第169話:戦いの代償

 飛来する数多あまたの鋭利な岩石に対し、ワイゼンベルグは両刃戦斧もろはせんぷ縦横無尽じゅうおうむじんに振り回し、叩き、くだき落としていく。


 それにも限界はある。やいばをすり抜けたいくつかの岩石がワイゼンベルグの身体に突き刺さり、穿うがっていく。


 違う。ことごとくが強化された肉体を前に、突き刺さることさえできないでいた。まるで弾力性に富んだまりのごとく、触れるやいなや、弾き返しているのだ。


往生際おうじょうぎわが悪いですね。ならば」


 さすがにこれは予見できなかった。中位シャウラダーブの意思のままに、飛来するはずの全ての岩石が突如とつじょとして大地に落ちた。


 刹那せつの油断、ワイゼンベルグの足元の大地が激しく隆起りゅうきした。彼の太い腕ほどもあるだろう五本の岩石柱が鋭く飛び出してくる。


 けることはおろか、動くことさえかなわない。ワイゼンベルグの身体は、いとも簡単に斜め上方向へと吹き飛ばされていた。


 立っていたのは崖縁がけふちだ。結果は誰の目から見ても明白だった。


「ワイゼンベルグ」


 ヨセミナの声を耳にしながら、落ちてたまるかとばかりに、ワイゼンベルグは腕を必死に振り回す。翼を持たないのだ。無駄な足掻あがきでしかない。


 抵抗むなしく、ワイゼンベルグは身体を真っ逆さまに崖下がいかへ落ちていく。高度二千メルクからの落下だ。助かる見込みは皆無だった。


「この高さから落ちれば、さすがに死はまぬがれないでしょう。なかなか楽しめましたが、私の敵ではありませんでしたね。さて、お待たせいたしました。次は貴女の番です」


 邪魔者を排除できたからか、中位シャウラダーブは再び人型に戻り、ヨセミナの前に立つ。身体の構造は先ほどと変わらない。両のまなこだけが異様な光を帯びている。


「同じことを言わせるな。お前の相手は私ではない。奴を甘く見ていると、足元をすくわれるぞ」


 どちらの味方か、よく分からない口調だ。ヨセミナは直弟子じきでしだからといって依怙贔屓えこひいきなど一切しない。性格的にも、それは絶対にだ。


 三大流派を筆頭に、剣の世界は実力が全てなのだ。おとる者は、己をきたえてい上がっていくしかない。もしくは、消えていくかのいずれかだ。


 直弟子や序列が上の者ともなれば、人格や知識など様々な素養も必須となってくる。ワイゼンベルグは仮にも直弟子、しかも序列筆頭だ。この程度でやられてしまうようではヴォルトゥーノ流の恥をさらすに等しい。


 そのワイゼンベルグは、落下の真っ最中だった。


(万が一に備え、準備してきて幸いだったな。これがなければ終わっていた)


 増していく落下速度にえ、ワイゼンベルグは胸元より一つの魔鉱石を取り出す。


 空気抵抗を考慮したとして、高度二千メルクからの自由落下では、およそ二十数ハフブルで永久凍土の大地に激突する。既に落下を始めてから五ハフブルが経過している。


 ワイゼンベルグは激しい風圧を受けて、自由のあまり効かない手を必死に動かし、効力を失った風嵐ふうらんの魔鉱石を解除、すぐさまもう一つの魔鉱石をはめ込む。


 大地まで十ハフブルを切った。いよいよあとがない状況だ。


吹き飛べ荒嵐黄龍ロアドゥ・ジェイラ


 荒嵐こうらんの魔鉱石の力が解放される。左手で握り締めた戦斧を断崖だんがいに向けて力強く突き出す。


 真っ逆さまに落下していくワイゼンベルグの身体が、今度は真横に吹き飛んだ。まさしく戦斧に引っ張られる形だ。気合一閃、刃が岩石に強固なまでに食い込む。


 ようやくのこと、ワイゼンベルグの落下はここで終わりを迎えた。


 残り時間、大地までおよそ五ハフブル、落下距離にして一千メルクを優に超えていた。


「何とか助かったな。随分と落とされたものだ。このざまでは我が女神に申し訳が立たぬ。よもや、このような醜態しゅうたいを晒してしまうとは。一生の不覚だ。あ奴め、覚悟しておけよ」


 いつまでもぶら下がっているわけにはいかない。両刃戦斧の長いを左手で握り締めたままのワイゼンベルグは、刃に埋め込んだ魔鉱石の状態を確認する。


「落下した距離を考えると、使えるのは一度きりか。これ以上、我が女神を待たせるわけにもいかぬ」


 右手を岩石のくぼみにかけ、しっかりとつかむ。岩石に食い込んだ刃を力任せに引き抜くと同時、高々と戦斧をかかげる。


「今一度行くぞ。吹き飛べ荒嵐黄龍ロアドゥ・ジェイラ

 

 今度は上向きだ。すさまじい圧が全身にかかる。引っ張られるどころの騒ぎではない。たとえるなら、引きちぎられるという言葉が相応ふさわしい。


 ワイゼンベルグは左手一本で握り締めていた両刃戦斧に右手も添え、両手持ちでしっかり掴み直した。重力をもろともせず、落下する時よりも早く一千メルク以上を一気に飛翔ひしょうする。恐ろしいまでの荒嵐の魔鉱石の力だ。


「足元をすくわれる、とは。これまたなことをおっしゃる。あの男は二千メルク下の永久凍土に激突、五体ばらばらになって死に絶えていますよ」


 ヨセミナの口角こうかくわずかに上げる。


「それはどうかな。奴はしぶといぞ。その証拠に」


 谷底からけものめいた咆哮ほうこうが響いてくる。何事かと視線を動かす中位シャウラダーブの聴覚にも、しかと届いていた。


 次第に大きくなっていく音が大気を震わせる。


「馬鹿な」


 今度は中位シャウラダーブの番だった。この断崖絶壁から落下して、翼も持たないドワーフ属の男が再び姿を見せるなど、予見できるはずもない。


「待たせたな。その姿に戻ってくれているとは。まさに、おあつらえ向きだ」


 崖縁をはるかに越えて飛び出してきたワイゼンベルグは、両手持ちの両刃戦斧の向きを変え、己の身体を中位シャウラダーブの頭上へと導く。


 ここで荒嵐の魔鉱石が限界を迎えた。役目を果たした魔鉱石が砕け散る。


 十分だった。上昇の力を斜め上向きの推進力に変え、ワイゼンベルグの身体は上昇に転じてからおよそ六ハフブルで、またとない絶好の位置に到達している。


 残すは仕上げのみだ。ワイゼンベルグは灼熱の力を解放すべく、魔鉱石を埋め込んだ刃をかざす。


 赤焔せきえんきらめきが散り、すぐさま収束、一筋の焔光えんこう中位シャウラダーブの核へと導いた。


「これで、終わりだ」


 当然、中位シャウラダーブも抵抗を試みる。三つ目の核、すなわち最後の核を防御せんと周囲に一際ひときわ硬い岩石のみを凝縮させ、包み隠していく。


 擬態ぎたいする時間は許されていない。擬態したとしても、灼熱の魔鉱石が効力を失わない限り、見破られるのは先ほどの戦闘で証明済みだ。


 防御だけでも駄目だ。仕留めるためには攻撃も必要だ。中位シャウラダーブは、一人の剣士に戻っていた。


 両手にした二刀を十字に構える。一切の隙もない。


「思い出したぞ。あの構え、間違いない。失われて久しいコルジュデュラ流だ。教える時間はない。ワイゼンベルグ、己で見極めよ」


 博識はくしきのヨセミナでさえ、思い出すまでに相応の時間を要している。ワイゼンベルグがこの流派を知るはずもなかった。


 頭上から落下してくるワイゼンベルグの刃は完全に無視した。核さえ守り切れば、勝てる。


 中位シャウラダーブは右手、十字のたてつかさどる一の太刀たちをもって、ワイゼンベルグの身体に風穴を開けるべく、恐ろしいほどの膂力りょりょくと速度をもって突き立てた。


 空中を行くワイゼンベルグは、なりふり構わず核を破壊することだけに集中している。既に肉体強化が間に合わないことを悟っていたからだ。


 一の太刀が腹部を突き破り、切っ先が背中から顔をのぞかせる。左手、十字の横を司る二の太刀はまだ動かない。


 ワイゼンベルグの目は赤く輝く焔光だけをとらえていた。一筋の軌跡きせきが描かれている。その通りに戦斧の刃を振り下ろす。


 ワイゼンベルグの雄叫びが宙を裂いていった。まもなく刃が核に届く。必殺の一撃が核を断つ。


「無駄ですよ」


 中位シャウラダーブは勝利を確信している。核の周囲を守る岩石は、刃で砕けるような硬度ではないのだ。


「ようやくです。これで、終わりです」


 中位シャウラダーブが二の太刀を繰り出す。剣が全く見えない。これこそがコルジュデュラ流の神髄、二撃必殺の剣なのだ。


 二の太刀は影の太刀、剣が描く軌道、剣軌は五感で捉えられない。あくまで一の太刀は陽動、剣によって生み出される気、すなわち剣気が二の太刀のそれを完全に隠してしまうのだ。


「剣気を見るな。大地だ」


 ヨセミナの声が飛ぶ。女神の声を受けた今、負けるわけにはいかない。死ぬわけにはいかない。身体の一部を犠牲にしてでも、勝たなければならない。


 ワイゼンベルグはきょを捨てた。両刃戦斧から右手を外す。左手一本では膂力が弱まるものの、やむを得ない。


 焔光が描く軌道は把握している。必要のない両眼を閉じる。頼るは五感をも越えた第六感、研ぎ澄まされた感覚が大地に注がれる。


「仕留める」


 ワイゼンベルグと中位シャウラダーブの声がかぶさった。灼熱の魔鉱石の力を最大解放、ワイゼンベルグにとって核を防護する岩石の成分を見抜くなど造作もない。


 刃が一寸いっすんずつ、核を防御している岩石を断ちっていく。


(まずいぞ。このままでは先に核を断たれる。何としても、その前にこの男を真っ二つにしなければ)


 中位シャウラダーブあせりが手に取るように分かる。


 捉えられない二の太刀の剣気が、ワイゼンベルグの胴体を真っ二つにせんと迫り来る。


 ほぼ同時だ。ワイゼンベルグはここで左脚を大きく踏み込み、同時に右脚を引きながら半身の姿勢を取った。犠牲にするのは右腕一本だ。それで二の太刀を受ける。残された力の全てを右腕に集めて最大強化を図る。


 互いの咆哮ほうこうがアーケゲドーラ大渓谷を駆け抜けていく。


「よくやった」


 両刃戦斧の刃が防御のための岩石を砕き、そして核を見事に断ち斬っていた。


「馬鹿な。この私が、このようなところで、負けるのか。高位ルデラリズに手が届こうかという私が」


 中位シャウラダーブの身体が、ゆっくりと崩れていく。最後の核を失ったのだ。維持することは不可能だった。


 結合していた岩石が次々とがれ、大地にこぼれ落ちていく。


 ワイゼンベルグも無事では済まなかった。二の太刀の威力は、凄まじいばかりだった。強化した右腕は、見事なまでにひじから下が鋭利なまでに切断されている。


 ワイゼンベルグは、勝利とは言えない勝利に苦虫にがむしつぶしたかのような表情を浮かべている。


「我が女神ヨセミナ様、ご助言に感謝いたします。このような無様な姿をさらしてしまったこと、心から謝罪いたします」


 ヨセミナは、ただ黙したままうなづくと、自らの剣を振るった。

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