第168話:ワイゼンベルグの危機

 ワイゼンベルグは動かない。彼もまた大気にけ込むかのように、夜気やきに身を委ねている。


 れて先に仕かけるのはどちらか。互いに我慢比べの様相をていしてきている。


 冷涼な三連月の光だけが、荒涼たるアーケゲドーラ大渓谷の大地を照らし続けている。


 月明かりを浴びた岩石の一部がきらめく。複数の鉱石からる岩石には、光を反射するものも含有されているからだ。


 ほのかに明滅する様は幽玄世界へのいざないか。次第に眠気が強くなっていく。目を閉じていても無意味だった。明滅効果は網膜もうまくを通すことなく、直接脳裏に作用している。


 ワイゼンベルグの身体が揺れる。前後左右に大きくなっていく。倒れ込むのも時間の問題だった。


他愛たわいもないですね。早々に我が術中じゅっちゅうに落ちましたか」


 注視しているヨセミナは、それでも動かない。中位シャウラダーブを倒すのは自分ではない。あくまでワイゼンベルグのつとめだとばかりに、仁王立ちを維持している。


「この男を始末した後、貴女のお相手をいたしましょう。もうしばらくお待ちください」


 はなから自分が勝つと思っている態度が見え見えだ。


「そのような大口を叩いている余裕はあるのか。奴はまだ終わっていないぞ」


 ヨセミナが指差す方向に、中位シャウラダーブの視線が動く。先ほどまでぐらついていたワイゼンベルグの身体は、見事なまでに制止している。鉱石の不規則な明滅は激しさを増していくものの、その影響下にないことは明らかだ。


魔霊鬼ペリノデュエズよ、精神干渉など俺には通用しない。では、こちらも始めるとしようか」


 右手に持った両刃戦斧もろはせんぷを突き出し、やいばを大地と平行に向ける。裂帛れっぱくの気合いが夜闇やあんを切り裂く。


 ワイゼンベルグは深く息を吸い込むと、猛然と駆け出した。


(始まったな。久しぶりに見せてもらうぞ)


 足場の悪さをものともせず、さらに加速しながらワイゼンベルグが向かうのは、右斜め前方に広がる岩石群だ。


「無駄な足掻あがきですね。私の本体を見破ることはできませんよ」


 声はすれど、姿はない。岩石で身体を構成する中位シャウラダーブにとって、大地に転がるそれら全てが自らの支配下にある。並みの剣士や魔術師なら、間違いなく実体を見分けられないまま倒されるだろう。


 それだけ巧妙なのだ。生き残った者はいまだかつて一人もいない、と豪語するだけのことはある。


「これまではそうだったのだろう。だが、相手が悪かったな。俺には、お前の全てがえている。まずは一つ目」


 狙いは定まっている。戦斧に埋め込んだ灼熱の魔鉱石があやしく輝き、赤焔せきえんの光を散開させる。


「そこだ」


 筋を引く光に導かれた戦斧の刃が、音もなく一つの岩石を真っ二つにつ。黒きもやき上がり、大気を震わせるほどのすさまじい断末魔だんまつまが響き渡る。


「残るは二つだ。容赦はせぬぞ」


 次なる獲物に向かって、ワイゼンベルグが再びける。灼熱の魔鉱石は魔霊鬼ペリノデュエズの核を確実に見つけ出し、そこへといざなっていくのだ。


 灼熱は大地の力そのものだ。岩石は大地を構成する一部にすぎない。中位シャウラダーブが岩石を支配下に置くなら、ワイゼンベルグは灼熱の魔鉱石によって大地そのものを支配下に置いている。


 さらに、ヨセミナがワイゼンベルグを伴った、ただ一つの理由だ。彼はドワーフ属なのだ。ドワーフ属はどの種よりも鉱物や岩石に精通している。


 とりわけ、ワイゼンベルグはドワーフ属にあって、極めてまれな魔術付与師であり、二つの魔鉱石に魔術付与を行ったのもおのれ自身だ。


 手にする両刃戦斧はドワーフ属最高峰とも称される、とある鍛冶匠によって、彼のためだけに精錬、鍛錬のうえ造形されている。


 二つ目の核の位置も見極めている。ワイゼンベルグは、およそ三十メルク離れた崖のへりを目指して走った。


 目標までわずか四フレプトで到達、足場の悪さを考慮しても尋常じんじょうならざる速度だ。両刃戦斧が二つ目の核をらんと豪速で振り下ろされる。


「かかりましたね。待っていましたよ、この時を」


 核を断つことだけに意識が集中してしまったためか、ワイゼンベルグの背後はがら空きだ。見逃す中位シャウラダーブではなかった。


 全方位から、無数の岩石がワイゼンベルグめがけ瞬時に放たれる。しかも、全てが鋭利にぎ澄まされている。まさしく、岩石の刃だ。


(己の核を餌にしたか。二つ目を失う代わりに、ワイゼンベルグを確実に仕留める。中位シャウラダーブだからこそ取れる戦術、なかなかに狡猾こうかつだな)


 核を断つべきか、あるいは己の身を守るべきか。迷っている時間はない。瞬時の判断、ワイゼンベルグはすべきことを優先させた。


 うなりを上げて、両刃戦斧が振り下ろされる。灼熱の魔鉱石がまばゆいばかりの輝きを発し、二つ目の核を見事に断ち切る。二度目の断末魔が大気をざわつかせ、黒い靄が空へと昇っていく。


 それを確認するまでもなく素早く反転、岩石の刃と対峙たいじする。


刻め風嵐の気流よウディ・レベ=メイギ


 今度は風嵐の力を込めた魔鉱石を使う。刃の周囲に風が集い、小さなうずを幾つも形成していく。


(数が多すぎる。風嵐を用いようとも、全てを叩き落とすことはできまい。どうするつもりだ)


 組んでいた腕がけている。ヨセミナの顔に、初めてあせりの色が見えた。無意識のうちに剣に手が伸びる。触れる寸前で思いとどまる。


(これも親馬鹿というものか。私が信じずして、誰が信じるというのだ)


 ワイゼンベルグが戦斧を二度、三度と振るう。そのたびに、刃先はさきに沿って密集する風渦ふうかが解き放たれ、飛来する無数の岩石と衝突を起こす。


 四方八方から押し寄せる岩石は、所詮しょせんは直線運動にすぎない。風嵐は不規則極まりないうえ、全方位運動だ。あらゆる方向から岩石を打ちつけ、断ち、くだき、細かな粒状りゅうじょうしていく。


「見事ですね。では、これならどうですか」


 中位シャウラダーブあきらめない。諦めるはずもない。良質な餌が目の前に立っているのだ。それを食らうまで、やられるわけにはいかない。恐るべき食への執着心だ。


 風嵐の力をもって叩き落としていくも、岩石は無尽むじんともいえるほどに次から次へと飛来してくる。ワイゼンベルグも刃を振るいつつ対抗しているものの、次第に風嵐の力が弱まりつつある。


(ちっ、きりがないな。風嵐の力もおとろえてきたか。まもなく魔鉱石に込めた力が失せる。致命傷だけは避けねば)


「ワイゼンベルグ、お前が死んだら、骨は拾ってやる。思うがままにやってみろ。そして、これだけは言っておく。勝たねば、承知せぬぞ」


 ヨセミナのげきは、それだけでワイゼンベルグの活力になる。なぜなら、彼が敬愛して止まない女神の言葉だからだ。


「我が女神よ。必ずや、貴女様に勝利を捧げましょうぞ」


 ワイゼンベルグが再度、風嵐の力を解放する。これが最後だ。魔鉱石に込めた力は、この一撃を放てば全て失われてしまう。覚悟のうえでの攻撃だ。


 中位シャウラダーブにしてみれば、もはや物量で押し切るしかない。それが最善だ。風嵐の力が弱まっているのが分かる。いずれ、こちらの攻撃が通る時が来る。知能を有するがゆえの的確な判断だ。


 何度目か。風嵐と岩石が激しく衝突した。結果はこれまでと同じではなかった。飛来する岩石を全て叩き落としたところまではよかった。それと同時、ついに風嵐の力が尽きたのだ。


 次の岩石攻撃を受けきるのは、事実上不可能となった。もう一つの力、灼熱の魔鉱石を使うことはできない。大地を割って、灼熱焔しゃくねつえんを呼び出すことは可能だ。


 それをこの断崖絶壁の不安定な大地で行使すればどうなるか。間違いなく、大地が崩落ほうらくする。自殺行為でもある。


「風の力が消えました。終わりです。今、楽にしてあげますよ」


 砕いても、砕いても、終わりは来ない。またもや無数の岩石が浮かび上がっている。中位シャウラダーブの合図をもって、ワイゼンベルグめがけいっせいに襲いかかることになる。


「この肉体で、受けきるしかあるまい」


 ワイゼンベルグは大きく息を吸い込むと、引き締まった屈強な身体を大樽おおだるのようにふくらませていく。魔術ではない。単純な体術による肉体強化だ。呼吸で取り入れた大気の力を、全身隅々すみずみにまで行き渡らせていく。


「死になさい」


 岩石が高速で次々と打ち出されていく。ワイゼンベルグに逃げ場はない。


「ただ黙ってやられるだけだと思ったか。これでも食らえ」

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