第204話:マリエッタとシルヴィーヌの力

 ほむらのアコスフィングァが高速でけ抜けていく。


「これが第二王女の魔術か。すさまじいな。十二将にも匹敵しうる力だな」


 ザガルドアの口から驚嘆きょうたんの声がれる。


 シルヴィーヌたちを背にしたアコスフィングァを一気に追い抜いていく。


 そのまま高度二千五百メルク地点まで上昇、すかさず反転を行う。ここは魔術通路の頂点だ。焔のアコスフィングァは両翼を大きく広げた。


 空に輝く赤紅あかべにの炎が断崖絶壁を鮮やかに照らし出していく。その姿は幻想的でもあり、神々こうごうしくもある。


「よくできているよ、マリエッタ」


 高度二千メルク地点、大地に立つルシィーエットが両翼を広げた焔のアコスフィングァを満足げに見つめている。現時点での、マリエッタが行使できる魔術の集大成とも言えよう。


 シルヴィーヌが自らの魔力によって創造した魔術通路は、標的たる魔霊鬼ペリノデュエズまで最短で設置されている。最短とはいえ、距離にすれば相当だ。持てる魔力のほとんどを注ぎ込んだと言っても過言ではない。


 そのうえで、ザガルドアの要請に応えるには、魔術通路をさらに伸ばす必要があるのだ。


(どうしよう。魔術通路を強化しながら、氷輪華までの路を新たに創り出すとなると、今の私の)


「俺の魔力を使え」


 腰に添えられたザガルドアの手にわずかばかり力が込められた。そこから温かさが広がってくる。複雑な魔力が、ゆっくりと流れ込んでくるのが認識できた。


(えっ、どうして。まさか私の心の思いがザガルドア殿に。そんなことはありません。絶対に、と言い切れませんが。それにザガルドア殿が高位の魔術師だとは聞いていませんし。でも、もし、ああ、もう、私は何を考えているのでしょう。今はそれどころではありません)


 シルヴィーヌの心の内が大変な状態になっている。そうとはつゆと知らず、ザガルドアは心配そうに語りかける。


「どうかしたのか、シルヴィーヌ第三王女。そうか、俺の魔力はいささか独特だからな。そなたに注ぎ込んだ際、異質なものと認識されたかもしれないな。この状態は魔力酔いか」


 ザガルドアの声はしっかりシルヴィーヌの耳に入ってきている。感情の揺れが、そのまま身体のそれにつながっている。ザガルドアの思い違いは、シルヴィーヌにとって好都合でもあった。


(よかったです。何がよかったのか、私にもよく分かりませんが。ほっとしている私と、がっかりしている私がいます。どうしてしまったのでしょう)


 考えたところで答えが出るわけでもない。


≪ちょっとシルヴィーヌ、何をしているのよ。魔力制御が散漫になっているわよ。炎の余波がれ出ているじゃない≫


 マリエッタの叱責にも近い言葉が飛んでくる。シルヴィーヌの魔力の揺れは、そのままマリエッタが行使している魔術にも大きな影響を及ぼすからだ。


 シルヴィーヌが自らの魔力を放出、魔術通路を強固にしたところまではよかった。一体の魔霊鬼ペリノデュエズを倒すのみなら、多少の揺れも問題はない。


(氷輪華ひょうりんかまで魔術通路を伸ばすつもりなのね。今のシルヴィーヌの魔力量で届くかどうか)


 二人の様子を観察し続けているセレネイアは思案しつつも、シルヴィーヌを信じている。十歳ながら頭脳明晰、自分にもマリエッタにもない優れた魔力制御能力を有する。何よりも自慢の妹の一人なのだ。


≪マリエッタ、シルヴィーヌの魔力量は大丈夫なのかしら。魔術通路を強固にしながら、さらに氷輪華まで伸ばすつもりのようね。もしも不足するようなら、少ないながらも私の魔力をシルヴィーヌに≫


 即答で返ってくる。


≪大丈夫ですわ、セレネイアお姉様。シルヴィーヌのそばには、ザガルドア殿とフォンセカーロ殿がいらっしゃいます。いざとなれば、お二人から魔力を譲り受けるはずですもの≫


 セレネイアもマリエッタも、もちろんシルヴィーヌでさえも、魔力同調は知らない。知っていたとしても、魔力同調は誰にでも行えるものではない。レスティーのようなごく限られた高位の魔術師のみが扱えるのだ。


≪それに、あの子には魔力制御と同じぐらい優れた魔力融合能力があるのですから。セレネイアお姉様、シルヴィーヌは私たちの頼れる妹です。心配は要りませんわ≫


 マリエッタの言葉に納得する。


≪そうね、私たちの妹ですものね。マリエッタ、私は何もできないけど、ここで貴女たちを見守っているわね≫


 マリエッタには、セレネイアのその言葉だけで十分だ。敬愛する姉が見守っていてくれる。それがどれほどまでに心強いか。


「セレネイアお姉様が見守ってくださるだけで力が湧いてくるというものです。さて、私の可愛い妹は」


 マリエッタは魔力を通じて、シルヴィーヌの創り上げた魔術通路の状況を確認している。既に焔のアコスフィングァは急降下に入り、高速で翔け下っている。


 先ほどから通路外にれ出している魔力余波はいまだに継続中だ。


「仕方がないわね。魔術通路は強固になっているものの、シルヴィーヌの魔力が散逸しているためね。あの子に何が起こっているのやら」


 マリエッタの意識が上空にいるシルヴィーヌに再び向けられる。


≪ごめんなさい、マリエッタお姉様、もう大丈夫ですわ。ザガルドア殿から魔力を分けていただきました。もう一度、魔術通路を強化し直して、氷輪華まで路を繋ぎますわ≫


 案の定、魔力不足におちいっていたか。マリエッタは苦笑とともにため息をつくと、いたわりの言葉をかけた。


≪セレネイアお姉様も心配していたわよ。貴女には頼れる姉が二人もいるの。そういう時は遠慮なく声をかけなさいね。セレネイアお姉様も私も、貴女を頼りになる妹だと思っているのだから≫


 シルヴィーヌからの声が突然途切れた。


≪シルヴィーヌ、いきなり途絶えたわよ。どうかしたの。何かあったの≫

≪もう、マリエッタお姉様は私を泣かせるつもりですか≫


 こういう可愛いところもあるのよね、としみじみ思うマリエッタだった。


≪冗談を言っている場合ではないわよ。私と貴女でこの二体を確実に仕留めるの。突っ込んできている一体を先に片づけたら、そのまま氷輪華を昇華させるわよ。まもなくよ。魔力制御をしっかり頼むわね≫


 まもなくだ。およそ十フレプトもしないうちに、焔のアコスフィングァと魔霊鬼ペリノデュエズが激突する。


 炎に対する耐性でもあるのか。魔霊鬼ペリノデュエズはいささかも恐れていない。咆哮ほうこうとどろかせ、がむしゃらに突貫してくる。


「私の焔に勝てると思っているなら大間違いよ。魔術はもちろんのこと、その威力までもがルシィーエット様直伝じきでんなのですからね」


 結果は、その通りとなる。


 ルシィーエット直伝、すなわちそれは最大威力の魔術を敵めがけて一気にぶっ放す、なのだから。


 無論、マリエッタはこの先々の戦いを見据えてもいる。持てる全魔力を焔のアコスフィングァに注ぎ込んでいるわけではない。


魔霊鬼ペリノデュエズ二体程度、これで十分だわ。さあ、焼き尽くしてしまって。私の愛しい焔のアコスフィングァ」


 魔力を乗せたマリエッタの声にこたえる。焔のアコスフィングァの美しいき声が尾を引いて空に流れていく。


 魔霊鬼ペリノデュエズが焔のアコスフィングァを見上げた。


 刹那せつな、赤紅の炎が魔霊鬼ペリノデュエズの全身を飲み込んでいった。


 費やした時間は一フレプトにも満たない。およそ四メルクの身体が炎に包まれ、身体を構築する粘性液体全てが蒸発、核の存在さえも許さなかった。


 焔のアコスフィングァが生み出す圧倒的熱量が魔術通路を激しく揺さ振る。


(マリエッタお姉様に託されたもの。私が氷輪華までしっかりと導くわね。さあ、翼を広げ、炎の華を散らして。そう、方向を変えたら、すぐよ)


 シルヴィーヌはさらなる魔力を注ぎ込み、氷輪華までの路を伸ばしていく。


 一体目を完璧に焼き尽くした焔のアコスフィングァが、延伸された魔術通路を翔け抜けていく。


 十フレプトもないだろう。


 まもなく、炎のくちばしが氷輪華と化した魔霊鬼ペリノデュエズの核に届く。


 焔のアコスフィングァが両の翼をはためかせ、さらに速度を上げた。

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