第207話:シルヴィーヌを守るザガルドア

 シルヴィーヌが浮かべた複雑な表情、その意味合いをザガルドアはすっかり取り違えていた。


「い、いえ、私が苦手なばかりにザガルドア殿には大変申し訳なく、ですが私も二度目ともなれば、飛び降りる覚悟は、できているのです。その、何と言いますか、もう一つの方の覚悟がですね」


 だんだん、しどろもどろになっていく。シルヴィーヌはあまりの恥ずかしさから、最後まで言葉にできない。


「そ、その、ともかく、私のことはさておきです。ザガルドア殿、どうか頭をお上げください。一国の王ともあろう御方が、軽々しく頭を下げるものではないと存じます」


 シルヴィーヌの言葉を受けて、頭を上げたザガルドアは意外そうな目を向けた。


「シルヴィーヌ第三王女、ラディック王国ではどうかは知らないが、俺のゼンディニアでは武に優れた者こそが上位だ。貴族とか平民とかは一切関係ない。無能な貴族ほど使えないものはないしな。俺の頭もそれと一緒だ。相手が誰であろうとも、下げなければならない時はいさぎよく下げる。考える必要もない。簡単なことだ」


 シルヴィーヌは小首をかしげている。セレネイアと違って、まだ理解できない部分が大きいのだろう。


「そなたの父イオニアはどうだ。彼もまた同じだろう。優れた王こそ、頭を下げるべき時には迷わず下げる。イオニアはそれができる男だよ。少なくとも俺はそう思っている。それから、そなたが敬愛する第一王女もだろう」


 シルヴィーヌは一瞬考え込んだ。ラディック王国を取り巻く貴族問題だ。とりわけ、がれたとはいえ四大貴族の力はまだまだあなどれない。彼らに軽々しく頭を下げれば、これ幸いとばかりにつけ込まれるに違いない。


 そして、もう一つはシルヴィーヌとセレネイアの年齢差だ。たかが五歳、されど五歳、この開きが途轍もなく大きい。


 しかも、セレネイアは第一王女だけでなく、第一騎兵団団長という要職にもいている。シルヴィーヌは自身、第三王女としてまだまだ未熟だと感じている。


(セレネイアお姉様とお話しなければなりませんね。お姉様のお考えは行動から容易に想像がつきますが、根底となるお考えを直接聞かなければ)


 思考の最中にザガルドアの声がかぶさってくる。


「そなたはまだ若すぎるな。頭脳明晰めいせきとは聞くが、まだ子供と言っても」


 咄嗟とっさに振り返ったシルヴィーヌの表情を見て、ザガルドアは思わず言葉をみ込んだ。


ひどいです。私は子供ではありません」


 両ほおを精一杯ふくらませて、抗議の目を向けてきている。


 ザガルドアは正直に思うのだった。


(ほら、そういうところが子供なんだけどな。これはこれで愛らしいからよしとするか)


 その間にも、フォンセカーロがアコスフィングァをセレネイアとマリエッタが待つ岩場へといざなっていく。まもなく降下地点に到達する。


 ザガルドアは苦笑を浮かべつつ、右手のひらを上向きにしてシルヴィーヌに差し出した。


「シルヴィーヌ第三王女、俺の手を取ってくれるか」


 膨れっ面が一転、今度は嬉しさと恥ずかしさが半分といったところか。


「表情が豊かなんだな。さて、ここからは二度目の空中散歩だ。心の準備はできているか」


 シルヴィーヌは差し出された手のひらの上に自身の右手を柔らかく添え、答えた。


「はい。私はザガルドア殿を信頼していますから」


 高所が苦手な気持ちは簡単に消えない。急降下を繰り返すなど、本音ほんねを言えばぴらご免だった。


 魔術は便利なように思えて、実際はそうではない。


 カランダイオほどの高位魔術師ともなれば別だ。飛翔魔術をもって、空中にいようと地上と同様の動きができる。シルヴィーヌには到底無理な話だ。


 何よりも、感情、心に秘めた思いは魔術でどうこうする、どうこうできるものではない。


(はあ、私は駄目ですね。このような大事な時に心が揺れ動くなんて。やはりザガルドア殿が言うように、まだまだ子供なのですね。仕方がありません。あと三年、五年もすれば、お姉様たちのように。本当に、なれるのでしょうか)


 手を置いたまま、動かないシルヴィーヌの感情がどういったものか、本当のところは分からない。いくらザガルドアでも心を読むなどできない。


(これまでの経験から、およその推測ぐらいはできるさ。優れた姉が二人もいるんだ。俺から言うことなど、ないんだけどな)


「自分の頭だけで考えても、どうにもならないことなど数多あまたある。そなたはまだ若い。もっと視野を広く持ち、様々な人を見るとよい。そこから何を得るかはそなた次第だ」


 シルヴィーヌには優れた姉が二人もいる。国王で父でもあるイオニアもいる。いずれ、兄ヴィルフリオも何らかの形で役立つ時が来るかもしれない。決して一人ではない。そう言う意味でも、シルヴィーヌは随分と恵まれている。


「大いに考え、大いに悩め。助言が必要なら、俺もイプセミッシュも、それに十二将もいる。ゼンディニア王国はいつでも開いている。俺たちを頼りにしてくれてもいいんだぞ」


 シルヴィーヌからの返答はない。それでよかった。


「陛下、そろそろです。ご準備を」


 アコスフィングァは既に接近できる限界点までやって来ている。両翼を軽く羽ばたかせながら、静止状態に入っていた。


「分かった、フォンセカーロ。では二度目の空中散歩といこうか、シルヴィーヌ第三王女」


 ザガルドアの声に応じて、シルヴィーヌは右手に力を込めた。差し出されたままの右手をしっかりと握る。


「行くぞ」


 シルヴィーヌとフォンセカーロ、二人に対する合図だ。ザガルドアはシルヴィーヌを再び抱え上げる。


「しっかり捕まっていろよ」


 アコスフィングァの背を軽く蹴り、空中へと躍り出る。


 今度はシルヴィーヌも気構きがまえができていたのだろう。両目はきつく閉じているものの悲鳴はない。一度目と異なり、右手はザガルドアの右手をしっかり握っている。ゆえに、両手をザガルドアの首に回すことはなかった。


 フォンセカーロはザガルドアの離陸を見届け、すぐさまアコスフィングァを上空へと誘導していく。羽ばたきは最小限、わずかな挙動でも風圧が影響を及ぼすからだ。


 飛び立つと同時、ザガルドアはすかさず魔力制動を発動していた。空中落下は四フレプト足らずだ。シルヴィーヌを抱えたザガルドアは、セレネイアたちが待つ岩場に足先から静かに着地していた。


 不快な浮遊感はほとんど感じなかった。ザガルドアの助言も受けていた。飛び立った瞬間、目一杯息を吸い込み、腹部を膨らませた状態で呼吸を止めていたのだ。さすがに目を開けるのだけは無理だった。


「さあ、着いたぞ、シルヴィーヌ第」


 それは突然来た。ザガルドアは言葉を切らざるを得なかった。


 咄嗟の判断、これしかなかった。シルヴィーヌを抱き上げたまま、前方へ大きく飛び退いたのだ。


 ザガルドアの口から苦悶の声が漏れる。


「ふむ、最も弱い小娘からと思ったのだが、邪魔者のせいで仕留めそこなったか。それにしても、よくぞ我の剣閃けんせんに反応できたものだ。めてやるぞ」


 妖刀を片手にした男が宙に浮かんでいる。いったいいつ現れたのか、ザガルドア以外、誰も気づけなかった。ごく僅かの殺気を察知できたのは、さすがと言わざるを得ない。


 唯一とも言える前方への回避行動で、シルヴィーヌだけは守れた。自身はそうはいかなかった。


 男の振るった妖刀は、身にまとった軽量鋼けいりょうこうよろいをもろともせず、背中右肩から左脇にかけて袈裟けさに斬り裂いていた。


 血飛沫ちしぶきが舞い散る。


 セレネイアもマリエッタも動きが完全に止まっている。上空のフォンセカーロも同様だ。


「怪我はないか、シルヴィーヌ第三王女。早く、姉たちのもとへ」


 ザガルドアの左ひざが落ちた。止まっていた者たちも、ようやく我を取り戻したか。


「ザ、ザガルドア殿、血が、血が。私を、かばって」


 シルヴィーヌの口をいて、悲鳴にも近い言葉が次々とあふれ出す。


「そなたが、無事でよかった。俺は、大丈夫だ。こんなもの、かすり傷に過ぎん」


 最初に動けたのはフォンセカーロだった。この敵が尋常じんじょうならざる者であることを認めなければならない。


「陛下、今すぐに参ります」


 十二将は陛下にとっての剣と盾たる存在、その十二将の一人がむざむざ目の前で陛下を傷つけられたのだ。許せるはずもない。


 即座に長槍を握り締める。フォンセカーロは躊躇ちゅうちょなく、男めがけて投擲とうてきした。


「貴様、許せぬ。うなれ我が長槍、氷霜舞華爆裂破シェレサティヴル


 ほぼ真上から一直線に長槍が落ちてくる。男を捉えるのは時間の問題だった。

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