第205話:マリエッタの魔術の神髄

 ほむらのアコスフィングァの切なげなき声が響き渡る。マリエッタの魔力に影響を受けた炎の感情か。


 翼の羽ばたきは炎の華となって空をいろどっていく。


 シルヴィーヌの創り上げた魔術通路は完璧だった。


≪マリエッタお姉様、五フレプトです。崖下がいかを≫


 マリエッタが崖縁がけふちに立って真下をのぞき込む。魔霊鬼ペリノデュエズの最後を見届けるために。


 シルヴィーヌは、氷輪華ひょうりんかまでの魔術通路をただ創り上げただけではない。


 焔のアコスフィングァの狙いは一つだ。闇雲に氷輪華を破壊しても仕方がない。魔霊鬼ペリノデュエズの身体に隠された核、それこそが滅しなければならないものだ。


 シルヴィーヌの魔力は、焔のアコスフィングァのくちばしを寸分の狂いもなく核へと結びつけていた。


「三、二、一」


 マリエッタは祈るようにして、両の手を胸前で強く握り締める。


 炎の嘴と核が、シルヴィーヌの魔力を媒介に結ばれた。


「どういうことだ。炎が、氷輪華に吸収されただと」


 ザガルドアのつぶやきがれる。


 シルヴィーヌでさえ疑問に思った。問題なく魔術通路は機能している。その証拠に、炎の嘴は確実に氷輪華を、魔霊鬼ペリノデュエズの一つ目の核をとらえているからだ。上空から視認もできている。


 氷は瞬時に昇華しょうかを迎え、閉ざされた魔霊鬼ペリノデュエズは核ごと滅ぶはずだ。そうに違いない。シルヴィーヌの予測だった。


「どうして。マリエッタお姉様の魔術が失敗した。そんなことは絶対にあり得ませんわ。終着点まで全て結び終えているのですから」


 ザガルドア同様、シルヴィーヌもいぶかしんでいる。比して、フォンセカーロだけがマリエッタの魔術の本質を理解していた。


「陛下、それにシルヴィーヌ殿、マリエッタ殿の魔術は正しく機能していますよ。それにしても、面白い魔術を考え出すものですね」

「説明しろ、フォンセカーロ」


 ザガルドアの要望に応じて、フォンセカーロが口を開く。


「発想が逆なのです」


 焔のアコスフィングァは、莫大ばくだいな熱量を有している。通常であれば、氷輪華を包み込み、そのうえで昇華させる方が簡単に思える。


 マリエッタの固有魔術たる灼火獄滅華翼焔ヴェネジェエアラは、その逆をいくものだ。つまり、氷輪華の外側からではなく、内側から炎と熱によって滅ぼす魔術なのだった。


「氷輪華の外からではありません。内から破壊するのです」


 マリエッタが魔術の師とあおぐルシィーエットは、現役レスカレオの賢者時代から火炎系魔術最高の使い手なのだ。賢者を離れた今でも、その事実に変わりはない。


 レスティーを除けば、ルシィーエットをしのぐ火炎系魔術の使い手は存在しないと言っても過言ではないだろう。


 彼女の固有魔術たる灼火重層獄炎ラガンデアハヴは、あのジリニエイユをあと一歩のところまで追い詰めている。時空をも超えて、相手を焼き尽くす魔術の要素が、マリエッタの灼火獄滅華翼焔ヴェネジェエアラに受け継がれている。


 もちろん、今のマリエッタの力では、完璧に行使するなど到底不可能だ。ルシィーエットのように、最大魔力をもって一気に敵を殲滅せんめつしてしまうような大技は使いこなせない。


 その一方で、マリエッタにはルシィーエットと決定的な相違点もある。本来、マリエッタは几帳面きちょうめんで、こまやかな気配りができる性格だ。


 ルシィーエットの教えたる最大威力の魔術一発で一気に殲滅とは、真逆とも言えよう。マリエッタの固有魔術には、その性格が十二分に示されている。


「私は細やかに魔術を編み上げるのが大好きなのです。ルシィーエット様の灼火重層獄炎ラガンデアハヴは、決して誰にも真似できない本当に素晴らしい魔術ですわ。その一部分のみでも手解てほどきいただけた私は、何と幸せなのでしょう」


 灼火獄滅華翼焔ヴェネジェエアラは言うなれば、火力は最大、制御は緻密な魔術に仕上がっている。編み上げる際、あまりに複雑化してしまったため、術者であるマリエッタでさえ今は完全に制御できない。


 だからこそのシルヴィーヌの存在でもある。


「いずれシルヴィーヌの力を借りずとも、私一人で制御してみせますわ。ルシィーエット様の弟子を名乗る以上、それぐらいできなくてはなりませんものね」


 焔のアコスフィングァを構成する全ての炎が、氷輪華の内部に消えていった。


 シルヴィーヌの目は氷輪華の内部をも見通している。氷輪華へとつないだ魔術通路はそこで終わっているわけではない。第一の終点、第二の終点、そして最終点へと結び終えているのだ。


「今は可愛い妹シルヴィーヌをめるべきですわね。何しろ、三つの核を一本の線で結んで、誘導してくれているのですから。私はただその線をなぞるだけですわ。さあ、私の炎よ。今こそぜなさい」


 凝縮された深紅の炎が、一筋となって結ばれた線をけ抜けていく。


 マリエッタは握り締めていた両手を開き、一呼吸の後、大きく打ち鳴らした。


 刹那せつな、氷輪華の内部で極限まで圧縮された炎が轟音ごうおんを響かせ、全方向にはじけ飛んだ。大音量とともに深紅のきらめきが散開する。


 上空、アコスフィングァの背に乗るシルヴィーヌはもちろん、ザガルドア、フォンセカーロは三者三様だ。


 咄嗟のことで結界は間に合わない。音による衝撃を防ぐために耳をふさいだのがフォンセカーロ、輝きによるまぶしさを防ぐために目を覆ったのがシルヴィーヌとザガルドアだった。


 氷輪華は跡形もなく爆散、氷はことごとくが高音の水蒸気となって周囲を満たしていく。活性化し続ける炎は、再び焔のアコスフィングァへと姿を変えていく。


 マリエッタの背後から崖下をのぞき込んでいたセレネイアが声をかけた。


「マリエッタ、見事だったわ。もちろんシルヴィーヌもね。貴女たちは私の自慢の妹よ。本当に誇りに思うわ」


 マリエッタは思いがけないセレネイアの言葉に、居ても立っても居られず、その胸に飛び込んでいった。


「セレネイアお姉様、こういう場面でそのお言葉は反則です」


 マリエッタの言っている意味がよく分からないセレネイアだった。妹が喜んでくれている。それだけで十分だ。


「ところで、炎を再構築しているわね。何かしらの意図があるのかしら」


 マリエッタの意識が、炎からセレネイアに移ったからか。焔のアコスフィングァが炎をき散らしながら騒々しくき声を上げている。


「あっ、ごめんなさい、セレネイアお姉様、あの啼き声は。きっとあの子、いているのですわ。迎えにいってあげなければ」


 セレネイアから離れたマリエッタが再び崖縁がけふちに戻り、崖下を覗き込む。そこへ焔のアコスフィングァが翼を羽ばたかせて急上昇してくる。


 マリエッタのやや頭上だ。両翼をゆるやかに、軽やかに動かして空中で制止すると、先ほどとは異なるやや甲高い啼き声を放った。


「ごめんね、忘れたわけではないのよ。そんなに怒らないで。さあ、いらっしゃい」


 マリエッタは両手を大きく開き、迎え入れの姿勢を取る。


 焔のアコスフィングァが、歓喜の咆哮ほうこうとともにゆっくりと近づいてくる。


 セレネイアの立っている位置からでも十分すぎるほどの熱を感じる。何しろ、全身が赤紅あかべにの炎で構成されているのだ。マリエッタは本当に大丈夫なのだろうか。気が気ではない。


 焔のアコスフィングァが炎の両足を崖縁にかけ、首だけを曲げてマリエッタに差し出してくる。


「よしよし、よい子ね。さすがは私の可愛い焔、よく頑張ってくれたわ。有り難う」


 差し出された首に両手を巻きつける。マリエッタは炎をものともせず、焔のアコスフィングァを優しく抱き締めた。


 その様子をセレネイアはおろか、ザガルドアもフォンセカーロも呆然ぼうぜんと眺めるだけだった。

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