第203話:華焔翼と氷輪華

 アーケゲドーラ大渓谷を照らすは傾き始め、まもなく夕闇を連れてくる。まさにつるべ落としだ。


 弱まった陽光の下、マリエッタの魔術行使によって生み出された炎が空をいろどる。深紅に染まった炎がまばゆい輝きを四方に放っている。


≪シルヴィーヌ、上昇させるわよ≫

≪いつでも問題ありませんわ、マリエッタお姉様≫


 炎は華となって空を覆っていく。まるで真昼のような明るさだ。熱さえも帯びている。


「マリエッタ第二王女の魔術ですね。独特の魔術ですが、まさか彼女の固有魔術でしょうか」


 驚きの声を上げているのはアコスフィングァを誘導している空騎兵団副団長フォンセカーロだ。


 十二将序列八位の彼は魔槍士まそうしでもある。槍術の腕前はもちろんのこと、己自身で魔術付与もできる有能な人物だ。


 彼は火炎系魔術を一切使わない。およその有翼獣にとって、炎は禁忌きんきの力だからだ。今もその例にれず、アコスフィングァはマリエッタの魔術を恐れ、決して近寄ろうとはしない。


 マリエッタは炎に向けて右手を躍らせている。空という平面を舞台に、絵を描いているようでもある。


いとしき炎よ、二枚の翼をここに広げて、羽ばたきたまえ」


 炎が重なり合い、美しいはなとなって宙に広がっていく。大輪となった華は、手足を伸ばすがごとく炎の翼を作り上げていった。


 二つの翼をつなぐための中央部は空洞だ。


「翼と翼を繋ぎし炎、華なるほむらと化して、今こそ私の前にその姿を」


 マリエッタの右手が止まっている。絵を描き終えたのだ。


 華焔翼かえんよくに向かって、両手をゆっくりと差し出す。こたえるかのように、両翼の炎が手を取り合い、炎をもって身体を構成していった。


 炎のくちばしから咆哮ほうこうが鳴り渡る。それは疑うべきもなくアコスフィングァのき声、されど姿形すがたかたちは全て炎によって創られた焔のアコスフィングァだ。


 炎を恐れ、決して近寄ろとしなかったフォンセカーロのアコスフィングァが、その動きを止め、空中でとどまっている。いささかの戸惑いはあるものの、同胞の啼き声だと認識したからだろう。


 シルヴィーヌが補助鞍からゆっくり手を放し、恐る恐るしゃがみ込む。


「俺が支えている」


 ザガルドアも彼女に合わせて動くと、細い腰に優しく手を添えた。


「あ、有り難うございます」


 小さな声が返ってくる。上空を行く風にかき消される。


 ザガルドアは一向に構わなかった。シルヴィーヌのわずかに見える横顔が、恥ずかしさからか、赤く染まっている。それで十分だった。


「怖がらないでね。お姉様の炎は決して貴方を傷つけたりしないから。だって、この私が完璧に制御するのですからね」


 アコスフィングァの首筋を優しくでながら語りかける。フォンセカーロが竜笛アウレトを用いるまでもなかった。


 大人しく、シルヴィーヌのなすがままになっている。気持ちよさそうにのどを鳴らす仕草が愛らしい。


「マリエッタ殿といい、シルヴィーヌ殿といい、ここまでアコスフィングァが気を許すとは恐れ入ります。魔力はもちろんのこと、本当に優しい心の持ち主でもあるのですね」


 フォンセカーロがるアコスフィングァの背は、大人三人が乗れる程度だ。シルヴィーヌを大人の半分程度と計算すれば、背の上は十分に余裕がある。


 フォンセカーロは、それでも気をつかってか、二人からやや離れた位置に立っている。


「フォンセカーロ、もう一体はお前に任せる。一人で問題ないな」


 背を向けたままのザガルドアが確認の意を込めて命を下した。


「陛下、もちろんです。マリエッタ殿のあの魔術なら二体同時も可能でしょう。そうなると私の獲物がなくなってしまいます。先に片づけるといたしましょう」


 フォンセカーロがアコスフィングァの尾の先端まで移動した。


 左手に握るは長槍ちょうそう、全長三メルク、やいばはおよそ二十セルクだ。最も得意とする氷系魔術が付与されている。


 しもを帯びた刃が傾きかけた陽を浴びて輝き、光を散らした。


「本格的な戦闘を前に一度試しておきたかったのです。行きます。氷霜舞華爆裂破シェレサティヴル


 フォンセカーロが長槍を片手に振りかぶる。


 標的はまさに崖下がいかをよじ登ってきている一体の魔霊鬼ペリノデュエズだ。


 凄まじい速度をもって投擲とうてきする。


 フォンセカーロの槍術奥義の一つ、氷霜舞柱疾刺撃ラグスティユルの改良型、それが氷霜舞華爆裂破シェレサティヴルだ。


穿うがいつけなさい」


 上空から高速飛行する長槍に魔霊鬼ペリノデュエズは気づいている。


 粘性液体で構築された全身は変幻自在だ。よじ登りながらでも、たくみに身体を動かして回避が可能なのだ。


 長槍は速度だけはあるものの、垂直落下に近い。敵めがけて走破する路は単調とも言える。


 予想どおり、魔霊鬼ペリノデュエズはいとも簡単に攻撃をけた。


「残念ですが、逃げ場はありませんよ。なぜなら」


 確実に避けたはずだった。


 長槍は垂直落下から一転、ありない軌道を描き出し、向きをほぼ直角に変えたのだ。


 長槍が魔霊鬼ペリノデュエズの腹部中央を高速で穿ち、その勢いをもって、むき出しの岩肌に縫い留める。


「私の長槍は自動追尾機能も付与済みですからね」


 魔霊鬼ペリノデュエズは身体を構築している粘性液体を移動させながら、長槍を引きはがそうと必死にもがいている。本来であれば、粘性液体は迅速に変化しながら動き続け、容易たやすく長槍の束縛から逃れられるだろう。


 それがこの段に及んで液体の動きが実に緩慢になっているのだ。焦燥の咆哮が周囲をざわつかせる。


 液体には利点と欠点がある。


 利点は先にも述べたとおり変幻自在、身体を貫かれようとも何ら影響を及ぼさない。欠点は極度の低温と高音がもたらす状態変化、すなわち凝固と蒸発だ。


 フォンセカーロの長槍は氷の力をまとっている。貫かれたところから急速に凍結が始まっていた。


「咲き誇れ氷輪絶凍華ロフランジュ


 縫いつけられていた魔霊鬼ペリノデュエズの動きが完璧にこごえた。


 長槍の刃を中心に凍結が全方向に走り抜ける。身体の粘性液体はまさしく養分、そのことごとくが凍りついていく。


 全ての液体が凝固する。幾重にも及ぶ氷の花びらは氷輪華ひょうりんかと化し、断崖絶壁に美しく咲き誇った。


「あとは核を射貫いぬくだけです。そして、頃合いですね。仕上げはお願いしてもよいでしょう」


 フォンセカーロが振り返る。同じく、振り返ったザガルドアと視線が合う。


 ザガルドアはうなづきをもって了承した。


「シルヴィーヌ第三王女、先にあれをつぶしておきたい。いけるか」


 シルヴィーヌは魔力制御に集中している。制御を行いつつ、自身の魔力の目を通して、フォンセカーロの長槍が魔霊鬼ペリノデュエズを穿ち、縫いつけ、凍結させて氷輪華に変えたその全てをていたのだ。


 ザガルドアの意図は明確に伝わった。


 マリエッタと共同で倒すべきもう一体が、まもなく氷輪華となった魔霊鬼ペリノデュエズを追い越そうとしている。まさに好都合だ。


≪シルヴィーヌ、炎を上昇させるわよ≫


 シルヴィーヌの応答は必要ない。準備万端だった。炎を導く魔術通路が空中に完璧なまでに描き出されているのだ。


(やはり、私の妹は最高ね)


 マリエッタは差し出した両手を天高くかかげた。


「さあ、大きく、高く、羽ばたいて。私の可愛い焔」


 甲高いき声が一つ、マリエッタの言葉にこたえるためのものだ。


 炎でかたどられたアコスフィングァは、ゆっくりと両の翼をはためかせる。二度、三度、そして四度目をもって急上昇に転じた。


 翼を構成する炎が舞い踊る。


 いきなり急降下はさせない。崖を駆け上がってくる魔霊鬼ペリノデュエズとの距離が近すぎるからだ。だからこその上昇だった。


 翼の羽ばたきは強さを増し、揚力と推進力を同時に生み出していく。


「さあ、いらっしゃい」


 四方に炎が散り、岩肌が紅のきらめきで染まっていく。


 シルヴィーヌは自身の魔力を放出、描き出した魔術通路をより強固なものにしていった。マリエッタの作り出した炎はあまりに威力が大きい。魔術通路内に導くまでに万が一もあってはならない。


「そう、そこよ。私が導いてあげる」


 焔のアコスフィングァは、生物としてのアコスフィングァ以上に魔力に敏感だ。


 シルヴィーヌの魔力をすぐさま感じ取ると、迷いなく魔術通路内へと入っていった。

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