第208話:氷柱は舞い踊る

 シルヴィーヌはザガルドアから離れようとせず、ひたすら名前を呼び続けている。


 切ない悲鳴はセレネイアを向かわせるのに十分だった。


「マリエッタ、緊急事態よ。ごめんね、挨拶あいさつはまた後でね。貴女も準備を」


 ほむらのアコスフィングァに伸ばしかけた手を引っ込め、即座に反転する。


「お姉様、お任せください」


 力強く応じるマリエッタの頭を優しくでる。


 セレネイアは金縛りにでもあったかのように動けなくなっているシルヴィーヌのもとへ急ぎ駆けた。


 シルヴィーヌ以上に、ザガルドアの容体ようだいが悪そうだ。袈裟けさられた傷口から血があふれ、止まっていない。


「シルヴィーヌ、ザガルドア殿」


 近寄った姉の声で、ようやく我に返ったか。シルヴィーヌが緩慢な動作で振り向く。


「セレネイアお姉様、ザガルドア殿が、ザガルドア殿が、私を、かばって」


 動こうとしないシルヴィーヌを、セレネイアが無理にでも引き離そうとしたところへ、再び剣閃けんせんが走る。


 確実にシルヴィーヌだけを狙っている。しかも、初撃以上に高速で鋭い。命を奪う必殺の二撃目だった。


 セレネイアは大きく踏み込もうとして、即座に動きを止めた。


 轟音ごうおんともなって長槍ちょうそうが叩きこまれる。それはまさしくくさびとなった。


 フォンセカーロの奥義による攻撃だ。


「セレネイア殿、陛下はこの私が。シルヴィーヌ殿をお任せしたい」

「フォンセカーロ殿、妹はこの私が」


 シルヴィーヌを強引に引きはがすとともに、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを構えつつ、セレネイアは後方へと大きく飛び退いた。


「次から次へと鬱陶うっとうしい奴らだ。我の邪魔をするでないわ」


 いつの間にか、男は空中から大地に降り立っている。大地に突き刺さった長槍を叩き斬ろうとしたところで剣の向きを変えた。


「面白い。魔槍まそうか。少しは楽しめそうだな」


 長槍を起点にして、大地に凍結がける。全方向ではない。男だけを標的にした動きだ。


 魔術付与された長槍は、それ自体が巨大な氷柱つららと化している。高度二千メルク付近ともなれば、大気は十分に冷やされている。


 長槍は大気に含まれる水蒸気を無限に吸収、氷へと変えていく。氷は大地へと浸透、地中の水分をも凍らせていった。


「ちっ、味な真似を」


 この敵をザガルドアに一歩たりとも近づけるわけにはいかない。


 凍結が大地の表面を覆い尽くしていく。男の足場は次第にせばめられていった。フォンセカーロはアコスフィングァにさらなる上昇を命じ、ザガルドアのそばに急ぎ飛び降りる。


稼働かどう領域が減ったからどうだと言うのだ。この程度で我の動きを封じられるとでも思ったか」


 大地を覆う氷に大小様々なひびが走る。男はここで初めて妖刀を構えた。


「陛下を傷つけた罪、万死ばんしに値します。受けなさい。我が奥義氷霜舞華爆裂破シェレサティヴルを」


 大地が割断かつだんされ、地中より無数の氷柱つららうなりを上げてそそり立つ。


 四方八方、男を取り囲むようにして急襲する氷柱は、その一本一本が大の男の胴回りよりも大きい。先端はまさしく鋭くとがった槍のやいばにも等しい。


 動きを封じられた男になすすべはない。氷柱が直撃する。誰もが確信した。


 氷柱が激しくぶつかり合う。大音響が耳をつんざき、次々と衝突を繰り返しながら、一部の氷は砕け散り、水蒸気を周囲にき散らす。


 残った一部はくだけた氷同士が結合、氷塊ひょうかいを作り上げ、全方位へと飛んでいく。さながら氷の舞いを見ているようでもあった。


 今や視界は完全にふさがれ、白靄しろもやに包まれている。


「陛下、今のうちにこちらへ。あの男は危険です。距離を取った方がよろしいかと」

「ああ。それよりも奴は倒したのか。お前の奥義を受けたんだ。ただでは済まないだろうが、嫌な予感がする」


 風が白靄を吹き流していく。おぼろげに見えてくる靄の中の様子を凝視しているザガルドアとフォンセカーロは、戦いの最中さなかながら、そろってため息をつくのだった。


 悪い予感が的中したということに他ならない。


「簡単には終わらせてくれそうにありませんね。陛下はお下がりを。私が行きます」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「あれはフォンセカーロの槍術奥義、やはり彼が出るほどの激しい戦いになっているのね。急ぐわ」


 フィリエルスはアコスフィングァをさらにって、急上昇する速度を一段上げた。


 フィリエルスの魔力に守られているとはいえ、重力に引きずり降ろされるような感覚は好きになれない。


(早く本格的に治療しないと。このままではホルベントが死んでしまうわ。何て厄介やっかいな傷なのよ。エランセージュの治癒術がほとんどかないなんて)


 今、アコスフィングァの背にはフィリエルス以外に、トゥウェルテナとホルベントが同乗している。


 ジェンドメンダに貫かれた傷口はエランセージュがふさいだものの、一向に回復しないのだ。目に見えて体力を削り取られている。衰弱が激しくなるばかりだ。


 エランセージュによれば、魔剣アヴルムーティオのなせるわざとのことだ。彼女が知る限り、この傷を治癒できるのはビュルクヴィスト以外にいないという。


 エランセージュは急ぎ、一時の師でもあるビュルクヴィストに魔電信を送信してくれた。返信はすぐに来た。


 魔術高等院ステルヴィアに運び込むことはできない。ビュルクヴィストもまたアーケゲドーラ大渓谷に向かっている最中だったからだ。高度二千メルク地点、そこで落ち合う算段となった。


 トゥウェルテナは、ちょうど上から一部の者を連れて降りて来たフィリエルスに事情を説明、ホルベントの運搬を懇願した。


 フィリエルスにしてみれば、どうせまた上まで戻らなければならない。余計な者を二人も騎乗させれば、それだけアコスフィングァの負担になる。それはトゥウェルテナも承知のうえだ。


 フィリエルスはしぶる気配も見せず、二つ返事で引き受けてくれた。トゥウェルテナが感謝の気持ちをもって抱きついたのは言うまでもないだろう。


 そして、トゥウェルテナは感じ取っていた。


 あの男がいる。殺気を隠そうともせず、周囲にき散らしている。


(私が必ず討ち取ってみせるわ。ホルベント、だから絶対に死なないでね)


 カイラジェーネの言葉がよみがえる。彼女は言ったのだ。深い悲しみと苦悩にとらわれ、そこから決して抜け出せないでいる。だからこそ、それらをぬぐい去り、無に帰してあげてほしいと。


(この男だけは許せないわ。悲しみや苦悩など、知ったことではないわよ。私のこの湾刀で問答無用、無に帰してあげるわ)


「フィリエルス、私は降りるわ。あそこにホルベントをこんな状態にした男がいる。それは私の獲物、ホルベントのためにも必ず私が討つわ」

「貴女だけのために速度は落とせないわ。だから、あれを使いなさい」


 フィリエルスが指差す。そこには岩肌にめり込んだ無数の氷塊が所狭ところせましと並んでいる。


 トゥウェルテナは即座に理解した。足場にしろと言っているのだ。身軽で俊敏しゅんびんなトゥウェルテナに打ってつけの移動方法でもあった。


「ねえ、フィリエルス、あれって折れたりしないわよね。足をかけた瞬間、折れたりしたら、真っ逆さまよね」


 いささか心配になったトゥウェルテナが問い返す。


「あの氷はフォンセカーロの魔槍術まそうじゅつによって作り出されたものよ。突き出した氷柱つららは大気と大地の水分を吸収、それを氷に変えて成長する。成長が限界点を迎えた瞬間、氷柱は再び大気に射出しゃしゅつされるのよ」


 岩場にめり込んでいる限りは、氷柱が折れる心配もなさそうだ。唯一、足をかけた瞬間に射出されたらと思うものの、考えたところでどうにもならない。


「大気に水がある限り氷柱は舞い続けるわ。そして、また岩場に突き刺さり、新たな氷柱を生み出すのよ。だから安心して足場にしなさいな」


 トゥウェルテナは安心できたのか、笑みをもってうなづく。


 視線をアコスフィングァの背上で微動だにしないホルベントに向けた。悲しみとともに力強さもある。しゃがみ込み、血飛沫ちしぶきで汚れたホルベントの頬を優しく撫でる。


(行ってくるわね、ホルベント。貴男の回復を心から願っているから)


「フィリエルス、行くわ」

「このまま上昇を続けるわよ。氷柱までの距離を測って飛びなさい」


 頷くトゥウェルテナに言葉をかける。


「トゥウェルテナ、十二将として敗北は許されないわ。必ず勝ちなさい」


 トゥウェルテナが立ち上がる。足場とする一つ目の氷柱をその目でとらえる。


 焔のアコスフィングァが目印だ。そこからおよそ三十メルク下、一際ひときわ巨大な氷塊と化した氷柱めがけ、トゥウェルテナは軽やかに身を躍らせた。


「もちろんよ、フィリエルス。十二将の名に懸けて、負けないわ」

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