第279話:エルフ属としての後始末

 何が起こったのか。


 見極められたのはキィリイェーロ以外、やはりこの二人、パレデュカルとオントワーヌのみだった。


(エルフ属の長老の魔術、実に素晴らしいですね。あの二人の細剣さいけんと弓矢をこのような形で用いているとは)


 中位シャウラダーブり刻んだ光糸こうしは、チェシリルアの細塵風劉閃剣ナヴァロムージュとミヴィエーノの降魔破断風弓コーラヴェーレンあってこそ成り立っている。


 細剣の細切こまぎれにつ優美な力、弓矢の全方位から疾駆しっくする力、光そのものの熱と速度が掛け合わさることで、しなやかで不可視の光糸を創り上げている。


 亡者もうじゃからを脱いだ中位シャウラダーブに核の位置を隠す手立てはない。シュリシェヒリの目をもってすれば位置の特定など容易たやすい。


 光糸は中位シャウラダーブの身体のみならず、見事に核をも細断していた。


「やるではないか、キィリイェーロ。少しは見直したぞ。さあ、第三の壁だ。どう対処してみせるか楽しみだ」


 魔霊鬼ペリノデュエズの邪魔な身体が消え去った。ようやく自由を取り戻した一つまなこの小球は何度かのまばたきを繰り返し、焦点しょうてんを合わせていく。


 美味おいしいえさが目の前に、しかも大量にぶら下がっているのに、今の今までお預けを食らっていたのだ。


「さあ、お前たち、うたげの時間だぞ。存分に食らうがよい」


 飢えた小球は焦点をあわせるやいなや、最大限に開いた眼をもって魔力を吸い上げていく。


 まずはプルシェヴィアの旋律魔術が犠牲となる。キィリイェーロが創り上げた光芒こうぼうを保護する形で展開されている旋律魔術は、一つ眼の小球が真っ先に触れられる大きな魔力だ。


 魔術は魔力による産物、解き放たれた魔術はその効力を失うまで決して還元かんげんされず、主物質界にとどまる。留まっている以上、魔力食いからはのがれられない。


 魔力食いたる小球が唯一ゆいいつ食わない魔力がある。己を召喚した術者の魔力だ。それを食うことは、すなわち己の消滅を意味する。術者の魔力を失えば、存在を維持できず、もとの界へと強制送還されるからだ。


 プルシェヴィアは即座に原理を見抜くと、機転をかせて旋律魔術の制御を手放した。一度ひとたび発動した魔術の制御を手放すことは、本来ならば自殺行為に等しい。


 制御を失った魔術は、術者をも巻き込んで暴走する。それが魔術における常識だ。既に魔力の大半を失った魔術ではまた話が異なる。


「制御を失ったところで、あの一つ眼が全てを吸収し尽くしてくれます。それならば、これからやることは一つです」


 新たな旋律魔術をもって、一つ眼の小球を召喚した術者たるパレデュカルを直接の標的に定める。そして、彼の魔術を眠らせる。この窮地を切り抜けるにはそれしか手はない。


「貴男、しっかり頼みますよ」


 トゥルデューロへの呼びかけはそれで十分だ。プルシェヴィアの言わんとしているところは完璧に理解できている。魔術の前後、術者はほぼ丸裸状態になる。そこを狙って正しく攻撃できる者がいるならば、確実に命を絶たれる。


「任せてくれ。俺の大切な妻には指一本触れさせはしない」


 プルシェヴィアはいささかあきれつつ、やはり嬉しいのだろう。柔らかな笑みを浮かべ、すぐに消し去った。夫トゥルデューロを信じて、瞳を閉じる。


「ラーナーツェ・ザウェロウ・ザタナージェ

 ルヴェラウ・ウェラトゥー・ドゥレミジオン」


 小球は旋律魔術の魔力の欠片かけらまで存分に食らい尽くすと、すぐさま次なる餌を求めてうつろな眼を彷徨さまよわせる。


 プルシェヴィアの新たな詠唱は、小球をきつけるには十分だった。詠唱が進むにつれて魔力も高まっていく。それを見逃すはずもない。


 眼は変色していない。すなわち満腹には程遠い状態だ。プルシェヴィアに向けられた眼が鈍色に輝き、魔力を吸い上げにかかる。


「俺が好きにさせると思ったか。プルシェヴィアの魔力は一滴たりとも吸わさん」


 今さら詠唱をしたところで手遅れだ。何よりもトゥルデューロとプルシェヴィア、どちらの魔力質が小球にとってご馳走かと言えば、もちろん後者であり、トゥルデューロが詠唱をしたとしても見向きもしないだろう。


 では、どうするのか。


「魔力を食うなら、魔力を一切使わなければよい」


 トゥルデューロは弓の名手として知られている。


 幼少よりダナドゥーファと過ごすことが多かった彼は、魔術を学ぶ一方で弓の技術の習得にいそしんだ。のめり込んだと言った方が相応ふさわしいかもしれない。


 ひとえに、ダナドゥーファの抜きん出た魔術の才を隣で見てきたからだ。競い合えば、到底勝ち目はない。だからこそ、ダナドゥーファと並び立った際に支援できる弓を極めようとしたのだ。


 最年少で魔弓警備隊に勧誘されるほどの腕前は伊達ではない。


 左手に握るのは魔術付与もほどこされていないごく一般的な弓だ。右手に二本の矢を添えて、つるを引きしぼる。


 魔術付与のない矢だ。小球の眼を射貫いぬけるか心許こころもとない部分はあるものの、迷っている暇はない。


 トゥルデューロは二つの眼に照準を合わせると、引き絞った弦を優しく手放した。二本の矢がそれぞれの目標物たる二つの眼に向かって空をけていく。


 二本の矢を同時に射て、別々の目標物に命中させるなど、弓の上級者であっても相当に難度が高い。


「問題ない。俺なら百発百中だ」


 その言葉どおり、放たれた二本の矢が小球の眼を射貫く。誰もが確信した。


「やはり、魔術付与のない矢では無理か」


 矢は間違いなく眼に、しかもど真ん中に到達している。そこまでだ。射貫けない。


 異界からの召喚物に干渉するには、最低でも魔力をめる必要がある。主物質界の一般的な武器では貫通できるだけの威力がないのだ。


「お手伝いしましょう。それは私がじょすべきものでしたからね。皆さんのお陰で準備も万端ですよ」


 静観せいかんを決め込んでいたオントワーヌがここで動く。


 衣類についたほこりでも落とすかのごとく右手を軽く払う。それだけだ。魔力の発動は全く感じられなかった。


 トゥルデューロが放った二本の矢が小球の眼を射貫けないまま、重力に従って落下する直前だ。何かに押されるかのように急速に勢いを取り戻すと、研ぎ澄まされたやじりが眼に突き刺さった。


 痛みを感じているのか、小球が耳障みみざわりな奇声きせいを発し、激しく暴れ回る。腕を持たないのだ。自力で矢を抜き取るなど不可能に近い。しきりにまばたきを繰り返し、矢そのものを取り除こうと試みている。


 先ほどからおかしい。矢に魔力が付与されているなら、それは小球にとって恰好かっこうえさになるはずだ。実際は矢から一向に魔力を吸い上げることができず、苛立いらだちばかりがつのっていく。


「無駄ですよ。私を誰だと思っているのです。矢に直接魔術を付与するはずがないでしょう」


 小球は周囲の魔力を一切合切いっさいがっさい吸収しているわけではない。より魔力の大きなもの、魔力質の高いものを選んでいる。いわばごのみをしている状況であり、微弱な魔力なら見向きもしない。


「なるほど、操影術そうえいじゅつの原理と同じということか。ジリニエイユと違って、俺には使えぬが」


 パレデュカルは早々に見抜いたようだ。他人事ひとごとのようにつぶやきながらも、表情は苦々にがにがしい。一度だけ戦った里の後輩に当たる男の顔が思い浮かんだのだろう。


「ええ、そのとおりです。矢の影に対して魔術付与を施したのですよ」


 トゥルデューロが怪訝けげんな表情を浮かべている。矢の影と言われても、全く視認できない。


 天には既に三連月のほのかな明かりしかなく、影を生み出せるほどの光量をともなっていない。大地はほぼ闇一色といっても問題ない。


 戦いの渦中かちゅうの二人がそろってトゥルデューロに視線を向けている。その顔にはどちらも苦笑がりついている。


 意味するところは、ああ、分かっていないな、というところだろう。律儀りちぎに説明している時間はない。


 オントワーヌの魔術によって推進力を付与された二本の矢がさらに速度を増し、ついにに一つ眼をつらぬいた。


 先ほど以上の絶叫にも似た奇声が大気を震わせる。射貫かれた眼からは大量の魔力があふれ出していく。


 やじり以外の部分は付与の力に耐えきれずに砕け散った。眼内に食い込んだ鏃だけは、なおも推進力を失うことなく、さらに小球中枢ちゅうすうへと深くもぐっていく。


 もはや、新たな魔力を吸い込むことも、吸い込んだ魔力を蓄えることもできない。


せなさい」


 オントワーヌが右手を小球に向け、指を大きく開き、おもむろに握った。


 二つの破裂音が連鎖的にとどろく。断末魔の奇声を残し、二つの小球は端微塵ぱみじんになって大地にこぼれ落ちていった。


「大地全てが私の領域です。大地に降りそそぐ光も闇も私の力となるのですよ」


 影は闇の一部でしかない。大地の闇をも使役するオントワーヌにとって、矢を自在に制御するなど簡単なことだ。


 パレデュカルはこれで第三の壁まで失ったことになる。合成魔術は失敗に終わった。


 キィリイェーロの魔術はまだ全ての成就じょうじゅを見ていない。先ほど行使した魔術はその一部でしかない。そして、プルシェヴィアの旋律魔術も本番はまさにこれからだ。


 オントワーヌは一人うなづくと、何を思ったか、開いたままの禁書を静かに閉じた。


(私が手を出すべきではないのでしょうね。これでよろしかったのですか、レスティー殿)


 心の想いでも、確実にレスティーには伝わっているだろう。そのうえで彼からの返答はない。


「パレデュカル、貴男を封じるのは私だと思っていましたが、どうやら違ったようです」


 禁書を閉じたのだ。その意味を理解できないパレデュカルではない。


「そのようだな。あくまでエルフ属の問題として片づけたいらしい」


 パレデュカルの視線がオントワーヌからキィリイェーロへと切り替わる。そこにひそむ感情は何だっただろうか。


「パレデュカル、始めようではないか」


 凛とした長老キィリイェーロの覚悟の言葉が、パレデュカルのみならず、ここにいる全てのエルフに浸透していった。

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