててみよ。儂が何回斬ったか、お主なら見えていたはずじゃ」

「二体まとめて四十九回だ」


 ルブルコスは自信をもって答えた。ロージェグレダムからの解はない。ただ、好々爺然こうこうやぜんとして笑うだけだった。


「食えない爺さんだな。次は私の番だな。手ならしといこうか」

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