第209話:氷と炎を浴びてなお立つ男

 白靄しろもやが風に流され、視界が開ける。


 その男、ジェンドメンダは異常だった。彼の正体を知らない者にとっては当然とも言えよう。


 フォンセカーロの放った氷霜舞華爆裂破シェレサティヴルは、確実にジェンドメンダをとらえていた。四方八方から不規則な角度で襲いかかる巨大な氷柱つららを全てかわすなど、達人でも不可能だからだ。


「見事な氷柱であったわ。以前の身体であったなら、確実に死んでいたであろう」


 氷柱は彼に致命にも近い傷を複数負わせている。


 妖刀はもはや手にしていない。持つべき両の腕が引き千切ちぎられているからだ。つかではない。剣身が口にくわえられている。


「どうして。あの状態で、どうして、倒れないのです」


 セレネイアがシルヴィーヌをかばいながら、呆然ぼうぜんと言葉を絞り出す。背筋に寒いものが走る。額には冷汗が浮かんでいる。


「馬鹿な。私の氷柱は、間違いなく奴を直撃しました。あの状態で、まだ生きているなんて」


 フォンセカーロが受けた衝撃は、さらに大きかった。氷霜舞華爆裂破シェレサティヴルは、対魔霊鬼ペリノデュエズ用に作り上げた奥義なのだ。中位シルヴィーヌ程度なら核もろとも消滅できるほどの威力を備えている。


 その奥義をまともに食らってなお生きているなど、ありない。


「奴は、人なのか」


 ザガルドアのこぼした言葉が的を射ていた。フォンセカーロが油断なく長槍を構え直す。


 ジェンドメンダの全身からは大量の血が流れ出している。右脚の膝から下は無残にも吹き飛んでいた。


 それだけではない。胸部、腹部の至る所に大穴が開いている。一つや二つどころではない。氷柱に貫かれた証拠だ。


 それでも、この男は平然と立っている。


「シルヴィーヌ、私も行くわ。一人で大丈夫ね」


 ようやく興奮状態から脱したシルヴィーヌを抱き締め、瞳から流れる涙を優しくぬぐう。


「あの男は、明らかに貴女を狙っているわ。私には貴女をかばいながら戦う力がないの。ごめんなさいね。だからこそ、マリエッタのもとへ行きなさい」


 今度はシルヴィーヌの方からセレネイアに抱きついてくる。


 妹を狙う敵は、絶対に許せない。セレネイアは何があってもシルヴィーヌを守る覚悟なのだ。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを握る右手に力をめる。


 セレネイアは視線をマリエッタに向けた。さすがに姉妹だ。以心伝心、セレネイアの視線にすぐさまこたえる。


「セレネイアお姉様、行きます」


 ほむらのアコスフィングァが両翼を大きく羽ばたかせて、上昇に転じた。


 温厚なマリエッタが怒りをあらわにしている。魔術師としては、失格かもしれない。常に冷静沈着でなければならない。それがルシィーエットの教えてもあるからだ。


(シルヴィーヌを殺そうとする敵を前に、冷静ではいられません。今すぐ私の炎で滅してあげますわ)


 振り上げた右手を、ジェンドメンダに向けて一気に振り下ろした。


「灰まで焼き尽くしてやるわ。私の可愛い妹を泣かせた罪、ここでつぐなえ」


 容赦のない焔のアコスフィングァの攻撃が来る。上空高く舞い上がった炎は、きりもみ回転しながら急降下、ジェンドメンダを炎の中に飲み込んでいった。


「おっと、これはかなり危険ですね。一時避難します」


 フォンセカーロはすかさず後退、長槍はいつでも攻撃には入れるよう、しっかり握ったままだ。


「マリエッタ、合図は出しましたが、やりすぎです」


 マリエッタの気持ちが誰よりも分かるセレネイアも、さすがにこれは指導せざるを得ない。


 何しろ、周囲への影響もお構いなしに焔のアコスフィングァを突っ込ませたのだ。下手をしたら、フォンセカーロも自分も炎に巻き込まれていたかもしれない。


 それでもセレネイアは思うのだった。


(これがルシィーエット様の教えでもあるなら、仕方がない部分もありますね。それに私は嬉しいのです。マリエッタがシルヴィーヌのために、あそこまで怒ってくれたことが。無事に終わったら一言注意はしないといけませんが)


 セレネイアは苦笑を浮かべつつ、炎の中でのたうち回っているジェンドメンダに視線を移した。


 焔のアコスフィングァは既に空中に戻っている。マリエッタのすぐそばに控え、次なる合図を待っているところだ。


 氷に続き、炎の直撃を受けたのだ。急激な温度差を前に、さすがのこの敵もただでは済まないだろう。誰もが確信していた。これで倒せると。


「まだだ。終わっていない。フォンセカーロ、急げ。確実にとどめを刺すんだ」


 ジェンドメンダが咆哮ほうこうを上げた。鼓膜が破れそうなほどの大音が岩肌にぶつかり、反響を巻き起こす。


 焔のアコスフィングァには何ら影響を及ぼさなかった。生物であるフォンセカーロのアコスフィングァは、たまったものではない。


 有翼獣が苦手とする二大要素、それが炎と音だ。しかも、反響する大音は有翼獣の平衡へいこう感覚を瞬時に奪い去る。


「まずい。アコスフィングァが、落ちる」


 悲鳴にも似た叫び声を最後に、アコスフィングァが制御を失い、落ちていく。目を回しているのか、焦点が合っていない。


 フォンセカーロは慌てて竜笛アウレトを取り出すと、速やかに息を吹き込む。


「間に、合わない」


 息を送り込もうとして、フォンセカーロはその動きを止めた。一瞬の間、アコスフィングァの悲しげな瞳がフォンセカーロをとらえた。


「済まない。無力な私を、許してくれ」


 落下していく相棒を前に、何もできない己を呪うしかなかった。


「何をしている、フォンセカーロ。竜笛アウレトを強く鳴らせ。私が支援する。急げ」


 崖下がいかから次第に大きくなって聞こえてくるその声は希望そのものだ。最も頼りになる団長フィリエルスだった。


 トゥウェルテナが飛び出した後、いささかも速度をゆるめずに上昇を続け、ついにマリエッタたちのいる岩場に到達したのだ。


 落下しかけていたフォンセカーロのアコスフィングァが、フィリエルスのるアコスフィングァに支えられ、態勢を保ち直していた。間一髪だった。


「私はこのまま行く。重傷者が出ているのだ。そなたもアコスフィングァに騎乗、私に続け」

「しかし、団長、陛下が」


 フォンセカーロの言葉をさえぎってザガルドアが答える。


「俺の心配はらん。こんなもの、かすり傷に過ぎん。すぐに治る。俺の身体には秘密があるからな。行け、フォンセカーロ。これは命令だ」


 ザガルドアがゆっくりと立ち上がる。どうやら出血は止まったようだ。


「陛下、お守りできずに申し訳ございません。このような不始末を二度と起こさぬよう、今一度自身を見直し、精進しょうじんいたします」


 深々と頭を下げ、謝罪するフォンセカーロに、ザガルドアは一言だけ告げた。


びなど、無用だ」


 頭を上げ、もう一度深謝しんしゃの礼を送ったフォンセカーロは、反転すると空中で待つアコスフィングァに向かって駆けた。


 炎の中でもがき続ける男にとどめを刺そうとも思った。その時間は与えられなかった。


 ジェンドメンダの身体からすさまじい邪気じゃきが立ち昇る。魔気まきではない。明らかに人の発するものではなかった。


 邪気は黒きもやとなって、ジェンドメンダの全身を包んでいく。同時に炎が黒き靄に浸食されていく。


「馬鹿な。この男、人ではないのか」


 その言葉だけを残して、フォンセカーロは崖縁がけふちを飛び越えていった。空中で待つアコスフィングァの背に降り立つ。


「早く行け、フォンセカーロ」

「陛下、どうかご無事で」


 手をわずかに上げてこたえるザガルドアを一人残していくなど、十二将たるフォンセカーロにとって、まさしく断腸だんちょうの思いだ。


 その思いを強引に断ち切って、フォンセカーロはアコスフィングァをった。上昇を続けるフィリエルスに一刻も早く追いつくために。


「セレネイア第一王女、待たせたな。奴は一筋縄ひとすじなわではいかないようだ。ここからは共闘といこうか」

「ザガルドア殿、私に異論はありません。何よりも私の大切な妹シルヴィーヌを守っていただき、心より感謝申し上げます。負傷された背中は大丈夫なのでしょうか」


 頭を下げてくるセレネイアを見て、姉妹の深いつながりを感じ取ったザガルドアがかすかに笑みを浮かべる。


「姉妹もまたよいものだな。ああ、傷はふさがった。それに礼を言われるほどのものじゃない。第三王女を守ったのは当然だ。俺は武の王国の王なのだからな」


 血の繋がりはなくとも、自身とイプセミッシュも兄弟なのだ。重なる部分が多いのだろう。


「さて、あれをどう倒すかだな」


 ザガルドアとセレネイア、二人の共闘が始まる。

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