第206話:マリエッタと炎の関係性

 ザガルドアもフォンセカーロも信じられない光景を目の当たりにしている。


「おいおい、嘘だろ。炎を抱き締めているんだぞ。いったい、どれほどの高温だと思っているんだ」


 どちらも冷静とは言い難い。フォンセカーロの方がザガルドアよりも若干魔術に長けている分、反応はまともか。


「ここから見る限り、マリエッタ殿は何ともなさそうです。シルヴィーヌ殿、マリエッタ殿が炎に焼かれることはないのでしょうか」


 フォンセカーロの問いに、シルヴィーヌは明確な答えを持ち合わせていない。分からない。黙って首を横に振るしかできない。


(マリエッタお姉様、本当に大丈夫なのでしょうね。もう、心配させないでください)


 方々ほうぼうの心配をよそに、平然としているマリエッタはほむらのアコスフィングァの首筋を何度か叩き、親愛の情を示している。


「炎でできているとはいえ、生態は本物のアコスフィングァと全く変わりがありませんね」


 この問いには明確に答えられる。


「はい、それはもう。フィリエルス殿が根を上げるほどに、連日質問攻めでしたから。マリエッタお姉様は本当にアコスフィングァが大好きなのですわ」


 シルヴィーヌの説明に思わず吹き出すザガルドアとフォンセカーロだった。


「あのフィリエルスをな。マリエッタ第二王女は相当に大物だな。これは将来が楽しみだ。ぜひともゼンディニア王国にほしい人材だな。無論、シルヴィーヌ第三王女、そなたもだがな」


 まるで子供のような無邪気な笑みを見せるザガルドアを直視できない。


 シルヴィーヌは胸の動悸どうきおさえられず、ぎこちない笑みを浮かべるしかできなかった。


(本当に心臓に悪いですわ。ザガルドア殿はおいくつぐらいの方なのでしょうか。私は今十歳、どれぐらい離れて、って、もう私ったら、こんな時にいったい何を考えているのでしょう。それに兄上が弟子入りしたのですよね。はあ、前途多難ですわ)


 相変わらずのシルヴィーヌだった。


 アコスフィングァの背にしゃがみ込んだまま、再び崖縁がけふちに立つマリエッタに注意を向ける。


 焔のアコスフィングァの首をでながら、年相応としそうおうの笑みを浮かべているマリエッタは健在だ。炎の影響は一切ない。それは明らかだった。


「ちょ、ちょっと、くすぐったいよ」


 焔のアコスフィングァはくちばしをマリエッタのほおりつけている。確実に甘えている仕草だ。


 それにしても、くすぐったいとはどういうことだろうか。言いみょうとは言いがたい。羽毛がこすれてなら、分かるような気もする。


 焔のアコスフィングァは文字どおり、全てが炎によって構築されている。しかも、魔術の炎なのだ。普通なら触れただけで焼き尽くされてしまう。


 耐性があったとしても、接触されれば最低でも重度の火傷やけどまぬかれない。


 マリエッタは全くの無傷、それどころか焔のアコスフィングァとたわむれあっている。


「マリエッタ、大丈夫なの」


 セレネイアが心配そうに声をかける。


 近づきたくても、炎が発する高熱を前に、立っている場所から一歩も近づけないのだ。炎が岩肌を赤々と照らし出している。


「炎をセレネイアお姉様に近づけないようにしてくれるかしら」


 マリエッタは首筋を撫でながら、優しく問いかける。


 術者なら、炎に命令すれば済む。そうはせず、お願いするのがマリエッタの流儀なのだ。


 魔術師は魔術を行使し、そこから結果を得る。結果はすなわち、術者にとって恩恵となって返ってくる。


 では、主物質界に顕現けんげんする魔術の力から見た場合はどうだろう。間違いなく一方通行だ。


 魔術とは無から有を生み出すものだ。無から発生したものに対して、術者が恩恵を与えようとすることはまずない。


 マリエッタも当然ながら、そのようにしか考えていなかった。その考えを改めさせたのが、他ならぬルシィーエットだ。


 ルシィーエットが魔術師としてまず最初に教えることが、魔術に対する根本的な考え方だ。理論ではない。その前段階のものだ。根源と言ってもよいだろう。


 術者と魔術の関係、それは対等であり、双方向で関与しあう、ということだ。


 そのことが理解できない者には決して指導などしない。ましてや弟子になどするはずもない。


「セレネイアお姉様、大丈夫です。お姉様もこちらに来てください。今、炎をお姉様から遠ざけますわ」


 マリエッタは焔のアコスフィングァの首に回していた両手を離し、優しく嘴に触れた。


「さあ、お願いね」


 柔らかなき声を一つ、両の翼が左右に広げられていく。


 あたかもマリエッタを守ろうとするかのごとく、また包み込もうとするかのごとく、彼女と相対する内側に燃え盛る炎はない。


 正確には存在している。その温度が極めて低温で制御されているのだ。人が容易に触れられる温度、たとえるならぬるま湯程度と言ったところか。


「炎はセレネイアお姉様を決して傷つけませんわ。私と炎は対等なのです。私が愛する者は、炎もまた愛するのです。この子もお姉様にご挨拶したいと言っています。お姉様、どうぞこちらへ」


 セレネイアは、どちらかと言えば炎を苦手としている。


 魔術をほとんど使えない彼女の主たる力は、風雷ふうらい系にかたよっている。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアは文字どおり、風雷の力を宿した魔剣アヴルムーティオであり、雷を発生させるには風、水、そして火の力が不可欠となる。マリエッタが魔力を注ぎ込む理由の一つでもあるのだ。


 わずかに躊躇ためらうセレネイアだった。


「炎は私の友です。セレネイアお姉様に危害を加えるなどあり得ません。もし何かあったとしても、このマリエッタが必ずお守りしますわ」


(だ、大丈夫なのでしょうか。私が近寄った途端とたんに炎が。考えても仕方がありませんね。マリエッタがあそこまで断言しているのですから。妹を信じずして、ですね)


 セレネイアはいささかの恐怖心を押さえ、ゆっくりとマリエッタのもとへ歩を進めた。


 先ほどまで肌に感じていた熱はない。視線を焔のアコスフィングァに向けてみる。心なしか、炎の瞳が自分を見つめているような気もする。


 上空から、その様子をシルヴィーヌがじっと見守っている。


「セレネイアお姉様、何をなさっているのでしょうか。マリエッタお姉様が炎を制御されているとはいえ、万が一がないとも限りません。私もすぐに行かなくては」


 ザガルドアに迷いはなかった。むしろ、この顛末てんまつが気になって仕方がない。きっと面白いものが見られるだろう。


 即座にフォンセカーロに命を下す。


「フォンセカーロ、あの岩場近くまで降下してくれ。俺も行く」

「私もお供いたします。焔のアコスフィングァが崖縁に立っているがゆえ、近づけません。やや上空から飛び降りることになります。問題ありませんか」


 ザガルドアに問題がないことは承知している。シルヴィーヌへの対応についての問いかけだ。


「俺が抱えていけば済むことだ」


 即答で返したのはザガルドアだ。


 二人のやり取りは、もちろんシルヴィーヌの耳にも入っている。意思を確認するまでもなく、一存で決めたザガルドアが申し訳なさそうに言葉を発する。


「シルヴィーヌ第三王女、そういうことだ。そなたの姉たちのもとへ行くには、フォンセカーロが言ったとおり、やや上空より飛び降りなければならない。今度は先ほどのような距離を落下するわけではない。僅かの間、我慢してくれ」


 シルヴィーヌに拒否権はなさそうだった。高所が苦手だといつまでも言っているわけにはいかない。覚悟はそれなりにしている。


「またそなたの意思も確認せず、俺の一存で決めた。済まない。これで最後だ。こらえてくれ」


 シルヴィーヌの複雑な表情を見て、ザガルドアが頭を下げてくる。シルヴィーヌは慌てて、弁解にも近い言葉をつむぎ出した。

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